大学に通っていた頃、世の中にどんな酒があるのかよく知らなかったのと、
金が無かったのとで300円の嘘みたいな白ワインをよく呑んでいた。
休日の夜、透明なセロファンに包まれたチョコレートを一口ひとくち、お供にしながら呑んでいた。
今にして思うとこの呑み方、旨かったのかなあ、いや正しいことだったのかなと疑うんだけど、
少なくともモデルはあったのである。
江国香織の小説のあるシーンで、
カッコ良すぎる壮年の女性がキュラソーを啜りつつ、
チョコレートをひとかけ口に入れながら、
やっかいな揉め事をなんとか収拾させようとしている。
彼女はほとんど魔女である。魔法が使えないくらいでそれ以外は全部魔女だった。
彼女は自分にとっては小娘みたいな相手に勤めて優しく振舞いながら、
駄々捏ねないで言うとおりにしなさいな、という。
で、そうでありながら彼女は小娘がもう自分の魔法の外側に居るのをちゃんと分かっていて、
で、そうである以上彼女が大事に守りたかったものはやがて全部解き放たれてしまうんだということを、
確認するためにここに来たのだという、
哀切なシーンだった。
そのばあさんがどうもかっこよかったので、小娘だった私はチョコレートをつまみに白ワインを呑んで、
本を読んで、それがその時の私の「世界」だった。
今では私もばあさんになって、からだもすっかりこなれてしまったので
甘いものなんて食べたくも無い。
言ってみればチョコレートを食べていたのは私の中の無知がそれをさせたのであって、
酒を呑むならたんぱく質をとるのが一番手っ取り早いのが事実である。
あの頃の私は体の中に無知がぎっしりと詰まっていた。
しかし無知がいっぱいというのは同時に余地がいっぱいということでもある。
私はもうばばあになったので、無知も大分取れたことと思う。
そして当然のこと余地も多くを失った。
こうやって人は自らの最期の瞬間へと肉薄していく。
私は今日からその道のりの、最初の数キロを歩き出したみたいなんです、みなさん。
本日は酒呑み三部作でございます。