「ああいやだ。」
首都で老衰した皇帝が死んだそうである。
老衰して死ぬくらいなら時間はたくさん有ったろうに、いざ死んだら継嗣 がいないとはどういうことだろうかと思った。
甲州氏は確かに曾祖父が皇子だった家系である。
時の皇帝の十何番かの息子、後ろ楯も才能もない皇子が、田舎に跳ばされて居着いた後の家である。
死んだ老人とは会ったこともない。血も遠い。
そもそも当主青年は故皇帝の綴りもしらない。
だいたい自分の氏名くらいしかろくに綴れない。
甲州家と言うのはそのくらい田舎で、そのくらい低俗な分家なのだった。
と言うのに、なんと当主青年が次の皇帝に成らなければいけないそうである。
皇帝なんていう物は要らなくなるのが早い人間である。
必要なのは内乱があったり革命が起きる時だけで、それが済んだらもう要らない。
誰がなってもいいものには違いない。
だからって俺が成らなくてもいいだろう。
「ああ嫌だ。」
当主青年は何もない中庭にぼんやり立って、こう呟くより無かった。
「大層なお仕事ですか。」
と、近所から野菜を持ってくる女が、いつものようにてぼを提げて入ってくる。
「うん、首都が俺に死んだ皇帝の跡継ぎになれと言ってきた。」
「はあ。皇帝と言うのはそんなに簡単になれるものなのですねえ。」
皇族と言っても田舎の貧乏人なので、八百屋女も馴れて遠慮しない。
野菜の入ったてぼを縁に投げ出して、隣に座った。
「うーん。簡単に成れるなら別に俺がならなくてもよいのだけど。」
「そりゃまたなんで。」
「嫌なこったよ、首都にあがるなんざ。皇帝になってろくな死にかたをするやつはめったにない。
わざわざ誰でもいい仕事の役に当てられて、しなくてもいい気苦労は御免だなあ。」
「そりゃ旦那さん、あんたが珍しいよ。」
と女はのんびり鬢のほつれを掻きながら言った。
「うちのじいさんの兄貴の家系だって十代遡れば皇子でね。
どうしても皇帝になりたくってむちゃくちゃして結局首が落ちたのさ。
うちはじいさんたちが顔観りゃああ天子さまになりそこねたなりそこねたってぐち言ってるよ。」
当主青年は八百屋の女が当たり前に言うのを、やはりぼんやりと聞いていた。
そう、この国は歴史が長いのである。
歴史が長りゃ皇族の数もそれだけ多い。皇族が多いなら失脚して惨めな暮らしをしているやつも多い。
今となっては八百屋をしていても、未だに皇帝位に未練を持っていたりする。
なんだかよく分からない。
兎に角皇帝と言うのは何をする物か分からない。分からないけど、成りたがる奴が多いことだけはよく分かる。
分かるだけに、自分にはまっぴら御免だと当主青年は考える。
「ああ嫌だ。」
なお嫌なことは、ならずに済む方法がまず無いからなのである。