小説「私と私の心」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

「心理学とは心なんて理解できないということを、理解するための学問です。」
心理学の勉強されたなら、ひとのこころなんて簡単に分かるのですか?
と、聞かれたことがあったので、そのときこんな答え方をしてしまった。まったく答えを為さない返事だったと今は反省している。当時はこれが本音のつもりではあった。でも、その中に少なくとも質問者に対して真摯に答えようとする親切は無かっただろうと思う。
確かに心理学の勉強はした。そう言うと、上のような問いを掛けてくるひともよくあった。でもこれは、
「工学部の出身なら原発を設計することができるんですか? 」
というくらいざっくりした疑問じゃないかと思う。
正直な気持ちはどうだ。
私は大学生の時に3年間心理学の講義を受講して、残り1年でそれにのっとった論文を書いて学位をもらって卒業したんだけど、その間、否今に至っても、
人の心理
とはいったいなんなのかさっぱり分かっていない。学んでいる内容が複雑に過ぎて理解が及ばなかったということもあるのだが(ゲシュタルト心理について私は未だにてまどる)、そうではなくてそういう理論を勉強したことによって、人の心理、人間が心に何を抱えているのか、にはついに答えを出せなかったと言うこと。何も私はひとの心を覗いてやりたくて心理学を勉強したんではない。
分からなかったのである。
だから勢い 理解できないことを理解するための勉強、なんて愚にも付かないことを言ってしまう。
そもそも理解できないことを理解出来ないと納得する必要はないわけで。理解出来ないなら出来ないままにどこまでも追求するのが研究者というものだ。何十年研究しても理解出来ないまま死んでしまうこともあるだろう。野口英世が研究していた病気の原因はウィルスだった。彼はウィルスのなんたるかを知らないままにいつまでもいつまでも顕微鏡を覗いていた。
そこまでする気がないなら、何もなかったことにすればいいだけだ。
例えば、地球の裏側は南米だ。治安が悪い地域や貧困層の人口も多い。今この瞬間に、3歳とか4歳くらいの子どもが食べ物がなくて死んでいる。例えば。
でも、それが現実に起きていても、私はそれを知らない。
知らないことは、存在しないのだ。私は私が知覚したり取得したりできる情報しか存在しているものと思えないもの。知ることと理解することが近い概念であるなら、理解出来ないことも存在しないことに近いだろう。だから問題ない。少なくとも日び生きるのには問題ない。
だから私は、きっとそういうのが
さみしい
と思ったのだろう。
あなたがこの世に存在しないことがさみしいと思った。
だから大学にもいったし就職もしたのかもしれない。
私は自分の心を野放しにしたかったのかもしれない。できるだけたくさん両手に掴んで死んでしまうために。