嗚呼… 道兼最期の日々➀ | タケ海舟の歴史事件帳

タケ海舟の歴史事件帳

自称歴メンことタケ海舟が、歴史上の事件を独自の視点と勝手な思い込みで取り上げ、真相に迫ります。
大河ドラマを中心に歴史に関する話題をお届けします。

 

 

さてさて…

 

道兼(みちかね)の最期の日々についてのお話下三角

 

念願の関白に任命された時の、道兼の動向については、歴史物語『大鏡』(おおかがみ)に詳しく描かれていますパー

 

関白就任の報に接した時、当の本人である道兼は勿論彼に仕えていた面々も慶びに包まれたのです目

 

関白として貴族社会の頂(いただき)に立った彼は、日頃より自分が温めていた政治構想を実現すべく、相当意気込んでいたと思われれます下三角

 

彼の関白就任は、(中関白家〈なかのかんぱくけ〉を除く) 北家九条流(ほっけくじょうりゅう)からも歓迎された様で!!

 

特に末弟の道長が、真っ先に祝意を表明したとされています耳

 

ところが…

 

関白宣旨(かんぱくせんじ)下りる以前より、道兼の体調に変化が生じていたのですくちびる

 

始めの頃は、単なる風邪か、若しくは疲れに依るものと思い、気には留めていなかったのですが、徐々に症状は重くなりつつありました目

 

邪気に当たったのかもしれないとして、方違え(かたたがえ)等をして様子を見たのですが、一向に状況は変わらず、結局は邸宅のある、二条町尻邸(にじょうまちじりてい)に戻ったのですラブレター

 

実は、この頃、道兼の正妻である、藤原遠度娘(ふじわらのとおかずのむすめ)臨月を迎えていましたぶー

 

もし、生まれる子が女児であれば、その子は将来の『きさきがね』として、帝の後宮に入内する可能性が髙く、道兼も正妻の出産に立ち会うべく、方違えを中断して邸宅に帰ったと思われます注意

 

そんな中で、関白宣旨がもたらされた訳で、道兼は直ちに御礼言上のために参内することを決めたのです拍手

 

但し、体調は改善するどころか、どんどん重くなるばかりで、周囲は…

 

『病平癒のための加持祈祷を行うべきでは?と奨めたのですが、道兼は…

 

『皆が(自分の関白就任に)慶んでいるのに、祈祷等はするべきではない四角オレンジ

 

として、関白宣旨が下りた五日後の五月二日に、慶賀を述べるべく宮中に参内!!一条帝(いちじょうてい)に拝謁したのですラブレター

 

晴れの舞台を迎え、気力を振り絞っての参内でしたが、最早気力だけではカバー出来ず、退出する際には、周囲に支えられなければ動きも儘ならぬ状態だったのです叫び

 

さて、道兼邸では、主人の関白就任に沸き返っており、就任を祝う客でコッタ返していたのですが注意

 

その様な大盛況の中、参内していた主人が青色吐息の状態で帰って来たので、皆は驚いたと思われますおいで

 

帰宅した道兼は、忽ち病床に臥せることになったのですが、周囲は…

 

『まさか、このまま関白様はお亡くなりになるのでは…?と心配の声が出つつもメモ

 

ひっきりなしに訪れる訪問客の対応に追われていたのですパー

 

こうした邸宅内が喧噪に包まれる中、主の道兼は病臥していたのですが、容態は日に日に悪化していったのですひらめき電球

 

主が病臥中で、万事の差配が出来ない故、道長が連日道兼邸を訪れ家人達にあれこれ指図をしていたのですが…

 

刻一刻と病状が悪化する兄の姿に、道長は不安を押し隠すのに必死だったと思われます満

 

そんな中…

 

『黒光る君』こと、小野宮流実資(おののみやさねすけ)が、関白就任のお祝を述べるため、道兼邸を訪れたのですパー

 

続きは次回に致します花