さてさて…
先週の『光る君へ』の第四十回『君を置きて』
塩野瑛久(しおのあきひさ)さんが好演してきた、一条帝(いちじょうてい)の最期が描かれました
最近聞いた話なのですが、塩野さんは今回の一条帝役を、オーデションを受けて勝ち取ったらしいですね
優雅さと、高貴さと、上品さ
歴史物語などでも伝えられている一条像を見事に演じされたなと思いました
私自身は、(あまりテレビを見ていないためか)塩野さんという役者さんを知らなかったこともあるのですが、予測を遥かに上回る
好演ぶりで、本当に当たり役となり、尚且つお見事なキャスティングでした
これからの塩野さんの活躍にも大注目ですね
さて、伊周(これちか)の遺言の話ですが、前回の嫡男道雅(みちまさ)の次は、娘達へのそれについて触れたいと思います
伊周の正妻は、醍醐源氏(だいごげんじ)の権大納言重光(ごんだいなごんみなもとのしげみつ)の娘で、彼女との間には…
➀嫡男道雅
②長女大姫君(おおひめぎみ)
③次女中姫君(なかひめぎみ)
一男二女を儲けていました
命旦夕にせまった伊周は、二人の娘に対して次のような遺言を語っています
➀わたくしが亡くなってしまったら、そなたたちの身体はどうなるだろう
②わたしがこの世に生きていた間は、女御(にょうご)や后(きさき)といったご身分にしてさしあげようと考え、大切に育てていたがもうこれ以上は生きながえられなくなってしまった、そうなれば、(そなたたちは)どうするつもりだろうか
③最近は、帝の御女(むすめ)や太政大臣(だじょうだいじん)の女といった高貴筋の娘であっても、すべて宮仕えに出て行くようだ
④わたくしが死んだら、この姫君たちを、これから(宮仕えの女房として)どんなに欲しがる人が多くなるだろう
⑤また、故殿(伊周)が生前何々と言い置いていたとかを口実に、姫君を得ようとする男たちも出て来るかもしれない
⑥それらはわたくしにとって、永代までの恥になるだろう
⑦母君(重光娘)も、この姫君たちの身の上をてきぱきと世話できそうもない
⑧どうして命がある間に、神や仏に対して、自分の存命中にそなたたちを先立たせて下されと祈願しなかったのだろうか
と思うと悔やまれてならない
⑨わたしが死んだ後で、もの笑いの種と人から思われるようなみっともないふるまいがあったり、そんなつもりになられたら
きっと恨むぞ
⑩断じてわたしの亡き後の不面目があってはならぬわたしを笑われ者にしないで欲しい
以上、長くなりましたが、遺言の要旨を箇条書きにいたしました
結論である⑩については、道雅への遺言と同じ内容であるのですが、死の床でこれだけ長々と語っている所からも…
伊周が二人の娘の行末を案じていたことが首肯されます
栄光ある中関白家(なかのかんぱくけ)嫡流である伊周は、父道隆(みちたか)が娘たちである、定子(ていし)・原子(げんし)・三の御方(さんのおんかた)を、それぞれ、帝・東宮(とうぐう)・親王(しんのう)に嫁がせたと同じく、自身の娘達も『きさきがね』として大切に育てていました
中関白家が没落期を迎えても、伊周の気持ちは変わらず、復権の暁には娘達を皇后・中宮として入内させる夢を持ち続けていたと思われます
しかしながら、道長との権力抗争に完敗挽回の望みが潰えたと共に、自身も人生の終幕を目前に控えるに至り…
残される娘二人を待っている運命を想像すれば、死んでも死にきれない気持ちであったと考えられます
たとえ、後宮への入内を視野としている『きさきがね』であっても、それは父親が高位高官の地位を占めていることが大前提で
ある訳で…
ひとたび、父親が亡くなってしまえば、その庇護という傘で育てられていた娘達は、忽ちにして進退に窮することになるのは…
誰の目からも明らかだったのです
伊周家以前にも、高位高官であった父が鬼籍に入ったことで、娘達が進退に難渋する羽目になるケースが散見されたのですが…
その多くは、生活の糧を手に入れるべく、宮中や有力貴族の邸宅に女房として仕える道を選択せざるを得なかったのです
そうした例として著名なのは…
中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)の高級女房として藤壺(ふじつぼ)に仕えた
➀大納言の君(だいなごんのきみ)
②小少将の君(こしょうしょうのきみ)
上記の姉妹であります
両者は、土御門左大臣(つちみかどさだいじん)として名声を博した、源雅信(みなもとのまさのぶ)の息子時通(ときみち)の
娘たちでした
時通は道長嫡妻である倫子(りんし)の同母兄弟で、生母は雅信正妻の穆子(ぼくし)でした
雅信嫡妻腹の息子であり、将来は父の後継者となる筈でしたが、寛和の変の直後、故あってのことだったのか
時通は突如出家をしてしまい、両親は大いにこれを悲嘆したのです
後に残された姉妹は、父や叔母倫子の異母兄弟である、参議源扶義(さんぎみなもとのすけよし)の養女となった(異説あり)のですが…
その養父であった扶義も亡くなってしまったのです
後見役であった養父を喪った姉妹は、いよいよ進退に困ったのですが、ここで救いの手を差し伸べたのが…
伯母(叔母とも)である倫子でした
姪である二人に対して、倫子は当時一条帝に入内することになった(既に入内していたか)娘彰子の女房として仕えることを
打診
伯母である倫子の勧めを受け、姉妹は従姉である彰子に仕えることになったのです
因みに、これより以前、姉の大納言の局は、醍醐源氏源明理(みなもとのあきまさ)の妻になっていたのですが、程なく離婚して
いたようで、将来への不安を有していた彼女は、倫子の提案を受諾したと思われます
なお、妹の小少将の君については、結婚の有無は不明なのですが、姉と同時期、若しくはそれより少し後に藤壺に出仕することになったかもしれませんね
彰子すれば、実の兄弟の娘で姪である姉妹を、彰子側近の女房として送り込むことで、慣れない後宮での生活を余儀なくされる
娘の相談相手として支えてくれる役割を願っていた筈で、事実その思惑通りになるのです
なお、附属情報ですが、大納言の君の元夫である明理は、源重光の息子であり、伊周正妻の同母兄弟に当たります
さて…
左大臣を祖父に持ちながらも、父や養父が亡くなったことで、大納言の君と小少将の君は、生活のために宮仕えをすることになったのですが…
こうした傾向は、道長が娘達を後宮に入内させるようになってから、特に顕著となっていたのです
そして、臨終時に伊周が懐いていた不安は…
不幸にも的中してしまうのです
続きは次回にいたします