さてさて
道兼(みちかね)の関白就任の慶賀を述べるために、彼の邸宅を訪れた、『黒光る君』こと小野宮実資(おののみやさねすけ)は
立つことも出来ない程に憔悴しきった、道兼の姿を見て、愕然としたと思われます
実は、意外と言えば意外なのですが、実資と道兼は、公の場では、職場を共にする官人(かんじん)である一方で
私的な場でも親しく交流をしていたのです
曲がったことが大嫌いであった実資は、その清廉潔白さ故だったのか
公私の区別を厳格にすることでも知られていました
上臈(じょうろう。上官の意味)である公卿主催の私的な宴会や、同僚同士の遊覧に赴くことも稀有であった彼が
例外的に交流していたのが、道兼だったのです
実は、円融(えんゆう)・花山(かざん)二代の御世(みよ)の折、実資は蔵人頭(くろうどのとう)を務めていたのですが、その配下の五位蔵人(ごいくろうど)の一人が道兼で、二人は上司の部下の関係で数年間、職場を共にしていたのです
この場面の数々は、『光る君へ』序盤でも描かれていたのですが、寛和(かんな)二年(986)の花山帝(かざんてい)の出家事件の結果
実資は蔵人頭を解任され、その後任となったのが道兼でした
寛和の変(かんなのへん)は、道兼の父兼家(かねいえ)が権力の座に就いた一方で、実資の属する小野宮流(おののみやりゅう)は
反主流に追いやられる仕儀となったのですが
それに伴い、兼家の息子である道兼は急速な昇進を果し、かっての上司である実資の官位をあっという間に抜き去ってしまいました
長徳(ちょうとく)元年(995)五月の時点での二人の官位を比較してみますと
➀道兼⇒正二位関白右大臣で右大将兼帯
②実資⇒従三位参議(さんぎ)で左兵衛督(さひょうえの神)と検非違使別当(けびいしべっとう)を兼帯
上記の通りであり、前者は執政として位人臣を極める地位に就き、後者は議政官の末席である参議の一人に過ぎませんでした
元部下に大きく水を空けられたことで、実資の心中は穏やかならぬものであったと推測されますが
この後も二人は、公私共に親しい関係を維持していたのです
実資の日記『小右記』(しょうゆうき)の正暦(しょうりゃく)元年十一月十五日条には
➀右大将(みちかね)は車を門外(実資邸)に留められた
②同車して右大将の粟田山荘(あわたさんそう)に遊びに行った
③粟田山荘には他の公卿達も来ていて、そこで大宴会か行われた
④強かに酩酊して、深夜に解散した
何と、遅くまで酒宴が行われていたことが記載されているのですが、この時実資は相当酔っぱらったみたいで
翌日に左大臣源雅信(みなもとのまさのぶ)より、『会議があるので参内する様に』と呼び出したがあったにも拘わらず
二日酔いを理由に(勿論そうとは言っていないと思いますが…)参入出来ないと返信しています
仕事熱心な実資が二日酔いで仕事を休むことは、極めて珍しいことで、前夜は余程泥酔したと思われますが、それだけ道兼主催の宴会が楽しかったということでしょうね
因みに、『小右記』正暦四年(993)三月六日条にも、実資は迎えに来た道兼と同車して粟田山荘で遊んでいるのですが、この時は弓や競馬に興じたみたいで、道兼の娘婿である公任(きんとう・実資従兄弟)を始めとする、多くの上達部(かんだちめ。公卿)や殿上人(四位以下の貴族)も粟田での遊びを楽しんだと記されています
この様に、実資と道兼は頻繁に交流をしていたのですが、彼ばかりではなく、道兼は京郊外の粟田にある山荘に、公卿・殿上人や歌人を招いて、歌会・音曲・宴会・競射・競馬等の催し物を主催しており…
『光る君へ』とは異なる、道兼の社交的な一面を垣間見ることが出来ます
特に歌人を招いての歌会には、紫式部ことまひろの伯父である、藤原為頼(ふじわらのためより)等の著名な歌人も参加しており、
まひろの父為時(ためとき)もその機会に同席した可能性もあります
何故、その様な推測を述べるかと言えば…
花山朝時代、為時は六位蔵人(ろくいくろうど)の式部少丞(しきびしょうじょう)であり、五位蔵人だった道兼とは上司部下の関係であったため、花山出家退位後、職を失った為時を慰めるため、道兼が彼を歌会に招いたことは十分あり得ると思います
『光る君へ』で、為時邸を訪れた道兼をもてなすべく、まひろが琵琶を弾くシーンがありましたが、もしかしたら両者は
為時の縁で知己であったかもしれず…
後年の道兼息子の兼隆(かねたか)と、まひろ(紫式部)の娘賢子(けんし)との結婚に繋がった可能性も、否定出来ないと思いますね
お話が少し逸れてしまいましたが
関白慶賀に訪れた実資は、著しく衰弱した道兼の姿を見て、驚きを感じ得なかったと思われます
ここは、会うことはせず、言付けと贈り物を家人に渡して辞去しようとしたのですが
実資来訪を知った道兼から、『どうしてもお会いしてお伝えしたいことがある』という返事があったのです
気が進まない中、実資は道兼が病臥する居室に通され、(病気の感染を避けるべく)御簾(みす)を隔てて両者は会見したのです
続きは次回に致します