休日の朝、雨や雪が降っていなかったり
空気が乾燥しすぎて風が強かったりしなければ、
私は嬉々としていつもの仕事に取り掛かる。かまどだ。
かまどなんて言っても全く適当なものだ。
昔ながらの、なんだろう、ちゃんと土を練って造ったようなのでない、
コンクリートブロックやレンガや網なんかで、その日にその場で組み立てるものだ。
全部ホームセンターで、自分で選んで買った。役に立ちそうなものを選んで買った。
子どものころかまどから登る煙にとてもとても憧れた。
こういう昔話を聞いてからだ。
時の天皇が、ある日山に登って自分の治めている国をご覧になった。
しかしおりしも食事時だというのに、どの家からもかまどのけむりが登らない。
不審に思った天皇は、よもやとお考えになって、
「民は煮炊きして食べるものも無いほど貧しいのではないか」
と伴の者に問うた。すると
「は。まことに恐れながらおっしゃるとおりでございます。」
これを聞いて天皇は深く哀しんだ。そして後3年間租税をとることをしなかった。
こういう話が思い出に鮮明なので、
かまどからけむりがもくもく上がっている、
そういう風景が、安心とか安全のシンボルのように、私のこころに憧れを築いた。
私はいつも火をおこすのに使う穴の上に、風が背になるようにかまどを設置する。
炭を熾して集めといた落ち葉とか使った割り箸とか、
今日は大目に見てやる息子が隠してるのを見つけたテストとかを
どんどんくべで火の勢いを調節する。
鍋で煮るのはいつも行き当たりばったりだ。
しいたけとか使いのこしの昆布とか出汁が出そうなものがあったら先に入れる。
骨付き鳥のぶつ切りとか、安く買った軟骨とかがあったらそれも入れてしまう。
鳥皮や牛筋の余ったのなんかを入れても割と良い。
一番大きな鍋に水を一杯入れて、順々にいろんなものを入れて、
味は塩だけか、何も入れないこともある。
とにかくこの日は一日かまどの世話が仕事で、あらゆることは
その間にやっつけるのである。
肉がいい感じに柔らかくなったなあ、
と思ったら取り出してニンジンと玉ねぎを足したり、
更にその後にウィンナーや塊のベーコンを入れたり。
そうこうしているとなんとなく近所の人が、
これ、大根。
これ、セロリの葉。良く茂っているでしょ。
と自宅の畑で育てているものをもって来てくださる。
だからすぐさま洗って鍋に入れたり、時間が在ればその
時点のスープを味見して帰ってもらったり、
晩ご飯時に煮あがったものを小鍋に分けて届けたり。
その日の晩はスープを鍋物に使うことが多いが、
二日目以降はトマトを入れてミネストローネみたいにしたり、
そうじゃなければうどんやラーメンを食べるのに使ったり、
とにかくいろんなことに利用して、最後にはカレーで跡形もなく食べてしまう。
一回かまどを熾すと数日に渡って何人もの人への食事を作ることが出来る。
こどもの頃抱いたイメージは確かだったなあ、
と私はかまどするたびに実感するのである。