小説「ラブレターという不可能」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

うちの部がそうなのか柔道部とはどこもおんなじなのか知らないが、
高校の部活の部員は縦にも横にも繋がりの度合いが強くて、
もう卒業して10年になる今でもおりおり集まりがある。
卒業して10年になるんだから集まる顔ぶれもかなり適当になってしまい、
時間が許す人、近所に居る人ばっかり来ると思えば、
今までどこにいたの!?
みたいなレアな後輩が来ることもあってそれはそれで面白い。
集まれば、何かしら報告しあうこともあるから、
年に一回くらいこういう飲み会が出来るのは楽しいことだ。
いいかげんアルコールも充満してきた先輩が、
必死になってこんなことを言っている。
「だから、あれだよな。今の高校生って、好きな子んちに電話するときに、
コール音聞きながら『お父さんが出たらどうしよう!』
ていう、あのどきどきを知らないんだよな!」
聞いている人間はあー、とかうんうん、と言う。
今は皆スマホ持ってるからなあ。ラインも出来るし。
好きな女の子なりなんなりに連絡付けるのに、わざわざ間に親が入ることも
そう無いんじゃないかと思う。だからこそ、
「おれは娘には就職するまでケイタイは持たせん!」
みたいな先輩が、まだ居るには居る。
「私たちのころはメールでこくられたりるすと、なんか片手間でやだなあ、
と思うのが普通だったのに、今逆にわざわざ言いに来る方が
重くてやんなんだってねえ。」
ねー。ちがうねー。
みたいな会話がランダムなピンポン玉みたいにあっちこっちに伝播する。
しながら、グループが組み合ったり解けたりしながら飲み会は続くけど、
だいたい私はどの輪に入るでもなく一人で呑んでいるのだった。
今の子は手紙がカバンに入っていたりするとちょっとした恐怖らしい
と誰かが言うのが聞こえて、そうだな、封書の利用自体が激減してるんだから、
ハイティーンのこがわざわざラブレターなんて書いたりすることもないよなあ、
と思う。思ってから後ろ通った店員を捕まえて、ハイボールおかわりした。
ハイボールはまたたくまに運ばれてきた。ぴしぴし言う泡が顔に刺さりそう。
何がきっかけで気付いたか、旨く言えないのだが私は唐突に、
「あれ、そういえば私今までにラブレターって書いたことあったんだっけ?」
と思ってしまった。
ニンジンの千切りにほぐしタラコまぶしたやつをつんつんしていたら、
おそるべきスピードで
「あ、私いままでで一回もラブレター書いたことないかも!」
と思ってしまった。ほんとうかっ。
私もいいかげん酒が入っているからあんまり昔のことは詳しく思い出せない。
でも最低記憶に残る小学校3年生あたりからさらって見ても、
どうも誰かにラブレターを書いた、渡さないにしても、書いたという記憶が、
ない。
好きになった何人かのおとこのこを思い浮かべた。
サッカーが旨かったり水泳が旨かったりバリトンサックスが旨かったりした、
好感の持てるおとこのこたち。
あのころの私は告白するなんてもってのほかだった。
好きな人がいるだけで十分だった。それは本当に充分な効能だったのだ。
日常を華やかにいろどる特殊効果としての、好きな人。
ラブレターの必要自体がそもそもなかったかもしれない。
とは言っても、もう今更だれかにラブレターという年でもないし、
死ぬ三ヶ月前くらいに激的に運命の人に出会いでもしなければ、
私は一生ラブレターを書いたことの無いままに終わりそうだ。
うーん、残念だ。
これはきっと人生の醍醐味をいくつか経験せずに来たのと同じことだ。
引き返して、拾い集めることが不可能な類の。