‘記憶、知識、両替いたしマス’
こんな看板、用の無い人間にはなんの意味だか分からない。
でも用のある人が確かに居るから今日も看板は出ている。
記憶、思い出、昔覚えた知識。
年をとったら忘れてしまうものも多い。
忘却のやるせない所は、
何を忘れているのか本人に分からないことだ。
消却された思い出は確かにあるけど、消却されていることの自覚が本人にない。
‘記憶両替屋’
では、無くなっている知識記憶の分だけ、新しい智恵と交換することができるのである。
ただ、本人が何を忘れているのか認知できていないので、交換したとてどんな智恵が備わるのか、全くの博打なのだった。
と言うわけで最近はこんな手を使う家族が増えている。
両替屋のカウンターに、老人を真ん中に挟んだ五人の中年が待っている。
老人は車椅子に乗せられている。その他の中年は両替屋が無くなった記憶の鑑定にあれこれ計算表を探っている間、
何がもらえるかね、
ほとんど無くなっているんだからね。
でもじいさんだよ、ろくなものは無いよ。
いや、それにしたって70年分にはなるじゃないか。ちょっとは良いものになるよ。
無くした記憶が良質なものなら、もらえる智恵も質がよい。
同じく大量の忘却を、貴重な一個の知識と交換することも可能である。
だから、認知症の進んだ老人を持ってきてその無くなった思い出全部を、最新知識一個に取り替えよう、というわけだ。
効率の良い方法だけど、家族が効率に拘ると、聴く方はなんだかうすら寒い。
「最新知識のお受け取りは、ご本人が?」
カウンターの向こうで計算を終えた両替屋が訊く。
「いえ、親父はこのありさまですから、長男のわたしが。」
と、中年の一人が名乗り出て書類にペンをとった。
「これで、よろしいでしょうかね。」
「はい、では脳神経固定番号の照合が終わりましたら、速やかに新しい知識とお引き換え致します。」
中年の一団は、両替屋に挨拶すると、車椅子の老人を囲んで店名の書かれた硝子戸から出ていった。
因みに書類を書いた中年はこの後日血相変えて両替屋にやってくる。
「おいおい待ってくださいよ。70年、70年分ですよ。
70年分交換して、たったこれっぱかしですかい。」
「はい。規定に基づいて計算したら、正当な交換に間違いありません。」
両替屋はポーカーフェイスだった。
「あんたね、70年分の記憶がすっぱり無くなってんのに、新しい知識があんた、こんな、ちんびくさいものだなんて釣り合うわけが無いでしょう。」
「70年も消えてやしませんよ?」
両替屋は言った。
「はい?」
「お父君はかくしゃくとしておられました。記憶もしっかり残ってらっしゃいましたよ。無くなった思い出が少なかったんです。
なので、しごく全うな交換です。
お父君は、いぢけてらっしゃるだけなんですよ。呆けたわけじゃないんです。」
中年はぽかんとしていた。
そしてすぐ当てが外れたことをくやしがった。
老人は今でも、ケアハウスの廊下に置かれて
ただただいぢけている。
きっと死ぬまでいぢけている。