飛行服夜話 第二十三夜「B-15B(前編)」 | 飛行服千夜一夜物語

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どんなフライトジャケットにも、袖を通した者と歩んだドラマがあるもの。
飛ばなくなったフライトジャケット達との思い出話と、そこに秘められたヒストリーを紹介します。

 こんばんは。
 とても暑い日が続きますね……。

 気が付かないうちに、アメブロを始めてから1年を過ぎていました。
 季節感無視、文字数も話の脱線も多くて読みにくいこの不人気ブログですが、今ではなんと毎日10人位の読者が得られるまでになりました。

 ありがたいことです。 

 読者の年齢層は50歳以上が9割を占めますが、若い方にもフライトジャケットの良さを知ってもらえたらいいなと思います。


 

 さて今回のテーマは、B-15Bフライトジャケット。

 前後半に分けて、その魅力に迫っていきますよ。


 B-15Bは、インターメディエイト・ゾーン(-10℃〜+10℃)において着用する米空軍のフライトジャケットで、以前紹介したB-15Aの後継にあたります。



 仕様書の初版が発行されたのは、まだ日本と戦争中の1945年6月15日(又は5月21日?)で、同年8月29日に最初の仕様書修正がありました。

 ですが、この時、既に戦争は終結しており、前身のB-15及びB-15Aジャケットの在庫が大量に存在したため、製造契約は見送られてしまいました。 


 1945年8月時点における仕様書の内容を一部抜粋します。

【SPEC. No. 3220B (1945.8.29)】

・表地はOD (オリーブドラブ)色のコットンツイル

・縫い糸はコットン

・インターライニングはアルパカとウールパイルの混紡

・ライニングはOD色のレーヨンクロス

・左袖のペンポケットにジッパー付きのシガレットポケットを追加

・オキシジェンタブはクロムなめしの革製で、色はシールブラウン

・左肩には米陸軍航空隊のインシグニア


 ……なんか、一部を除き、我々の知るB-15Bとはまったく異なるデザインですね。

 表地がB-15/B-15Aと同一のため、あまり目新しさを感じません。

 このコットン製B-15Bのテストサンプルは作ったのかもしれませんが、量産品の現存は確認されていません。

 

 下は1950年前後の米国防予算の推移です。 

(当時のアメリカの会計年度は前年の7月から6月までをいうので注意してください)


「米国防予算の推移」

・1945年度 830億ドル

・1946年度 427億ドル  (1945.8 WWⅡ終結)

・1947年度 128億ドル

・1948年度 91億ドル (1947.9 空軍独立)

・1949年度 132億ドル  (B-15B契約開始)

・1950年度 137億ドル  (1950.6 朝鮮戦争開戦)

・1951年度 236億ドル

・1952年度 461億ドル

・1953年度 528億ドル

・1954年度 493億ドル (1953.7 朝鮮戦争休戦)


 WWⅡ終結に伴い、米国は大規模な軍縮に入りますが、これではB-15Bの量産は当面できなかったはずです。

 国防予算は1948年にドン底になりましたが、共産圏に対抗するため、1949年度から徐々に拡大していきます。

 B-15Bは、1947〜1948年頃に仕様書修正が行われ、アウターシェルがコットンからナイロンに、中綿にウールとコットン混紡の「ウールパイル」が用いられることとなり、我々がよく知る形になりました。

 初めての契約は、1949年度(「FULLGEAR」によると1948年12月以降)に交わされています。 


 B-15Bジャケットだけで見ると、

「1949年度契約」Spec. No. 3220B

・GREAT LAKES GMT.

・REED PRODUCTS

・SIGMUND EISNER

「1950年度契約」Spec. No.  3220C

・THE GARDNER CORPORATION

・GREAT LAKES GMT.

 …の5本の契約がありました。

 3220Bと3220Cの違いはわかりません。


 残存する7〜8割は3220CのGARDNER製ですね。

 たまに3220BのGREAT LAKES製も目撃します。

 REED PRODUCTSとSIGMUND EISNERは滅多に出てきません。

 3220CのGREAT LAKESはかなりレアで、私は写真でも見たことがありません。

 全体的にサイズ34及び36が多いです。

 また、同時期にA-11Bトラウザーズも作られていますが、生産数は極めて少なく、ほとんど現存していません。

 B-15B自体、朝鮮戦争開戦前の小規模契約のうえ、更に朝鮮戦争で消耗したため、現存数は多くありません。


 なお後継のB-15Cは1951年度及び1952年度の予算で契約しています。つまり朝鮮戦争開戦後の契約であり、よく言われる「1947年の空軍独立にともなって制定されたもの」ではありません。



 それでは、私のコレクションを見ていきます。

 B-15B AF33(038)12016 THE GARDNER CORPORATION

 

 実物B-15Bは3着持っていたんですが、これ以外の2着は手放しました。

 最初に入手した1着はタグが無く、次の1着はシガレットポケットが付いていませんでした。

 朝鮮戦争時期のフライトジャケットによく見られるのですが、民間に流す時に、どこかの部品を外して不完全な状態にする処置が広く行われていたようで、完品状態のものがあまりありません。

 三番目に入手したこのB-15Bはメインジッパーの革タブが無いこと以外は完全品であり、ようやくまともなものを入手できたのでした。

 所有していた3着は全てGARDNERでしたが、同一ロットとは思えないほどのバラツキが見られました。


 ナイロンのアウターシェルとライニングは、明るめのオリーブグリーンです。

 仕様書の色指定は、B-15/B-15Aと同じオリーブドラブです。 

 ビンテージ感溢れるカッコいい色だと思います。

 GERDNER社製B-15Bのアウターシェルには、より明るいオリーブグリーンに変色するものと、茶色に変色するものがあります。ナイロンの変色は一般には紫外線による退色とされていますが、日に当たらない脇の部分が変色しているものもあり、他に理由があるのかもしれません。

 内側のライニングは薄いナイロン生地でアウターシェルと同じ色です。


 襟のファーはブラウンの天然ムートンです。

 美しい色ですね。水濡れ厳禁、濡らすと硬化して割れてきます。GARDNER社の襟ボアには、ブラウンの天然ムートンと焦茶のアクリル製があります。


 メインジッパーはB-15Aと同様、右にオフセットされています。


 GARDNERに使用されているメイン及びシガレットポケットのジッパーは、ほとんどがプレンティスになります。稀にタロンの針金ジッパーがメインに使われていることがあります。

 プレンティスのメインジッパーのタブは、ツメで引っ掛けるように付いているだけなので、取れてしまっている個体をよく見かけます。

 プレンティスのメインジッパーは、幅7.5mmの#8という、珍しいサイズを使用しています。他社製のB-15Bにはクラウンやタロンのジッパーを使用しているものもあり、それらのサイズはわかりませんが、見た感じB-15AやL-2で使われているような#5を使用しているようにも見えます。なお、B-15Cからは#10ジッパーになります。

 メインジッパー右側の細長いナイロンテープの取り付け方にも、各社の個性が出ます。

 

 シガレットポケットのジッパーもプレンティスです。

 ジッパー付きのシガレットポケットは、1945年のB-15B仕様書で初めて採用されましたが、既に完成されたデザインですね。

 その後のMA-1や現行のCWU-45/Pに至るまで、B-15Bのデザインを引き継いでいます。


 オキシジェンタブは革製で色はシールブラウン、おそらく牛革です。

 GARDNERのオキシジェンタブは幅広で、大変シンプルなステッチです。

 このタブの幅やステッチの仕方にも各社の個性が出ます。


 こうして見ると、大変完成度の高いフライトジャケットですね。


 前半はここまでにします。

 次回は各社毎の細部の違いを見ていきます。