小説「捨てられた犬を見ろ。」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

「可哀相だと思ってあげなさい。」
と姉が言った。
この姉は、実の姉に間違いないんだけど年が十個も離れているせいか、
仲が悪いとは思わないんだけどどうもきょうだいという感覚が薄い。
先輩というニュアンスの方が私にはしっくりくる。
何においても。どんなテーマでも。
私は姉に舅姑があんまりなんだという話をしに来ている。
先輩というこころで接するからこういう話は自分の親よりもどんな友人よりも
やりやすいのが不思議である。この人の方が女としてずいぶん老けているせいか、
たいていの愚痴はいろぎもせずに聞いてくれるのは頼りになることだと思う。
「可哀相だと思ってあげなさい。」
と今日はそんな風に言うから、私はちょっと、落胆というのかそんなふうに諭されると面白くない。
姉という人は子どものころから絵を描くのが好きで、
十代の終わりからはいよいよ真剣に漫画家になってやっていく決心が固まって、
あっちこっちの出版社で働きかけてなにかと頑張っていたんだけど、
結局漫画家として大成することは出来なかった。30のちょっと前くらいには
これはまずいぞというくらい毎日しょげて生きていた。
しかしこの世の中に「プロのアシスタント」という職業があること知ってからは、
水を得た魚というのか、
見違えて生き生きしだして、今に至る。
「私は結局、どんな話が面白いのかとかどんな男の子がカッコイイのかを考えるのではなく
線を引いたり消したり、インクを塗っているという作業をただするのが、
性に合っていたのね。」
と、いつか言った。ただペンを動かして絵を作るのが好きなんだといった。
今に至るまでまったく女一人でやっているんだけど、
女一人でやるには充分な収入を得ていることは単に立派だと思う。専業主婦やっている私。
そう、私は夫の親たちに胎を立てているんだった。
こういうことは良くある。
義理の両親にまったく胎を立てずに誰かの妻であることは、今も昔もなんて困難な道のりだろうか。
今回はカニなのだった。
カニ鍋をするからうちにいらっしゃいなんて私たちを呼んで置いて、
子どもを生む人は体冷やしちゃいけないから、甲殻類を食べちゃ駄目なのよ
とかなんとか言って私には白菜と豆腐しか食わさなかったという、それだけの話だ。
そして素晴らしく胎を立てているのだ、私は。
「可哀相だと思ってあげなさい。」
でも姉はそんな風に言う。何故か。
「どんなちんけな人間でもね、蔑まれたりあざけられたりするのには強いのよ。
敵を作れる人間はそれだけ強いって言うことなのよ、実のところね。
だから敵になんさんな。
あわれんでやりなさい。
どんな血も涙も無い人間でもね、自分が同情されていると思うとそりゃ悔しいものなのよ。
そりゃ悔しいものなの。
だから可哀相だと思って哀れに思ってあげなさい。
そう、道端に捨てられた犬を見るような。
そういう目で見てあげなさい。胎立てるわよ。
胎立てても出しようが無いからしりゃ胎立つわよ。」
そうと思ったら練習しよう、練習しよう。
と言って、姉はタブレットを起して「捨て犬 画像」で検索して、
さあこのこ汚い犬を見なさい。そうそう、そういう目つきを覚えておいてね
と言う。
こういうことは、自分の親でも友人でも、こんなこと言ってくれたりしない。
姉を頼りにする理由なんである。