小説「父が悲しんだ本当の理由」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

生後半年のとき、どうも私の耳が今後も聞こえそうにないことを知った父が憤ったのは、小児科医から
「心配することはありません。
耳が聞こえたって、きっとくだらない人間になるでしょう。
聖人天使さまになるはずがないじゃないですか。」
と言われたからだった。
あんまりな言い分で、でも医者はそのとき暗く沈んでいく両親をちょっと励ますつもりだったんだろうけど、それにしたって冗談のセンスが最低なことはどうしようもない。
父はとにかく激怒して、それから二度とその医者に私をみせようとしなかった。
ところで当事者の意見としては、この時の先生の言葉はまったく慧眼だったと思う。
予想に漏れることなく、私はものすごくやなやつになった。
先天的に難聴の子どもはろう学校に行くか、支援を受けながら一般校に行くかの選択しがあるんだけど、どっちにいったって
やなやつになることに変わりはない。
ろう学校にくる子どもは小さい時から聴覚がおぼつかないというハンディがあるから家族がとても大事にしてくれる。なにかしようと思う前にそれをだれかがしてくれる。
欲しいものはなんでも手に入る。
したくないことはなんにもしなくても良い。
ね、このまま18歳くらいになったらどうなると思う?ろう学校の子どもが14歳くらいになるとどこの親でもそのことを考えて始めて真っ青になるのだ。
そしてなんとかして子どもの今後の生活のことを考えようとするのだけど、とき既に遅しである。そこにはどうしようもなくスポイルされた一人の大人がいるのだ。
一般校にかよう子どももなかなか大変だ。
なにせ友達が出来ない。一般中学に通っている子どもに手話は使えないし、筆談をするようなもの好きは最初の何週間かでいなくなってしまう。
私は発話がほとんど出来ないから、いざクラスメイトとコミュニケーションせまいとするなら、いとも簡単に一人ぼっちになることが出来たのだった。
そう、私は小学生までろう学校にいて、祖父母と母に散々甘やかされて育った。
うちの家族は問題に気が付くのがちょっと早くて、6年生のときに
‘このままじゃこの子は社会に出ていくことができない’
と実感したみたいである。12歳までなにからなにまで甘やかされていた子どもを、中学でいきなり会話のできない子どもたちと同じ学校に入れたのだった。
父が本当に悲しんだのは、だからこういうところ。私は本当に嫌なやつになった。
学校の勉強自体は教科書と問題集を使っていればだいたいわかったから、家でテストに対する準備を怠らなかったらばっちりだ。誰にも叱られない。
クラスメイトがなんて言っているかわからないけど、きっと悪口が大半だろうから、
「はあ。何言ってんの?」
という顔をしていると、向こうも満足するみたいだった。まるで私にそういう顔をさせたいから、悪口言っているみたい。なんて言っているかわからないけど。
父はそういうことについて、とてもとても悲しい気持ちだったんだと思う。
聴覚が鈍いからとかじゃなくて、ただ単純に、私が優しい気持ちを持った子どもではなかったということが。
ところで例の小児科の先生が最近こんな手紙をくれた。
「耳が聞こえるかどうかという以前に貴方は人間だ、単純に。」
こんなふうに書いてあった。
「さて同じように単純な人間の私は酒癖が悪い。飲みすぎて家族に暴力をふるったりすることもある。こういうことは単純な人間のすることだ。
単純というのはシンプルということだ。
シンプルというのは純粋ということだ。素形に近いということだ。
ところで貴方のように耳が聞こえないとか、手足が利かないとか言葉が不自由とかの人たちが、酒に酔って人に乱暴すると、その行動自体が凄まじく攻撃される。
どうしてか。
同じ素形の人間であるのに、どうしてだろうか。
私はハンディを乗り越える作業を聖なる行いにしたくないのです。
ハンディを持たなくても不愉快な人間がたくさんいるように、ハンディを持たなくて高潔な人間もいる。
それが単純に、人間であることだと私は思う。
だから私は貴方に是非良い子になってほしくないと思った。
貴方が良い子になっていなければそれは耳が聞こえないからじゃなくて、
単純に貴方が嫌なやつだからなのです。単純に人間であるということなのです。」
私の身一つに備わったセンスに頼って私は生きている。
それは聴覚の鈍さに多いに影響されたけど、影響されたことをどんなふうに解釈したのかがつまり
私のセンスなのだ。
私に備わったセンス、それが、やなやつ。
父はそのことをとてもとても悲しんでいた。耳がどうとかじゃなくて、もっと、ずっと。