小説「濁り」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

身内のこどもを悪く言うもんじゃない。
ましておんなのこを悪く言うもんじゃない。
しかし兄の娘に関してならば、
これは私だけが言うのではないが。
全くひどい。
身内のこを悪くいうもんじゃない。あのこは賢いこだ。まじめだし。きょうだいにも優しい。
だが酷い。
ひどいだと言い過ぎだから、華がないと言おうか。本当に、おんなのこに生まれてこれはあんまりだ、というくらい、華のない娘なのだった。
おたふくとはまさか言うまい。強いて例えるなら静かな静かな顔だちなんである。
えい、めんどくさい言ってしまえ。特徴がないのだ。目を引くものがないのだ。葉っぱやマンホールみたいなのだ。注意がそこにいかないのだ。
身内が言うようなことではないが、兄も、その妻もそこそこきららかな容相である。はで目である。
に比べたら、兄の娘は人生の華を母親の母胎か父親の血液に残して来てしまったのか。
しぼりかすみたいな顔立ちなのだった。
身内のこどもになんてことを。しかし自分はこれでも案じていた方である。都会の小学校でこの目鼻なら苦労するだろうなと。
が、先日従弟の結婚式で久しぶりにあったそのこには驚いた。いや、全く驚いたのだった。
高校生になっていた。
何もない顔の上には淡色の化粧の伊吹が、春先に覗く細かい野花みたいに咲き出していた。
おんなのこってすげえ。
と単純に思った。
そして改めて、
そういえば絞ったあとの残りの方が栄養があるんだよな、と思い出す。おからとか、酒粕とか。濁り酒は清酒に劣るが、濁りにこそ滋養が宿る。アミノ酸とか、ビタミンとか。
ああこのこは、両親がうわべのものだけ刈り取った土の上に、
見事おのれを芽吹かしたのだ。
自分は38で結婚する従弟の新婦にまず注意が向かないのだった。
兄の娘の瞼に跳ねているあどけないシャドウの明るさたるや
このこに訪れた一番目の春の楽しさたるや
枯れそぼって妥協ではつけた華燭の火から
最も遠ざけたいものだと自分は大変感じて仕方ないのだった。