小説「旦那はたたかっている。」ヒトリ要らず4 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

夕方仕事から帰ってくるのは自分が一番遅い。
遅い、と言ってもみわさんは外に職場をもたず自室で作業しているからそもそも出勤をしない。みわさんはイラストレーターで、地元や都会に複数の取引先を持っていて、毎日四コマ漫画やキャラクターのデザインをして自分の生計を生み出しているのである。
とらくんはアルバイトをいくつも掛け持ちしているが、大体は深夜になってから出かけるので、外で遊んでいた小学生がスクリーンセーバーみたいに規則正しく家路に付くころ、我々の家に居ないことのほうが少ない。
旦那はというと、日がとっぷりとくれるまでは野良仕事を止めない。
「日が出とるうちは仕事するだ。」
百姓仕事っちゃそげなもんだ
こういうのが旦那の持論であった。
自分も偶然、旦那と同じく農家のアルバイトを掛け持ちしているのだけども、公共交通使う距離に働き口を得たので、こちらも日暮れまできっちり仕事をしたら、家に買える頃にはみわさんととら君が和気藹々と夕飯を作っているのだった。
今日のおみおつけの実は大根の葉っぱ、だそう。
旦那は肌着とさるまたという姿に変っており、NHKのニュースを見ながらしきりに政権についての悪意なり落胆なりを語っている
「なああ、おい、とらあ、なんだっちょうるだいやなあっ。」
と、前後の脈絡なく相槌を求めて激する。そういう年寄りの扱いに、とら君は不思議と得手である。
「もうすぐご飯ですからトイレに行く人は行ってきてねえ。」
みわさんが小学生をもつ母親のようなことを言う。
この人はどうしてこんなことを言うんだろうか。トイレに行って手を洗ってきなさい。彼女の母親がそういう習慣を大事にしてたからかもしれない。でもみわさんが自身の親のことを舌に乗せて顕したところには、自分はまだ立ち会わない。
そしてみわさんがトイレを促すと、一番にそれに従うのが旦那であった。これはこの不意の家族の、日常になりつつある。
「うらの便所はうらが一番につかうだに、なんだっちゅうだい。」
自分の手洗いなんだから自分が一番最初に使うのが道理だ、文句があるか。
という意味の意思表示なのだ。
でも、嫁のような年代の女性に促されてトイレを使う老人は、いつみてもキュートだと思う。
4人そろって夕飯のテーブルについた。
旦那は小食である。年をとると対して腹にいれたくないのだ、と旦那は語る。固形物を入れる代わりに酒を飲む。悪い飲み方ではないが、毎日、かなりの量を夕飯の時に飲む。
ちょこでひとなめずつ。飲んで暴れたりしない。エレガントな酔っ払いだ。しかし必ず毎日同じ話題を出してきて憤りを、いや、違うな。
その心のうちの哀しみをすこしずつ吐き出しているのだった。旦那は戦っている。
「みわくらいの嫁さんがうちにきとったらなんぼうよかったかしれんのに。まあ、よお、せいのない嫁をもらったもんだけえ。」
もー旦那さん適当なこといっちゃって
このやりとりがスタートの合図で、自分ととら君はおかずの小皿をはさんでにやっとする。
旦那は毎日夕飯の時に、ほとんど独唱で、決別した息子の妻へ憎悪の言葉を吐くのである。
「あれがてめえのケツもよう拭かん分際で犬っちゃなもんひっきりなしに連れてきて、これが、おい、なあ。
なんぼわしもちゃんと面倒みとりゃ文句いわんだ。文句垂れるっちのはあれがよお世話もせんけえ、腹が立つっちうこっちゃ。
あんなやかましいもん5匹も6匹も家の中にいれてよお。なにが犬っちゃあんなもの座敷に挙げることがあるだあ。うら気に要らん。うらあ断じて気に要らん。
だけえ、庭におろいたるだ。犬っちゃなもんは庭で飼うもんだ。何が座敷の上に上げるもんがあるだいな。」
旦那は顔が紫色に変わりだしていた。酒には強いが、その分顔い酒気が溜まるのかもしれない。リトマス紙の酸性の度合いがだんだん強くなっていくように、旦那の顔色で酒のたまり具合が分かる。
「したらなあ。もう、あれがよだき言うてかなわんだ。犬を庭に下ろすな!ちて騒ぎまわすだけえなあ。
何が降ろすな!ちゅことでな。何が、てめえでいっちょまえに世話もせん。屋敷中毛も落ちとれば畳にしょんべんも沁みとる。それを言うに事欠いて、犬をかっていたたら当たり前です、なんぞ抜かし回す。
ありゃあワルイヨメだった。ありゃあいけん縁談引きうけたもんだった。」
旦那はくちの先をこくこく酒に浸しながら、自分で納得するように語り続ける。
我々は、自分とみわさんととら君は、顔を見合わせて(それぞれ笑いを溜めたまま)、
小型犬は外で飼ってはいけないこと
食事の際に出すべきでない言語がいくつかまざっていること
などを、言わずにおく。
この苦難をぎっしりつめた米俵のような老人を、我々は純粋に親しく感じているからだ。
そう、自分を含めた3人は間違いなく旦那に親しみの心を持っている。
なぜか。
単純に旦那は魅力的だから、それだけの理由による。