仏光さんの心の相談室
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本物の自利利他(じりりた)とは?

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昨日の日曜日は、友達とサイクリングに行く予定でしたが集合場所で雨が降り出して、雨雲レーダーを見たら午前中すごい雨が降る予定になっていました。で、とりあえずその日のサイクリングは止めにしたのですが、雨雲レーダーでは北の方がまだ雨雲が少なかったので、友達と別れた後、私は1時間くらいの予定で北の裾野方面にヒルクライムに出かけました。

 

「雨が降ってもいいや」と思って走っていると、逆に雨が止んでそのうち薄日が出て来ました。「これはもしかして」と思って、今里というヒルクライムの目的地に着いてから、元々走ろうとしていた函南町から熱海に通じる熱函道路の急坂の登りに挑戦することにしました。

 

一体あの雨雲レーダーは何だったのだろうと思うくらい、雨が降りそうな気配はありません。どんどん走って行って、結局熱函道路の先の私の自宅のある山まで走りました。そこで昼食を食べた後、またゲストハウスまで戻りました。

 

雨で走れないと思っていたのに、その日は雨が降る事も無く、熱函道路道路の急坂を含む73kmを走ることが出来て嬉しかったです。午後には仕事が入っていたので、シャワーを浴びて気持ち良く仕事に取り掛かることが出来ました。やはり継続は力ですね。急坂を自転車で登って喜んでいるのだから、随分強くなったものだと思います。

 

さて継続は力なりの話ですが、私の所には病院などで症状が治らなかった人が多く来られます。でも私の所ではお祓いや手当療法、また無痛自律神経療法などで症状がすぐに改善します。そこで病院に通っていたのに一向に症状が治らないのは、霊障が原因だったと皆さん気付くわけです。

 

まあ今までずっと具合が悪かったのが大体その場で良くなるのだから、本人が一番霊障が痛みや不調の原因であるという事を身をもって実感するのです。でもその時は症状が劇的に改善しても、霊を引き寄せやすい本人の体質までは変わらないので、また放っておくと以前ほどでなくても、色々な問題が霊が憑依することで起こるのです。

 

そこで私はお祓いのメンテナンスを推奨しています。もちろんしょっちゅう来る必要はありません。元々の症状にもよりますが、多くは月に一回とか二カ月に一回くらいで、霊障に対する耐性が上がって行きます。

 

これは比較的最近分かってきたことです。どんな人もメンテナンスをしていれば、霊に憑依されたとしても痛みや不具合などの心身の症状が殆ど出なくなります。元々病院に通っても治らなかった症状で来ておられるので、メンテナンスをするだけで365日快適に過ごせるのは安心につながります。

 

多くの人がメンテナンスに来たら、「先生もうどこも痛くありません。」とか「調子がいいです。」と言うのですが、いざお祓いをしてみると私にいっぱいげっぷが出て、その人が霊を憑けているのが分かります。

 

終わると皆さん押しなべて「ああ体と頭が軽くなった!」と言われます。これで霊が憑依していても、今迄みたいに体に症状となって表れないことが分かります。憑依されていても症状が出ないのだから、霊に対する耐性が上がったと言えるのですね。

 

数は少ないですが、中にはメンテナンスをしている間に霊を引き寄せやすい体質が変わる人も居ます。その場合はもうやたらと霊に憑依されなくなります。そしてメンテナンスをしている人は、多くの場合運気が霊障で悩んでいた頃と比べると良くなります。

 

物事が比較的スムーズに運ぶようになるのですね。私はこういうメンテナンスは、下手なサプリよりよほど体に良いと思っています。もうむやみに前みたいに具合が悪くならないと分かると、それが安心感となって、今までと違う良い人生を引き寄せて行くのです。

 

これは電話お祓いでも同じで、定期的に電話お祓いをしている人は霊に対する耐性が上がり、てんかんをはじめ色々な症状が殆ど出なくなります。遠方に居て定期的に電話お祓いする人も最近急に増えてきました。

 

私は図らずも、こういう力を持つことが出来て本当にありがたいと思います。多くの人の笑顔が私の原動力になります。人のためにすることは、引いては自分のためになるのです。これが仏教で言う「自利利他(じりりた)」なのですね。

 

人や本から学んだ知識で言う観念上の自利利他ではなくて、具体的に体が良くなるという現実的な結果を持って唱える「自利利他」が、私は本物の「自利利他」だと思います。これからも私の人生が自利利他で進んでいくことを心から願って毎日精進して行きます。

 

合掌

 

仏光

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潰瘍性大腸炎とクローン病が回復した!

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最近は天気も良くて、毎日思いっきりロードバイクのトレーニングができて幸せです。朝は仕事前に修善寺まで狩野川沿いを走るか、駿河湾沿いに田子の浦港まで走るかのどちらかです。両方とも同じ往復50kmなので、その日の風力と風向きで行き先を決めています。

 

昼もいつも通りにヒルクライムの練習が出来ているので、一日平均で75kmの距離が走れています。今度の日曜日は午後に少し仕事をする予定なので、午前中に友達とサイクリングに行く予定です。

 

もっと仕事もしたいし、自転車にも乗りたいのですが、これでは一日の時間が足りません。こんな調子だと私の人生はあっという間に終わってしまいそうです。そして私はそれで結構です。生きている間は生きて行くのに色々な事を出来る限りやりますが、この世に何の未練も無いので、何時私の人生が終わってもそれはそれでいいのです。

 

だから自分の体調管理のために血液検査を一年に3回自主的にしますが、レントゲンを撮ったり、内視鏡で胃や腸を覗いたりするがん検診の類は一切やりません。ましてや肺炎をはじめとするワクチンの類は一切打ちません。死ぬ時は死ねば良いと思っています。

 

でも私の免疫力が結構上がっているみたいなので、風邪一つ引きません。お陰様で毎日ガンガントレーニングができて幸せです。まあ免疫力が低ければ月に1800kmもロードバイクで走れませんからね。ありがたいことです。

 

さて、先日私の所に首肩の痛みで2か月に1回来ている中年の女性が30年間患っていた病気について話してくれました。私は知らなかったのですが、彼女は潰瘍性大腸炎を若い頃から患っていたらしいです。

 

以前にも何回か来ていたのですが、その病気については何も聞かされていませんでした。ところが先日久し振りに私の所へ来てお祓いと手当療法をして、その2か月後、私の所へ来た時に潰瘍性大腸炎の症状が全くなくなったことを教えてくれました。たぶん私のパワーがまた上がったのだと思います。

 

30年ぶりに難病とされている潰瘍性大腸炎が良くなって、本人は大喜びされていました。先月自宅を改造してレストランを始めたそうですが、それもなかなか好調らしいです。「本当に先生のお陰です」と随分感謝されました。

 

元々一生懸命まじめに生きてきた人なので、そういう人生が拓けても私は当然だと思います。以前にも埼玉県からこれまた難病のクローン病を患っている20代の男の人が来ていましたが、それもほんの数回の施術ですっかり良くなりました。

 

その頃はお祓いなどやっていなかったので、痛いと言っていた右下腹部に私の手を当てる手当療法ですっかり良くなったのです。クローン病は消化器官に次々に潰瘍ができて、病院から支給される液体栄養しかとれないし、それでも潰瘍ができて腸管を切って行くみたいです。

 

そして遂には死に至る病気らしいですが、その若い男に人は完全に良くなって本当に良かったと思います。「餃子でもカレーでも何でも食べられる!」と喜んでおられました。

 

これで人生が完全に変わりましたね。私はもっとこういう仕事をしたいのですが、世の中にそれほど難病の人が居る訳ではないので、なかなかそういう機会は巡って来ませんね。

 

でも、てんかんやぜん息なども、ここで一回直接施術をした後は電話お祓いだけでも良くなっていくみたいので、遠方の方には喜んでもらっています。何故私にこういう力があるのか理由は分かりませんが、この力を使って「本当に困っている人を助けなさい」というのが天の意思だと思っています。

 

そういう困っている人と数多くのご縁が出来るように毎日願っています。だからYouTubeも始めたし、今度はインスタグラムも始める予定です。私はこういう人生をこの歳になって過ごすことが出来て本当に幸せ者だと思います。

 

これからももっと与えられた自分の力を使い切るように生きて行きます。それが今の私の願いです。そういう日々が私が生きている間はずっと続きますように!それが悔いの無い人生だと思っています。ありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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神様のお出迎え

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日曜日はまた孫たちを連れて、狩野川沿いの守山公園まで往復28kmの自転車トレーニングをしました。でも孫達との集合時間前に、私は裾野方面に20kmのヒルクライムトレーニングをしておきました。そうでないと孫達と一緒では私のトレーニングになりませんから。

 

二人とも結構しっかり走っていました。帰りにお友達のぷらちゃんcyclingという自転車系ユーチューバーと出会って、何時ものように彼の動画にちょこっと参加してきました。私は動画の中では「キング」と呼ばれています。お陰で時々知らないサイクリストから「キングでしょ」と声を掛けられます。

 

彼はなかなか有名らしくて、ユーチューバーとして自転車動画で日本のトップ7に入っているとプロショップの店長が教えてくれたことがあります。まあそんなことは私にとってはどうでもよいことですが、大事なのは彼と彼の友達の八兵衛さんといつも一緒に楽しくプロショップのライドに参加していることです。

 

さて、今日の朝は富士山のオオヤマツミノオオカミの今月分の神社のお祓いに行って来ました。いつものように神社の祠に憑いている邪気を払って、それから反対側の森の中にあるオオヤマツミノオオカミの場所に行って参拝した後、何時ものようにご挨拶をして来ました。

 

今回もオオヤマツミノオオカミは音声ではありませんが「ありがとうございます」と言っていました。私が剣山から帰って来てからオオヤマツミノオオカミの神社は様子がすこし変わりました。

 

オオヤマツミノオオカミの言葉使いが変わったのと、いつもその年の初めに行く時には、神様の使者である鹿が1頭か2頭出てくるのですが、先月今年初めて行った時には1頭も出て来ませんでした。

 

でも今朝は、富士山のふもとからちょっと上がった林道の脇に既に鹿が立っていました。「ああ今年も出て来てくれた」と思ったのですが、その鹿は私の車が近づいても逃げようとしません。じっと私の方を見ています。ぶつからないように車の速度を落として通り過ぎました。

 

しばらく行くと今度は二頭の鹿が道端に立って私の方を見ています。今度も逃げようとはしません。速度を落としてそこを通り過ぎる時に、その内の一頭が車に近づいて来て接触しそうになりました。私は「これはもしかしたら私のお出迎えにこの鹿たちは出てきているのかな」と思いました。

 

結局山神社に着くまでに、合計6頭の鹿にお出迎えしてもらいました。こんな経験は私も初めてです。神社のお祓いが終わって帰る時にもまた違う場所で違う鹿が道端に出ています。そして同じように私の方を見て、車が近づいても逃げないのです。

 

今度はお見送りなのですね。そして帰りも合計6頭の鹿にお見送りしてもらいました。だから行きと帰りで合わせて12頭の鹿にそれぞれ違う場所で会いました。不思議だけれども、何かとってもよい気分になりました。

 

とにかくオオヤマツミノオオカミが一生懸命私のおもてなしをしてくれているように感じます。これはとってもありがたいことですね。いつものように「また来月も来ますね」と約束をして帰りました。

 

考えもしない不思議な事が、私の周りでは色々起こりますが、私はこういう毎日が大好きです。驚くと同時に何か感謝の念が湧いてきます。今日も大変良い日でした。明日の朝は今日の朝の行けなかった分も自転車で走りたいです。

 

そうなると朝から100km走らなければならないので時間的に無理だけど、思いっきり飛ばして走りたいと思います。明日の朝は、狩野川の堤防でいつものよういキジがお出迎えしてくれることでしょう。今から楽しみです。

 

合掌

 

仏光

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老後を幸せに生きる人、不幸せに生きる人

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昨日は雨で室内のローラートレーニングでしたが、今日は雨も上がって朝からいつものように修善寺まで往復50kmの自転車トレーニングをしてきました。昼休みは登りの練習をしました。

 

自宅がある山まで往復40kmのヒルクライムトレーニングです。やっぱりトレーニングをすると、身体がシャキッとしてとってもいい気分です。お陰様で今日は90kmも仕事をしながら走ることが出来ました。

 

さて、世の中には老後を子供に見てもらう事ばかりを気にして生きている中年以降の年配の人が結構います。自分が動けなくなった時に誰か自分の面倒を見てもらう人が必要だと、今から心配しているのです。

 

そしていい年をした子供に家を建てる資金などの援助をするのです。要するに「老後は俺の面倒を見ろよ!」と子供に資金を出すことによって貸しを作っているのですね。驚くことにこういう人間が結構世の中には多いみたいです。

 

私はこういう年寄りを見ると、「可哀そうに」と思うようにしています。まあ私と同じ年代になると、こういう人間が周りに出てくるのですね。確かに私は私の両親の老後の面倒を家族として見ましたが、それはそれまで両親はちゃんと生活できていたのに、母親ががんになったからです。

 

その頃私はまだ会社のサラリーマン役員をしていましたが、両親を家に呼んで近くのがんセンターに行くようにしたのです。呼んでと言うより、私の家に二人で転がり込んできたと言った方が的確かもしれません。

 

結局母親はがんにより74歳でなくなりました。そしてそのあと父親の世話が待っているわけです。私の父の世代は、「長男が親の面倒を見るのは当たり前」と思っている世代なので、父親には何の問題意識も無く長男である私と私の家族が父親の世話をすることになりました。

 

まあ父親も83歳で亡くなりましたが、そういう経験を通して、私は自分の子供に私の世話などして欲しくないと普通に思います。年老いた親の世話をするのは子供にとって大変な負担になるのが自分の経験を通して分かっているので、そういうことを自分の子供に押し付けようとは思いません。

 

実際子供に負担を掛けたくないと言う年配の人も多いです。私はそれが普通の感覚だと思います。まだ元気なうちから将来自分が老いて衰弱することを念頭に置いて、子供に対し色々な工作をするのは愚の骨頂ですね。

 

そんなアホな事を考えたり実行したりしている暇と金があるのなら、今から死ぬ前の日まで自分がちゃんと歩いて、自分で自分の世話が出来るように自分を鍛えるべきです。

 

先日私の長男が自転車で、私が時々トレーニングで使っている熱海峠までの旧道を上ったらしいです。しかし上りだしてから2kmくらいで心が折れて帰ってきたと言っていました。

 

息子はまだ39歳ですが、私が普通にトレーニングで上っている10km以上ある熱海峠までの激坂を若い息子は2kmくらいしか登れないのです。もちろん息子がトレーニング不足なのですが、私自身、私が30代の時にこの激坂は自転車では登れなかったと思います。

 

私は自分が息子より体力が上で頭が正常であれば、息子の世話になることは無いので、死ぬ前の日までトレーニングと仕事を続けます。これが結果的には相手に世話をかけない、相手を慈しむ愛情につながるのですね。

 

考えているとか口でで言うだけではなくて、毎日の実践を通して体を鍛えるのが引いては子供のためになります。鍛えるだけではなく、食事をはじめ健康管理も大切です。

 

将来自分の世話をして貰う為に子供に住宅資金などを出しているのは、愛情でも何でもなくて親の自我であり執着です。そして「家族だから…」という甘えから出て来る心の悪です。「育ててやったから、俺が歳をとったら面倒を見て借りを返せ」という表面には見えない、また本人すら認識していない潜在的な親の意識は本当の悪ですね。これは取引であり、親の愛情でも何でもありません。

 

歳をとってから、そういう親の犠牲になる子供とその家族は可哀想です。本物の愛情は相手を慈しむ気持ちですね。まあ私の場合は歳をとってからの事だけを毎日考えて自転車トレーニングをしているわけではなくて、ただ好きだからやっているだけなのですが、結果として私が年老いて子供の世話になる可能性はかなり低くなりました。

 

私が将来にわたって頼りにしているのは、子供ではなくて自分自身です。人はとりあえずこうあるべきだと思います。これが本当の意味でお釈迦様が説いている「自灯明、自分を頼りに生きていけ」ですね。「子供を頼りに生きて行け」などとはお釈迦様は言っていないのです。

 

特に障害も無いのに、トレーニングも健康管理も何もせず「歳をとったらこんなになっちゃいました~!お世話してくださ~い。」ではなくて、年老いてからも自分で自分を鍛えていくのが「自灯明」の極みだと私は思いますよ。ここが年老いても自分と自分の周りを含めて幸せに生きる人と、自分も周りも不幸せになる人の違いですね。死ぬまで人生は「自灯明(自分を頼りに生きていけ)」です。

 

合掌

 

仏光

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執着と愛情の違い

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昨日の日曜日は、朝8時半からお兄ちゃんの方の孫を連れて田子の浦港までロードバイクトレーニングをしてきました。お兄ちゃんは今小学6年生で、田子の浦港まで孫の家からだと往復45kmあるので、孫の様子を見ながらそこまで行けるかどうか判断しようと思って走り出しました。

 

ライドの安全に必要な基本的なハンドサインは教えてあります。最初からまあまあのペースで走っているのに、きちっと私の後ろに付けて走っているので、「なかなか上達したな」と思いました。風が弱かったので、田子の浦までのコースは海辺の堤防の上を走りました。

 

天気が良く、駿河湾の海は穏やかでとてもきれいです。私は目的地を孫に伝えずに走りだしましたが、孫は海辺を走って喜んでいました。しばらく走っているとさすがにどこまで行くのか不安になって来たみたいで「どこまで走るの?」と自転車に乗りながら聞いて来ます。

 

目的地近くだったのですが、「ちょっと休もうか?」と言ってロードバイクを停めました。そこで持ってきたプロテインバーを二人で1本ずつ食べて5分ほど小休止しました。先に田子の浦港にある工場の煙突が見えていたので「あそこまで走るのだよ」と言ってまた走り出しました。

 

そこからはほどなく目的地に着いて、トイレ休憩をしてまた来た道を今度は沼津港に向かって走りだしました。帰りはもっとペースを上げて走ったのですが、小学6年生にしてはしっかりついてくるのでちょっと感心しました。

 

45kmを走って孫の家の近くで別れましたが、分かれる前に「今日はとっても良い走りだったよ。いい素質がある。じいじは感心しました」といっぱい褒めてあげました。またこれからも日曜日毎に時間がある時には一緒に走ることになりました。

 

その内プロショップのトレーニングライドに孫も参加させようと思っています。そのプロショップでロードバイクを買った人はみんな参加資格があるのですが、やはりレベルが高いので、それなりのレベルでないと皆さんの足を引っ張ることになって、初心者はなかなか参加しづらいです。

 

私が見ていて「これならいける」と思った時に孫と話して参加する予定です。たぶんそれには1年くらいかかるでしょうね。でもそこで私が孫の世話に一生懸命になるという事は全くありません。そこが普通のおじいちゃんやおばあちゃんと違うのかも知れません。

 

要するに家族であっても孫に対して私の中に執着が無いのです。来たら可愛がってあげるけど、だからと言って普段孫の事を思い続けるなどという事は無いのですね。よく「孫の結婚式に出るまでは生きたい」などと言っている同年代の人を見かけますが、私からするとさっぱりその気持ちが分かりません。

 

私の寿命と孫の結婚式は何の関係も無いし、今の私にとっては孫の結婚式などどうでもよいことです。そういう意味では執着が無いし、執着が無いとその分「苦」が少なくなるので楽です。反対に家に執着があると家で苦しむし、お金に執着があるとお金に苦しむし、家族に執着があれば家族で苦しむし、社会的地位に執着があると社会的地位で苦しむことになります。

 

これは執着と愛情とは全く違うものだからですね。人は愛情と執着をごっちゃにしてしまって、何が愛情で何が執着なのか分からなくなっている場合が多いです。だから「私がこんなに思ってあげているのに、あなたはもう・・・・・!」などと怒り出すのです。

 

家に対して執着ではなく愛情や感謝があると、家があることにより幸せになります。お金に執着ではなく、愛情や感謝があるとお金に困ることが無くなります。家族に対して執着ではなく、愛情や感謝があれば家族と一緒に幸せになります。自分が得た社会的地位に執着ではなく、愛情や感謝があれば、その社会的地位により幸せになります。

 

執着なのか、愛情と感謝なのかが「苦」と「幸せ」を分ける分岐点なのですね。だから溺愛とか渇愛とかは全部執着で愛情ではありません。ましてや感謝からは程遠いものです。それらは思い通りにならないと怒りの元となり、人を攻撃して自分も苦の境地へと導いていきます。

 

こういう人ばかりではありませんが、こういう人も多いのです。私自身気を付けていないと、何かに執着する思いが出てきます。愛するというのと執着するというのは、ある意味紙一重の所がありますね。

 

私は執着と愛情との違いを自分で判断するのには、そこに感謝の念があるかどうかで、執着なのか愛情なのかが分かると思っています。もし感謝の念があればそれは愛情ですね。執着に怒りや不安はあっても、感謝はありませんから。

 

だから自分の人生も、毎日感謝しながら過ごしていきたいものです。私も本当に気を付けないと物事に執着したりすると思います。今日も色々あるけれども、それなりに予定通り事が運んでいます。欲を言ったらきりがありません。昨日も今日もそして明日も、感謝して生きて行きますね。いつもありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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怒りの根源は自分の心の中にある

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毎日超順調に1日平均70kmの自転車トレーニングが出来ています。これ自体大変ありがたいことです。身体が健康だから出来ることなので、私は何時も健康であることを天に感謝しています。

 

今日も狩野川の堤防を走っている時に、雲の合間からまだ雪が残っている富士山が見えて、オオヤマツミノオオカミに「おはようございます」と挨拶したら、いつもは何の返事も無いのに、今日初めて音声ではありませんが、「おはようございます」と挨拶が返って来てびっくりしました。

 

色々な見えない次元からの助けで、「今日も自分は元気に仕事やトレーニングが出来ているのだな」と感じます。私がいつまで生きるのか分かりませんが、死ぬ直前まで仕事とトレーニングを続けていきたいです。

 

そういう毎日を送っている私ですが、突発的に不条理な目に遭ったり、過去の不条理な経験を思い出したり、自分が頭の中で想定する嫌な事を考えたりすると、どうしても怒りの感情が出て来て私の脳をハイジャックします。この怒りの感情をコントロールすることは、私の心の永遠のテーマなのです。

 

でも昨日、私の怒りの感情に対する大きな気付きがあって、それからだいぶ怒りの感情が出ることが無くなりました。それは私にとって大転換でした。普通怒りの原因は自分ではなく、自分の外にあると思っています。

 

「あいつがああゆう事をやりやがったから腹が立つ」とか、「こういう世の中が悪いんだ!」とか「まったくうちの旦那は…!」とか、自分の怒りの原因は自分以外の所にあると人は思っているのですね。

 

でも実はそうではないことに気付いたのです。私の怒りは常に私の中にあったのです。それはあたかもマグマのようにいつも心の中にあるのですね。そこに外的要因が加わると、それがきっかけとなって心の中に常に溜まっている怒りのマグマが噴出して来るのです。

 

だから「あいつがああゆう事をやりやがったから…」というのは、「あいつがやったのが原因で俺は怒っているのだ~!あいつが怒りの根源だ~」と自分では思っているのですが、実は「あいつがやりやがった」は、ただのきっかけであって、自分の怒りの本質ではないなのです。

 

だから心の中に怒りのマグマが無い人は、いくら普通なら怒るような外的なきっかけがあっても怒ることが無いのです。注意をすることはあっても怒るという事は無いです。ただ殆どの人は自分が育ってきた過程で怒りのマグマを心の中に貯めて行くので、何か外的要因が加わると怒り出すのです。

 

特に怒りっぽい性格の人は、心の中に溜まっている怒りのマグマの量が多いのです。だからちょっとしたきっかけで、怒りが外に向かって爆発するのですね。そういう怒りのマグマは子供の頃に何か怒らなければならない事、または怒りを抑えなければならない状況などがあり、心の中にマグマが溜まって行くのです。

 

私はこういう事実を知った上で、「自分の怒りのマグマの根源は何処に在るのだろう?」とその源を探すことにしたのです。でもこれはじっと考えて出てくるみたいなものではないのです。自分の心と向き合い、自分の心の中を一つ一つ探求していくのですね。

 

それには、自分の心と向き合う坐禅や瞑想が必要です。ただ間違えてはいけないのは、坐禅をしたから怒らなくなるという事は全くありません。

 

何十年も坐禅をしていて怒っている人間はいっぱい居ます。そして見られていることを意識して、本当は怒りの感情が湧いているのに怒らないふりをしている人も居ます。これでは意味が無いのです。怒らないというのと、怒りを抑えるというは本質的に違います。

 

実際は怒りの感情のメカニズムを知った上で、坐禅や瞑想を通して自分の心と真摯に向き合って、心の中を丁寧に探求していくのですね。私は朝のトレーニングの後、ゲストハウスで坐禅をしていて、私の心の中にある怒りのマグマの根源を見つけることが出来ました。

 

私の怒りの根源は、同居していた父方の祖父祖母が、私の母親をいじめていたことにありました。それを小さな私は見ていてお母さんを守りたい一心から、お母さんをいじめている祖父祖母に怒りを覚えていたのです。

 

しかし小さな子供だった私は、その場で祖父祖母に対して怒りを表すことが出来ません。それが小さな時から続いているわけですから、心の中に怒りのマグマがどんどん溜まって行ったのですね。

 

祖父祖母をはじめ両親ももう亡くなっていますが、私の心の中には小さな頃からの怒りのマグマがそのまま溜まったままだったのです。だから何か外的なきっかけがあると、それを理由に溜まっている怒りが噴出していたのです。

 

私の怒りの根源は、「こいつがこんなことしやがった」というようなその場の外的きっかけとは関係ないのですね。それはただのきっかけで、怒りは常に外ではなく心の中にあるのです。坐禅で自分の怒りの根源を見た私は涙を流していました。涙がほほを伝ってポタポタ私の膝に落ちて行きます。

 

私が小さい頃はみんなから名前を「しんちゃん」と呼ばれていました。私は心の中に居る小さかった頃の私に向かって「しんちゃん、もう大丈夫だよ。もう終わったのだよ。」と、小さいしんちゃんを抱きしめるようにやさしく語りかけました。

 

私はいつの間にか声を上げて泣いていました。小さかった頃の私はいじめられている母親を見ていて本当に辛かったのでしょうね。しばらくして涙が止まった時に、今まで味わったことのない爽快感と温かさを私の心に感じました。

 

その時の私の心の中には怒りの感情は微塵も残っていませんでした。私はここまで来るのに66年の生涯を費やして来たのです。今まで何かきっかけがあれば怒ってきたわけですから、心に怒る癖がついていて、すぐに怒りが無くなるという事は無いでしょう。

 

でも私はこの経験を活かして、もし外的なきっかけで怒りが出てきても、深呼吸をして自分の怒りをコントロールすることが出来ると思います。これからも、朝の坐禅のたびに私は私の怒りの根源を見つめ続けていきます。

 

怒りは自分の外にあるのではなく、自分の心の中にあるのですね。今のところ、この経験を通して私の怒りの感情は極端に少なくなりました。今日まで死なずに生きて来れて本当に良かったです。そうでなければ私は怒りのマグマを心に抱えたまま死ぬところでした。

 

生きてきたからこそ自分の怒りの根源を見つけて、それをコントロールできるようになったのです。怒りが少なくなり、これからの人生はもっと心が楽になるでしょうね。これはこれで楽しみです。本当にありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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モーゼのシナイ山と私の剣山

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先週の土曜日は、仕事がまあまあ忙しいのにもかかわらず、仕事前の朝の自転車トレーニングで修善寺までいつものように50km走って、昼休みは富士市の田子の浦港までまた往復50km走りました。

 

田子の浦港まで行った帰りは、駿河湾沿いの堤防の上を海のきれいな景色を眺めながら、平均時速30kmで走れたのでメチャクチャ気持ち良かったです。こういうトレーニングは頭の中にあるマイナスの感情やつまらない雑念は全部吹っ飛びますね。朝から晩まで仕事をしながら100kmのトレーニングが出来ることが分かりました。

 

私にロードバイクがあって本当に良かったです。昨日は友達と天城湯ヶ島までの登坂を走りました。そこには草餅屋さんがあって、天然のヨモギを使った美味しい草餅を食べることが出来ます。しかもサイクリスト割引きで1個110円です。

 

草餅をその場で網も上であぶってくれて、美味しいほうじ茶と一緒に出て来ます。これで110円は本当に申し訳ないです。しかも結構なサイズで一つ食べるのが丁度いいのです。ガンガン登り坂を登って後に、この草餅とお茶は最高でした。

 

私は友達と合流する前に、裾野方面にウォーミングアップを兼ねて15km走っていたので、この日は結局85km走ることになりました。でも朝7時半に私の療法院を出て、昼前の11時半には帰って来れたので、途中草餅を食べてゆっくりしていたことを考えるとまあまあの走行ペースです。

 

このように書くと私が一生懸命トレーニングをしているように思われるのですが、私は本当に楽しんでやっているだけです。最近はトレーニングを体の為とか心のためなどとは全く思わくなりました。ただ好きだからしている。それだけですね。

 

仕事をしながら1日100km走っても「ああ疲れた」という事はありません。それだけ私も強くなったのですが、さすがに夜になって夕食が終わるとバタっとすぐに寝てしまいます。そしてまた次の日は朝5時に起きてトレーニングが出来るのですね。本当にありがたい話です。

 

さて昨夜山の自宅で夕食後にネットフリックスで「何かいい映画が無いかな?」とサーチしていたら、ドキュメンタリー映画で「モーゼ」というのがありました。早速見てみると旧約聖書に書かれているモーゼという人物について詳しく理解することが出来ました。

 

これはシリーズもので、私が見たのは第一回のモーゼ誕生から、シナイ山で「イスラエルの民をエジプトの圧政から救い出せ」と神からの啓示を受けるところまでです。私は旧約聖書の知識は殆ど無かったので、結構勉強になりました。

 

ただちょっとぞくっとしたのは、誰も登らない荒涼たるシナイ山の頂上に明かりがあるのをモーゼが見て山に登って行った時の話です。その山頂の明かりはモーゼにしか見えないのです。

 

そこでモーゼは神からの話を聞くことになり、神との対話が始まるのですが、それが音声による会話ではなく、テレパシーのようなもので会話が成立しているのです。

 

しかも神がモーゼに「お前がイスラエルの民を導け」と言って、モーゼが「私は単なる羊飼いで、そんな力は私にはありません。」と言うのですね。でも神様が「私はお前を選んだのだ」とだけ告げるのです。

 

その辺りが、私が先日四国の剣山で経験したことと大変似ているのです。まず音声ではなく神様が話しかけてきたこと。そしてそこで神と私との会話が成立する事。

 

しかも神様に言われたことがあまりにも壮大で、「私にはそんな力はありません」とモーゼと似たような事を言いました。そしたら神様が「でも次はお前の番だ」と言ったのです。

 

そういう所もよく似ているなと思いました。モーゼの場合は色々問題が出てもその都度神が助けるみたいなことになっていました。私も剣山から帰って来て、明らかに行く前とは違うと思うし、何かと天が私を助けてくれていると思います。

 

今日も新規で来る人が3人居たのですが、みんな霊障で具合が悪くなっていて、霊を取り除くとみんなその場で良くなりました。私の力がまた違う次元で強くなっているのを感じます。

 

剣山から帰って来てから毎日こんな事ばかり起こっています。私にとっては大歓迎なのですが、その分私の責任の重さを感じます。私はこれで旧約聖書に書かれているほとんどの事は実際に起こったのだと思うようになりました。

 

今日は昼休みにあまり時間が無かったのにもかかわらず、超高速でまた田子の浦港まで往復50kmの自転車トレーニングをしてきました。

 

行きも帰りもほとんど時速30km以上で走りました。走っている時に口の中で「高速ジジイ」ではなく「爆速ジジイ」とつぶやきながら走りました。必死に走ったお陰で午後の仕事には3分差で間に合いました。

 

こんなことが出来るようになったのも、剣山に行って新しく自分に力がついたからだと思います。これからが楽しみですが、同時に身が引き締まる思いです。

 

生きている間は常に自己ベストで仕事やトレーニングのみならず、人生で起こる様々な物事に対応していきたいと思います。今日もこれ以上はできない位働きました。これは本当に幸せなことですね。こんな経験が出来るように天が計らってくれたと思います。本当にありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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歳と共に変われる人、変われない人

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ここ数日は、一日に朝と昼休みを合わせて70km~80kmの自転車トレーニングが出来ているのでとっても満足です。日々のトレーニングで自分の向上を自覚することはありませんが、振り返ってみると凄い向上になっているのですね。

 

本格的にトレーニングを始めて3年半が過ぎようとしていますが、最初の頃の私の体力と今とでは月とスッポンと言うか、雲泥の違いがあります。日々のトレーニングで向上を自覚することは無いのに、時間が経ってから振り返るとすごく進歩しているのですね。

 

それに伴って私の体も本当に健康になりました。明日死んでもこの世に何の未練も無いと言いながら、私は食事の管理やトレーニングなど、日々健康になるような、なかなか死なない事ばかりをやっています。

 

この調子で何事も無く行くと、私の人生は長引きそうです。とりあえず毎日仕事と自転車トレーニングが出来たら、私の一日は基本的には幸せになります。私自身問題を抱えることは少ないのですが、私の周りでは色々問題を抱えている人が居るので、私にできる範囲で一つ一つその対処をしています。

 

歳をとると、自分の事より人のお世話が多くなるのだなと思いました。そして私の場合死ぬ間際まで仕事とトレーニングが出来れば、人のお世話に自分がなることなく寿命を全うできます。

 

「歳がいっても自分の子供たちに迷惑はかけたくない」と言っている人が私の歳になると殆どです。みんなそういう気持ちになると思います。でも何もしないと、歳がいくにつれて体が動かなくなり、認知症になったりして人にお世話をしてもらわないといけなくなります。

 

私も出来れば死ぬまで人のお世話にはなりたくないので、身体を強く保つ為と認知症を予防するために、今は一日4時間くらい有酸素運動をしています。これで歳をとってよぼよぼになって、人のお世話になるようになるのであれば、もう処置無しですね。私にはこれ以上のことは出来ませんから。

 

だからそうならないことを願っています。何もしないと、歳をとるにつれて確実に体力と脳が劣化していきます。それが分かっていて何もしないのは、なまけていることになります。私は生きている以上怠けてはいけないと思っているので、自己ベストで自分の子供を含めて人のお世話にならないようにしているだけです。

 

私は一生は死ぬまでが勝負だと思います。若い頃に何が出来たとか、現役の頃は大会社の役員だったとか、そんなことは歳をとるとただの過去の事となります。昔はどうだったなどというのはもうどうでもよいことで、今の自分がどうであるかが人生では勝負なのですね。

 

その為には今日をその時の最高の自分で生き続けなければいけません。「昔は良かった」などと言っている暇など本当は無いのですね。偉そうなことを言っていますが、私もまだまだ足りないところがあるので、いつも自分を変えながら生きたいと思っています。

 

この歳になっても、もうこれで良いなどと言う事は無いのですね。歳をとると頑固になり自分を変えない人が殆どですが、私はそれも認知症の素だと思っています。「諸行無常」で宇宙の森羅万象は全て変わって行くのですから、自分も変わって行かなければならないのですね。

 

私は歳がいくにつれて、どんどん自分で自分を変えられる人間になりたいと思っています。人が変われないのは、プライドなどをはじめとする「自我」が邪魔をしているからです。自我は苦しみの素ですから、自我を捨てて自分を変えて行くのが私の死ぬまでの目標です。

 

真理としては簡単で、変われる人は歳と共に幸せになります。変われない人は歳と共に不幸になります。私は幸せになりたいので、歳をとったらますます変わって行きたいと願っています。それが歳をとるにつれて幸せになる人生の極意かもしれませんね。

 

合掌

 

仏光

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今年初めての富士山参り

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今日の朝は雪が解けて林道がオープンしてから、今年初めて富士山にあるオオヤマツミノオオカミの神社に行って来ました。早朝にもかかわらず一人参拝している人が居ましたが、全く気にせずに普通の人が参拝する小さな祠を3つお祓いしてきました。

 

その後いつものように神様が居る反対側の森の中に入って行きました。ちょっと不思議だったのはいつも色々な人が、「どうぞお金が儲かりますように」という自分勝手な念を置いていく祠をお祓いしている時にげっぷが出たりするのですが、今回は森の中のオオヤマツミノオオカミが居るところに行ったらげっぷが何回も出ました。

 

逆に祠をお祓いしている時はげっぷは出ませんでした。不思議でしたがいつものように森の中でお祓いをしてからオオヤマツミノオオカミにお参りをしました。私は最近神様にお参りする時は、出雲大社のように4拍手をたたくようにしています。

 

昔日本では神社にお参りする時には、みんな4拍手をたたいていたのですが、明治政府にできた神社庁により、参拝の時間短縮のために手をたたくのを2拍に勝手に変更した史実があるのが分かりました。それに反抗した出雲大社だけが今でも4拍手をたたいています。戦後神社庁はGHQにより政府内組織ではなくなりましたが、今でも普通神社では2拍になっています。

 

お参りが終わるとオオヤマツミノオオカミがいつものように音声ではなく「ありがとうございます」と言います。去年までは「ありがとう」だったのに、今年からは「ありがとうございます」と「ございます」が付いています。傲慢な意味ではありませんが、これは私が四国の剣山(つるぎさん)に行って私の次元が変わったからかなと思いました。

 

森から出てくると、先着していた人が「あの先に何かあるのですか?」と森を指さして聞きます。私が森の中でパンパン手をたたいているのが聞こえたのでしょう。私は「いえ、何もありません。森があるだけです。」と答えました。

 

別に嘘ではありません。そこには本当に森があるだけです。祠やご神体、仏像など何か見えるものを参拝するのが普通と思っている人には、見えないものを感じ、それに対して参拝する意味はなかなか分からないかもしれません。

 

今年も山が閉まる11月まで毎月オオヤマツミノオオカミに会いに行ってお参りをします。今回は山に登る林道が大変な濃霧で、周りの景色がよく分かりません。いつもその年最初のお参りに出てくる鹿は見ませんでした。もしかしたら居たのかもしれないけれども、霧で見えません。でも居る気配は林道を登っている時から無かったですね。

 

今までとの違いが分かる富士山のお参りでしたが、これはこれで良かったなと思います。剣山から帰ってきた後、私自身色々な変化を感じていますが、こういう変化は大歓迎です。今回自分が違う次元に入ったことがよく分かりました。

 

私は最近「人生では意味の無いことなど起こらないのだな」と思うようになりました。どのような状況でも私は何時も自己ベストで過ごすことを心がけていますが。それでも良いことが起こったり悪いことが起こったりします。

 

良いこと悪いことと言っても、人間は自分にとって都合が良いか、都合が悪いかで良い悪いを判断しているのです。結構自分勝手な判断基準ですが、私はたとえ悪いことであっても、「それは自分を成長させるために起こっていることだ」と思えるようになりました。人生一体何が幸いするのか分からないのです。

 

「災い転じて福となる」も「人間万事塞翁が馬」も、人生では何が幸いするのか分からないのだよという真理を教えているのですね。人生では都合の良いことも悪いことも起こりますが、考えようによっては、人生にとって起こることは全部自分の成長にとって良いことになります。お陰様で私は心穏やかに過ごす日々が多くなりました。

 

色々な事に自己ベストで対応していると、遅かれ早かれ道は開けるのです。私はこれが人生の真理だと思いますよ。すべての事に自己ベストで対応して、後は「無為自然」で流れに身を任せるのが自分の心にとって一番良い生き方だと思うようになりました。本当に剣山に行って来て良かったです。今は心から自分の変化を楽しんでいます。ありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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剣山に登ってきました!(2)

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昨日は久し振りに昼休みに十里木高原までの激坂を自転車で登ってきました。標高が1000m近いのでやはり上は気温が低いですね。往復43kmでしたが、朝の仕事前に修善寺まで50km走っていたので合計で93km走りました。仕事をしながらのトレーニングとしてはとっても満足です。

 

さて剣山の続編ですが、神社巡りをした後、5月4日の夜に登山リフト乗り場近くの民宿に泊まって、5日の朝は朝食を食べた後、登山リフトに乗って標高1700mくらいまで登りました。剣山にはいくつかの登山道があるのですが、私達は滅多に人が登らないであろう修験者が使う最もきつい登山道を登りました。

 

途中に不動窟という洞窟があり、バックパックを置いて入り口から階段で洞窟の下に降ります。それだけで既に十分怖いのですが、そこから人ひとりが通れるくらいの通路が奥につながっています。もちろん中は真っ暗で、御同行が懐中電灯を持っていて通路を照らしながら先に洞窟の奥の方へ入って行きました。

 

そこはには地下水の滝があり、大きい水の音がします。彼が先に洞窟の奥の滝が流れているところにある不動明王を発見しました。その間私は真っ暗な洞窟の中で動かずに待っています。本当に真っ暗なのでこれはちょっと怖かったです。

 

次に私が懐中電灯を持って洞窟の奥に入って行きました。そこには地下水の滝が流れる中にある不動明王の石像がありました。上からも地下水がしたたり落ちてくる中で、私は濡れながらその不動明王に向かって般若心経を唱えました。

 

それからその洞窟を出て、修験者が登る登山道を登って行ったのですが、それがまたとっても急斜面で、滑落したら絶対に死ぬような道でした。後ろを見ないようにしながらその道をずんずん登って行くと、やっと標高1995mの剣山山頂に着きました。

 

山頂付近には山小屋があり、そこで生姜が効いたあめ湯を一杯飲みました。甘くて疲れた体には美味しかったです。飲み終わった後、山頂にある安徳天皇とスサノオノミコトを祀った神社に参拝しました。

 

剣山には平家と共に壇ノ浦で海に沈んだはずの安徳天皇が、実は生きていて剣山付近に住んでいたという伝説があります。登山道の途中に安徳天皇が刀を掛けたと言われる「刀掛けの松」などがありました。そのあと山小屋からちょっと歩いて山頂に出ました。その日はとっても天気が良くて360度のパノラマの絶景を楽しみました。

 

山頂は風が強くて突風が吹くと身体がよろけます。しばらく山頂に居た後、帰りは普通の登山者が使うちょっとゆるい坂道を下りて行きました。途中登山道から外れた所に日本百名水に選ばれている「剣山御神水」の湧き水があり、一応その水も飲んできましたがなるほど美味しい水でした。

 

そこからずんずん登山道を下って行って登山リフトの駅につきました。リフトには乗らずにもっと道を下ったところに「西島神社」があります。この神社は先ず探さないと分からないし、ここもマニアックな人でないと知らない場所だと思います。

 

この西島神社は「西島天皇」を祀っているという事になっているのですが、西島天皇という天皇は実際には存在しません。かなり有力な説では「西方から来た人を祀っている」というもので、たぶんユダヤ支族の誰かを祀っているのではないかと言われています。

 

またこの地方にはイエスキリストが日本に来ているとの伝説もあり、真偽のほどは確かめようがないですが、私は今の時代ではなく大昔にイエスキリストの話がこの地方に残っているということから考えると、「そういう事もあるのかな?」と思っています。

 

西島神社のお参りの後、登山リフトの駅までまた歩いて山道を登って行ったのですが、その途中で不思議なことが起こりました。また音声ではないのだけれども声が聞こえて来て、私も声を出すことなくその声の主と話しました。

 

これは富士山のオオヤマツミノオオカミの神社に月一回行ってもよく起こることです。来週オオヤマツミノオオカミに会いに富士山に行きますが、今年初めてになるのでまた神様の使いの鹿が出てきて、オオヤマツミノオオカミはいつものように音声ではなく私に「ありがとう」と言うと思います。

 

今回は神様との挨拶ではなく会話になったのですが、それは西島神社に祀られている神様ですね。参拝を終わって山道を登っている時に、神様が私の横を歩いているのがはっきり感じられました。会話の内容を話すと私が頭がおかしいと思われるのが分かっているので話しませんが、私もびっくりするような内容でした。

 

とりあえず登山リフトの駅まで山道を登って、リフトに乗って下山しました。泊まっていた民宿にまた立ち寄って軽い昼食を食べた後、車で徳島市内まで下りて行きました。高速バスの出発まで時間があったので、市内のスーパー銭湯に入って登山の疲れを癒しました。

 

さて帰って来てから驚いたのは、剣山西島神社での神様との会話の内容が本当に起こるようになったことです。たとえば多くの人の体の痛みが、私が手を置くだけで1分~2分で取れるようになりました。憑依した霊も私がお経とか真言を唱えなくてもすぐに取れます。でもお祓いは今でも一応お経と真言を今まで通り唱えるようにしています。

 

私はちょっとびっくりしていますが、神様との話の内容からすると、これからますます私が責任重大みたいなので戸惑っています。神様との会話の時に私は「そんなことを出来る力は私にはありません。」と言ったのですが、「次はお前の番だ」と言われました。もうこれ以上書くと、私が本当に頭がおかしいと思う人が続出するのでここでやめておきます。

 

私は今回「神様は理由もなく私をわざわざ呼ばないな」という事を実感しました。やはり呼ぶのにはそれなりの意味があるのです。今回の徳島旅行は天候にも恵まれて、また道案内をしてくれた勉強熱心な御同行にも恵まれて、とっても有意義な良い旅になりました。

 

これからの私は今回の経験によりまた変わって行くと思います。神様との会話を思い出すと、身が引き締まる思いですが精一杯頑張りますね。今回の旅は天に感謝ですね。貴重な体験をありがとうございました。この授かった力をこれからもっと世の中に活かしていきたいと思います。

 

合掌

 

仏光

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