嗚呼… 道兼最期の日々②(実は大変仲良しだった、実資と道兼) | タケ海舟の歴史事件帳

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さてさてパー

 

道兼(みちかね)関白就任の慶賀を述べるために、彼の邸宅を訪れた、『黒光る君』こと小野宮実資(おののみやさねすけ)目

 

立つことも出来ない程に憔悴しきった、道兼の姿を見て、愕然としたと思われます注意

 

実は、意外と言えば意外なのですが実資と道兼は、公の場では職場を共にする官人(かんじん)である一方で星

 

私的な場でも親しく交流をしていたのですOK

 

曲がったことが大嫌いであった実資は、その清廉潔白さ故だったのか?

 

公私の区別を厳格にすることでも知られていましたあせる

 

上臈(じょうろう。上官の意味)である公卿主催の私的な宴会や、同僚同士の遊覧に赴くことも稀有であった彼が宝石白

 

例外的に交流していたのが、道兼だったのですOK

 

実は、円融(えんゆう)・花山(かざん)二代の御世(みよ)の折、実資は蔵人頭(くろうどのとう)を務めていたのですが、その配下の五位蔵人(ごいくろうど)の一人が道兼で、二人は上司の部下の関係で数年間、職場を共にしていたのです王冠2

 

この場面の数々は、『光る君へ』序盤でも描かれていたのですが、寛和(かんな)二年(986)花山帝(かざんてい)の出家事件の結果炎

 

実資は蔵人頭を解任されその後任となったのが道兼でしたカメラ

 

寛和の変(かんなのへん)は、道兼の父兼家(かねいえ)権力の座に就いた一方で、実資の属する小野宮流(おののみやりゅう)

反主流に追いやられる仕儀となったのですがダッシュ

 

それに伴い、兼家の息子である道兼急速な昇進を果しかっての上司である実資の官位をあっという間に抜き去ってしまいましたおいで

 

長徳(ちょうとく)元年(995)五月の時点での二人の官位を比較してみますとダイヤグリーン

 

➀道兼⇒正二位関白右大臣で右大将兼帯

 

②実資⇒従三位参議(さんぎ)で左兵衛督(さひょうえの神)と検非違使別当(けびいしべっとう)を兼帯

 

上記の通りであり、前者は執政として位人臣を極める地位に就き、後者は議政官の末席である参議の一人に過ぎませんでしたガーン

 

元部下に大きく水を空けられたことで、実資の心中は穏やかならぬものであったと推測されますが目

 

この後も二人は、公私共に親しい関係を維持していたのですFREE

 

実資の日記『小右記』(しょうゆうき)正暦(しょうりゃく)元年十一月十五日条にはダッシュ

 

➀右大将(みちかね)は車を門外(実資邸)に留められたうずまき

 

②同車して右大将の粟田山荘(あわたさんそう)に遊びに行ったキラキラ

 

③粟田山荘には他の公卿達も来ていて、そこで大宴会か行われた飛び出すハート

 

④強かに酩酊して、深夜に解散したOK

 

何と、遅くまで酒宴が行われていたことが記載されているのですが、この時実資は相当酔っぱらったみたいでダッシュ

 

翌日に左大臣源雅信(みなもとのまさのぶ)より、『会議があるので参内する様に!と呼び出したがあったにも拘わらずダッシュ

 

二日酔いを理由に(勿論そうとは言っていないと思いますが…)参入出来ないと返信しています魂

 

仕事熱心な実資が二日酔いで仕事を休むことは、極めて珍しいことで、前夜は余程泥酔したと思われますが、それだけ道兼主催の宴会が楽しかったということでしょうねOK

 

因みに、『小右記』正暦四年(993)三月六日条にも、実資は迎えに来た道兼と同車して粟田山荘で遊んでいるのですが、この時は弓や競馬に興じたみたいで、道兼の娘婿である公任(きんとう・実資従兄弟)を始めとする、多くの上達部(かんだちめ。公卿)殿上人(四位以下の貴族)も粟田での遊びを楽しんだと記されています花

 

この様に、実資と道兼は頻繁に交流をしていたのですが、彼ばかりではなく、道兼は京郊外の粟田にある山荘に、公卿・殿上人歌人を招いて、歌会・音曲・宴会・競射・競馬等の催し物を主催しており…

 

『光る君へ』とは異なる道兼の社交的な一面を垣間見ることが出来ます左差し

 

特に歌人を招いての歌会には、紫式部ことまひろ伯父である藤原為頼(ふじわらのためより)等の著名な歌人も参加しており、

まひろの父為時(ためとき)その機会に同席した可能性もありますOK

 

何故、その様な推測を述べるかと言えば…

 

花山朝時代、為時は六位蔵人(ろくいくろうど)の式部少丞(しきびしょうじょう)であり、五位蔵人だった道兼とは上司部下の関係であったため、花山出家退位後、職を失った為時を慰めるため道兼が彼を歌会に招いたことは十分あり得ると思います注意

 

『光る君へ』で、為時邸を訪れた道兼をもてなすべくまひろが琵琶を弾くシーンがありましたが、もしかしたら両者は耳

 

為時の縁で知己であったかもしれず

 

後年の道兼息子の兼隆(かねたか)と、まひろ(紫式部)の娘賢子(けんし)との結婚に繋がった可能性も、否定出来ないと思いますねダイヤグリーン

 

お話が少し逸れてしまいましたがダッシュ

 

関白慶賀に訪れた実資は、著しく衰弱した道兼の姿を見て、驚きを感じ得なかったと思われますダッシュ

 

ここは、会うことはせず、言付けと贈り物を家人に渡して辞去しようとしたのですが宝石白

 

実資来訪を知った道兼から、『どうしてもお会いしてお伝えしたいことがあるひらめき電球という返事があったのです目

 

気が進まない中、実資は道兼が病臥する居室に通され、(病気の感染を避けるべく)御簾(みす)を隔てて両者は会見したのですおいで

 

続きは次回に致します注意