小説「ドリンキング」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

コンビにのレジ脇、昔懐かしい駄菓子やサイズのチロルチョコ。
「ちょこっとバレンタイン」
などと銘打たれて、9個を一包み105円で販売してあった。
なんて手軽なバレンタインチョコレートだろうか。
私は思った。
バレンタインの物の贈呈は、近年すっかり女の人同士の
「若いお歳暮」
みたいなものになっていると思っていたのに、
巻き返したのか商業的な理由なのか、
(女同士にやらせていると、どうしても
ぶなんな物しか買わないんだろう、きっと)
また男に媚を売る口実になっているみたいだ。
10円チロルが9個で105円とはこすいにしても、
縦3列横3列でパッケージングしてあるので、見た目もよい。
廉価である。
屋根の上から蒔く餅みたいに、挨拶程度の相手に送るには
なんとも気兼ねなくていいじゃないか。
私は自分が初めてバレンタインのチョコレートを買ったときのことを
思い起こす。結局渡すことは無かったと思うのだ。
中学生のとき、主にその時期に出回るチョコレートの包みが可愛かったから
ということなのだけど、やたら女の子たちはその食べ物を買いたがり、
買う以上は、だれそれにあげる、と取りあえず言うのだった。
完全に誘導尋問だったんだなあと、今思う。
その後「自分へのご褒美」と称して
外国の高価でちいさなチョコレートをほんの一かけ、
会社帰りに買っていくなんていうことも流行った。
どうもそういうことをする女はみみっちいとも言われた。
渡す相手のいないことを無様にごまかしているんだとかなんとか。
私はホットチョコレートを造っている。
誰といるでもないバレンタインにおいて、自分への贈り物として。
私は、「自分へのご褒美」が理にかなったものだと信じている。
少なくとも今のこの街のこの町内で、
私のために一番頑張っているのは、
私一人の体に宿ったたった一つの生命力と、同じく一つの心臓だけだ。
こんな確かなことはない。
私はカップの中の砕いたチョコレートに、暖かなミルクを滴々と注ぐ。
少しずつ。
これポイントである。一度に注ぐとダマが出来る。
ゆるゆるに解けてしまったら、
今夜ばかりは香りはおよびでない取って置きのブランデー。
こちらをおしげもなくとくとくと捧ぐ。
ほとんど酒じゃないかというばかりに捧ぐ。
自分のために。
明日もたった一人で、たった一つの力に依存して生きていく、
自分の魂を悼むための、これはちいさな御祭なのであった。