時代、なんていうと言いすぎだな。
時間がどんどん流れているのに、
自分はそれを見ているだけ、という気がしている。
「それ」は私をあっさり置き去りにしてしまうのだった。
オリンピックのテレビ放送を、まだ一回も見ていない。
スケート? スキー? スノーボード?
うちの近所の冬季オリンピックに出たことのある人がいる。
ボブスレー。スプリントが、大事なのね。
その後はその走力を生かして実業団の野球部やサッカー部に
在籍していたこともあったそうだけど、今は非常に感じのいい
そのへんのおっさんである。まったくもってそれである。
ここ何回かのオリンピックにまったく興味をそそられないのです。
中学生とかのときはオリンピックの開会式をやるんだと言うと、
むりむりでも夜中まで起きてブラウン管(当時はね)の映像をガン見していた。
24時間テレビも好きだった。
目の見えない方と芸能人がチームを組んでいかだで海を目指したりとかさ。
小学校の一クラスでギネス記録に挑んだりさ。
達成できないもんだからみんなでびいびい泣いたりしてさ。
ラストシーンは全員で歌いましょう!
もう10年もそんなものを見ていない。
私は、ドキドキしなくなった。時間が私を置いていってしまうからなのか?
映画館にも行かなくなった。
面白いという気がしない。
DVDを借りようとしても、どうも期待できないなあと思ってしまう。
私はドキドキしないのです。
結婚してるから恋をする必要も無いし。
身と心はふくいくしながら老けていく、というよりはむしろ錆びていく。
流行が去って売れ残って、在庫コンテナで忘れられているぼろいおもちゃのそれに近いね。
「もうすでに一度見ているからだよ。」
と夫は言う。
長く生きていると、どうしても新しい経験というのは減ってしまうから。
つまりこういうことですか。
この世界にドキドキする理由が限られているとしたら、
生きれば生きるほどそドキドキするチャンスは失われるということ?
ドキドキすればするほど、どんどんどんどんドキドキできなくなるという、
そういうこと?
「そんなのは当たり前じゃないか」
と夫は言う。
そうなのであれば仕方が無い。
私は現実を加速させ、
それそのものが光みたいになるまで加速させ、
『ドキドキの向こう側』
の存在を確かめに行くしか無いではないか。
ああ想い描くことの力よ。ちょっとドキドキしましたよ。