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生きている間と死んでからの人生のガイドライン

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今日の朝は雨だったので、いつもより1時間遅く起きて、コーヒーを飲んだ後、早速ローラー台で自転車トレーニングを始めました。今日の音楽CDはラッパーのピットブルです。ピットブルのラップのビートが私のペダリングのペースに丁度合って、ノリノリでトレーニングできました。ラップもなかなかいいものです。

 

今日は朝早くから仕事があったので、15kmしか走れませんでしたが、ローラー上での最高速度がラップ音楽の影響で53kmになりました。空気抵抗が無いと自転車というのは本当に早く走れるものなのですね。

 

自転車をやっている色々な人から、「ローラーが一発で乗れるようになるのは凄い!」と言われるのですが、私は本当にすぐに乗れたので正直なところローラー台の上で自転車で走ることのいったいどこが凄いのかよく分かりません。

 

でも今日のように雨でもトレーニングができるので本当に助かります。ここ数日札幌から来られた人も含めて、朝から晩までとっても仕事が忙しかったので、朝の30km平地トレーニング以外になかなか思うように自転車トレーニングとブログの更新ができませんでした。それでも夕食の後ローラー台でトレーニングできるので一日の練習量がカバーできます。

 

生きている間で一番大切なのは、お金でもなく、肩書でもなく、財産でもなく、心身の健康です。そして死んでも「心」は残るのですが、身体は無くなるので、死んでからは身体の健康の心配は要りません。でも死んでからの心の在りようは、今から考えておいた方が良いと私は思います。

 

それで「心と体はどちらの方がもっと大切なの?」と言うと、人生死んだら終わりと思い込んでいる人は、「心と体は同じように大切です」と言う人が多いのです。でも私は死んでからの「心」の在り方(霊)を仕事上朝から晩まで見ているので、「どちらが・・・?」と言われたらやっぱり心の方が大事だと思います。

 

死んでから後の自分(心)を「じゃあ今からどうすれば良い状況になるのか?」と言うと、先ずは「自分、自分・・・・・」という自我を自分で意識して無くしていくことです。自我が強い人間とは分かり易く言うと、本人が居ないところで人の悪口を言っているような人間が自我の強い人間です。

 

それからやっぱり「自利利他」で、他人を思いやる慈悲の心を育てることですね。これが生きている間にやらなければならないことだと思います。

 

もちろん自分の行いが悪く、自業自得で困っている人まで助けろとは最初の段階では言いませんが、普通に困っている人が居たら自分ができる範囲で助けてあげるといいですね。

 

仏教では死んでから行くべき次元に行くことを「成仏」と言います。キリスト教では「天国に召される」と言うのかな?とりあえず死んでからは、今私たちが生きている3次元ではなくて、行くべき次元に行くべきです。

 

「自我が少なく慈悲の心が大きい人と、自我が強く慈悲の心などこれぽっちも無い人とどちらが死んでから成仏するでしょう?」と聞けばもちろん前者ですね。これはもう圧倒的に前者になるわけです。

 

どんな生き方をしていても、葬式の時に坊主がお経を詠めば成仏できるみたいな生易しいものでは無いですね。私は毎日のお祓いで成仏していない霊を診ているわけですが、「成仏している霊より、圧倒的に成仏していない霊の方が多いのではないか?」と思います。

 

まあ死んでから霊になってもこの私たちが生きている3次元に捕らわれているから、誰かに憑依して霊障を起こしているわけです。私は死んでからそうなるのは嫌だから、できるだけ自我を少なく、慈悲の心を大きくしてこの世を暮らしていきたいと思います。

 

金持ちになったら成仏できて、貧乏人は成仏できないというのであれば、頑張って金儲けしたらいいのです。でも実際はイエスキリストが聖書で言っているみたいに、「金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」というのが真実だと私も思います。

 

「そんなことは無い!」と思う人は一生懸命金儲けに精を出してもらっていいのですが、私はつつがなく生活できるお金があれば十分です。なかなか生きている間に死んでからの事を実感として感じるのは難しいと思いますが、実際はそうなっているみたいなので、生きている間は「小欲知足」と「慈悲の心」で生きて行くのが大切だと思います。

 

このように生きれば、生きている間も安泰だし、死んでからも安泰だからいいことずくめですね。これがより良く生きて、より良く死んで行く人生のガイドラインだと私は思いますよ。

 

合掌

 

仏光

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平穏な人生とは?

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一昨日のブログでローラー台が来たことで、一日の大半を仕事と自転車で過ごすことになると言いましたが、本当にその通りになっています。今日の朝も普通に狩野川の堤防を30km走ってから、ゲストハウスでローラー台に乗って10kmくらい走りました。

 

トレーニング後のローラー台はクールダウンのために走ります。これをすると足の筋肉痛やはり感がかなり緩和されます。プロ選手はレース前のウォーミングアップとレース後のクールダウンを、ローラー台の上でやっていますね。昼休みもローラーを含めて20kmほど走りました。だから今日の走行距離は全部で60kmです。

 

今私はこのように調子がいいのですが、諸行無常が真理なので、いつ調子が悪くなるのかは分かりません。これは身体だけではなくて、仕事や生活でも何でも常に変化していきます。良いことも悪いこともいつまでも続くということはありません。

 

大切なのは「調子が良くてもおごらず、悪くても落ち込まず」という心の在りようです。「諸行無常」が身につくと自然とこのような生き方になって行きます。だから今日一日が無事であれば、先ずは感謝ですね。何事も無く一日が終わるのですから。

 

しかし世の中の人は普通に一日が終わることは当たり前で、感謝の念など湧きません。昔の私もそうでした。いくら頭で「無事であることがありがたいことなのだ!」と理解していても、それは理解であって身に付いているわけではないので、感謝の念など湧くわけがないのです。

 

「念」というのは頭の働きではなくて、心の働きなのですね。何事も身に付かないと心は動かないのです。ではどうすれば「諸行無常」が身に付くのでしょう?まずは諸行無常を頭で理解することは大切です。

 

諸行無常という真理があるという事すら知らなければ、「ちょっと前まで調子が良かったのに、何で今こんなに悪いことが自分に起こるのだ!」と思います。とりあえず知識であっても諸行無常を知っていれば、「これが諸行無常か?」と考えることができます。

 

そして苦しい苦しい人生の期間が過ぎて、ちょっと毎日の生活が良くなると、「良いことも悪いこともいつまでも続かない」ということが身をもって分かるようになります。でもこれだけでは「諸行無常が身に付いた」にはなりません。

 

こういう経験を繰り返して、そのつど諸行無常の真理を思い出し、それをまた繰り返すことによってだんだん身に付いていきます。ただ本当に死ぬような九死に一生の経験をすると、一発で諸行無常が身に付く場合もあります。

 

今私は調子がいいですが、これがいつまでも続くことは無いと思っています。出雲大社に行った時に足が痛くなったように、どこかでまた何かが起こります。それが人生です。思わぬことが起こる前から起こることだけは分かっているので、実際にそれが起こってもそれほど動揺しません。

 

「ああ諸行無常だな」と思うのですね。そしてじっと思わぬ事態に耐えて、良くなるように色々対処していくと、いつかは状況が好転していきます。そしてまた調子がよくなっていくのですね。良いことと悪いことの繰り返しが人生です。

 

いつも良い状態であるのが当たり前と思うから「苦」があるのです。良い状態が無くなればそれが「苦」ですから。でも、良いことも悪いことも繰り返し自分の身に起こるという真理が身に付いていれば、それほどの「苦」はありません。「当り前のことが当たり前に起こっているだけ」になりますから。

 

でも不思議なことですが、「諸行無常」が本当に身に付くと、あまり悪いことが起こりませんね。もしかしたら起こっているのかも知れないけれども、それを「悪い」とあまり認識していないので良いことばかりが起こっているように錯覚するのかも知れません。

 

思わぬことが起こって、その時は嫌でも、「諸行無常。人間万事塞翁が馬」と心底思えるようになると、自分が悪いと思っている状況が、「この次は良くなる」と心から思えるので、悪いことがそれほど気にならなくなるのでしょうね。その内寿命が来て自分が死ぬ時に、「まあまあ平穏無事な人生であった」ということになるのでしょう。

 

だから平穏無事な人生というのは何事も起こらない人生ではなくて、色々良いことも悪いことも起こっているのだけれども、それで心を一々右往左往させない人生なのですね。何もしないと殆どの人は心が右往左往しますが、諸行無常を理解して色々な経験を積むことによって、その諸行無常がだんだん自分のものになっていくのです。

 

もちろん瞑想をするのも良いでしょうが、それと共にいざという経験を積んで、そのいざという時に「自分がどうであったか?」と反省することです。平時には誰でもみんないい人ですが、いざとなった時にその人の本性が現れます。

 

もしいざという時でも心が落ち着いていたら、その人の人生は平穏無事な人生になるでしょう。平穏な人生というのは何事も無い人生ではなくて(実際何事も無い人生などあり得ません)、何が起こっても心が平穏な人生が平穏な人生なのです。その為の精進ですね。今日も平穏でありますように。

 

合掌

 

仏光

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笑いながら死ねる人生

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先週の木曜日に仕事の合間に75km自転車で走った後、ブログに書いたように購入した3本ローラーに夕食後挑戦しました。初めて乗るのでyoutubeの映像を参考にしようと思ったら、初めての3本ローラーの画像はどれも最初補助する人が横に居て体を支えていました。

 

私は一人で挑戦するので全然参考にはなりません。とりあえずプロがローラーに乗っている画像を参考にして挑戦しました。コロコロ回るローラーの上に自転車の車輪を乗せると、両方ともコロコロ回るので全然安定しません。もちろん自転車はローラー台には固定されません。

 

「いったいこの不安定な自転車の上にどうやって乗るのだろう?」と思いました。壁に手を添えてとりあえず乗ってみると、案の定車輪が横滑りしてうまく乗れません。ペダルを漕いでもフラフラします。それでも4回目くらいで自転車をこぎながら手を壁から離してハンドルを持って、普通にローラーの上で自転車に乗ることができました。だから乗れるようになるまでの所要時間はたぶん7分くらいです。

 

車輪が回るとジャイロスコープのように車体がローラーの上で安定するのですね。もちろんうまくバランスを取らなければなりませんが、その日は面白くて夜の11時半までローラーの上で自転車に乗っていました。次の日に他に用事があってプロショップに行くと、元プロの店長が「ローラーに乗れましたか?」と聞いてきます。

 

私が「ええすぐに乗れました」と言うと、「え~っ!凄い!」と驚いています。私はローラーの上で自転車に乗ることがそんなに凄いこととは思っていなかったので、「誰でも乗れるんでしょう?」と言うと、「乗れない人も結構います」と言います。結局ほぼ完ぺきなバランスの取れたペダリングフォームでなければ、ローラーの上では自転車に乗れないそうです。

 

店長は私が「やっぱりローラーに乗れないと言って来るだろう」と予測していて、店にある3本ローラーを使って乗り方を教えなければならないと思っていたそうです。それが「すぐに乗れました」と言ったので驚いたのですね。いずれにしてもプロに「凄い!」と言ってもらえると嬉しいです。たぶん若いころにアルペンスキーレーサーをしていたのでバランス感覚が良いのでしょう。

 

昨日の昼は雨が降って来たので、もちろんゲストハウスでローラーに乗ってトレーニングしたのですが、ちょっと工夫してローラーの前に姿見の鏡を置いてペダリングフォームを確認しながら、70~80年代のディスコミュージックや映画トップガンのCD音楽をガンガンかけて乗っていたらとっても楽しくて、ノリノリであっという間に20km走っていました。

 

慌てて午後の仕事に行ったら時間ぎりぎりで間に合いました。これなら梅雨の雨の日とか、夏の暑い昼間はエアコンの効いたゲストハウスでノリノリでトレーニングできますね。ローラーは空気抵抗が無いので、サイクルコンピューターで最高速度を見ると、時速43km出ていました。これからが楽しみです。また一つ楽しい精進が増えました。

 

結局ローラーも入れると、朝昼晩とトレーニングすることになるので、これからは一日に70km~80km自転車で走ることになります。それなら月に1500km~2000kmくらい走れますね。結構よい運動になります。65歳になる私が、難しいとされているローラートレーニングを一発でできるようになってとっても嬉しいです。

 

でも購入した時は、基本的に自転車に乗れる人間なら誰でもローラーに乗れるものだと思っていました。本当に難しいと思っていたら、最初から3万6000円もするローラー台など買わなかったと思いますよ。この練習を続けていくと、綺麗なフォームと効率の良いペダリングで自転車に乗ることができるようになるらしいので楽しみです。

 

人生というのはいくつになっても挑戦ですね。人生は挑戦をし続ける限り老人にはならないと思いますよ。ローラートレーニングだって、私よりずっと若い人がトライして諦めていくのだから、ローラーに普通に乗れる私は若いのです。昨日の夜もローラーで20kmくらい走りました。

 

これで私の一日は、仕事と自転車で大半を過ごすことになります。もう既に大半をそれで過ごしていますが、もっと大半を仕事と自転車で過ごすようになりますね。次の挑戦は、いくつまでこの生活が続けられるかです。私の目標は死ぬ前の日までです。

 

だから私の人生は死ぬ前の日まで挑戦です。このローラー台でず~っと楽しめます。そう考えると安いものですね。しかも瞑想と同じで、とっても心穏やかになります。仕事と自転車が続けられたら、私は死ぬ時でも笑っていられると思いますよ。これからも自分の人生に挑戦していきますね。どうぞ笑いながら死ねる人生になりますように。

 

合掌

 

仏光

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精進の幸せ

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右足がかなり回復したので、今日は5日ぶりに朝から自転車トレーニングをしました。まだほんの少し痛みがあるものの、何の問題も無く走れました。今朝は大事をとって裾野のすし屋の駐車場まで15kmのヒルクライムをしました。もし足が痛くなれば下り道をペダルを漕ぐことなく帰って来れるからです。

 

サイクリングシューズを履く時に少し痛みがありましたが、乗ってしまえばほとんど痛みを感じませんでした。調子が良くなったので、今日の昼はまた西伊豆の海辺にあるサイクリストカフェにランチを食べに行きました。

 

丁度静浦の湾にイルカが入って来ていて、カフェに行く途中でイルカが見えました。今日のメニューはパイナップルバーガーとワッフルです。その後時間があったのでまた修善寺まで走って行きました。それで走行距離が約60kmくらいになったので、朝と合わせて75kmくらい走ったことになりますね。

 

今回も健康で自転車に乗れることが、如何に幸せなことなのかを噛みしめながら走りました。なんと幸せなことなのでしょうね。普通のことが普通にできることほど幸せなことはありません。みんな健康で自転車に乗れることくらい当り前と思うのですが、そんなことはありませんね。身体がちゃんと機能するということはとっても幸せなことなのです。

 

ただ月曜日まで痛みで足を引きずって歩いていたのに、3日後には75km自転車で走っているのだから、やっぱりこれは生理学的な問題ではなくて、いつもの神様系の与えられた試練だと思います。またそれもクリアーできたので、目に見えてパワーアップしています。

 

いつものように仕事も忙しく、本当にありがたいことです。仕事をしながら昼休みに海辺のカフェでランチを食べて、イルカも観察できて、合計75km走ることができて、また午後から仕事が忙しくて、65歳になってこんなに充実した一日が送れるとは、以前は夢にも思っていませんでした。

 

「精進」というのは同じことをコツコツ続けることです。良い時も悪い時も同じ努力を私はコツコツ続けていて良かったと思います。今は健康的にも経済的にも、これ以上望むものはありませんね。これが「精進」の効果だと思います。

 

ビットコインのような電子マネーでいきなり大金が儲かることもあるとは思いますが、幸せとはお金が多い少ないではありませんからね。いきなり入ってきたものは、またどうせいきなり無くなっていきます。幸せとは心の状態ですから、何もしないでいきなり幸せになるということは無いのです。お金=幸せ程度の人間は、本当の幸せを知ることはありません。

 

貧乏をしていて急にお金が入ると「幸せ」と思うかもしれませんが、それはその時だけです。まことに薄っぺらいものです。そんな気持ちは長続きしませんね。宝くじが当たった人が、大概不幸になるのを見ても分かります。本当の幸せとはコツコツ精進を続けて、はっと心の中に存在する幸せに自分が気付くことなのです。

 

幸せは「理解」では無く「気付き」なのですね。これに気付くためにはこつこつ「精進」するしかないのです。今日の夜は一昨日届いた3本ローラーの自転車トレーニングを始めます。ローラーの上で自転車に乗れることが最初は至難の業らしいです。ちょっと怖いけど楽しみです。これでまた私の「精進」が増えますね。もっと強く、もっと速くなりますよ。ありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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出雲大社の不思議な体験

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遂に日曜日の朝から出雲大社に行ってきました!やっぱりいろいろ不思議なことが起こったので報告しますね。日曜日の朝8時30分の飛行機で静岡空港から出雲に向かって飛び立ちました。飛行時間は1時間ほどです。まず静岡から出雲までの直行便があることがちょっと不思議ですが、私にとってはまことに便利です。

 

その前日の土曜日はとっても仕事が忙しい日だったのですが、土曜日の朝から以前偽痛風を患った右足の親指の付け根がまた少し腫れて痛くなってきました。それでも昼休みに自転車には乗れました。出雲に行く日曜日の朝は足がもっと痛くなりました。

 

以前の偽痛風の時には痛くてほとんど歩けず、本当に風が吹いても痛い状況でしたが、今回は痛いながらも歩けます。まず不思議なのはそれまで何十キロも自転車で走っていて何ともないのに、いざ出雲に行くぞという時に痛くなることです。

 

前にもブログに書きましたが、私には結構神様からと思われる試練が与えられる時があります。「今回もそれかな?」と思いつつ足の痛みは気にせず出雲に行きました。出雲空港に着いて、予約しておいたレンタカーでとりあえず出雲大社に直行です。

 

出雲大社についてももちろん足は痛いままで、速くは歩けませんがゆっくりとしたペースでは歩くことができます。ちょっと右足を引きずっていたと思います。とりあえず大社の駐車場から正面の大鳥居のところまで歩いて行きました。

 

そこでまず驚いたのは、鳥居の横に大きな立札が立っていて、5月14日~16日は出雲大社の大祭と書いてあります。私はそんなことも全く知らずに、たまたまスケジュールの都合で5月15日、16日の予定で出雲大社に行ったのですが、ちょうど大祭に当たっていました。

 

そこで「やっぱり出雲の神様に呼ばれたのかな?」と思いました。しかも行く前に私が出雲に行くことを知っていたある人から「15日は一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)になっているので、16日の朝だけではなくて15日も出雲大社の祓いをしてください」と言われていました。その日は良いことも悪いことも一つすると1万倍になって広がっていく日らしいです。

 

とりあえず本殿まで長い参道を歩いて行って、お参りをしてから正面から少し外れたところで、他にも人が居るので目立たないように小さな声でお祓いをしました。それから出雲の神様は正面ではなく西側をむいて鎮座しているので、本殿の西側に行って、そこでまたお祓いをしました。

 

その時は特に私がげっぷをすることはありませんでした。霊障がある時には必ず私にげっぷが出ます。そこからちょっと離れたところに鎮守の杜があって、そこに私に関係のある菅原道真を祭る小さな祠が他の神様の5つの祠と一緒にあります。私の母方のルーツが菅原氏です。これは私が中学生の頃、広島大学の調査で分かったことで菅原道真のお姉さんがルーツとのことです。そして菅原氏のルーツは出雲になっています。

 

そこでもお参りをしてお祓いを始めると、一羽のカラスが舞い降りてきました。祠の屋根とか柵を伝って私の周りを飛び歩いています。祠をお祓いしている時はメチャクチャげっぷも出ました。しかもそのカラスは逃げようともせず、最後は私の前まで来てじっと私がお祓いをする様子を見ています。

 

カラスは古来から神様の使いということになっています。神様の使いとして有名な「八咫烏(ヤタガラス)」はサッカーの日本代表のマークになっていますね。私はお祓いをしながらやっぱり神様が来たのかなと思いました。

 

お祓いが終わるころにやっと飛び去って行きましたが、考えてみると森の中でカラスは本殿の方向から飛んできて、本殿の方向に飛び去って行きました。これは不思議な体験でした。もっと不思議なのはその日も次の日も出雲大社でカラスを見たのはその一羽だけです。やっぱりこれは神様の使いだったのでしょうね。

 

出雲大社をお祓いした後に近くの食堂で出雲そばの昼食をとって、もう一度大社に戻ってお参りと小さな声でお祓いをしました。その後、スサノオノミコトが天から出雲に舞い降りたという場所に車で行きました。スサノオノミコトは出雲大社の大国主命の祖先です。

 

そこは結構山の中で出雲大社から小一時間かかります。その場所には須佐神社という神社があって、そこでもお参りとお祓いをしました。そこから出雲大社の近くにある稲佐海岸まで行きましたが、その頃に足の痛みがピークになりました。

 

車の中で少し寝ていると痛みが和らいだので、また出雲大社まで行って、その時はお参りだけしました。その後出雲市にあるホテルまで行きました。とりあえずお風呂に入って早い夕食をとってすぐに寝ました。

 

次の日も早朝に出雲大社に行ってお参りとお祓いをしましたが、鎮守の杜の祠も含めてお祓いの最中のげっぷが出ることはありませんでした。いったんまたホテルに帰ってからコーヒーを飲んで、今度は弥生時代の代々の出雲の王が眠る西谷古墳群を見に行きました。

 

もちろんこの日も足が痛いままです。そこでもお祓いをして、また出雲そばの昼食をとって、もう一度出雲大社と近くにある大国主を色々助けたという神様の命主社(いのちのぬしのやしろ)のお参りをして出雲空港まで行きました。まだまだ足は痛いままです。飛行機に乗って静岡空港に着いて車が置いてある駐車場まで歩くのがちょっと大変でした。

 

やっとの思いでゲストハウスに着いて、作り置きしておいたカレーを食べて夜の8時半にはもう寝ました。夜中に目が覚めたのですが、不思議なことに足の痛みがだいぶ緩和されています。そして今日の朝はもっと痛みが取れていて少し痛いところもあるけれどもまあまあ普通に歩けます。

 

偽痛風はピロリン酸カルシュウムの結晶が関節に沈着して起こります。普通は一週間~二週間くらい激痛が続きます。何故ピロリン酸カルシュウムが沈着するのか原因は不明ということになっていますが、今私の足は殆ど痛くありません。行く時に痛くなって、帰ってきたら痛みが無くなるのは本当に不思議です。やはり神様系の試練でしょう。

 

いつもこういう試練を乗り越えるとパワーが増大するので、今回も結構パワーが増大すると思います。今朝いつも来ている人を二人診たのですが、お祓いをするといつもよりもっと体が軽くなって調子が良いみたいです。二人とも「いつもとは違う」と言っていました。

 

出雲は神話の国と言われています。神話は神話で実際に起こったことでは無いというように一般的には思われていますが、最近の考古学的な発掘による新たな発見から、どうも神話は「本当にあった話がベースになっているのだろう」と考えられるようになってきています。

 

今回の出雲大社参りも本当に不思議なことの連続でした。私も神話は全くの作り話ではないと思います。この神様から頂いたパワーを大切にしてこれからも仕事頑張りますね。やる気満々です。最後にこの国が良い方向に向かいますように。ありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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どうせ死ぬのに何のために生きている?

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昨日は本来ブログを書く日にしていましたが、あまりにも天気が良くて、しかも昼休みに時間があったので、また修善寺まで狩野川沿いの道で往復50kmのサイクリングをしてきました。サイクリングと言ってもいつものトレーニングのように、できるだけ速く走るようにしています。

 

でも昨日は逆風が強くてあまりスピードを出すことができませんでした。それでも朝のトレーニングと合わせて80km走れたのでとっても満足です。自転車をより強く、そしてより速く走れるようになるのには練習するしかありません。

 

先日インターハイの自転車競技に出ていた女性が来ていて、「どのようにしたらもっと速く、強くなれるのか?」と聞いてみました。するとローラー台を使って練習することも大切だと教えてくれました。ペダリングのバランスが整い、エネルギー効率の良いペダリングができるようになるそうです。

 

3本ローラーのローラー台を購入して、プロがやっているように室内でも練習してみようかなと思っています。最初はローラーの上で走ること自体が大変みたいですが、選手はみんなやっているので、私にもできるでしょう。

 

私は基本的に人ができる大概のことは、自分も努力すればできると思っています。ちょっとプロショップの元プロの店長に相談してみようと思っています。レースに出るわけでもないのに、どうしてそこまで自分を鍛え上げたいのかは自分でも分かりません。

 

でもそういう衝動が65歳になる自分にこみあげてくるのですね。別にこれといった目的があるわけでもないのに、ただ速く走れるようになると面白そうだからやろうと思うのです。今日は木曜日なので、昼はまた西伊豆の海岸線にあるサイクリストカフェにお昼ご飯を食べに行ってきました。今日のメニューはエッグバーガーとサラダです。往復35km走ったので、今日は朝と合わせて65kmのトレーニングができました。

 

確固とした目的も無いのに最高を目指して自分を創る。またその日を自分の最高で生きる生き方が、今の私には合っているようです。65年間生きて来ても、「どうせいつかは死ぬことが分かっているのに、人は何のために生きるのか?」という疑問に対する答えはまだはっきりとは分かりません。「人が生きる目的はこれです。」という答えはよく分かりませんね。

 

そして人それぞれに生きる目的があるとも思えません。「何のために生きるのですか?」という問いに対して、「生きていること自体が尊いので生きるのです。」と答える人も居ますが、それは答えになっていないと思います。

 

これはアスリートが監督に、「何のためにこの練習をしているのですか?」と聞いたら、監督が「練習すること自体が尊いので、この練習しているのだ」と答えているようなもので、「何のために?」という問いに対する答えにはなっていないのです。

 

それでは私は何のために生きているのでしょう?若い頃は金持ちになって、高い社会的地位を得るのが目的で生きていたように思います。そしてそれらはアメリカの上場企業で役員になり、日本の現地法人で社長を兼務することで全部手に入ったのですが、幸せの形は整っているのに、心は空しくて全然幸せではありませんでした。

 

だから私はこういうことが人が生きる目的では無いことをよく知っています。でも多くの人は幸せの「形」を整えるために、「もっとお金が欲しい。もっと社会的に認められたい。」と思いながらあたかもそれが生きる目的と思いながら生きています。そしてそれらが手に入らないと不幸なわけです。

 

まあ可哀そうだとは思うけれども、そういう人達にはそれで死ぬまで頑張ってもらうしかないと思います。途中で「いったい自分が生きている本当の目的とは何なのだ?」と疑問が湧いた人は、その疑問が湧いただけでも幸せですね。

 

多くの人はほぼ何も考えずに、目の前の生活や世の中の事象に対する対応に心を費やして、そして翻弄されて、寿命が来るまで「ああでもない。こうでもない。」と毎日を生きています。「いったい自分は何のために生きているのだろう?」と思っただけでも幸せになるきっかけになると私は思います。動物はこんなこと考えませんが、人間だから考えるのは仕方がないですね。

 

私は未だに何の目的を持って自分が生きているのかはっきりとしたことは言えません。色々な宗教によってはこれを信じることによって無上の喜びと幸せが得られると、その由緒と歴史から、昔のエライ坊さんの話や本などを取り出して一生懸命説いているところが多いです。そして大概の場合、「自分のところこそ正しい」とそれぞれがそれぞれの宗教または宗派を否定し合っています。2000年以上戦争しているキリスト教とイスラム教はその最たるものですね。

 

私はこれはご苦労さんな話だと思うので、こういうことにはあまり耳を貸さないようにしています。すると「これを信じないお前は地獄に落ちるそ~!」と脅してきます。いい加減なことを言うなと私は思います。「お前、本当に人が地獄に落ちるところを見たことがあるんかい?見たことがあったら教えてくれや。」と言いたくなりますよね。基本的にこのような脅しにかかる宗教はいい加減だと私は思っています。

 

まあそういう宗教がらみの分野ではなくて、実際のところ「どうして私はどうせ何時かは死ななければならないのに、今こうして生きているのだろう?」と思います。今のところ私は冒頭に書いたロードバイクのトレーニングにヒントがあるのではないかと思っています。

 

私は「特に何の目的も無いのに、こんなにしんどい思いをして一生懸命何十キロも朝早くから毎日ロードバイクのトレーニングをしているのか?そして何故それが私にとって無上の喜びなのか?」がヒントかなと思っています。

 

多分生きている目的は、生きている間に自分をできるところまで心身ともに向上させることかなと思います。それが辛いものだと生きる目的とはなりませんが、しんどいにもかかわらず向上していく自分を心から喜べる日々が、私にとっては無上の喜びであり幸せで、これが生きている意味かなと思います。

 

身体は老いていくでしょうが、その老いていく身体でその時その時のベストの自分を作っていくことで、どうせ死ぬことが分かっている私が、今生きていることに喜びを感じる生き方なのですね。

 

事故や病気でロードバイクが続けられないこともあるかもしれません。そうなっても私は色々な制限の中で、また何か自分を向上させて喜びを感じるものを見つけて毎日やるでしょうね。

 

生きるというのは自分を向上させて喜べるものを死ぬまでやるだけの話かなと思います。しんどい思いをして生きていても、心から喜びを感じられるのはこういう辺りのことかなと思っています。

 

今の私は意にそぐわない嫌なことが毎日起こっていても、しんどい思いをしながらトレーニングをして、心から喜びを感じて生きていられますね。だからとりあえず3本ローラーを買ってまた新しいロードバイクのトレーニングを付け加えたいと思います。

 

こんな歳になっても、高校生の時と同じ気持ちで居られるのは本当にありがたいことですね。幸せな話です。ありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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霊障と物理学

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昨日は日曜日でしたが、仕事の関係で朝の30kmしか自転車に乗れませんでした。今日からまたしっかりとトレーニングをしていきたいと思います。先週はやはり連休の関係で、いつもと違うパターンで生活していたので、今日からまた元のパターンに戻していきます。

 

今週末は、日曜日から出雲大社に行くので週末は自転車に乗れません。でも久しぶりの出雲大社で楽しみにしています。出雲大社には日曜日の午前中に着きますが、お祓いは翌日月曜日の早朝、まだ人がほとんど居ない時にやりたいと思っています。

 

私は普段の生活は仏教が説く真理で生活していて良いと思っていますが、それだけではこの世と言うか、この次元はカバーできないことが分かっています。霊障が原因で苦しんでいる人に、お祓いをすることによりその場で良くすることができるようになってから、仏教だけでは救われない「苦」があることがよく分かりました。

 

以前45年間身体の具合が悪くて、ありとあらゆる病院に行って治療したけれども治らなくて、私のところでお祓いをしたら一発で良くなったおばあさんの話をブログに書きましたが、このようなケースが後を絶ちません。もちろん私の療法院では無痛自律神経療法で様々な症状を改善しますが、やはり不具合の原因が霊障である場合には霊を取り除くお祓いが必要です。

 

この人たちに「あなたは修行をしていないから具合が悪いのです。諸行無常を知りなさい。もっと坐禅をしなさい。坐禅さえしていればもっと良くなります。病院を変えなさい。もっと真理を自分のものとして得なさい。」などと言っても絶対救われませんよね。とりあえずは憑依している霊を取り除かない事には死ぬまでどうにもならないのです。

 

そういうところを無視して、「衆生無辺請願度(しゅじょうむへんせいがんど)、生きとし生けるものが全て救えますように。」と仏教でいくらお題目を唱えていても意味が無いのです。

 

常識、あるいは良識に基づいて「とりあえず霊などというのは胡散臭いから無視して考えましょう。そういうものに関わってはいけません。私は科学的な人間です。フニャ~」と言うのもその人の勝手ですが、そのように言っている間は、お祓いで良くなった45年間具合が悪かったおばあさんのような人は救われないのですね。

 

やはり目の前で起こる事実は事実で、一人や二人ならともかく、年間延べ3000人以上の人がお祓いで良くなるのを目の前で見ていると、我々が生きている3次元以外の次元があるのがよく分かります。

 

また霊障と思われる原因で具合の悪い生徒が多く出ている学校をお祓いしたら、多くの保健室登校をしていた生徒がお祓いを境にして0になったり、ビフォアーエンドアフターで誰が見ても分かる顕著な違いが出るので、こういう次元があるのは確実だと思います。

 

とりあえず一般社会で言われている「霊など胡散臭い。見えないものは信じないのが科学的です。」という普通の常識、良識を一旦横において、今最先端の量子物理学の世界を見てみると、マルチバース理論をはじめ多次元宇宙というのが当たり前になっています。私もお祓いという特殊な状況において、この宇宙は多次元であると実感しています。

 

物理学で言われているパラドックスで「何故宇宙人が居ない?」というものがあります。天文学的な計算上、地球のような環境を整えている惑星は宇宙に数億個あるはずなのですが、「何故宇宙人が居ないのだ?」という疑問があるのですね。

 

アメリカの国家機関であるSETIでは多くの国家予算を使って宇宙からの宇宙人が発する電波を探していますが、もう数十年間何もこの宇宙観測で宇宙人は見つかっていません。でも先日アメリカ政府のペンタゴンが発表したUFOが実在している証拠があるのも事実です。

 

これは私の仮説ですが、UFOは宇宙のかなたからやって来るのではなくて、量子物理学で言われている違う次元から来るのだと思います。次元というのは重なり合って存在しているので、UFOはこの次元では何もないところからポッと現れるのです。アインシュタイン博士の相対性理論でブラックホールの存在が予言されていましたが、最近の宇宙観測でブラックホールがちゃんと発見されました。

 

また相対性理論を計算していく結果として、空間と空間を結びつける「ワームホール」というトンネルのような構造も予言されています。漫画宇宙戦艦ヤマトで出てくるワープ航法はこのワームホールを使って瞬時に違う離れた空間に行くことを指していると思います。私はかねがね人は死んだら精神のみの生命体(霊)となって違う次元に行くと言っています。

 

ただ死んでもこの3次元の世界に残ったままになっている精神のみの生命体が一般的に霊と言われていると思っています。そして「なぜ私がお祓いをすると霊障が無くなるのか?」という仮説も量子物理学で唱えられている多次元宇宙を基本にして立てています。

 

私の仮説は、私がお祓いをすると違う次元と次元を結びつける相対性理論のワームホールのようなトンネル構造ができて、霊がそこにスーッと吸い込まれるように本来行くべき次元に行くのではないかというものです。

 

こう考えるとつじつまが合うのですが、これを観測できる機器の開発にはかなりの年月が必要でしょうね。私が分からないのは、「何故私にそういうことができるのか?」という事です。何故私にそういう力があるのかさっぱり分かりません。

 

私がお祓いをして100発100中で霊障が無くなるのは、オカルトではなくて物理現象です。霊障が無くなったり、無くならなかったりするのであれば、占いと同じで「当たるも八卦、当たらぬも八卦」になりますが、100発100中で起こることは星の重力と同じ物理学ですね。

 

その考えに基づいてこのような私なりの仮説を立てています。まあ本当のところは私が死んで霊になったら「ああこういう事になっていたのか!」と真実が分かるのでしょうね。今のところは目の前で具体的に起こっている現象に関して、もっと観察してデータを増やしていきたいと思います。

 

まあ難しい理論はさて置き、私的には結局は困っている人が、3分間のお祓いでその場で改善して救われればいいのです。理由はどうであれ、観念ではなく具体的に困っている人が助かればいいのですね。

 

まあこの世と言われているこの3次元の世界では信じる信じないは関係なく、私はそれでいいのではないかなと思っています。また今日からも仕事頑張りますね。このような力が私に与えられていることに感謝します。ありがとうございます。

 

合掌

 

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一昨日の水曜日に孫達と一緒に丹那盆地でサイクリングしました。でも連休で車が多いので早く切り上げて帰ってきました。みんなは息子のトラックに自転車を積んで山の家まで帰りましたが、もちろん私は自転車で山を登りました。

 

昼食をとってから、今度は丹那の山にある息子がやっているサバイバルゲーム場まで海外から届いた大型ゲルテントを設置しに行きました。私と息子とお兄ちゃんの孫と一緒にテントを運んで、息子が重機で切り開いたフィールドにテントを設置しました。

 

設置は簡単で、息子と私で10分くらいで終わりました。中は広くて、これなら緊急時の避難所にはもってこいの大きさです。テントの中で小型の薪ストーブが使えるように設計されているので、冬でも快適に過ごせるかなと思います。テントには煙突用の穴も用意されています。テントが二つあるので、薪ストーブも二つ用意しました。

 

フィールドから5分ほど歩いたところに小川があって、水はそこでも確保できますが、雨水タンクも用意しようと思っています。電力はソーラーパネル発電機と、ガソリンで動く壊れた自家発電機を息子が友達の業者からただで貰って来て、30分で直して動くようにしたので、電力はまず問題無いと思います。

 

後はイノシシやシカを獲って食べるだけですね。フィールドに今度ミカンや栗、柿などの実のなる木を植えようと思っています。特に栗は縄文時代から縦穴式住居の周りに植えられていたみたいで、よい食料源になります。

 

災害を怖がっているだけだと大切な人生の時間を不安で過ごすことになったり、「なるようになれ」で考えないで居るといざという時にやっぱり大変なことになると思います。そこが災害の特殊性ですね。でもこのように防災の準備をしていると、とっても楽しいものですね。災害が無くてもキャンプで遊べますから。

 

南海トラフ地震で、地震学者などが言っているように太平洋側が壊滅的な打撃を受ければ、しばらく、もしかしたらかなり長い間、誰も救援に来ないと思うので、自分の身は自分で守るしかありません。どんな状況になっても私は人生で起こることは全部自分の責任と思っています。この避難所作りも私の責任の一端です。

 

仏教を貫いている一つの法則があります。それは「因果律」です。森羅万象物事全てには原因があって結果があるということです。因果とは原因の「因」と結果の「果」で因果です。自分がやったことは良いことも悪いことも全部自分の人生に返ってきます。

 

だから良い結果を得たいのならば、できるだけ良い種を蒔かなければならないのですね。「これぐらいは大丈夫だろう」と悪い種を蒔くと、自分の人生に悪い結果となって返ってきます。

 

世の中で成功する人の共通点は、何か悪いことが起こっても、それを客観的に見て自分のせいだと思えることです。成功しない人は必ず問題の原因を他人や自分を取り巻く環境や状況のせいにします。「自分はこれだけ頑張っているのに周りが悪い』となるのですね。

 

物事がうまく行かない原因は、突き詰めると自分にあるのです。それを自分以外のせいにする。これは泥棒がお金を盗んで、警察に捕まって刑務所に入って、「俺が刑務所に入ったのは警察が悪い」と言っているようなものです。悪いのは警察ではなく、自分が盗みをしたのが悪いのです。

 

人生というのはどのような状況であっても、「自分の人生で起こることは全部自分のせい』と思っておいて間違いはないと思います。ただ一つ例外があります。これは私が特殊な能力により人を改善している時にやるお祓いですが、霊が憑依して問題が起こっている場合は、その人の責任とは言い切れません。そういう場合は私がやっているように憑依している霊を取り除かなければなりません。

 

普通の仏教の教えでは、「人生は全部自分の責任として生きる」でいいですね。そしてそういう生き方をしていると、普通に成功します。結局いざという時に自分で自分を「諦観(ていかん)」できる人間が本当に心が強くより良い人生を過ごせるのです。「諦観」とは客観的に自分を見るということです。

 

何か問題が起こった時に人や周りのせいにしないで、客観的に自分の過ちを見ることができて反省できる人が成功するのですね。「あいつのせいだ。こいつのせいだ。貧乏のせいだ。」などと周りの責任にしている人は、結局は人生で必ず失敗します。それが現実であり真理ですね。ちょっと難しいかもしれないけれど、結局良いも悪いも自分の因果を客観的に見て(諦観)、自分を反省できる人が人生勝ちなのですね。

 

合掌

 

仏光

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盲亀浮木(もうきふぼく)の例え

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今日から連休です。孫たちが来る前にグストのロードバイクで自宅から丹奈盆地に下りて、そこから熱海峠まで登って、ついでに十国峠まで登ってきました。きつい登りの連続ですが、折り返し帰って来て私の自宅がある山の登りが一番きつかったです。

 

ちゃんと整備したグストのロードバイクは快調でした。このコースはこれから日曜日の朝のトレーニングコースにします。距離は28km弱ですが、獲得標高が800m近くになるので、とっても登りがいのあるヒルクライムのトレーニングになります。

 

私はサイクリストとしては体重が70㎏前後で重い方です。体脂肪は少ないのですが、足の筋肉がかなり大きいので、それが体重が重い原因になっていると思います。もっと練習が必要ですが、体質は変わらないと思うので、私はヒルクライム向きではありませんね。それでも登りが好きなので練習したいと思います。

 

先日変えたカーボンのハンドルの位置が、下りでくぼみにタイヤがはまった時に衝撃で位置が少しずれたので、調整のためグストを車でプロショップに持って行きました。その時はもう孫たちも来ていたので、小学4年生のお兄ちゃんと一緒にプロショップに行きました。往復の車では孫がず~っと喋りっぱなしで、よく喋る子だなと思いました。まあ久しぶりに会ったから色々話したかったのでしょうね。

 

明日は孫たちと一緒に丹奈盆地を自転車で走る予定です。その前に朝早く起きて、また一人で家の周りのコースでトレーニングします。ロードバイクというのは不思議な乗り物です。とってもしんどいのに楽しいのですね。特に達成したい目的もなく、ただ強くなるためにトレーニングしているのですが、乗っているだけでとっても楽しいです。さすが人力で動く地球最速の乗り物ロードバイクです。

 

自分が強くなっていくのも楽しいものです。まあ当たり前の話で、弱くなるより強くなる方が楽しいのに決まっています。自分が納得するまで私のトレーニングは続きますね。そして今から自分が納得することは無いことも分かっています。納得しないけれども、ロードバイクは楽しいからそれでいいのです。

 

せっかくこの世に人間として生まれて来たのだから、できるだけ自分で自分の人生を「ああ生きていて良かったな」と思えるようにしたいものです。これは自分がやらないと、人はやってくれませんからね。どのような人生にするのかは、結局全部自分の責任なのです。

 

お釈迦様が弟子に教えたことに「盲亀浮木の例え(もうきふぼくのたとえ)」というものがあります。この話は目が見えない亀が海の底で暮らしていて、その亀は500年に一度空気を吸いに海面に上がってきます。何もない大海原にたった一本の木だけが浮いていました。そしてその木の幹には穴が開いています。

 

ちょうど500年経って、目の見えない亀が海底から海面に上がってきました。その海面に上がってきた亀の上に、これまたちょうどたった一本だけ浮いていた木があって、しかも亀が空気を吸おうと首をもたげた時に、その木に開いている穴の中に首がすぽっと入ってしまった。

 

お釈迦様は「お前たちが人間に生まれるというのは、これと同じくらい滅多にないことなのだよ。それをかみしめてしっかり生きなさい」と諭したのです。考えてみればそうですね。アリ一匹も一つの命です。ダニ一匹も一つの命です。1個の細菌も一つの命です。人間一人も一つの命です。

 

「一つの命」という意味では、これらは全く同等です。でも私たちはアリに生まれることなく、ダニに生まれることなく、大腸菌に生まれることもなく、無限とも思われる数の命の中で人間に生まれたのです。

 

これはこれで奇跡的なことですね。そうなのに私たちは「辛い。死にたい。」などと言っている訳です。無限の宇宙で、無限とも思われる数の命の中で、私たちは奇跡的に人間をやっているのですから、お釈迦様から言われなくてもそのことをかみしめて、やっぱりしっかり生きるべきでしょうね。

 

人間は人間同士で見比べているから、自分が人と比べると劣っていて辛いとか、悲しいとか、悔しいとか、腹が立つとか言っていますが、もっと大きな命全体という視野から見た時に、如何に人間に生まれて自分がラッキーであったかという事を知らなければなりませんね。

 

私は人間として生まれて超ラッキーな上に、ロードバイクに乗って楽しんでいるのだから超超ラッキーです。本当にありがたい話ですね。毎日楽しいです。感謝しかありませんね。ありがとうございます。

 

合掌

 

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4月29日の祝日に富士山一周をする予定でしたが、雨で中止しました。雨の場合、予備日として今日5月1日に行く予定にしていましたが、今日も昼前から雨の予報で富士一はお預けになりました。一緒に行く予定だったメンバーが雨が降る前の午前中だけでも何処かに行きたいと言うので、朝7時に私の仕事場に集合して西伊豆の大瀬崎に行くことにしました。

 

天候は曇りでもまあまあのコンディションで、ぐんぐん飛ばして走って行きました。道が平坦なところでは巡行スピードを30km~35kmにして私が先頭になって走りました。空気抵抗による疲れを軽減するために、途中で先頭を替わりながら帰りの道も飛ばしたのですが、結局往復70kmを2時間53分で走りました。

 

11時から先日中学受験に合格した男の子に、今度は英語を教えることになっていました。それまでにゲストハウスに帰ってシャワーを浴びたかったので飛ばしました。一緒に来たメンバーは私より22歳も年下で今43歳です。親子ほど年が違うのですが、彼が言うには私のペースが速かったので、途中で疲れてバテたそうです。

 

彼もそれなりに練習していて、来月には山岳レースで有名な富士ヒルクライムレースにエントリーしています。私にも「富士ヒルに参加しませんか?」とのお誘いがありましたが、私は人と競い合うのが嫌なのでお断りしていました。

 

彼は体重が私より約10㎏も軽いのでヒルクライムには向いているかもしれません。富士山一周は行けませんでしたが、とりあえず今日は70kmを飛ばして走れたのでとっても満足です。でもお陰で足がパンパンに張っています。

 

ゲストハウスで中学生に英語を教えてから自宅に帰って昼食を食べて、すぐに昼寝をしました。1時間ほど熟睡していたらプロショップから電話があって、頼んであったグストのロードバイクのカーボンハンドルの取り付けと洗車が終わったとの連絡がありました。もともと完成車についていたアルミハンドルを軽いカーボンハンドルに変えました。

 

これでこれから日曜日は自宅から熱海峠、十国峠、箱根峠を超えて芦ノ湖や箱根の大涌谷まで走りまくろうと思っています。熱海峠から熱海に下りて、伊東方面の東伊豆を走るのもいいですね。こう考えるとサイクリングをするにはとっても良い場所に住んでいるなと思います。本当に贅沢な話です。

 

当日2日前に29日の富士山一周を中止にしたので、富士山の林道の雪が解けていればオオヤマツミノオオカミの山神社の奥宮をお祓いに行こうと思っていました。するとその前日に私と山神社のことを知っている人から、ご丁寧に「29日から奥宮が開きます」との電話がありました。

 

29日の金曜日は朝5時に起きて富士山の山神社に行ってお祓いをしてきました。私はオオヤマツミノオオカミが「おい、自転車で富士山一周より俺のところが先だろう?」と言っているように思います。だから雨が降ったのでしょうね。

 

奥宮まで車で1時間ほど走って行って、オオヤマツミノオオカミが居る森の一角と、神様は居ないけど反対側にある人がお参りする祠を三つお祓いをすると、今までと同様オオヤマツミノオオカミが「ありがとう」と言っていました。音声ではありませんがそう言っているのが何故だかよく分かります。

 

お祓いが終わって帰り始めたら、案の定森から野生の若い鹿が3頭出てきました。奈良公園で知られているように、鹿は神様の使いという事になっているので、この鹿たちはオオヤマツミノオオカミの使いなのでしょうね。やっぱり「ありがとう」と言いに来たのです。

 

次の日は土曜日でしたが、めちゃくちゃ仕事が忙しくて昼休みのトレーニングができませんでした。オオヤマツミノオオカミは山の神様で、仕事や金運の神様という事になっているので、お祓いのお礼に仕事をいっぱいにしてくれているのでしょうね。ありがとうございます。

 

明日月曜も仕事をしますが、連休中なのに予約でいっぱいです。だから明日も気合入れて仕事頑張りますね。3日から連休に入りますが、今度は孫たちが泊まりに来るので、そっちの方が疲れそうです。自転車を持ってくるので、また丹奈盆地を一緒にサイクリングする予定です。

 

孫の世話にはサイクリングが一番ですね。私が前をロードバイクでゆっくり走っているだけで、後ろから勝手に孫たちがついて来るので一々相手しなくていいし、一緒に遊んだという事にはなるし、時間は過ぎて行くし、それで孫たちは楽しんで満足するし、孫たちの運動にはなるし、サイクリングの教育はできるしと、とっても効率が良くてエネルギーロスの少ない孫の世話の仕方です。孫は来たら可愛がってあげます。それで十分だと思っています。

 

まあこんな連休で良いのかもしれませんね。また瞑想教室も入会する人が増えているので、ますます頑張らなくてはなりません。方丈記にも書かれているように、人生は水面に浮かぶ泡のように生まれては、はかなく消えていきます。限られた時間で精いっぱい自分を活かしたいものですね。今のところはそんな生き方で私は満足です。ありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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