「いい夢を見ると、辻占のじいさんが買ってくれるんだってさ」
敷居につもった埃をぬぐいながら朋輩の言った一言を、娘は抓られた様にきつく耳に捉えた。
「なあにそれは。」
「最近へんな占いじいさんが居ついているのよ。縁起のいい夢を見たら、いい値で買い取ってくれるんだって。」
「どうしてそんなことをするの?」
「きまってる、そのじいさんあとから金持ちに縁起夢をまた売りすんのよ。それで儲けてるってらしいは。良く知らないけど。」
「売るったって、売ったあとはどうするの?」
「知らないわ。縁起が逃げてくんでしょうよ。」
言ったなり朋輩の女は拭き掃除に腐心してしまった。娘の心に、このあやしげな噂話は深く畳まれて残った。
どうにかいい夢を見ることは出来ないか。まとまった金が要るのである。自分は寝るのも借り間、着るのも借り着、食うのは払い下げ、俸給なんぞない。自分一人の力で金を作ることなど出来ぬ。出来るとしたら、そのなんとかいうじいさんに、一つ吉夢を買い取ってもらうことではないか。
それから娘は吉夢を見ることを常に念じて過ごした。夢などは、寝ていても人の頭のすることなんだから、それだけ始終念じていれば、いずれどうにかなるものなのかもしれない。
ある夜娘はとうとう吉夢を得た。
紛れもなく良い縁起であったろう。娘は喜んだ。使いに出された間に辻つじを回って、よやっとどうもそうらしいじいさんが荒れ屋の軒下に座っているのを見つけた。
雨もないのに、蓑笠を着たなるほどけったいなじいさんだった。
「もし、夢を買ってくれるかたですか。」
娘はどぎついて訊ねた。不安と恐れが胸の筋を揺らした。
「そうだがな。売りにきたんかね。」
じいさんはあるかないかのような細い目を、なお筋めてにやけた。
「ぼちぼちな夢では買わんよ。これはこれはという夢を持ってきたんかね。」
娘はせっこむように、自分が見た夢をじいさんに話した。と、じいさんは困ったような顔になり、薄の枯れたのみたいにだらしなく痩せた顎鬚をしきりに撫でるようにした。
「あんたそりゃ。ずいぶんな夢だね。はっきりいって良縁だぞよ。買ってもいいが、そもそも金一両で叶うような縁ではないのだぞ。」
じいさんは娘を諭した。が、娘のほうでは頑として聞かなかった。どうにか買い取ってもらいたい。急いでまとまった金がいる。
「そんなに言うなら、買うのがおれの仕事だから。」
そういってじいさんは、ふところから打つ前の黄金を一塊取り出して、懐紙に包んで渡してやった。
「言っとくがこれでお前さんの運はおれが買ったんだぜ。」
娘は礼を言うと、渡された大金を大事にもって妓楼に駆け戻っていった。
そうして娘は両親が女衒から身代に借り受けていた分を残らず返し、それならばもう用はないからと、郷里の田舎に戻って父母の家で寝た。
そして鉄砲水にあって家ごと流されて死んだ。
後にじいさんは娘が売った夢を朋輩の女に売ったのだが、女は大臣の若君に見出されて、夫人に採られて男子を産み、殊更に大事にされて後を生きた。
「異郷にあっても運を得たら、人として不足なく生きられたのに、どうにも生まれた土地に帰りたがる奴があるもんだ。
土地なんぞただの土地だ。どこに行ってもかわりゃせん。だが変ったと感ずるやつもいる。まったく。地主神も罪のあることをされる。」
福の神の翁は笠の下のはげ頭をがりがり掻いて、深く嘆息した。