小説「岡本さん作専用ライス」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

父親の居ない家は珍しくないけど、
取り敢えずは貧乏だ。
うちはわたしが小さいころから父親が居なくて、
必然的に母親があくせく働かないといけなかった。
どれだけあくせくしていたかは、ケイタイ基盤を組み立てるベルトコンベアくらいだと思う。
とどまることなく働いていた。
母親は昼過ぎに起きてきて
(いたと思う。実際私は学校にいたので現場を見ていない。)

お弁当屋さんで天ぷらを揚げたり野菜を切ったりしていた。
夜7時からは知り合いの、似たような境遇のおばさんの店に行ってグラスを洗ったり酔った客の相手をするのだった。

なのでわたしはいつも夕方6時になったら、母親が働かせてもらっているスナックに行って夜ご飯を食べた。

おばさんのスナックには、料理担当、カクテル作り、あとたちの悪い酔っぱらいをあしらうおまじないとして、岡本さんと言うおじさんがいたのだった。わたしは毎晩岡本さんにご飯を造ってもらって食べていたのだった。

「専用ライス。」
と岡本さんは言う。全く同じものじゃなくてもだいたい似たようなものが出てきた。

ハムの炒めたのやウィンナーの炒めたのや豚バラを塩コショウで炒めたのや、
卵焼きやいり玉子やオムレツや目玉焼きや、
キャベツ炒めやニンジン炒めやカボチャの焼いたのや生のレタスやきゅうりの切ったのが、
一枚の大きなお皿に乗ってご飯と、ソースとケチャップと一緒にスタッフルームの机に出してある。
わたしが裏口からすぐのスタッフルームに入ると、ほかほかしているそれがきょとんと一人でそこに居たり、
ちょうど持ってきた岡本さんに鉢合わせて、

「おう、」
と言われた。
「専用ライス」は明らかに適当な有り合わせで栄養や愛情がこもっているはずがなかった。
なかったが、選択肢のない現実と言うものはいやにあっさりひとをからげ取ってしまうもので。
それしかないならそれを食べるしかないのだ。
それしか親切が存在しないのなら、
それが「親切」なんだと思うしかないのだった。
だからわたしは今でも心を込めた食べ物を出すとき、
玉子の炒めたのや切ったハムにしてしまう。
そのために「無し」になった人間関係もあるし、
そのために未だに切れない関係もある。
最初は不思議だな、と思った。
でも、ハムと玉子炒めでしのいでいたひとっていうのはわたしが考えるより多かったみたいである。