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淡々と生きる

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今日の昼休みはトレーナーと一緒にガンガン背筋と広背筋のトレーニングをしてきました。今までは各種目10回4セットを基本にしてきましたが、筋肉に新たな刺激を与えるために、今年から重量を上げてセット数を減らす方法に変えました。今は高重量で10回3セットにしています。ただ懸垂だけは今まで通り10回4セットにしています。今日は背筋の日なので最初に懸垂を40回やってきました。まあそれだけで結構ヘロヘロになります。

 

もちろん朝から晩まで仕事もしているので、自分でもよく体力が持つなと思います。たぶん仕事も筋トレも楽しいからあまり疲れないのでしょうね。これが誰かに仕事をやらされ、筋トレをやらされていたら、毎日嫌で嫌で疲れて倒れているかもしれません。私はいつも「もっとやったるで!」と思っているので、心の状態は誰かにやらされているのとちょうど正反対になります。

 

最近気づいたことですが、どこかに遊びに行こうという概念が私の頭の中から全く無くなっています。昔は仕事をして、旅行とか遊びに行くと楽しかったものですが、今は仕事と筋トレが面白過ぎるので、わざわざお金と時間を使って遊びに行こうとは思いません。でも家とか土地のお祓いのためにあっちこっち車や電車で行くのは楽しいです。これも仕事ですからね。

 

もちろん仕事では色々苦労もありますし、嫌な思いをすることもありますが、最近のようにほぼ100発100中で良い結果が出ると嫌な思いよりも面白い方が断然上回ります。それでも天はこれからも私に試練を与え続けると思いますので、いつかやって来るであろう試練に身構えている自分も居ます。

 

私の経験で学んだ教訓の中で一番大切な教訓が、「人生で順風満帆の時が一番危ない時である」です。順風満帆には必ず落とし穴があるし、慢心になって油断するし、ここで失敗する人間が古今東西歴史の中でも一番多いのです。戦国時代、今川義元が織田信長に桶狭間で敗れて首を取られましたが、これは今川義元が圧倒的優位な戦力でもって織田信長を踏みつぶそうとしている時に、完全に油断して敗れたのです。私も社長を首になった時は日本の現地法人が絶好調の時でした。

 

筋トレでも仕事でも調子に乗るとケガをします。逆に調子が良くない時は人は慎重になりますので、大きな失敗は少ないですね。良いことの中に落とし穴が潜んでいて、悪いことの中に良い芽が育っているのが人生です。一番確かなのは調子が良い時ほど慎重に行動して、調子の悪い時はじっと我慢して次のチャンスを待つ姿勢ですね。チャンスはピンチの顔をしてやって来ますから。

 

これでは鬼神も人生に付け入るスキがありません。結局良い人生の過ごし方は、何があっても淡々と過ごすことだと私は思います。良いことに浮かれ、悪いことに沈んでいては人生はなかなか良くなりません。何があっても自分が今しなければいけないことを、問題に対する対処も含めて、淡々と実行していく姿勢が本当の成功を人生にもたらすのだと思いますよ。また明日からも淡々と面白い仕事と筋トレをやっていきますね。

 

合掌

 

仏光

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諸悪莫作 衆善奉行(しょあくまくさ しゅうぜんぶぎょう)

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昨日は日曜日で休みでしたが、静岡県内と神奈川県で家のお祓いをしてきました。そしてそれだけで一日が終わってしまいました。でもこの2軒とも霊障があったので行って本当に良かったと思いました。これでその家の人達も安心して暮らせると思います。でも残念ながら筋トレをする時間はありませんでした。たぶんそうなるだろうなと思って土曜日に一部日曜日の筋トレのメニューをこなしておきました。

 

最近ますます私に与えられた特殊な能力のレベルが上がっているのが分かります。土曜日はいつものようにとっても仕事が忙しかったです。私の無痛自律神経療法を習いに来ている生徒の研修もあって療法院は大変にぎやかでした。夕方になってサッカーの練習で腰を痛めたゴールキーパーの高校生がお母さんに連れられてやって来ました。

 

ゴール前で横っ飛びでボールを取った時に腰が「ボキッ」と鳴ってそれから腰が痛くなったということで、座ったり立ったりするのもままならない状態でした。普通であればこれは横っ飛びで腰の骨とかを痛めたのかなと思うことでしょう。でも何故分かるのかは私にも分からないのですが、「これは霊障かもしれない」と思ったのです。だから一番最初にお祓いをすることにしました。

 

すると一発で腰の痛みが取れて、その場でダッシュやジャンプができるようになりました。嘘みたいな本当の話なのですが、お祓い前とお祓い後の劇的な回復を見ていた私の生徒は驚くと共に、「何かがっかりしました」と言います。それはこれから無痛自律神経療法で自分の療法院を始めようと思っているのに、こんな他にはない力で一発で腰が治るのであれば「一体これから自分がやろうとしていることにどれだけの意味があるのだろう?」と思ったのですね。

 

生徒さんにはちょっと酷だったかもしれませんが、今のところ理由が霊障であれば100発100中で今ある症状はこのように回復します。残念ながらこの力を人に教えることができないと言うか、教えようがないので、生徒には「もし回復しなければ、ここに連れてきなさい」と言っています。まあ今はそれしか方法がありません。

 

元々私は霊など見えたり聞こえたりすることはありませんが、以前より分る力が上がっていることは確かです。なぜか分からないけど分かる時があるのですね。お祓いを始めると霊が居るか居ないかは100発100中で分かります。それからお祓いの精度が以前よりも格段に上がっていることも嬉しく思います。

 

なぜそうなるのかも分かりませんが、私は毎日の瞑想修行のお陰かなと思っています。でも瞑想をすれば誰でもお祓いができるようになるのか?というとそうではないので、実際のところは理由は分かりません。ただはっきり言えることは、これは神秘でもなく、胡散臭いことでもなく、ちゃんとした物理現象であるということです。鉄の球を落とすと地球の重力によって100発100中で下に落ちるように、霊障であれば100発100中で今ある症状が回復するのです。

 

私のところに来ている人で「私は霊とか信じていません」という人も多いです。だからお祓いでその場で回復すると本当に困ってしまうのですね。何とか自分で納得がいく理由を探そうとします。しかし、現実はできるだけ自分のフィルターを通さずに客観的に目の前で起こった事実を観察するのが科学的アプローチです。中にはお祓いで回復してしまって困りながら「本当に私はこういうことを信じていないのです~!」と泣きそうになって訴える人もいます。

 

私は「あなたが信じる信じないなど私にとってはどうでもよいことです。あるものはあるし、居るものは居るのです。理由はどうであれ良くなればいいのですよ」と答えています。でもこの何か月とか何年も、どの病院に行っても、どんな薬を飲んでも治らなかった症状がその場で回復するので、結局は喜ぶことになるのです。だから私は結果が全てだと思っています。そして多くのそういう人がお祓いで症状が回復するのをきっかけとして、宇宙は一つの次元でできているのではないことを実感していくのですね。

 

まあ中世の時代に人々が天が回っていると信じていた「天動説」から、地球が回っていることに気づいて「地動説」に変わるようなものです。中世でももちろん一遍に世界が「天動説」から「地動説」に変わったわけではありません。当時の常識良識に溢れ、頑固で柔軟性の無い脳を持った多くの「普通の人」は、死ぬまで天が回っていると信じ続けていたことでしょう。

 

やはり私が予測した通りに、私の人生はこれからが本番みたいです。今までの人生はこれからの準備段階だったのですね。伊豆が私のホームグラウンドですが、これからはあちこちに出かけて活動して行きたいと思います。中世でもそういう人が居たから天動説から地動説に世の中が変わっていったので、それと同じことをこれから私もしていきたいと思います。最初は大変だと思いますが、それが私のミッションですね。どうせそのうち量子物理学の分野で私の言っていることが証明されていくことでしょう。これが私の予言です。

 

死んでも「私」が終わらないことを多くの人が知れば、もっと人はより良い生き方をするようになると思います。お釈迦様の教えに「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教(しょあくまくさ、しゅうぜんぶぎょう、じじょうごい、ぜしょぶつきょう)」、意味は「もろもろの悪を為すことなく、もろもろの善を行い、自らの心を浄くする。これがもろもろの仏の教えなり」という仏教の神髄があります。

 

死んでも「私」が続くことを知れば、人々は自分勝手を抑え、周りに対して慈しむ心を自然と持つようになると思いますよ。そうでなければ死んでからの「自分」が本当に大変ですからね。そしてその方が結局は人生を幸せに過ごせることを多くの人が知ることになります。それを伝えていくのが私の仕事ですね。さあ、これから筋トレに行ってきます。頑張りますよ。楽しみです。

 

合掌

 

仏光

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それで自分の心が満たされるか?

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今日はジムは休み。お昼休みはもちろん温泉に行ってきました。昨日も背筋と広背筋のトレーニングをガンガンやって来たので、今日の温泉は筋肉が緩むようでとっても気持ち良いと感じました。筋肉の疲れには温泉は最高ですね。筋肉質な体を作る3つの要素はトレーニングと食事と睡眠と言っていましたが、温泉を四つ目の要素に加えたいですね。

 

今日の温泉の後は筋トレの後のようにぐっすりと昼寝をしました。昨日も7時間の睡眠をとっているのですが、30分くらいぐっすりと寝ました。今日も仕事が忙しかったので、この昼寝は本当に助かりました。まあ私は仕事と筋トレと瞑想とブログを書くことくらいしか今はやっていませんね。

 

それでも全然飽きるということはないし、毎日楽しいと思えるので幸せな話です。昔は仕事をして、ゴルフをして、飲みに行って、旅行をして、スキーをして、スキューバダイビングをして、あれもして、これもしてと色々なことをしていましたが、今は毎日することが仕事、筋トレ、瞑想、ブログと4つに決まっています。結局穏やかな人生とは基本的に同じことを繰り返して過ぎて行くものなのですね。

 

あれもして、これもしてという人生は心に何かしらの空虚感があるのです。世の中にはあれもこれもとスケジュール表をいっぱいにしている人がいますが、そういう人に聞くとスケジュールがいっぱいでないと不安みたいです。結局あれもこれもとする人は自分の心の空虚感を何かをすることによって埋めようとするのですね。

 

昔の私はそういう人間だったような気がします。でもまだこの程度なら病気ではないのですが、心の空虚感を埋めるために買い物をする。ギャンブルをする。お酒を飲むなどの行為となると依存症という心の病になっていきます。そしてそれはズルズルと深みに陥っていきます。何故なら心というものはここからここまで心ですと形が決まっているものではありません。

 

心というのは実体がなく無限大のものです。その無限大のものを有限のもので埋めようとすると、結局埋まることがないので「もっと、もっと」になるのですね。これは物欲、名誉欲も同じです。とどまるところを知りません。そして一生それを繰り返したところで結局有限の物で心の空虚感が埋まるということがないので、その人は人生に心から満足することなく寿命を迎えることになります。私はこれは不幸なことだと思っています。

 

無限の心は無限のものでしか埋めることはできないのですね。例えば芸術とか音楽とか、瞑想もそうですが形のない無限大のものでしか心というものは満たされないのです。でもこれは生存が保証されている状態でのことで、毎日食べるものを確保するのに必死の状況になると、心は食べることで占められ、もし十分食べることができる日があると、「今日はお腹がいっぱいになった」とそれだけで心が満たされます。

 

私たちのずっと前の先祖は食べることだけで心は結構満足していたと思います。世の中が豊かになって、食べることがそれほど大変なことでなくなると、心は食べることだけでは満足できなくなって、あれもこれもということになっていくのですね。物質的に豊かになると、心が貧しくなっていくメカニズムの基本がここにあります。

 

私たちは物質的な豊かさを求めますが、それによって自分の心の空虚感も増していくことを認識している人はほとんど居ません。そしてその空虚感を埋めるために多くのお金を使ってもっと多くの物質的な物、豊かなものを求めます。これにはきりがありません。無限の心を有限の物では満たせないのです。

 

私は仕事をしているのでお金は入ってきますが、そのお金が私の心を満たしているわけではありません。ましてや多くのお金を稼ぐために仕事をしているわけでもありません。私の仕事の場合、これでもう良いということが全くないので、昨日より今日、今日より明日、もっと良い仕事をしようと思うから色々工夫をするのです。これで良いというのがないということは私の仕事は無限大なのですね。

 

だから私は私の無限大の仕事をすることで、私の無限大の心を満たします。筋トレもこれでもう良いということはありません。これも無限大なのです。トレーニング方法や食事管理、休養の取り方など常に工夫が必要です。だから私は筋トレをすることによって私の心を満たします。瞑想は言うまでもなく無限大のものです。だから毎日私は瞑想して心を満たします。ブログも死ぬまでこれで良いということはありません。生きている限り私はブログを書くことでしょう。ブログを書くことで私は私の心のチェックを日々していると思います。

 

だから私は仕事、筋トレ、瞑想、ブログ書きを毎日しているのでしょうね。これだけで私の心は満たされるので、あれもこれもとする必要が無いのですね。基本的にはこの4つのことを繰り返していると、毎日私の心を満たすことができるので幸せ感があるのですね。

 

何が自分の心を本当の意味で満たすのか、人それぞれよく考えてみる必要はあると思いますよ。「それをやっていて自分の心が満たされるのか?」と考えてみるのですね。忘れてはいけないのは無限大の心は無限大のものでしか満たせないという真理ですね。

 

合掌

 

仏光

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人間本来無一物(にんげんほんらいむいちぶつ)

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本来は昨日ブログを更新する予定でしたが、休み明けで仕事が忙しかったのと、昼休みに今年初の胸の筋トレをガンガンやったら、夜はさすがに疲れてしまってブログを更新することができませんでした。今日もまあまあ仕事は忙しかったのですが、それでも早く帰れると思っていたら車のヘッドライトのランプが片方切れて、お友達の修理工場で直してもらっていました。タイヤも新しいのに交換してさっき家に帰ってきたところです。

 

今日も昼休みは筋トレでしたが、時間の関係で先に格闘技系のエアロビを45分間やって、それから筋トレしたらめちゃめちゃ疲れました。今も疲れています。本来は筋トレをしてから有酸素運動をしなければならないのにその逆をやったのですね。それでも今日はブログを書かなきゃとずっと思っていました。

 

さて、一昨日の日曜日は静岡県内のある会社からお祓いの依頼があって、昼前に筋トレした後、東海道線の電車に乗って行ってきました。会社に色々問題があって資金繰りがいつもタイトだということでした。その会社のお祓いをするとやはりげっぷが出て何らかの霊障があるのは確かでした。社長の奥さんは首が痛く、社長は膝が痛かったのですが、本人ではなく会社のお祓いをすると社長も奥さんもすっかり痛みが取れました。

 

次の日に社長の息子さんから、「朝に顧客から大口の銀行振り込みがあってお祓いの結果をまざまざと見て驚いている。凄いです。」とのメールが来ました。こういうことは過去に何回もあったので、私は驚きませんが本当に良かったなと思いました。新年早々良い仕事ができたみたいで嬉しかったです。経営者がいい加減なことをしていて会社の業績が悪くなるのは自業自得で当たり前ですが、一生懸命働いているのに、何かうまく行かない時は霊障が原因となっていることも多いのですね。

 

私たちは霊と自分とは違うと思っていますが、実際は同じようなものです。私たちには生きた肉体がありますが、霊にはありません。それが唯一の違いと言っても過言ではありません。しかし私の手や足の肉体が「私」という人格を形成しているのではなくて、私の「心」が私の人格を形成しているのです。霊というのは肉体が無くなってから、心のエネルギーそのものになった状態です。肉体は滅んでも心はエネルギー体となって続いていくのですね。

 

したがって心が「私」という存在を形成しているのですから、「私」は肉体の生死に関わらずずっと続いていくので霊と同じみたいなものなのです。私は毎日筋トレをして肉体を鍛えていますが、これはいずれ死んで滅びます。しかし毎日の瞑想修行で鍛えている私の心は生死に関わらずずっと存続していくのです。この心が私の核となる部分ですね。

 

私たちは死ぬと心そのものの存在になりますが、そこには生前持っていた物理的な物、例えばお金とか家とか肩書とか、そのようなものは全て無くなります。要するに物理的な物は全部亡くなって、心のクオリティーのみがその後の私たちのあり方を決定付けるのです。生前ちょっと収入が多くて、社会的地位や立派な家もあって、「自分は他の人間より上等なのだ」と自分が持っている物理的な物によって自分の評価を決めている人間は、死ねばそれらが全て無くなるので困ってしまいます。

 

死んでから「私は生前すごい金持ちだったのだぞ」と言ったところで、「それがどうしたの?」の世界になるのですね。そこで宇宙の大いなるものによって評価されるのは、自分の核の部分である「心」のクオリティーだけなのです。汚い心は汚い心なりの評価と境遇、綺麗な心は綺麗な心なりの評価と境遇が用意されているのです。

 

嘘だと思う人はどうぞ生きている間に、できるだけ自分が良い思いをするようにお金でも肩書でも一生をかけて追い求めてください。もちろん人の悪口もあることないこと織り交ぜながら、面と向かって言う勇気がない分、今まで通り陰で言っていてくださいね。人への陰湿な意地悪も忘れてはいけません。そして自分が死んだらどうなるのかよく見ていてくださいね。人間死んだら全部終わりと思う人はどんどんそのようにやっていてください。

 

私は毎日除霊などの仕事を通して、その前後の劇的な結果を年間3000例以上目の前で見て来て、客観的に「自分がの肉体が死んでも心は継続していく。一番大切なのは存続していく心のクオリティーなのだな」と実感しています。だからこれからもできるだけ自分の心を真理と良心に基づいて磨くようにしますね。この世でうまく世渡りするのと、心のクオリティーを磨くのとは本質的に生き方が違うのです。

 

自業自得とは自分のしたことが良いことも悪いことも全部自分に返ってくることです。それは生きている間に自分に返ってくるし、死んでからも自分に返ってきます。禅には「人間本来無一物(にんげんほんらいむいちぶつ)」という言葉があります。「人間という本来の存在には物理的な物は何も無い」という意味です。物理的な物は何もないということは物理的な物ではない「心」のみがカウントされるということです。

 

物欲に走る浅ましい人間を諫める言葉ですが、私たちは生きている間に本当に何が大切なのかを知るべきです。自分だけがうまく生きていこうとして、また誰も見ていないからと心のクオリティーをなおざりにしていると、将来自分がとっても可哀そうなことになると思いますよ。

 

だから今から自分の核である心を磨いていきましょうね。物理的な物は生きている間、つつがなく暮らしていける分だけあればいいのです。非合法に日本を抜け出し、海外逃亡している元日産のゴーンさんに聞かせてあげたい話ですね。さようならゴーンさん。死んでからも頑張ってね。まああなたがどうなるか私には見えていますけどね。可哀そうなゴーンさん。さようなら。

 

合掌

 

仏光

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神や仏は存在するか?

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今日からジムが始まります。5日間ゆっくり体を休ませたので、今日からのトレーニングが楽しみです。午前中少し仕事をして、昼食後トレーニングに行く予定です。いつものスケジュールでトレーニングするので、今日は上腕二頭筋と肩の僧帽筋のトレーニングになります。何となく休んでいる間に体が大きくなったような気がします。筋肉が休まってその間に少し肥大したのでしょうね。

 

さて、前回のブログで宇宙をつかさどる大いなるものの存在の話をしました。私は仏教から多くの知識や知恵を得ましたが、だからと言って私の中に仏を崇拝するという概念は全くありません。お釈迦様はもう2500年前に死んでいるのでもう居ません。死んでいる人が今生きている私を助けることはありません。私が救われているのはお釈迦様が生きている時に説いた真理や知恵を身につけることによって救われているのです。

 

お正月に初詣に行った人が多くいると思います。年に一回「私と私の家族がどうぞうまく行きますように・・・・」と神様にお願いしておみくじを買うのですね。どれだけの人が本当に神様がお賽銭の額に応じて自分の願いを聞いてくれて、「自分だけはうまく行く」と思っているのでしょう?

 

私は仏にしても神にしても、もしそういうものが存在しているとして、自分の自分勝手なお願いは聞いてくれないだろうなと思います。これは簡単に想像できることです。もし私が神様にとなって神社の本殿に祭られているとします。そこに多くの老若男女が来て、自分の普段の生活は一旦棚に上げておいて、「どうぞ自分と自分の家族だけはうまく行きますように」とお願いされても、それを「ああそうですか」と神様になっている私が相手の自分勝手な願いを、お賽銭の額に応じて聞き入れることは絶対にないと思います。

 

本当に神社に神様が居るとしても、私ですらしないことを神様がわざわざするとは思わないので、私はそういう初詣はしませんね。だから後ろに大勢の人が並んでいるのに、お賽銭を入れて、一人一生懸命時間をかけて初詣で拝んでいる人をテレビなどで見ると、何とも言えない気分になります。でも年間の行事として、お正月に家族と一緒に初詣に行って今年一年の決意などを新たにするのは大変良いことだとは思いますよ。

 

私はそういう一般的な概念の中にある神や仏を信じるということはありません。でも宇宙をつかさどる大いなるものの存在は具体的な体験を通して実際に居ることを知っています。私のところに来る年間延べ5千人の人の内、3千人以上の人がお祓いによって心身の不具合が目の前で良くなるのを毎日見ていると、そういう力を私に与えた大いなるものの存在を実感するし、また見えないし、聞こえないけれども厳然と存在する3次元とは別の次元があることがよく分かります。

 

私は年に一回出雲大社に行きますが、神代の時代に天照大神(あまてらすおおみかみ)が出雲の国作りをした大国主命(おおくにぬしのみこと)に「出雲の国を私に譲ってくれ」と言った時に、国を譲る代わりに天照大神は見える世界をつかさどり、大国主命は見えない世界をつかさどる約束になったそうです。

 

これは私が出雲の神様に呼ばれて行ってから古事記を読んで知ったことです。私がお祓いという行為で霊障という見えない世界を何とかしていることを考えると、最初は訳も分からず「どうしても出雲大社に行かなければならない」と感じて、就航したばかりの静岡~出雲のFDAの飛行機に乗って出雲大社に行った理由がよく分かるような気がします。

 

私は苦しい時に神様が摩訶不思議な力で助けれくれるとは思いません。苦しい時に自分を助けるのは自分の人間力です。だから毎日精進して自分の力を向上させていかなければならないと思っています。宇宙の大いなるものは存在しているけれども、それが私を見守り助けてくれるのは、私が私を助ける精進をしている時であると思っています。

 

私が何もしないでボケーっとしていて、それでも宇宙の大いなる存在が私を助けてくれるとは到底思えませんね。ましてや私が何年も修行を続けた上で人の悪口を陰で言ったり、人の心を傷つけたり、真理から外れた間違ったことをしていて、大いなる存在が私を助けることなどあるわけがないと思います。したがって大いなる存在が私を助けてくれるには、精進を絶やさず、できるだけ真理に基づいた生き方をしていることが必要不可欠なのですね。

 

この宇宙の大いなる存在を既存の宗教が言うように「神」と呼んでもいいのですが、神は別に初詣の時だけではなく、神社に行った時だけでもなく、いつでもどこでも存在しているし、いつでもどこでも私を見ている存在であると言ってもいいのです。普段は無神論者としてその存在を否定した生活をしていて、初詣や困った時だけ神に助けてくれというのは自分勝手の極みです。

 

もちろん自分の人生を助けるのは自分です。何もしないでボケーっとしていて真理から外れた生き方をしているのと、毎日精進を欠かさず、真理に沿って生きているのとどちらが良い人生を送れるかというと精進を欠かさず真理に沿っている方ですね。しかも精進を欠かさず真理に沿って生きていると大いなる存在(神)が助けてくれるのだから人生が良くなって当たり前なのです。

 

幸運を自分に引き寄せるというのはこういうことです。これが幸運のメカニズムなのですね。普段はボケーっと生きていて、真理について学ぶこともせず、神や仏の存在を否定しておいて、初詣の時だけ神様に「他の人はさておき、どうぞ自分と自分の家族だけはうまく行きますように。」とお願いしても全く意味がないのがよく分かると思います。

 

一番大切なのは普段の生活の精進と自分の心のあり方なのですね。神様が後押ししてくれてもしてくれなくても、今年一年、日々仕事に生活に精進して、修行を欠かさず暮らしていきたいと私は思いますよ。

 

合掌

 

仏光

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新年の決意・・・・・

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あけましておめでとうございます。元日はすることもないので昼にいつもの温泉に行って、常連さんと挨拶して、電話もなく何もしないで過ごしました。こういう一日は本当に久しぶりですが、元日なのでこれでいいと思います。今日も休みの予定だったのですが、肋骨のあたりが痛くて苦しくて診て欲しいという緊急の電話があり仕事になりました。

 

結局は今年初めてのお祓いですっかり良くなりました。幸先の良いお祓い初めですね。年末に人ごみの中に買い物に行ってから痛くなったということなので、たぶんそこで霊に憑依されたのでしょう。

 

今年は昨年行った仕事の改革によりとっても忙しくなると思いますが、体調を整えて頑張りたいと思います。明日からはもうちょろちょろ仕事が入っているので、結局何もしなかったのは元日だけになりそうです。私は普通にはない与えられた能力で、一般に霊とか霊障とか言われている次元を毎日見ることになりましたが、世間で言われている霊に関する常識?と真実はだいぶ実態は違うように思います。

 

例えば守護霊というものが居て、それがその人を守るという話を信じている人が大勢います。あたかも常識のように守護霊という言葉を使っているみたいです。守護霊は良い霊で色々な災難からその人を守ると信じられています。しかし残念ながら私が見る限りはそのようなものは存在しません。

 

まずそれが良い霊であれば、死んでからちゃんと行くべき次元に行くので、良い霊としてその人を守るためにこの3次元の世界に残り、何十年もかけて一生その人を守るなどということはないのです。実際そのようなものの存在を私は年間延べ3000人を超えるお祓いの中で感じたことはありません。でも幼い子供を残して死んでいった母親の霊をその子に感じたことはあります。母親は霊となっても自分の子供を見守っているのでしょうね。でもそういう例は稀です。

 

次に霊に憑依されると心身の具合が悪くなりますが、それは悪い霊(悪霊)に憑依されたからだと説明しているテレビ番組などが多いですが、私から見るとチャンチャラおかしいですね。腹を抱えて笑っちゃいます。中にはまれに悪い霊も居ますが、たいがいはついている霊も困っているみたいです。霊もどうしていいのか分からないのでその人についているみたいですね。

 

霊が怖いとか悪いとか言っていますが、もしあなたが死ぬと体は無くなって、あなたの心を構成する素粒子のエネルギー体(心のエネルギー体)のようなものだけになります。まあそれを一般に霊と呼んでいるのですが、あなたが死んだとしてあなたが怖い存在になりますか?あなたの心が悪くなりますか?そんなことはないでしょう?私は死んでも私の心は私のままです。怖くも悪くもないと思いますよ。

 

テレビとかは視聴率を上げるためにあることないことでっち上げてセンセーショナルな番組にしなければいけません。だからわけの分かっていないインチキ霊能者などが出てきてあることないこと吹いて回っているのですね。そういう人間が「何代前の先祖の霊が・・・・」などと言っているのです。それを多くの人が信じているので、本当にあほらしくて話にもなりません

 

ただ霊と人間は波長が違うというか、相容れない部分があるので霊に憑依されると人間は具合が悪くなるみたいです。私は今のところ「霊に憑依されて絶好調になりました」という人を見たことがありません。大概は具合が悪くなります。また霊に憑依されると一般に言う人の運気も下がるようです。こういうことから霊は悪いと思ってしまうのですが、実態は霊も困っていると言った方がより真実に近いと思います。

 

では何で霊が困るのかというと、私たちが住んでいるこの次元は物理学では3次元と言われる次元です。死んで心のエネルギー体になると本来ならば3次元とは違う次元に行かなければならないのに、死んでもこの3次元の世界に囚われた状態になっているのを霊と呼んでいると思います。昔の人はこれを「迷った」と言っているのですね。

 

体は無いのに心は3次元に囚われているので、どうしたらよいのか分からないというのがどうも実態みたいです。原因はこの世に対する執着であったり、恨みであったり、またいきなりの事故などで自分が死んだと本人がちゃんと認識できない状態でそうなるのでしょうね。だから霊も困っているのです。

 

「霊障医学」という本を書いた医師が居ます。私はまだ読んでいないのですが、本を読んだ二人の人から「霊を取り除くのにチベット医学の尿を用いた診断法とか、色々なことをするみたいだけれども霊を祓うのはなかなか難しくてすぐには取れないと書いてありました。」と教えてもらいました。その人達は私が分単位で除霊をしてその場ですぐに結果を出すのを知っているので、本に書いてある内容にかなり違和感を感じたようです。

 

でも私はそれはインチキではないと思います。霊障に関して書いていることは私が言っていることと同じことも多くあるみたいです。それはそれで正直な観察だと思いますよ。ただ私のような能力が与えられていない普通の人、もしくはちょっとだけ力がある人、または霊が見えたり聞こえたりする人が、憑依している霊を取り除こうとすると大ごとになってしまうのですね。色々儀式とかしながらも、なかなか結果が出ないというのが実際のところだと思います。

 

でも現役の医師が心身の病気の根本的な原因が霊障であるケースも多く存在していて、霊を取り除かない限りは回復が望めないという現実に焦点を当てているのは評価できることだと思います。ただそこではちょっと高いセミナー料を取っているみたいなので、その部分に関しては私は如何なものかなと思います。でもなかなか除霊できなくて、一人診るのにも時間がいっぱいかかるみたいなので、それぐらい貰わないと割に合わないのかもしれません。

 

私はこの100%除霊の結果を出す能力を得るのに何の努力もしていないので、私のところに来られる人からお祓い料を取ることはありません。税込み4200円の無痛自律神経療法の施術料だけ頂きます。お祓いで見えなかった目がその場で見えるようになった人もいますが、それでもその人からお祓い料などというものは一切頂きません。

 

何故なら天は私が金持ちになるためにこの力を私に授けたとは到底思えません。私に「困っている人を助けなさい」という意味でこの力と才能を与えていると思います。だから一人でも多くの困っている人にこの力を使うことができれば、それが私の本望なのですね。それで天の意思に沿っていると思います。今のところありがたいことに私はつつがなく暮らしていけているのでそれで充分ですね。

 

先ほど守護霊などという存在はないことを書きましたが、「それでは何も自分を見守っていないのか?」と言うと、そうではありません。私は「天」と呼んでいますが、この宇宙をつかさどる大いなる存在は確実にあります。宗教によってはそれを「神」と呼んでいますね。現に私は何の努力もしていないのにこの才能を宇宙の大いなる存在から与えられているし、それで一年間に何千人もの人が除霊で体の不具合がその場で回復するのですから、これは間違いのないことだと思います。

 

だから私たちはこの大いなる存在により見守られていると思いますよ。ただ人生というのは心の修行道場みたいなもので、順風満帆では何のトレーニングにもなりません。心が鍛えられないのです。私は心の修行のために人生には色々な試練が用意されているのだと思います。

 

それをコツコツ一つずつ乗り越えることが、寿命が尽きて身体が死んで、自分が心のエネルギー体となった時にしかるべき次の次元に行くのに大いに関連してくるのだと思います。要するに心をこの人生で磨くことが、死んでからの私たちの次の次元を決定付けるのだと思いますよ。死んでも「私」は続くのです。

 

だからよりよく生きた者はよりよく死ねます。そして天は私たちに試練を与えながらも、いつも私たちを見守っています。そのことを忘れずに今の人生を自分の心を磨きながらしっかりと生きるのですね。それが私たちに課せられた人生を生きる目的だと私は信じます。新年の最初にこのブログが書けて本当に良かったですよ。これが今の私の人生に対する信念ですから。今年も実りある年になりますように。

 

合掌

 

仏光

 

 

 

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お釈迦様の教えとは・・・

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今日は大晦日です。スタッフは先週の土曜日で休みになりましたが、私は日曜日と月曜日に仕事をして、今日はやっと休みかなと思っていたら、やっぱり急な仕事が午前中に入って今年は最後の日まで仕事となりました。私にとっては望み通りで、今年も良い一年の締めくくりになりました。昼はやっぱり温泉に行って、常連さんに「良いお年を・・・」と挨拶して、ゆっくりと温泉に漬かって疲れを癒しました。

 

温泉に漬かりながら、今年も一年が終わったのだなという実感が湧いてきたのが嬉しかったですね。特に仕事で「令和の改革」を行って、思い通りの結果が出ているので、来年はこれをもっと広げていきたいと思っています。除霊という世の中では胡散臭いものとして片付けられている分野に、圧倒的な回復の具体的及び客観的な結果でもって公に挑戦することにしたのですね。私はかねてから今までの60年の人生は、これから始まる第三の人生の準備期間で、私の人生はここからが本番なのだと思います。

 

私は仏道修行を20年近く続けてきましたが、お釈迦様が説いていることは結局すべて自分のためにすることだという結論に達しました。お釈迦様は「自分を抑えて人のために尽くせ」などとは決して説いてはいません。人ではなく自分を見て、自分を高めて、自分で自分を救えと言っているし、それが真理なのだということを説いているのです。

 

例えば「恨みに対して恨みを返しても恨みは遂に鎮まることはない。恨みを捨ててこそ鎮まる。」と説いています。相手に嫌なことをされたのに、恨みでもって相手に対処するなと言っているのです。私は最初これは「不公平だなあ」と思っていました。相手が悪いのに「何で自分の気持ちを抑えなければならないの?」と思っていたのです。

 

他人に対しては、「うまくいっていればこん畜生。失敗すればざまあ見ろ」というのが世間一般の人間の反応です。そんな中で「何で自分が恨みを捨てなければいけないのか!」というのが腑に落ちていなかったのですね。それでも「恨みを捨てよ」と言うから、とりあえず「こん畜生」と思っている相手に対してお釈迦様が言っている通りに恨みの感情を持たないようにしてみました。

 

するとどうでしょう。やっぱりこっちの方が心が平穏に暮らせるのです。恨みを持ったままならば、相手が不幸な目に逢うことを望み、「ああしてやろう。こうしてやろう。」と思い、そして挙句の果てに相手が非業の死を遂げるところを何回も想像して、「あん畜生、こん畜生」と毎日思っていることでしょう。それで心が心地良いということはありません。だからあっさり恨みを捨てる方がよほど気持ちよく毎日生活できるのです。そして毎日の自分の働きも目覚ましく良くなります。

 

一見相手を想い、相手のために慈悲の心で「恨みを捨てろ」と言っているようにも聞こえますが、全くそういうことではなくて、全部自分のためになるように言っていることなのです。のちの坊主が浅はかな理解力で、あたかも「自分を犠牲にしてみんなのために尽くしましょう」みたいなことを言って、それが慈悲心のように思いこんでいる人間も世間には居るのですが、それは大間違いですね。

 

すべてのお釈迦様の教えは自分で自分を救うために言っているのです。言い換えると自分で自分を救える人間になるトレーニングが修行なのですね。人を救うトレーニングが修行ではないのです。今回仕事で「令和の改革」をしたのも、私自身、自分で自分を救えるようになれたかなと思ったので実行したのですね。決められた修行を終了すれば、「自分は救われた」と思い込んでいる人間も居ますが、そんなことはありません。

 

お釈迦様が言うように本当に自分で自分を救えるようになると、他人も全く自然にそして簡単に救えるようになることを毎日の仕事を通して身をもって分かりました。だから改革を行ったのですね。いくら決められた修行を終了しても、目の前にのたうち回っている人が来てその人をその場で救うということはできません。

 

「まずは正しい修行を続けて、だんだん心が素直になっていって・・・・そしてその時あなたは救われるのですよ。」と観念で言うかもしれませんが、今のたうち回っている人にとってはそんなこと言われても屁のツッパリにもなりません。その場で具体的に痛みをとって、その人を客観的に救うことが真に「救う」ということです。本当に自分で自分を救える力が出てくると、こういうことが自然にできるものなのだということがよく分かりました。

 

修行の観念で「自分は救われた」と思いこんでいる人間は、そういう相手には「病院に行け」と必ず言います。自分で何とかしようという気はさらさらないのです。まあまあ元気な人に対して、観念で「修行で救われるのだ。ふにゃ~」と言っている分にはいいのですが、本当に今、具合が悪くて困っている人が来ると実際はやりようがないのです。しかし私のところに全国から来る人は病院では治らなかった人がほとんどなので、そういう理屈は通らないのですね。

 

「まずは自分で自分を救えるようになる。すると自然に周りの人も救われるようになる」というのが真のお釈迦様の教えであるのだと私は思いますよ。修行の観念ではなく、真の意味で自分が救われていない人間がいくら偉そうなことを口で言っていても、立派にそして厳かに儀式を行っていても、人を救うことはできないのです。それがそいつが本物か、偽物かを見極めるよいガイドラインですね。

 

そういう意味で高野山の開祖、弘法大師などは不思議とも言える力で困っている人をその場で救い、人々の健康を願ってあちこちに湯治のための温泉を開き、本当にすごい人だなと思います。真に人を救えない人間は口で仏教や禅の難しい言葉を使いながら、何もできない自分を繕うように色々理屈や能書きを言い始めます。

 

とりあえず、自分の心の平穏のために心のトレーニングをすることはより良い人生を拓いていくためには本当に大切なことです。「人ではなく自分を見よ。そして自分で自分を救え」ですね。真の意味で自分を救えるようになると、私が毎日仕事でやっているようなことが簡単にできるようになります。

 

ブログを書いている途中で近くの曹洞宗のお寺に除夜の鐘を突きに行ってきました。境内には竹灯籠がいっぱい灯され、灯篭の中でゆらゆら光るろうそくの灯で映し出される風景がとっても幻想的で綺麗でした。

 

そして集まった同じ地域に住むアメリカ人の人達と甘酒を飲んで盛り上がってきました。まあ私の長男も一緒にみんな英語で盛り上がっていたので、田舎の禅寺の大晦日としてはとっても異例なことだったと思います。一年の締めくくりとして楽しい大晦日になりました。もうすぐ新しい年になりますが、新年が皆さんにとって、そして私にとって幸せな年になりますようにと願っています。

 

合掌

 

仏光

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「人のことは見るな。自分のことを見よ。」

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もう年末で私の療法院は29日から正月休みになるのですが、私は30日まで仕事がいっぱいあります。元々歳をとるにつれて忙しくなりたいと願っていたので、まあその通りになっているのでいいのです。ただジムも休みなので、正月休みは5日間完全に身体を休めようと思っています。何のトレーニングもするつもりはありません。

 

去年の正月休みは、休みに入ったその日に痛風を発症して痛みと戦いながら正月を過ごしていました。その痛風も薬一つ飲まずに自分で治しましたが、筋トレのやりすぎが原因だったと分かった時はちょっとショックでした。それもトレーニング時のクエン酸の摂取とか、食事の工夫でこの一年間トレーニングをガンガンしながら尿酸をコントロールして無事に過ごす事ができました。

 

失敗は成功の元で、食事の管理をはじめ、トレーニングの方法などかなり研究して、結果的にはそれまでより断然筋肉が発達しました。今も時間があればトレーニングの方法や食事などを研究しています。ただ知識を得るのではなくて、実際に自分の体で一定期間試して、その結果を検証して、また改善を行うという、全く工場の品質管理のサイクルと同じです。自分の体の品質管理ですね。

 

常に自分を進化させていくというのは、体だけではなくて何事にも大切なことだと私は思っています。私は62年かけてここまで自分を変えていったのですが、これで満足かと言うと全くそうではありません。やればやるほど自分の至らなさが見えてきて、本当に嫌になる時があります。また長く生きれば生きるほど嫌な事、腹が立つことも経験しなければなりません。

 

ただ若い頃との違いは、その時々は心が乱れてもすぐに冷静になることができることです。これは「心に怒りの火をつけない」など、今まで逆風の中で自分の身に付けていった智慧のお陰だと思います。これはこれで私にとっては進化なのですね。この進化を可能にしたのは、毎日の瞑想修行と、仏道を勉強する事によって得た知識を普段の生活の中で実践して自分のものとしてきた結果だと思います。

 

何事も知識だけでは何の変化もありませんが、実践と、結果の検証と、改善の連続で自分が進化するのです。私は自分を進化させようと思っていますが、自分の進化などどうでもよい人は何もこんなしんどい事はする必要はありません。トレーニングと同じで、自分の身体を鍛えたい人はそうすればよいし、鍛えたくない人は何もする必要はありません。それなりの人生が自分に返って来るだけの話です。どちらを選ぶかはその人の自由です。

 

ただ今の私が絶対にしないのが、周りと自分を比べることです。周りと自分を常に見比べながら「まあこんなものでいいかな」というところで安心するような事が私の中には全くありません。常に自分との勝負のみです。これもお釈迦様から学んだ智慧ですが、お釈迦様は「人が何を言ったか、何をしているかなど見る必要はない。自分が何を言っているか、何をしているかを見よ」と教えています。

 

わたしは本当にこれは真理だと思います。この真理の実践が心の平穏をもたらすのです。人のことを気にすると心は乱れるものです。多くの人は「自分がみんなからどう思われているか?自分のことをどう言われているか?」などと心を自分以外の他人に向けて、「ああでもない。こうでもない。」と思い悩んで自分の心を乱しています。

 

そういう無駄なことはしないで、自分の言動のみに心を向けると心は落ち着いていきます。人のことを考えると嫌な事や腹が立つことも多いし、場合によっては嫉妬や妬みの感情も出てくることがあるでしょう。でもこういうことは人生では全く無駄なことなのです。その人が自分のことをどう思っているかなど、その人の勝手です。自分は変えることができても、人を変えることはできません。常に自分がベストで生きていれば人のことなど気になりません。何を言われていようとも、そんなことはどうでもよくなります。

 

世の中の人間は可愛そうなほど自分のことはさて置き、人の話や悪口やうわさをしますが、その間自分の人生の時間をどんどん無駄にしているのですね。そういう他人の話が大好きな人が世間には多いのです。人の事を何だかんだ言う人間は、「自分も人から何だかんだ言われるのではないか?」と戦々恐々として毎日を過ごします。とりあえず自分は歳をとってもそういう人間にはならない事ですね。それが心の平穏をもたらしてくれます。

 

まあそれも人それぞれですけれども、私は人のことなど全く気にしませんね。世の中には「分かっているけれどもどうしても気になって気になって・・・ふにゃ~」という人が大変多くいます。可哀そうに自分の人生ではなくて、他人に見られてどうなのかという人生を一生をかけて送るのです。

 

私には人のことなど気にしている暇もありません。これも歳をとるほど忙しくなって欲しい理由の一つです。忙しいと無駄なことに心を向けることがありませんから。とりあえず今年の正月は病気にならないように気を引き締めて自分自身に気をつけます。「人のことは見るな。自分のことを見よ」ですね。

 

合掌

 

仏光

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心からイメージすると実現する

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先週の金曜日からかなり一生懸命筋トレをしたら、昨日はさすがに筋疲労がピークに達して午後は眠くなりました。昼寝をしても充分ではなく、夜はさっさと寝ました。お陰様で7時間ゆっくり寝て体がかなり回復しました。今日も予定通り背筋と広背筋のトレーニングがハードにできました。筋トレをしている時は筋トレの事しか考えていないので、坐禅や瞑想と同じような効果が私の脳に現れるのが分かります。

 

もちろん筋トレは坐禅や瞑想より肉体的には苦痛を感じるので、脳の中でモルヒネが分泌されると思います。これは苦痛をやわらげる人間の脳に備わった一つの機能です。ランナーの人が苦しくなると脳内のモルヒネの分泌によりランナーズハイになるように、筋トレも脳がハイの状態になるのですね。だから筋トレが終わると身体は疲れるのですが頭がスッキリします。

 

これも私が筋トレにはまる原因ですね。さあ何時まではまるのかが楽しみです。基本的には死ぬ前の日まで筋トレをしているというのが私の目標です。もちろん仕事も修行も死ぬ前の日まで続けるのが目標です。もし明日私が死ねば、今日も筋トレと仕事と修行をしているので私の目標は達成になるのですが、今のところ明日も私は生きていそうなので、生きている限り私の目標に向かって毎日を生活して行くことになります。

 

私は人生に「人生の目標」は必要だと思います。目標が無ければ目の前のことばかりに心のエネルギーを使って、一生としてはあっちにフラフラこっちにフラフラしながら時期が来れば死ぬことになります。まあそれもその人の自由ですが、もし自分なりに一生を通して何かを達成したいと思うのであれば、目標を持つことが必要最低条件になります。

 

目標が無いと達成するものも無いので、人生をその場その場で生きていくことになって寿命が来たら死ぬという事になるのですね。私は自分の一生を通して達成したいものがいくつもあるし、そのために毎日の生活を工夫して暮らしていくのが好きなのですね。

 

しかし60歳を越えて筋トレにはまって、これほど運動生理学や栄養学、生体化学反応をもう一度勉強するとは思ってもいませんでした。大学生の頃よりよほど真剣に勉強しています。仕事も忙しいのに自分でも「本当にご苦労さんなことだなぁ」と思います。でもそれが楽しいのだからしょうがないですね。

 

私はもし自分が100歳まで生きたとしたら、自分の姿も含めて自分がどのようになっているのかを頭の中でイメージして映像化しています。イメージしている100歳の自分は筋肉が発達していて、身体にしわが無く、髪の毛もふさふさしています。そして普段と変わらず仕事をして修行をしています。こういうイメージを脳でしていると体も生理学的に反応するみたいです。

 

これは新しい発見なのですが、先日私の頭をやってくれている美容師さんが、「毛根が増えて髪の毛が増えています。」と言っていました。だからカットするより髪の毛をすく方がに時間がかかるそうです。実際自分でも髪の毛が増えたと感じていました。普通は年齢に伴って髪の毛が薄くなるのですが、私はその反対の事が起こっているのですね。

 

それから私の視力なのですが、両目とも1.2以上あって老眼になっていません。だから私は未だに老眼鏡を使うことがありません。明るい太陽光の下では、クレジットカードの裏に書かれている細かい文字が裸眼で読めます。私の同級生には白内障の手術をしている人が居るのに、私の目はありがたいことに若い頃と同じですね。

 

一番イメージ通りにこの歳になって発達しているのがやはり筋肉ですね。筋肉はいくつになっても発達する事は知っていましたが、まさかここまで発達を続けるとは思っていませんでした。そしてもっと発達させるために色々工夫しているのです。それは筋トレのフォームやセット数、レップ数、重量、種目、食べ物、休養など多肢に渡ります。この工夫が私のイメージを実現させてくれるのですね。

 

 

私は自分で薬一かけらも飲まずに自分の糖尿病と高血圧と痛風を治しましたが、その時も病気が治って元気にしている自分を頭の中でイメージしていました。すると病気があっという間にイメージ通りに治ったのです。だから人間には限りない可能性や能力が秘められていると思いますよ。私の場合は、慌てて病院に行く必要など全くありません。

 

同じ頭の中でイメージするのであれば、できるだけ良いことをイメージすればいいのです。多くの人は「ああなるのではないか?こうなるのではないか?」と不安と共にろくでもないことばかりを頭の中でイメージしています。それが老いる原因の一つだと思います。どんなにイメージしてもどうせ遅かれ早かれ死にますが、死ぬ直前まで元気満々で生きることも自分に秘められた潜在能力を使うと可能だと思いますよ。

 

自分に備わった力を真摯に信じて、自分がなりたい良い状態をいつも頭にイメージしながらそれに向かって毎日の生活を営む事が、結果的には充実した自分が納得できる人生になるのだと思います。もし私がイメージした通りの100歳になれば、世界中に私の人生のメッセージを100歳になっても若い私の姿と共に発信できる事になります。

 

最近分かってきたことですが、この心からイメージする力が正しい瞑想をする事で養えるのですね。例え明日死んでも私は私の人生に満足で何の文句もありませんが、100歳まで生きてみるのもいいなと思います。さてどのような人生になるのかこれからが楽しみですね。毎日に張り合いがあります。これも毎日の瞑想修行のお陰だと思いますよ。ありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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令和の改革

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今日の昼休みは思い通りの筋トレができて、とっても嬉しかったです。昨日の夜から大胸筋のダンベルプレスの重量を一段階上げようと思っていて、ちょっときついかなと思ったけれども、今日は最初から思い切って上げてみました。すると思っていた通りに10回4セット、合計40回挙げることができました。もちろん正しいフォームで胸を開いてゆっくりとダンベルを挙げていきます。

 

これは随分大胸筋に効いたと思います。今回は片手34kgのダンベルで両手68kgでやりましたが、来年中にはあと4kg上げて正しいフォームで片手40kg(合計80kg)のダンベルで10回4セットのダンベルプレスをするのが目標です。まあジムにあるダンベルで一番重たいのが40kgなので、まあそのジムでそれ以上はできないのですね。

 

そこまでできれば上出来かなと思います。さすがに今日は大胸筋が痛いと言うかだるいですね。これでまた筋肉が発達する事でしょう。このようにイメージしたとおりのトレーニングができるとすごく充実感と達成感があります。これが好きで一生懸命筋トレをしているのかもしれませんね。ただ怪我をしないように慎重に使う重量を上げていこうと思っています。

 

さて、今年の仕事ももうすぐ終わりますが、今年は今まで築いてきた仕事の成果を一旦自分である意味壊して、新しい方向で仕事を始めた記念すべき年です。丁度元号も「平成」から「令和」に変わり、新しい時代にふさわしい仕事の改革であったと思います。今まで無痛自律神経療法で生理学的に築いてきた回復の成果をある意味捨てて、お祓いによる回復に重点を置いていったのです。

 

それは毎年5000人近くの人を診てきて、霊障がある場合はそれを取り除かないと本格的な回復が無いということが分かったからです。元々私のところには病院で回復しない人が来ていますので、元々病院で回復しない原因が霊障である可能性が高い人が来ているのです。霊障が原因の場合、あまりにもあっさりとすぐに100%回復するので、この分野を深めていこうと思ったのですね。

 

今年の症例で印象的だったのは、原因不明であごの骨が腐っていく病気になった水道工事屋さんの人が来たことです。病院で腐っているあごの骨を削る手術を二回したのですが、それでも回復しません。もちろん病院では原因が何かなのも分かりません。ただ対処療法で腐ったあごの骨を削っているだけです。その人は病院では埒が明かないので私のところに来られたのですね。私のところでお祓いや手当などをして一時は随分よくなったのですが、ある日全く元に戻ってあごの痛みと腫れが出てきました。

 

私は不思議に思い、「今日は痛くなる前に何処に行ってきましたか?」と聞きました。するとある新築の住宅現場に行ったら痛くなったと本人が言います。そして持っていた手帳を調べ始めました。するとあごが痛くなり始めたのが、その新築現場にはじめて行った日からであることが分かりました。そしてその現場は元々古い家が建っていて、そこに居た老人男性が独居死して、その家を解体して更地にして新築の家を建てたという事も分かりました。

 

手帳を見ると毎回その現場に行った後であごが腫れて痛くなっています。しかもその新築の家を建てた大工さんはガンを発症して病院に入院したとのことでした。私はこれでこの不可解な病気の原因がその新築現場に関係する霊障であることが分かりました。私は早速その人を連れて新築現場に行って、その場のお祓いをしました。

 

それからその人のあごは一挙に回復しました。先日病院での検査があったのですが、ちゃんと回復しているのが確認されました。これは私にとっても大変よい勉強になりました。霊障が原因であっても、その霊障の根本原因が何処にあるのかまで突き止めなければならないのですね。ただ私のところに来た人を療法院でお祓いしているだけではダメなのです。

 

それで家や土地などをお祓いに行く事になったのです。今はほとんどの休日を使って要請のあった家や土地や会社のお祓いをしています。まあ一般に言う「休み」などというものは無いのですが、私はそれで結構です。休みが無いから疲れるということもありません。どうせ家でボサーっとしているのならば、私の力を人様の役に立つように使っている方が良いのです。

 

このような仕事の改革によって,私のところに来る人も変わってきて、もちろん捻挫や肉離れなどは無痛自律神経療法で日本最速で回復させますが、今は圧倒的にお祓いが必要な人が多くなりました。これは仕事の改革だけではなく、私の人生の改革に繋がりそうです。

 

もちろん今は常識良識に基づいた日本の良い子の皆さんは、霊とかお祓いとかを胡散臭い怪しいものとして社会的に葬り去っていかなければならない事になっていますが、私はその常識良識をこれから観念ではなく、現実的な結果によって変えて行きます。目の前で起こることは本人の状況も含めて現実です。また私のところで回復した人は喜んでお祓いの結果を証明してくれます。これが強みですね。

 

そういう事を考えているとなんだかワクワクしますね。療法院に来る人も今までよりもっと増えて、大変忙しくなっているので、今のところ令和の改革は正しかったと言えます。私にとって令和元年は本当に改革の年になりました。令和二年はもっとこの分野の仕事が発展していく事でしょう。そのためにも首都圏をはじめセミナーやお祓いに出て行こうと思っています。本当にこれからが楽しみですよ。頑張りますね。

 

合掌

 

仏光

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