外祖父摂政兼家(摂政専任となった背景と頼忠の太政大臣留任) | タケ海舟の歴史事件帳

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さてさて…あし

 

摂政(せっしょう)に就任した兼家(かねいえ)パー

 

自己の政権基盤を固めるべく太政官人事(だじょうかんじんじ)に着手しましたポスト

 

寛和の変(かんなのへん)直後の段階で、太政官首脳を構成する大臣の顔触れは、下記の通りでしたパー

 

➀太政大臣頼忠(よりただ)⇒兼任していた関白の地位を兼家に譲り、太政大臣専任となるサイコロ

 

②左大臣源雅信(さだいじんみなもとのまさのぶ)電話

 

③右大臣兼家(うだいじんかねいえ)電話

 

④内大臣⇒空席

 

上記の様に、太政官の大臣ポストは、四つであったのですが、➀と④は常時、在職者がいた訳ではなくカギ

 

➀は適任者がいない場合は、敢えて置かない即闕(そっけつ)の官二重丸

 

④はその時々の政局によって就任する公卿はいたが、常時置かれるポストではない昇天

 

という、先例による取り決めがあったのですおいで

 

因みに、上記の三人が大臣を務めていた体制は、円融(えんゆう)朝後期・花山(かざん)朝と、約十年近く続いていたのですが

 

幼い一条帝(いちじょうてい)が即位した時点で、大きな変動があったのですひらめき電球

 

それは、右大臣兼家が同職を辞任して、摂政専任となったことでしたOK

 

いままで、摂政・関白就任者は、必ず太政官職を兼任することが先例となっていたのですが、その場合注意

 

太政大臣を兼ねるケースが多く

 

摂政太政大臣(せっしょうだじょうだいじん)若しくは、関白太政大臣(かんぱくだじょうだいじん)というのが、公的な肩書き

あったのです音譜

 

兼家の長兄伊尹(これまさ)次兄兼通(かねみち)も、最終官職は摂政又は関白太政大臣であり、前任者たる頼忠も同様でした注意

 

太政官の官職(大臣職)を兼任することが先例である以上、兼家も右大臣のまま摂政に就任すれば良いのではないか?

 

と皆様は思われるのは当然で、事実ひらめき電球

 

➀伊尹は右大臣在任時に、摂政を兼任、その後で太政大臣に昇格リサイクル

 

②兼通は内大臣在任時に、関白を兼任、その後で太政大臣に昇格ピンク音符

 

③頼忠は左大臣在任時に、関白を兼任、その後で太政大臣に昇格FREE

 

上記の通り、前任者三名は全て下位の大臣職を経てから、太政大臣に上り詰めていましたカギ

 

こうした先例からも、兼家も先ず、右大臣を兼ねた摂政になり、その後に太政大臣になれば良かったのですが?

 

何故か兼家は太政大臣にはならなかったのです十字架

 

それは…

 

現職の太政大臣は、前関白の頼忠が引き続き、在職していたからです!!

 

周知の通り、円融・花山二代にわたり、関白を務めていた頼忠は、外戚関係を構築することに失敗していました時計

 

これに対して、兼家は外孫懐仁(やすひと)東宮に擁しており寛和の変で愛孫の即位が実現OK

 

この時点で、頼忠小野宮流(おののみやりゅう)vs兼家九条流(くじょうりゅう)という、藤原北家嫡流を巡る争いは…

 

兼家の完全勝利という形で決着が着いており、事実頼忠は関白の座を兼家に譲っていましたあし

 

最早、後宮へ送り込む娘がなく挽回が絶望的になった頼忠は、辛うじて太政大臣に座だけは確保していたのですが…

 

兼家がその気になれば彼に引退を勧告して太政大臣を辞職させることは可能であったかもしれませんおいで

 

では、何故、兼家は辞職勧告をしなかったのか?

 

ここからは、推測で話すしかないのですが、既に頼忠は政治的には死に体状態に等しく最早脅威にならないだろう!!

 

という判断を兼家はしていたのでしょうポスト

 

また、以前兼家が故次兄兼通によって、就任していた右大将(うだいしょう)を罷免されて、政治的に失脚状態になった時…

 

失意の彼に手を差し伸べて政界復帰の支援をしたのは、兼通の後任関白となった頼忠でしたNEW

 

頼忠には、彼なりの思惑はあったと考えられますが、当時の円融帝(えんゆうてい)との関係も悪かった兼家が、政界に復帰出来たばかりではなく、右大臣に昇進出来たのは、まさしく頼忠のお陰であり拍手

 

兼家も、かっての恩を仇で返すことだけは、流石に躊躇ったのでしょうくちびる

 

事実上、政治生命を失った感のある頼忠に対して、敢えて石を以ってこれを追う等の無慈悲なことはせず名誉職である太政大臣に留任させることで耳

 

兼家は寛大さと共に、勝者の余裕を、周囲に対して見せつけたと思われます100点

 

先週の『光る君へ』でも、諦観の境地に達した頼忠は、嫡男の公任(きんとう)隠居の決意を伝えていましたが

 

頼忠の悲哀が充分過ぎるくらいに、描写されており、何と言っても…

 

父の隠居の決意を聞かされた公任の絶望的な表情が印象的でしたポスト

 

北家嫡流であった小野宮流が、傍系の九条流その座を取って代わられることが、決定的になったことで

 

公任と道長との官位の上下関係も、この後、あっという間に逆転されることになります叫び

 

さて、兼家は太政大臣に就任しなかった理由について、主に心情的な側面より説明させて頂きましたひらめき電球

 

それでは、本題である、右大臣を辞して、摂政専任という道を選んだ、本当の理由についてですが?

 

これに関しては、当時の難しい政局が起因していたのです目

 

問題の核心に迫って来た所でありますが…

 

毎回の如く、お話しが長くなってしまいましたので、続きは次回に致したいと思いますピリピリ

 

但し…

 

続きをお話する前にひらめき電球

 

兼家の摂政就任に伴い、彼の一族が、恩恵に与ることになったのですが拍手

 

先ず先に、そのお話を致したいと思います耳