小説「貧乏でいる必要がなくなった。」ヒトリ要らず3 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

僕たちは旦那と呼んでいる。
そしてまぎれもなく旦那である。シェアハウスとかオーナーという言い方を気に入らなくて、
「おれがお前らのダンナなんだから旦那とよべっちゃ!」
と旦那は言ったのだった。つまりはシェアハウスなのだけど。旦那の家は。
旦那は現在約80歳。本人が年齢に頓着しなさすぎてアバウトにしか分からない。80前後であることは確かなようだ。80を前後しているのに足腰がしっかりしているのは、長年の畑仕事、そして今に至るまでの畑仕事の賜物である。その旦那はさっきトラクターに乗ってまた畑に出かけていった。
4時。
畑の世話をするのは早朝と、日が落ちかかってからに決まっている。日中は体力を使うだけなのだそうだ。
旦那は毎朝毎夕畑に出かけていって、草を取ったり畝を起したり土を造ったり、新しい野菜の種をまいたりしている。
畑にまく種は季節で違う。旦那は出掛けに、ナスはそろそろだ、なんてことを一人ごちていた。そろそろナスの畝はしまいにするか、という意味である。
さて旦那のこの家なのであるが、新品同然の一戸建てで結構広くて近代的な内装だ。旦那くらいの年代の人が一人で使うのはあまりにもちぐはぐしている。人間とロケーションが。
旦那は自らの息子と非常に仲が悪かったそうである。
正確なところオヨメさんと折り合いがつかなかったのよ
とみわさんが言っていた。彼女はそのもてるスペックから近所の主婦とコミュニケーションするスキルに長けている。
旦那は息子夫婦とものすご仲が悪くて、数年前その息子から一方的に高齢者住宅に入れられそうになったことに腹を立てて、
「これでてめえとも縁切りだ!」
というよく分からない理由から貯蓄の残りを投げ打って中古に出ていた今の家を買ったんだそうだ。お前の世話に成らない代わりに残してやるもんもなにひとつない! という程度の意思表示だろうか。とにかくもこの期に及んで不動産なんぞこしらえて預金をほぼゼロにしてしまったのだから、息子のほうでもかんかんで、いっそ「これで面倒なのの手が省けるわ!」みたいな感じで、ものの見事に親子は今生を別離してしまったのだった。
僕たちはその旦那の家に間借りしているのである。旦那は「間貸し」という認識でいるが、今の感覚だとシェアハウスだ。
旦那にしてみれば
屋敷が広くなったから、下宿でもさせてみるか、という軽い気持ちだったようだが、
「地域の高齢者と同居してそれを世話するIターン者の誘致」
という地元の政策に引っかかっていることに気付いていない。きっと民生委員くらいが営業をかけて旦那をピックアップしたんだろうが、ともかく旦那には
「間貸し」
という単語しか理解されていない。
旦那に下宿させてもらっている、東田さん、みわさん、ぼくの3人はまぎれもない貧乏人だ。お金に困っているからこそ少しでも少ない費用で済むことができる環境を探してここへたどり着いたのである。
都会に居たころ、地方都市を点々しだしてから、僕はずっと貧乏だった。今でも変らずにずっと貧乏である。貧乏であることは僕が死ぬまでプロフィールの一部として消えないのだろう。
だから僕は、いっそ貧乏である必要すらない、と思ったのだ。
僕は貧乏である。そのことはこれからも変らない。
ならもっと他のことも考えればいいじゃないか。貧乏は常に、ぼくと伴にあるのだから。
さらに貧乏について考える取り組みは、
“僕という人間とは何者なのか”
と止むことなく考え続けることでしかない。(それはそれで間違った行いじゃないと思うけど)
ここは旦那が現世と宴を張るために買った家で、そこを行政につけこまれた場所なのであって、僕とみわさんと東田さんは恒久的に金がない。
無から有が生まれるはずもなく、無いならないという状態の中でどうにかことをでっち上げないといけない。
とり急いで僕とみわさんは、晩ご飯のお味噌汁の具をなんにするか真剣議論し始めていた。