こんばんは。
今回は少し趣向を変えます。
1980年代までは、この時期になると太平洋戦争に関連したテレビ番組がよく放映されていました。内容は日本軍がもたらす暗く悲惨な話ばかりでした。
当時、自治会の廃品回収で零戦や戦艦大和、駆逐艦などが活躍する子供向け戦記物の本が出されていることがよくあり、持ち帰っては読み漁ったものでした。
また、身の回りにも元軍人・軍属の方が普通にたくさんいました。私の親戚に有名な某エースパイロット(戦死した)がおり、その人の子供時代や入隊後の活躍話を叔父からよく聞かされたものでした。
情報源によって全く異なる印象を受ける日本軍という存在に、小学校低学年の私は不思議な魅力を感じたものです。
今年で盧溝橋事件から87年、対米開戦から83年、無条件降伏から79年が経過し、戦争経験者といっても幼少期のため、腹を空かせたこと以外、あまり記憶に無いという方がほとんどではないでしょうか。
最近は戦争体験がテレビで取り上げられる時間もぐっと減り、もはや活字やアニメ、ゲームの中の出来事のようになってしまいました。
私には太平洋戦争の善悪を論じるだけの教養はありませんが、20年くらい前、何となく日本軍の軍装品が気になって、少しだけコレクションしたことがありました。
正直、日本軍の軍装品は私の専門ではなく、知識も立派なコレクションもありません。
しかし実物を目の当たりにすることで感じることや見えてくるものもあろうかと思います。
今回はその中から、日本陸軍「第二種航空被服」を取り上げたいと思います。
1938年頃に採用された上下セパレート式の夏季用飛行服で、終戦まで使用されました。
これ以前は、1930年代初め頃に採用された、同じようなデザインのつなぎの飛行服でした。
米陸軍のA-2や米海軍のM-421のようにジャケットとして独立したものではなく、フライトスーツを上下二分割したものなので、ズボンも存在します。
生地は分厚いコットンギャバジンで、かなりゴワゴワした丈夫なものです。
腰回りに付くはずのベルトが欠品しています。
両胸はジッパー付きの巨大なポケットになっており、大変使い勝手が良いです。ライダースジャケットみたいですね。
袖口はジッパーで広げることができます。アービンやB-1/B-2ジャケットにも袖にジッパーがありますが、クラシックな感じがしますね。
各所で使用されているジッパーは1930年代のフックレスタロンに似たデザインのアルミ製です。乱暴に扱うと歯がずれて開閉できなくなりますが、錆とは無縁です。
襟は高めの台襟で、チンストラップが二箇所付いています。米軍のA-2ジャケットは襟は閉めずに開襟シャツのように折り目を付けて着用しますが、このジャケットでは台襟のボタンまで閉めて着用します。
ボタンは木製でもプラスチックでもない不思議な素材でできています。尿素ボタン?
フロントはボタンフライです。オープンエンドのジッパーを使うこともできたはずですが、信頼性に難があったため、あえてボタンフライにしたのかと思います。
向かって右下に軍刀を差すための穴があります。
穴は佩鐶の位置でひっかかる太さになっています。しかし日本の軍服には、軍刀が本当によく似合いますね。カッコいい!
ラベルが無いかわりにスタンプがあります。
サイズは三号。かなり大きなサイズで、175cmくらいの人に丁度いいと思います。
製造は昭和十八年。1943年ですね。
「大支検定」は大阪陸軍被服支廠(大阪市中央区法円坂)で完成検査に合格したことを意味します。
大阪陸軍被服支廠の全景。左の石垣は大阪城。1945年3月と6月の空襲で破壊された。
次はズボンを見にいきます。
腰は紐で締めます。ほどけなくなるとトイレが大変になるやつです。
大腿部にプリーツのある大型ポケットがあります。米国のトラウザーズと異なりフラップがありませんが、困ることはなかったんでしょうか。
腰ポケットにジッパーが付いており、下に着用する制服ズボンのポケットにアクセスできます。
比翼仕立てのボタンフライで、一番上はフックになっています。
内側にサイズ等を示すスタンプがあります。製造年を見ると、「八」だけフォントが異なります。この一文字だけ、別にスタンプしたんだと思います。
足首にかけてジッパーがあります。
ジッパーのデザインは他の部位と同じですが、アルミではなく、真鍮のような感じです。
全体的に見て、同時代に米陸軍で使用されたA-4スーツよりも、機能、性能、着心地といった面で優れている印象を受けます。かなり考えて設計されていますね。
ただ、ジッパーが動かなくなることがあり、当時もその信頼性が問題になることがあったのではと推測します。
米陸軍は航空技術や作戦運用の進化を踏まえ、終戦までにK-1やL-1といった現代人から見てもまったく遜色のない傑作フライトスーツを開発しましたが、日本陸軍はこの飛行服を最後まで使い続けました。
現在入手可能なレプリカは、中田商店が出しているものだけです。
実際の着用例を見ていきましょう。
着用例①
穴吹智曹長。二種航空服に縛帯(パラシュート・ハーネス)を着用。ジャケットの襟は一番上まで閉めます。首を保護するためですかね。胸ポケットのジッパーが縛帯(パラシュート・ハーネス)に干渉しない位置であることがわかります。これなら飛行中でもポケットてアクセスできそうです。
夏服に冬用の飛行帽をかぶっているのはこだわりでしょうか?
着用例②
吉田好雄大尉。色は後付けですが、この飛行服の特徴がよくわかります。階級章は右胸に一つだけ付けます。これだと縛帯を付けたときに見えなくなってしまいます。味方識別標識を右腕に付けているかは不明。
B-29×6機撃墜のキルマークが描かれた二式単座戦闘機 鍾馗二型丙 第70戦隊 吉田大尉乗機。
二型丙はエンジンを1,450馬力をハ109、武装をホ103(12.7mm)×4に強化した機体。照準器も光学式に変更されている。なお、ホ103は当時の米軍機のほとんどに装備されたM2ブローニング(キャリバー50)のコピーである。
着用例③
樫出勇大尉。ジャケットの上のボタンを外し、白いスカーフを巻いています。階級章は右胸。味方識別標識は両腕に付けています。軍刀も差していますね。
樫出大尉の飛行服にはしわがありませんね。吉田大尉のとはかなり印象が異なります。ウール製かもしれません。
二式複座戦闘機 屠龍甲型 第4戦隊 樫出大尉乗機。
機首にホ103(12.7mm)×2、ホ3(20mm)×1を装備。ホ3は元は九七式自動砲という対戦車ライフルです。強武装だが鈍重な屠龍は、単発戦闘機には全く歯が立ちませんでしたが、大型爆撃機に対しては活躍を見せ、武装も徐々に強化されていきました。
樫出大尉は何と26機(!)ものB-29を撃墜し、「達人」と評されました。
一般にはあまりいい印象を持たれない日本陸軍ですが、視点を変えれば違った見方もできるのではと思います。
我が国に平和をもたらしている自衛隊の抑止力と米軍からの信頼は、旧軍人達の活躍によるものも大きいのではないでしょうか。
この時期くらいは彼らを支えた装具を紹介する機会があっても良いですよね。
今回はこれでおしまいです。
次回もお楽しみに!