ただ、生きていく | ぶなまつの新・昆虫的人生

ぶなまつの新・昆虫的人生

昆虫の「生活史」をメインに、裏山にて「ソロ虫活」を楽しんでいるシニアです。
読書と哲学と自然が大好きです♡
イハレアカラ・ヒューレン博士を心の師としています。
平和(^^)/は私から始まる。
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     画像は元気だったころの今季のカワラハンミョウ。来季も見れるとよいが・・。

 

 

 

 寒くなると気持ちも心も滞る。泣

寒い今の時期は、腰痛の痛みも強く感じる。しかし、一番悲しいのは妻の気持ちの浮き沈みに影響されてしまうことだ。

強いネガティブ感が長年のトラウマとして留まり、「息子が起きてこない。寝てばかりいる。自分の思い通りにならず言うことを聞かない」等、ちょっとしたことに対しても、精神状態が不安定になってしまうことが多い妻。

「ねばならない感」が強いため、自分の思い通りに進まないと抑えが利かなくなり、憑かれたようにキレてしまう妻。

この日は日曜日だというのに朝から心が疲れてしまった。

日曜日でも、しなければならない仕事は多く、かといって数時間茶の間で持ち帰りの仕事に集中していると、「人の話も聞こうとしない!」と強い口調で騒がれる。そのつかみどころのない不安定さをどうすることもできない自分。

自分ができることは、ひたすら「ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛しています」とクリーニングし、流れをスムーズにすることだけだ。

ブルー・ソーラーウォーターで作ったコーヒーを妻と一緒に飲み、機嫌が悪く気持ちが破裂しそうな精神状態の妻をなだめつつも、処方された鬱の薬を一粒飲んだ自分。

 

家族関係には日曜日というものがない。家族の誰かの精神状態が乱れれば家族全員が影響を受ける。今日もそんな状態で一日が始まった。

大量の古本を山積みしているマイルームから、埃にまみれになり忘れかけていた一冊の漫画雑誌を見つけた。自分は感動する漫画のセリフに出逢うといつまでもそのシーンを脳裏に刻みたくなる。だから雑誌もどんどんたまるばかり。ページをめくりながら、一本の漫画に心にしみる対話のシーンがあったので紹介する。看板持ち

 

 

 

 

 

 

 

「本当の・・・人生・・?」

 

『そうです。でもそれは決して特別なことじゃないですよ。ただ、生きていくということ・・・・つまり「生活」です。

働いて日々の糧を得て暮らしていくこと・・人と関わり世の中に身の置き場を見つけていくこと・・。愛し合うこと・・傷つけあうこと・・それを死ぬまでくり返す・・。

単調で忍耐のいる作業です。でも誰もがやっている 至極当たり前のことだ。それが生活というものです。あなたはおそらく人生の何たるか・・。生活の何たるかなんて・・全く知りもしないでしょう。そうでもなければあんなことをしでかすわけがない。そして人生のとば口に立ちもしないうちにそこに入る資格を失った。自分で投げ捨てたんです。

だから償うんですよ。償って取り戻すんです。あなたが手放した人生を-!命をかけて、絶望をくぐり抜けて、それで手にするものが当たり前で平凡な普通の生活だということを-。

 

割に合わないとあなたは思いますか?

高望みはいけません。あなたは二人の少女から・・・・・事件にかかわった全ての人からその平凡な暮らしを奪い取ったのだから・・。

それにね。その当たり前のことが尊いんです。

人によっては、その当たり前のことが何より難しかったりもするんですよ。人間らしく、人生を全うすることは、作家が歴史に残る一作を書くのと同じくらいの偉業かもしれませんよ?』

 

「・・・・・・」

 

『あなたがこれから行くべき道は、果てしなく遠く困難だ。

行く手に立ちふさがる絶望は-山よりも険しく、海よりも深い。新月の夜よりなお暗い。

彼方に見える微かな光だけを頼りにあなたはそれを踏み越えていかねばなりません。とても勇気の要ることだ。

でも・・・・どんな不可能が待ち受けていても、その先に真実があるならばその道を選ぶ・・。

それができることこそ人間の誇りです。

むろん絶望なんて知らずにすすめばそれに越したことはない・・。でも絶望を知りそれでも希望を捨てない人間がいるならば、その人こそが、真に誇り高い人間だと私は思うんです。

 

絶望をくぐった先に希望がある・・。その試練があなたに誇りを与えてくれるだろう。心に誇りがある限り、誰も、何ものも、あなたの尊厳を損ねることは出来ません。あなたはそういう人間になるべきです。誇りある人間の道を歩いてほしいんです』

 

「…誇りある…人間の道?」

 

『そうです、あなた自身が星になるんですよ。暗闇を照らす光に。

その光が、いつか誰かの目に届くこともあるでしょう。誰かの絶望に微かな光を投げかける時がきっと来ます。

それは意味のあることだと思いませんか?』

 

「あなたは・・・・・何者なんですか・・・一体・・・・?」

 

『-おっと  すみませんつい夢中に・・・

調子に乗って偉そうなことを・…どうか気を悪くしないでください。

なにしろ私の口から出る言葉なんて全部誰かの受け売りですからね』

 

「・・・・・?」

 

『前にも言いましたが、私は本の虫でして・・・

うちに積んである本を探せば、今 話したような言葉がたぶんどこかに書いてあります。

意図せぬパクリと言いますか・・・

ーでもまあだからこそ耳を傾ける価値はありますよ。

もとはといえば偉大な先人たちの有り難い言葉なんですからね。

ー山ほど書物を読んできましたが…

私自身は何ひとつ心理を切り取る自分の言葉を持つことができなかった・・・。

私は何者でもありませんよ・・もう終わった人間です。

いや…そもそも…私の人生において何かが始まったことなんてなかったな・・・・・

 

そう…だからなんですよたぶん・・・私があなたに肩入れしたくなってしまうのも…・そのくせイジワルを行ってみたくなってしまうのも…・』

 

 

『さて・・話はこれで全部です.そろそろおいとましましょう・・・私の言ったことをよく考えて悔いのない決断を…名乗り出る準備ができたらら私にご一報ください』

 

「-!まてよ 僕は・・・・・犯人じゃ・・・」

 

『・……まあ私は知らなかったーということにしておきましょう…そのほうが面倒がなくていい。

それでは… ▲ ○○さん・…お話ができて楽しかった・・・

さようなら      門出の幸運を・……!』

 

 

 

 

 

ちょっと不満 上の会話文は、落合尚之さんが描いた漫画『罪と罰』の72話〈希望と絶望〉の場面(主人公と判事の会話)の一部である。(約10年以上前に「漫画アクション」というコミック雑誌に連載され発表された)クライマックスのシーンだ。

 

 

 

この漫画はドストエフスキーの「罪と罰」という小説が下地になっているが、舞台を現代日本に変えて、計画的に人を殺害した若者の心理的描写を軸に、「破壊と再生」を問う哲学的な思索を与えてくれる内容でもあった。今から約10年前に発表された作品でもある。

ドストエフスキーの「罪と罰」という小説が下地になっているが、現代日本を舞台に殺人を計画的に犯した若者を主人公として、その心理的描写をしっかり描いている。

実は当時、この対話の言葉にぐっときたため、雑誌を捨てずに保管していたのだ。久しぶりに読んでまたぐっときた。名作は読むたびに新しい発見を与えてくれる。ちなみに、当時ぐっときたためレンタル本を全巻(10巻完結)を借りて読んだ記憶がある。すでに古本になり現在は置いていない。(ドストエフスキーの作品は「カラマーゾフの兄弟」のように神の不条理を背景に人間存在について考える場面が多い)

 

 

      

 

      

 

 

 

「生活」というものは本当にこの言葉の言う通り、厳しくて簡単なものではない。この先のことは誰もわからない。不条理に支配され悩み苦しみ神に訴えることも多々ある。それでも、前に向かって自分の現実生活を最後まで誠実に、真面目に忍耐深く全うしていこう。

大好きな高山のブナや海岸のマツのように「いつか自分もそんな老樹になれたらいい」と感じながら。

 

「ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛しています」

 

残りの人生も下り坂に向かっている。自分の人生にとって「クリーニング自体が真の目的」になってきているのを感じる。

時にはむなしく感じてしまうこともあるがそれも「記憶」の一つ。

記憶は自分がクリーニングするために生じあらわれる現象。

だからそれもクリーンクリーン。

 

今の自分は、神は善悪という概念を超えた、「ゼロ」であることを(少しづつだが)感じられるようになった。

クリーニングをしていきながら自分の家族を大切にして今日も進もう。

平和は私から始まる。( ^)o(^ )

 

 

 

           令和3年12月5日(日) 記す 

 

 loveからの風を感じ、

ただ行為するものとして生きていこう。