小説「一人で居る必要がなくなった。」ヒトリ要らず1 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

孤独に陥るために必要なものは自分以外の誰かだ。
自分以外のたくさんの誰かだ。自分以外のたくさんのたくさんのたくさんの誰かだ。
ある日唐突に自分はそのことに気がついたのだった。
自分は長い間たくさんの、たくさんの人達の力を必要として、長い時間を過ごしてきた。
だからこそ長い長い時間、ずっとずっと孤独に嵌り込んでいたのだ。
そういうことにある日唐突に気がついたのである。
つまり逆説的だ。自分以外の誰か、家族。友人。友人というほどでない人、知人。その境目は単純に心の距離でしかない。君は友人だけどあなたはそうじゃない。そういう人達。先生。病院の先生。習字を習っている先生。夜中に電話を掛けてきた人の話を聞く仕事をしているひと。深夜具合が悪くなった時に対応してくれる総合病院の看護士さん。割合酷い、いや結構酷い、ようするにこっぴどいけんか別れをしたもう誰だったかな?それしか覚えていない人。不本意ながら二度と合えなくなったとてもコミカルな人。誤解に誤解が重なって、非常に傷つけてしまって、それからそのママに成っているあの人。
そういう人達の存在に親しさを感じれば感じるほど、
憎たらしさを感じれば感じるほど、
さらにアクティブな怨嗟を煮詰めれば煮詰めるほど、自分の中で孤独の度数は増していった。
中国に白酒という飲み物がって(自分はこの固有名詞になんだか心踊るものを感じる)
アルコール度数がきついものだと80パーセントにもなるのだという。
自分は以前、半ば耄碌してしまった我がやの婆さんが、梅酒のビンを消毒しようとしてそのママほったらかしにしていた40度の焼酎を楽しい気持ちで自棄酒に使ったことがあった。
怨嗟の度数はアルコールの度数に何か似ている。
アルコールは度数が高まればそれだけ人を殺しやすい。
怨嗟は度数が高まればそれだけ自分を殺しやすい。
そして自分は長い間たくさんの人達のことを思うとき、
焼酎を常温で一気飲みするような、
夜のこない夕方が永遠い続くようなかび臭い時を一人過ごしてきた。
幸運にも単純な好意で自分に手助けしてくれる人もあった。
しかしそんな人達に手を差し伸べられるたびに、転んだ後の手を差し伸べてくれる人があるたびに、
結局自分の一人っきりは度数を増していくのだった。
人の存在を感じれば感じるほど、自分は孤独を感じた。
孤独を感じている以上、確実に情けない気持ちでずっと暮らしてきたのだった。
孤独でない人とは
何もかも自分のセンスと力量でことをこなしていける人、である。
孤独な人間というのは、
一事が万事人に決めてもらわないと、歩くことも寝ることもできない人、ということである。
自分は何も足腰が立たなくなった病人というわけではない。足腰の絶たない人が人の手を借りて歩くことを孤独とは言わない。
とにかく自分はずっとずっと長い時間、自分について腹を立てたり、泣き喚いたりすることに対して、
誰がを考えること
を必要としてきたのだった。
そしてその誰かのことを考えなければ、
孤独になる必要がそもそも無い。
自分は自分の中に得体の知れない穴が開いているのをいつも意識している。
それは何回かの手術で蒙ったからだの隙間でもあるし、
何度か酒を飲みすぎたために、または年を取ったために必然的に頭に開いた穴でも在る。
自分は唐突にその「穴」の存在を意識したのだ。
そしてその「穴」が自分の「結果」であることに気付いたのだ。
穴は自分がその過去に積み重ねてきた成功と不始末の結果であり、そうである以上自分そのものとしか言いようのないものである。
自分はくつろいだ気持ちでその穴の中に落ちていくことにした。
その穴に落ちていくことは、誰かの存在を意識せずに居られるということだった。
つまり自分自身ととことんやりあう暮らしが新しく幕を開けたということなのだった。