昔大きなビルが皆が見ている前で、
あっという間に壊れてしまったのだ。私だって見てた。
もっと昔にだって、大きなお店が一変に壊れてしまったことだってあったのだ。私は見てた訳じゃないけど。
さらにもっともっと昔には、国が一つ焼き尽くされたり、大きなお城が燃え落ちてしまったり、
今までもあるけど、おんなじように、
生まれた土地を追い出された人がたくさんいたのだ。
さあ問題です。
“知る、知っている、理解する、感受する、何がどうちがうのだ。”
ある日テレビの中で、事故を起こした大きな船が、ゆっくりゆっくり沈んで行く。
ゆっくりゆっくり沈んで行くところが、一から十までテレビ、薄型地上デジタル、それに一部始終映されていた。
さあそこで私は震えあがったのだ。
“ああ私は今沢山のひとが死んでいっている現場を、人が死んでいく瞬間をまじまじ見ている!!”
私は大変震え上がったね。
ビルが壊れるのを見ていた時はなんにも考えなかったよ。
しかしそこにだってもうあとちょっとで死んでしまう人が沢山いたのだ。
しかし私はそんなことをちっとも考えなかった。考えなかった訳ではないかも知れない。
でも今みたいにあの時の
今
が体ごとぶっ飛ばすハンマーみたいに、
豪快に無慈悲に絶対の真実の力で迫って来たりなんかしなかったのに。
さあ私には一体何が起きたのか。
沈んでいく船を見ていて心底震え上がった私は何処から涌いて出たどういう生き物なのだ。
ビルが壊れる時人間について考えなかった私は一体何処に行ってしまったと言うのか。
私はテレビ、薄型地上デジタルに釘付けになって、
自分が人間をイメージ出来ないことを知る。
其処に人間が居ることは知っていた。それがなんだって言うんだ。
さて問題です。
“こんなに得体の知れない今に対して、それと肉薄するほど得体の知れない私はどうすればいいでしょう。”
答えを出すのは大変難しい。
でも一つだけ提案しましょうか。
“知る”
と言う行為は私や貴方に一体何をさせたがって、
いるのかな?