「それがスコアブックだというお前の主張は分かるとして」
万葉集の巻第いくつかに没頭している東尾先輩に対し、
礼音先輩がこういう話す。
礼音先輩の名前は、正式には「れいおん」と発音するらしいのだけど、
私が知る限りすべての人が「レオン」と発音しているし、私が先輩を呼ぶとしてもそう聞こえるみたいである。
「文章というのは音韻を重視すべきであって、
そこに単語の音とか高低とか、リズムを計算してものを構成するというのは納得しよう。
しかし、それはつまりバンドにおけるスコアブックだろうが。
例えばな、動画に嵌りこむというのはわかるよな、なあ後藤ちゃん。」
レオン先輩は形式的に私に話しを振ったのだが、
それは本当にただふっただけのことで、レオン先輩は自分の思いを語ることを止めない。
「動画。映画。PV。いろいろあるよな。それはスコアにしたがって動いているんだよな。
シナリオでもそうだよな。
つまりだな。
言語というのは2Dなんだよ。平面だんだよな。地図だよ。図面だよ。
おたまじゃくしの羅列をみてエキサイトすることが出来る人間がいるのをおれは理解できない。
図面だけ眺めてうっとりしているのはかなり特殊な趣味だとおれは思うぞ。
しかしてお前はいつもその全時代的な古本なんぞ読んでいる。
地面に横たわってる陰みたいなもんばっか見て、何を面白がっているのかとおれは疑問に感じているんだ、なあ後藤ちゃん。」
とレオン先輩は言った。
「つまりお前はおれがぺらぺらの2D人間だと、そういうことが言いたいわけか。」
「お前のややこしい名前のことを引き合いに出すな。東尾言語。」
東尾先輩のパーソナルネームは、ゲンゴという。
しかし人々は必ず東尾言語と発音している。
言語の申し子として生まれた、東尾先輩。
「お前のとぼしい世界観についておれが思っていることを言うとだな。」
旅にしあれば椎の葉に盛る
と先輩は小さく暗誦してから、
「スコアブック読んで微動だにしなかった人間ばっかという発想の方がまったくうそっぱちだろうが。」
東尾先輩は赤くて立派な紙媒体の表をばしりと叩いた。
「人間は楽器だ。」
「なんだその突拍子も無い解釈は。」
レオン先輩はもうこの会話にすっかり興味をなくしているよう。
でも特に席を替えようとしないところが、
レオン先輩と東尾先輩の仲良しのゆえんと言った所か。
「てめえの体内に糸や皮が張られていて、弾けば鳴るんだよ。」
「なんだそれは。」
「本はね。」
こういう想いを述べる時、東尾先輩は一転して人格のグレードが普段を飛越える。
だから妙に優しくなる。
「それを読んでなんかするような奴は、おのずからなんかするんだよ。
読んだが最後、そいつの中の楽器ががちゃがちゃ鳴りだすんだ。
鳴るべくしているやつならね。
それはまったく無駄なことじゃない。
現に何百年も生存す書物があるだろう。
読んだ奴が“鳴ってるん”だよ。読んだ結果、そいつの言語が鳴ってたまらんから、それを書籍にしてのこす。
これはまったくありきたりな手順だ。
いつだってだれだってやってきたことだ。」
「お前のその理屈はおれにはまったく分からん。」
「お前もなんか読んで弾かれちまえよ。」
「なあ。訳わかんねえよなあ、後藤ちゃん。」
まったく二人で成り立っている会話の中に、どうして二人とも私を設置していようとするのかは、今のわたしにも訳がわからない問題です。