小説「おんなじことや。」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

「おんなじことや。」
とじいちゃんは言った。いつもそう言っていた。うちは拝みやをしているから、言葉を遣うのが家業だった。
「おんなじことや。」
と、おれがうまい具合に稼ぎを出せない時に、じいちゃんは何時も言っていた。
おれは、同じってなんなんだよ。
といつも聞いた。
「意味がだ。」
とじいちゃんはいつも言うのだった。
みんな、同じ意味なんだと。そういうのだった。
言葉という以上それだけで、意味が違うことなどありはしない
そういう筋の通らないことを然としてしゃべる。
「言葉が生まれたんはなんでじゃ。」
そんな風におれは聞かれることがあった。
話すためだろ。
おれはそんなふうに答えた。
「違う。」
じいちゃんは言う。まんだわかっとりゃあせん。
そんなんでなんの拝みも出来るわけあるか
と大していかってもない調子でおれは罵られる。
「踊りが生まれたんはなんでだ。」
面白がるためだろ。
そう答えたこともあった。
「違う。」
じいちゃんは言う。まんだわかっとりゃあせん。
なんで面白いか考えりゃせん。青い分にもあおすぎるわ。
と大して嘆いてもいない調子でおれは蔑まれる。
「音律が生まれたのはなんでじゃ。」
じいちゃんは言う。
人に聞かせるためだろ。
そう答えたこともあった。
「ちいと近いが、まだ違う。」
何も人だけじゃない。人でもあるが、それだけじゃない。
何に聞かせるのか全部にだ。何故全部に聞かせるのか。
じいちゃんはこう話して、それで正解を言い始めた。
祈るためだ。
みんなそこから始まった。祈るために音を鳴らして、カラダを揺らして、言葉を刻んだ。
何故祈るのか、願うからだ。何を願うのか。
「だからみんな、おんなじことや。」
じいちゃんは言う。同じでないといけないのだと。
あらゆることは願望だ。それ以外のなんでもない。
一方の端から反対の端に向かって、たわんでたわんで、たわみきったところからまたつぼんでいく。
そのどちらかは生だろうし、どちらかは死なんだろう。しかしそれも、同じことだ。
死を祈ることは生を祈ることだし(すくなくとも誰かの)
生を祈ることは死を願うことなのだ(おそらくは誰かの)。
祝うことは呪うこと、受けることは与えること、盗むことは失うこと
「おんなじことや。」
とじいちゃんは言う。
願。願。願。
たわみの中に群れ群れて、訳が分からないほど細分化されたあらゆることは
これがどう違っているのか、
おれとおまえでどう違うのか
そういうことでしかないんだと、じいちゃんは言った。