さてさて…
本日は、円融帝(えんゆうてい)の譲位を受けて、新帝となった花山帝(かざんてい)についてのお話です
『光る君へ』では、本郷奏多(ほんごうかなた)さんが花山帝を演じているのですが、見事な不良東宮(ふりょうとうぐう)振りで思わず…
『正しく、これは適役だな』と番組制作側のキャスティングの妙に感心した次第であります
本郷さんと言えば、四年前の大河ドラマ『麒麟が来る』での近衛前久(このえさきひさ)役を思い出すのですが…
育ちが良さそうだけれども、ちょっと危ない感じの役を演じさせると、なかなかの味を出しますね
その本郷さんが、今回演じる花山帝は、歴代天皇中でも、『超』が十回付いても良い程のぶっ飛んだ逸話が沢山ある帝として
知られています
『光る君へ』でも、足の指で扇を開閉するオリジナルのシーンや、近侍する女房母子と同時に関係する等、後年の歴史物語等でも知られる有名な逸話(劇中では本人の口から)が紹介されていましたが…
史実の花山帝は、果たしてその様な破天荒な帝であったのかと言えば…
史実である物も有れば、後世に潤色された物も有ると思われます
例えば、第四回の放送で、左大臣源雅信(みなもとのまさのぶ)が憚りながら、妻穆子(ぼくし)と娘倫子(りんし)に話した…
即位式の高御座(たかみくら)で、女官を連れ込んで云々していたという話は
当時蔵人頭(くろうどのとう)であった、藤原実資(ふじわらのさねすけ)の日記『小右記』(しょうゆうき)に記されています
但し、それはあくまでも、花山が高御座に女官を引き入れたということのみが記述されており、中で何をしていたのか
ということは、書き手の実資すら知らない訳で、事実は当時者以外には知らない訳です
推測を逞してさせて頂けるのでしたら、まだ十代半ばに過ぎない花山帝は、荘厳な即位の儀に退屈したのか、たまたま高御座の近くに来た女官を引きずり込んで悪戯をしたのかもしれず、ちょっとした帝の若気の至り…であったのが事実だったかも
しれません
とは言っても、玉座(ぎょざ)に君臨する帝がそんな下品な行為や行動を(それも事もあろうに、即位の儀で…)取ることは、
式典に居並ぶ廷臣達にとっては、あってはならない事であった筈で…
彼等は新帝花山の行く末を案じたことは間違いないと思われます
結果的に、二年弱の在位で終わってしまう花山帝だったのですが…
何故二年という短すぎる在位になった理由は、当時の複雑な皇位継承問題が作用していたからです
本来花山は、祖父村上帝(むらかみてい)が皇統嫡流と定めていた、冷泉帝(れいぜいてい)の第一皇子であり、生母は藤原北家九条流(ふじわらほっけくじょうりゅう)の伊尹(これまさ)の娘懐子(かいし)でした
父冷泉には精神疾患の症状があり、長く帝の座を維持することは難しく、遠からずの譲位が想定されていました
但し、父帝崩御を受けて践祚した当時、冷泉には直系の皇子がなく、このまま彼に不測の事態に起きた場合を憂慮して…
同母弟の守平(もりひら)こと円融が東宮に立てられたのです
守平が、同母の次兄である為平(ためひら)を差し置いて東宮になった直後の、安和元年(968)
冷泉に待望の第一皇子師貞こと花山が生誕
それを待っていたかの様に、翌安和二年に起きた政変で、為平の岳父源高明(みなもとのたかあきら)が失脚
これにより、後見(うしろみ)を失った為平の政治生命は事実上潰えたことを受けて
冷泉は退位、東宮守平こと円融帝が即位したのです
そして、円融の東宮には、誕生一年弱の師貞が立てられ、彼の成長を待って、伯父帝から皇位を引き継ぐことになっていました
ところで、花山こと師貞が東宮に立てられた時、外祖父である伊尹は摂政太政大臣として廟堂に君臨
同じく生母懐子もまた健在でした
ところが、師貞が立坊して僅か三年後の天禄(てんろく)三年(972)に伊尹が病没
加えて、同年に生母の懐子も国母(こくも)となる前に亡くなっており、東宮師貞は五歳で生母と外祖父を失っていたのです
摂関政治の最強形態は、外祖父が摂政位に在ることで、恐らく伊尹は外孫東宮が十歳位になった段階で中継ぎである円融を
退位させて、愛孫を即位させる構想を持っていたと思われたのですが…
彼は師貞即位以前に生命が尽きてしまいました
但し、外祖父・生母が欠けても、生母の同母兄弟が公卿の座を占めていれば、彼等が外伯叔父摂関として師貞を後見出来たのですが…
伊尹死去時、彼の息子達は何れも若年で、現職公卿はおらず、のみならず彼等の大部分は父の死後まもなく…
相次いで病没してしまったのです
永観(えいかん)二年(984)、十七歳になった師貞こと花山帝が即位した時…
彼を支えるべき外祖父・生母は既に亡く、外伯叔父たちも、僅かに伊尹五男である義懐(よしちか)のみであったのです
義懐亡兄の義孝(よしたか)の遺児で、後の寛弘の四納言(かんこうのしなごん)の一人である行成(ゆきなり)は漸く従五位下の受爵(じゅしゃく)を終えたばかりで、本流である冷泉皇統である花山の政権基盤は…
当初より著しく脆弱であったのです
続きは次回に致します