本年度最後の保護者総会。今回の議題は
「『鬼ごっこ』の呼称廃止に向けての話し合い」。
あっほくさいわーと思いながらまじめなお母さんの話を聞いている、
ふりをするのは得意なんです、ろくでもない母親なので。
鬼ごっこの何について私達は話し合っているんでしょうか?
まじめなお母さんはこんな風に熱弁しています。
「鬼というのはなんなんでしょうか。
私たちは子どものころ、なんの疑問も持たずに自分たちの中から鬼をひとり決めて、
鬼ごっこをして遊んだものです。
しかしこの『鬼』という呼称の語源を辿っていくと、そもそもは特定の人間に対して付けられたものだと言う事実が見えてきますね。
『鬼』などというものは居なかったのです。『鬼』は捏造された存在です。
時の為政者にとって都合が悪いからというだけで、
得体の知れない悪者、『鬼』とされてしまった人達が居る。
これは現代にまで根を残している部落差別や人種差別に繋がってくる問題なのです。
今、私たちの子どもも『鬼』を一人決めて、その子に捉まらないように必死で逃げ回っている。
これは裏を返せば被差別ぶ部落の人間が集落の中に入ってこないように集団で反発した状況と
同じものではないでしょうか。
新しい時代を生きる子ども達に、こういう歴史上の間違った因習を継承するような遊びをさせているのは
親としてとても悲しいことです。
こんご『鬼ごっこ』という呼称は『おいかけっこ』で統一していくべきではないでしょうか。」
と、熱弁をふるっているお母さんの、言っていることも結局
時の為政者の都合
から生まれているんじゃないだろうか
と私は思っています。そういうことを誰かに聞かせるためにここ居るのでないので、
黙っています。
私はもし鬼という人達がいたり、それが差別と呼ぶべき状態であるのならば、
昔椎名誠さんの講演で聞いた話のほうを信じたい。
信じたいというか、人間の言うこととしてより好感が持てると思う。
椎名誠さんがアラスカネイティブの人達と一緒に暮らしていた時のこと、
あなたたちが白人に「生肉喰らい」と呼ばれていること、どんな気分です?
と訊ねられたそうだ。
そうしたらアラスカに住む彼らは、
へえ、そうなの? 良く知らないなあ。でもきっとそんなふうに言う人もいるんだろうね
というほどの反応だったと言う。
アラスカの人達にはきっと自分のしていることに、そこでの生活に
揺ぎ無い「知識」と「ルールへの理解」を確保しているんだろう。
自分たちのコミュニティの中にある「意味」に従って生きているんだから、
それについて異なるコミュニティの人間から何か言われても、なんてことはないのかもしれない。
じゃあ今こうして「鬼ごっこ」と言わせることに嘘みたいな義侠心でもって望んでいる私達は、
いったいどんな「意味」や「知識」に従って自分の道を歩いているんだろう。
うーん。分からない。
私には自分の隣に絵本に出ていた赤鬼が立っているのが見える。
彼はなんとなく悲しそうな顔をして、
とても親しげに私の肩を叩いてくれている。