小説「独琴」ヒトリコト | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

「音声言語を持たない民族のフィールドワーク」
という本を自分は図書館の荒んだ棚の中で見つけた。
その眉唾な上にもあんまりなタイトルのお陰で、
学術的、情報生産的見地からなんの興味も放たれなかったことは確かだった。そんな民族の話をこれまで一度も聞いたことが無い。
著者はヴェガⅢという後進の惑星を調査して、上のような民族と出会ったとしている。とにかく言葉によってコミュニケーションをしない人達を、
よそものがただ眺めてメモを取っただけなので、
大部分を本人の想像によって補う他無かったことが
あらかじめ断ってあった。
(つまり何から何まで推論の域を出ていないわけだ)
言語によって意思の疎通をしない民族。彼らがどのように共同体を作り、また恋愛をして家族を増やすかについては、
「琴」
の存在が不可欠と筆者は解く。。琴と筆者が呼んだのは、おそらく我々の感覚だとヴィーナやシタールのような長い首に小柄な胴体と、そこにかけた糸を弾いて鳴らす楽器、であろう。
彼らは
音楽によって会話をするのだ、と本の中で著者は強く主張している。(まるであらかじめそのレポートに誰も注意を払わないことが分かっていたみたいに、強く)
発声発語を必要としない彼らには声帯や唇というものが存在していない。
おそらく固体の分岐の過程で歯茎と口唇が徐々に一体化していき、筆者が見た時には
「肉で出来た薄くて硬い二枚貝」
のように進化していた、のだと著者は語る。
音楽で会話する、というのだが、
そう簡単に事は運ばない。
例えば「ソドミラ」と鳴らせば「こんにちは。」になるかといえば、まったくそんなことは無いのだ。これはまったく恐るべきことだと自分は感じた。
彼らのコミュニケーションには、
単語や文脈が一切存在しないのである。
あらるゆメロディ(言語)は、一貫して完全なオリジナルなのである。

生まれた子どもは一歳の誕生日に最初の琴を贈られる。
母親は子どもがうまれてからずっと生物的な世話以外は子どもの傍らで琴を鳴らしている。
やがて子どもは成長し、少しずつ自分で糸を弾いて見るようになるのだが、
彼がだれかに音階やトーンについて教示されることはない。
すべては自分一人で習得しなければならないスキルなのであり、
すべてが彼一人だけの言語なのだ。
それは果てしなく孤独である。
例えば母親が自分の思いを琴によって子どもに訴えかける。
それに応えて子どもも自分の糸を思うままに鳴らす。
が、その旋律が母親の求めたものにそぐわないならば、
母親は彼に一切のレスポンスも返さないのだそうだ。
(具体的には、返事の音を奏でない。彼らには奏であい奏であいすることこそが会話なのだ)
そこで子どもは必死に糸を探る。母親の意に介す音を出すために必死でその旋律を引き出そうとする。
彼らの社会では相手の意に沿う音を出せることが絶対の、そして最低限の
モラル
であり、それが出来ない、ある程度成長してもまったくこちらの期待に応えられる音を作れない子どもは、
共同体から締め出されるのだと著者はいささか強い口調で記す。
村の中に居られなくなって、あるいは森の中へ、あるいは岩塊の林へと、たった一人逃れていくのだという。
以下はレポートに書いてあったことの写しだ。
『彼らの村は音楽に溢れている。
八百屋は軽やかなスタッカートをいくつも使いながら客引きをしている。
行商は家の門に立つたびに長く低く耳を呼び立てる艶やかなチョークで家人の気を引こうとする。
夫人たちは手作業の間にひそひそと真綿のような柔らかい音で
おしゃべりする。
そして恋人たちは大抵上手に姿を隠して、
なので音だけが確実にその存在を顕にしていた。音が音を求め、糸が糸に絡みつくようなその音楽は、あまりにもしずかで穏やかで、いっそ知的な興味という性欲を奮い立たせるのだった。
日が落ちて、私は岩塊の林を求めて歩いて行く。
独琴を探しにいくのだ。
用なし、能無しとして村を締め出された彼らは、夜がすっかり元の同胞たちを黒い眠りで包み込んでしまったあと、
岩の張り出しなどでしずかに
語り出す。
誰にも理解されない彼一人の言葉を。
誰にも受け入れられないという彼自身の物語を。
自分が独琴の音楽を耳にすることができたのは実に2回きりだった。
そして忘れがたい二度の邂逅であった。
独琴になったものは、なすすべなく自分一人の為に
糸をならしているのだろう。
それはあまりも深い、闇の濃い、穴とすらいえないほど巨大な虚空に、
ただ、ただ、必死に自分を訴えているようだった。
受け入れられない自分、
存在しない自分という虚構の中に、
ふかくふかく落ち込んでいくようなぬるすべりとした音楽だった。』

こんな人達が、本当にいたんだろうかと大体の内容を疑ったまま
自分はレポートを棚に戻した。
ヴェガⅢ星域の開発が見放されたことじたい既に30年前のことで、
原住民の生活も荒れ果てて今では交流断絶のままで時間が流れている。
生物が存在する惑星に乗り込むのがブームになって、
一発あたりを狙って
すべてをでっち上げたのんきやが居たとしても、
おかしくはない時代のことだったのだ。