地球人類は長い長い間、一部の支配層に、また、
ネガティヴな存在たちに、ネガティヴ(闇)を使って、
いいように利用されてきたのです。

それは、「恐怖」という感情を使うことで、
地球人類を支配出来ると企んできたからです。

ですから、そのようなネガティヴ・コントロールからは、
抜け出す必要があります。

ネガティヴ(闇)は、本来、ただ、そこにあるものであり、
ネガティヴ(闇)そのものが悪いわけではありません。

闇がそこにあることで、光の輝きが際立ちます。

地球人類は長い長い間、一部の支配層に、また、
ネガティヴな存在たちに、ネガティヴ(闇)を使って、
いいように利用されてきたのです。

それは、「恐怖」という感情を使うことで、
地球人類を支配出来ると企んできたからです。

ですから、そのようなネガティヴ・コントロールからは、
抜け出す必要があります。

ネガティヴ(闇)は、本来、ただ、そこにあるものであり、
ネガティヴ(闇)そのものが悪いわけではありません。

闇がそこにあることで、光の輝きが際立ちます。

この光と闇を、自分自身の中に統合させましょう、
ということです。

そして、放出する必要のあるネガティヴとは、
「恐怖」という感情です。

「恐怖」という感情はすべて幻想です。

足りない、足りなくなってしまうという
不足があると想うから、
心の根底に「恐怖」が生まれます。

死という終わりがあると想うから、
心の根底に「恐怖」が生まれます。

得られるものには限りがある、
物事には限界があると想うから、
心の根底に「恐怖」が生まれます。

これらはすべて、多次元宇宙には存在しないものです。

多次元宇宙には、不足も、死による終わりも、
限界も一切ありません。

このような「恐怖」の幻想から抜け出すことが、
ネガティヴ・コントロールから抜け出すことです。

ひふみは数え唄だがそのスケールが壮大である。
ひふみよいむなやこと、までで十、次にもで百、ちで千、ろで万、、、と最後のけ、までつづくととんでもない数になる。

まさに宇宙の大きさを思わせる。
このひふみをすべて一音にまとめると、オーの音となり、それが宇宙に鳴り響いている音だという。

あらゆる音を包括するオーには、あらゆる営みを肯定する音としての作用がある。
自分の利害にまったく関係ないことで私たちは感動した際、おもわずオーと発声してしまう。

純粋な驚きであり、あらゆる営みの肯定として出てくる音であることがわかる。
神事でもオーの発声から行うものは多い。

自分がいやになったときは、思いきり、おなかの底からオーと発声してみる。
すると自分と関係のないあらゆる物事が自分と関係して存在していることが体感上でわかる。
そして自分という自意識は消えていく。

結局、幸福とは、自分のことを忘れていられるかどうかなのだ。
自分のことをいつも常に考えているとき、人は不幸なのである。
オーの発声とともに自分を忘れる。

自分を忘れると自分とすべてのものが関係しているという体感が出てくる。
それが幸福である。満ちるとは、充ちるで、すなわち、十のこと。充足というように。

十とは、一桁上がる数で、立体の世界に入ること。
その前の九が苦で最も苦しいが、九を過ぎれば、窮すれば通ずで、十になる。
上から見れば苦しくなくなる。自由になる。

満たされるとは、すなわち、十の立体の世界に九から入ることを意味する。
その気が宇宙には充ちており、音となって響き渡っている。
そのことをひふみ祝詞は教えてくれる。というよりも体感させてくれる。

本当の祝歌だと思う。

多くの人が九の苦で立ち止まり、なんとかしようと苦心し、努力し、あがくが、それでは九からは抜けられない。立体には入れない。
そのカギは何かというと、自分を忘れることにある。

九の際にだれでもあがくが、ついにあがいてもダメだとなると、あきらめとはことなる受容の態度となり、そしてああしようこうしようという作為を捨てる段階が訪れる。

その時、すっと苦を受け入れると十の世界が開けてくる。
ああしよう、こうしようをあきらめ、自分を捨てた時、すっと十の世界が開ける。
世界は九では終わらない。そして十でも終わらない。

百、千、万、無限の立立体、複立体の世界が開けるのだと思う。
私もそれはわからないが、きっとそうなのだろうと思う。

私は東京には地震はまだ来ないと思っている者だが、そのほかの場所はわからない。きちんと調べたことがないからだが、地球規模の異変が起きており、その表れがいろいろな雲や数値などに表れているのだと思う。しかし日食以降、何かがやはり変わり出した気がする。人間の思いや価値観の変化がこれからスタートするだろう。変化しだしたらきっと早いと思う。あと、数年もしたら、ああ、自民党なんて、あったよね、、、。となっていることだってありうる時代。ソ連のときもそんな感じでした。動きはさらに早いのだから、縁がつながりやすい時代に入ったとも言える。ある思いを心に明確に抱くと、まるで用意さてていたような現実が即座に起きてくる。だからまるで自分が天に選ばれたような錯覚に陥る人もいると思うが、そういうなら全員が選ばれてこの時代に生まれてきたとも言える。物事の達成が早くなっている。悪いことを考えればそれに見合う人がどんどん現れ、悪事も実現しやすくなる。よいことを考えれば、同類の人が現れ、また実現を早くさせる。神がいろいろなステージを用意し、物事がなんでもはやく実現するように仕組んでいるようにすら感じる。縁あるものがあつまっていく。すべての人をあぶりだし、それぞれの場所にそれぞれの事柄に縁ある人を集め、一網打尽にするなり、新時代を作らせるなり、、、、とそんなところなのだろうか。あわれというのは、自分のことを神だと思っている人でありグループである。それが本当ならば仕方無いが、そうではない。知の限界が劇的に訪れようとしている。しかし地震は公平にわたしたちに訪れ、私たちを困らせる。悪人も善人もそれに協力して対処しなければならなくなる。そうした計画もあるのかもしれない。しかしもう人類は悲劇は苦労を通さなくても成長できる段階にきていてもおかしくない。私はそう思っている。もう戦争も地震も人身売買も薬物経済など、、、非人間的な事柄を通さなくても成長できる時代なのだ。生きるのにお金がかかるのはなぜ人間だけなのか。お金のためにどんなに多くの人間の魂と肉体と精神が悩み、病んだことか。私は人間がお金のことで苦労することは不当であると思ってきた。自らの欲望の結果としての苦労がそのほとんどであることも確かだとは思うが、お金を支配し、人間を奴隷化した文明がここにあることも確かだ。もう終えよう、そうした流れと違うものを生み出し、お金がなくても生きていける生き方を実践する知恵、工夫、魂、精神、を信頼しようではないか。地震雲がどんなあらわれようとも、それが現実になるとは限らない。今はすべてのことが瀬戸際にきている。あらゆる試練を通さずに新しい自由な生き方を私たちは作っていかなくてはならない。工夫すれば、そういう意識になれば必ずできると思う。

私たちは不幸に慣れすぎてしまっている。幸福はそんなに難しいものであるはずがない。そうでなければ人類はとっくに終えている。これだけ好きなようにされ、経済奴隷化されても私たちはなんとか生きてこれた。これこそが本当なら誰もが楽に生きられるという証拠でもあるのだ。戦争も必要なし。地震も必要なし、病気も必要なし、悩みも自殺も必要なし、もうちょっとですぐにそういう時代が来る。その条件は整いつつある。




「騙されるな」  北野武

***************************************


 人は何か一つくらい誇れるもの持っている


 何でもいい、それを見つけなさい


 勉強が駄目だったら、運動がある


 両方駄目だったら、君には優しさがある


 夢をもて、目的をもて、やれば出来る


 こんな言葉に騙されるな、何も無くてもいいんだ


 人は生まれて、生きて、死ぬ


 これだけでたいしたもんだ


先日の記事、「忙しい「3次元世界」と、
多次元世界とを如何に両立するか」は、
多少、特殊な例であるかもしれませんし、
地球の地表上で暮らしている一部の
宇宙人種たちに向けられたものであります。

それでは、一般的な普通の人々が、
これを両立するためにはどうすればいいのでしょうか。

物質界という「この世界」において、
日常の生活を送っていることは、とても忙しいですし、
時間が加速しているというのに、仕事量は減らず、
これをこなして過ごしてゆくのは目まぐるしく、
もう、それだけでも、余裕が無くなってきます。

その一方で、多次元領域宇宙の世界の存在を知ってしまい、
自分自身は、アセンションなど出来るのだろうか、
新しい水瓶座の時代という多次元世界へ
移行してゆけるのだろうかという、
不安や疑問を抱いたりでしょう。

意識のON/OFFの切り替えをする、
ということがよく云われています。

この場合、物質界という「この世界」がOFFで、
多次元領域宇宙の世界がONです。

物質界という「この世界」にいて、
日常の仕事を、意識をOFFにして行なうというのは、
如何なることでしょうか。

仕事というものは、本来、楽しんで行なうべきものなのに、
一般的な普通の人々は、仕事は生活のために、
仕方なく行なうもの、嫌なもの、辛いものだと、
思考してしまうことが多く観られます。

このような思考状態に身を置いていますと、
時間の流れに翻弄されるばかりで、
自分自身を見失いがちになります。

それは、行く当てを見失い、
時間の波を彷徨う難破船のようです。

楽しい時間は、夢中で、無心な状態なのであり、
あっという間に、過ぎ去っていってしまいます。

「いま・この瞬間に意識を置いて生きる」ことは、
このような、楽しい感覚、夢中で無心な状態に身を置くことです。

自分自身を中心軸に置くというのは、
感情的になる前に、理性を働かせることが大切です。

感情的になりそうになったら、その前に、
一呼吸を置くように、何度も深呼吸をすることが大切です。

この状態が、物質界という「この世界」を
OFFにする感覚です。

多次元領域宇宙の世界の感覚をONにするというのは、
このような意識状態の延長線上に拡がってゆく、という感覚です。

OFFをONにするからといって、その反対側に、
意識を置くということなのではなく、それはあくまでも、
「いま・この瞬間に意識を置いて生きる」上に、
自分自身を中心軸に置くことが主体です。

物質界という「この世界」は仮想現実世界であり、
多次元領域宇宙の世界のほうが、超現実的世界です。

このことを念頭に置いた上で、
感情に流されずに、理性の心を保持することです。

仮想現実世界で何事が起ころうとも、
それは、想念の延長線上にある出来事です。

想念の主軸は、超現実的世界である、
多次元領域宇宙の世界のほうであることが分かれば、
想念の在り方に、もっと、よく、気を配るようになるでしょう。

想念の在り方こそが、創造に繋がるものです。

私たち生命体が、小宇宙であり、小さな創造主であるのであれば、
大宇宙の中心であります創造主は、多次元領域宇宙の世界のほうに
存在することが分かりますから、こちらが超現実的世界です。

これが、自分自身と向き合い、自分自身の内側に
入ってゆくことのひとつの観方であり、
多次元領域宇宙の世界への意識を、
ONにするという感覚です。

このようなことが、「いま・この瞬間に、
意識を中心に置いて生きる」上に、
自分自身を中心軸に置くことの延長線上にある、
ということが、物質界という「この世界」に居ながらにして、
多次元領域宇宙の世界を両立することに繋がります。
急に政府がインフルエンザに対して騒ぎ出した。菌をばらまいてなければいいが。なぜ急に言い出すのか。学校が休みのいまどき、論理的にこれまで言っていることと合わない。まして、どうやって人数を集計しているのか、その根拠も怪しい。読売が率先してそれを宣伝している。まあ、どこまでも国民をばかにしている。
 今度は学生ではなくて、老人と妊婦が一番危険だという。そうだろう、老人は医療切り捨てで自民党に心底怒っている。妊婦は民主党の子育ての政策頼りに子供を産みたい。だから妊婦で自民党に入れる人はおそらく皆無。その両方は選挙に来ないでください、と言っているのと同じことではないか。老人のみなさん、妊婦のみなさん、選挙に行くとインフルエンザが怖いですよ、、の宣伝に間違いない。麻薬関係も、なぜノリピーばかりが騒がれるのか、押尾関連はぴたりと騒ぎが止まっている。おかしくないか、押尾関係は死人まででているのに。もしも密室で無理やり薬を押尾が飲ませたとしたら殺人罪になるのに、操作はすぐに事件性はないと言いだすしまつ。おかしくはないか。報道もおかしいぞ。そこまでして何を守ろうとしているのか。押尾関係を探っていくと、自民党の大物にまさかぶちあたるようなことではないと思うが、一体、なぜなのだ。
 というわけで、一度この国の秘密は、やはり民主党になってもらい、洗いざらい国民の前に知らせる必要があるのではないか。誰でも民主党になればうまくいくなどとは思ってなどいない。しかし、これ以上、自公が国を私物化することだけは許さない、、、というのが国民の大多数の考えなのだ。民主に政権をとらせ、これまでのかくされた事柄をとにかく暴いて欲しい、、、。どういう国にしていくかは、それからの問題だ。民主の仕事は格好をつけて一丁前に政権を担当するようなことではない。がむしゃらでいいから、真実を国民に知らせることだ。そのことを小沢も鳩山もわかっているだろうか。政権担当のプレッシャーに負ける必要はない。そんなもの、民主党ではダメだということぐらいわかっている。期待しているのはそんなことではなく、事実を知らせろ、、の一点である。国民の税金は何に使われ、いまいくら残っていて、誰が持ち逃げしたのか、、、誰がうまい汁を吸って国を私物化していたのか、、、それを教えろ、ということである。そして未来永劫、そういうことのない国をつくる、、、それはまたそれからの話しなのだ。しかし隠したい勢力も死にもの狂いになってくる。北のミサイルをお願いして打ってもらうことだってやるかもしれない、、、日本で行われていた壮大なインチキはそのくらいしても隠したい、、、そういう種のものだろう。だから用心に用心を重ねることだ。しかし、マスコミの中にも、これまで、、、と思ってみずから正直に真実を語りだす者もいないとは限らない。双方入り乱れの戦いが国民の目の届かないところで行われているが、インフル騒ぎひとつをとっても、この視点でみていけば、上が何を考え、何を操作しようとしているかがだんだんとわかってくるはずである。
このお題は、別の言い方をすれば、
目には見えない多次元領域の宇宙を知っていながら、
如何にして、仮想現実の「マトリックス」世界を生き抜くか、
ということでもあるでしょう。

自分自身は、インディゴ・チルドレンや、
クリスタル・チルドレンなのではないかと想われる方々は、
これを知った、比較的初期段階の時期には、
物質界という「この世界」を生き抜くことは、何て、
息苦しいのだろうかと感じることは大いに有り得るでしょう。

そして、何らかの危機感を抱くでしょう。

もう「この世界」には居られない、
何とかして「この世界」を抜け出さなければと、
想われることもあるかもしれません。

しかし、多次元領域宇宙へ入るために、
仮想現実世界である「この世界」から抜け出すことを、
「逃げる」、「逃避する」という想いに、
意識を向けていては、かえって、
道は遠のくことになるかもしれません。

ここで大切なことは、「認める」ということです。

自分自身が、いま、「この世界」に生きている
という現実を「認める」ということです。

あなたは、どうにかして、何とかして、
どうしたら「この世界」を抜け出せるだろうかと、
危機感を抱いたかもしれません。

しかし、逆に云えば、多次元領域宇宙へ入るために、
あなたは、「この世界」にやって来たのだ、
という見方も可能ではないでしょうか。

もちろん、非物質宇宙の中にいたときのほうが、
多次元領域宇宙間の移動が、難なく、
可能であったことでしょう。

それを、今回はあえて、物質肉体を伴って、
それを実行するというテーマを持って、
あなたは、「この世界」に生まれて来たかもしれません。

このことは、非常に困難を極めます。

非常に困難を極めるが故に、
霊性進化の最短コースであります。

つまり、霊性進化の最短コースを往くということは、
最難関を突破していかなければならないことですから、
偉大なる挑戦でもあります。

きっと、あなたの魂は、情熱に燃えていたのでしょう。

それが、「この世界」に生まれて来て、いつの間にか、
不安や恐怖といったものに支配されてしまい、
すっかり、忘れてしまったのでしょう。

仮想現実世界である「この世界」では、
不安や恐怖という罠が仕掛けられていました。

しかし、それは、ゲームでいうところの、
単なる「落とし穴」程度のものに過ぎません。

ですから、不安も恐怖も、単なる幻想に過ぎないのです。

物質界という「この世界」が、
仮想現実世界であるということを「認め」、
そのようであるならば、不安や恐怖も幻想である
ということを「認める」ことが出来るでしょう。

そうしたら、次は、自分自身と向き合うということです。

“自分自身を信じることが出来なければ、
他人を信じることが出来ない”

ということが云われますが、逆に言えば、

“周囲を認めることが出来れば、自分自身を認めることも出来る”

ということにならないでしょうか。

そのとき、安心して、自分自身の内側に
向かっていくことが出来るでしょう。

多次元領域宇宙への入口は、そこにあります。

ですから、なるべく多くのものを「認める」ということです。

「認めた」分だけ、世界が拡がってゆくのですから、
物質界という「この世界」も有りなんだという、
発想に切り替えることが大切です。

何としてでも、あなたは生きていてほしい。

それが、「ただ単に生きている」だけであったとしても、
その目で、「弥勒の世」の世界を見届けるまでは、
どんな理由付けでもいいですから、とにかく、
あなたには、生き続けていてほしいのです。

あなたは、地球が必要としているから、
「この世界」に生まれて来て、生かされています。

多次元領域宇宙へ入るためには、
「安心感を得る」ということが鍵となります。

物質界という「この世界」を認めることが出来たならば、
安心感を得て、両方の世界を両立することが出来るでしょう。
相変わらず、イルミナティの情報に
振り回されている方は多いかもしれません。

他でも、伝えられているかもしれませんが、
念のために、このブログ上でもお伝えしておきます。

イルミナティについては、多くの誤解があり、
(フリーメーソンについても、いわゆる、
古代フリーメーソン派においては)、
これについても、他で書かれてあるかもしれませんが、
私も、古代グノーシス派の教えを尊重するために、
ここにお伝えしておきます。

イルミナティの本来の意味は、
“光輝くものたち”のことであり、
それは、地球内部世界「アガルタ」の中心地、
シャンバラのマスターたちのことであり、
つまり、大白色聖同胞団のことを指します。

1年ぐらい前にも、申し上げましたが、
いわゆる、インターネット上で騒がれている、
イルミナティの悪性宇宙人種は、もうとっくに、
この地球上から離れています。

いま、現存している闇の残党勢力は、
闇の親分は、もうとっくに居なくなってしまったというのに、
ネガティヴ・コントロールから抜け出すことが出来ず、
自暴自棄になって、あがいている連中のことです。

ですから、闇の残党勢力と呼ばれます。

これらの情報に縛られている限り、
彼らのネガティヴ・コントロールから、
抜け出すことは、決して出来ません。

彼らのネガティヴ・コントロールは、
とにかく、私たちの不安や恐怖を
煽って来ることに必死です。

食糧危機が訪れると煽る問題も然りです。

彼らの情報に焦点を合わせて、
不安や恐怖を募らせている限り、
何の解決策も見出されません。

彼らは、少しでも、地球人類の目覚めを、
遅らせようと、無駄な努力と、
意地を張っているだけです。

聖書で云われるところの有名な、
「ヨハネの黙示録」で書かれている予言とは、
その大部分が、西暦2013年~2020年の間に、
起こる確率が高いと云われているものです。

それは、3次元物質界という
「この世界」の延長線上にあって、
起こって来る可能性のある事象です。

「この世界」は、後方に、そして最下層に、
取り残されてゆく残像の世界です。

彼らのネガティヴ・コントロールに掛かったままで、
彼らの情報に縛られ続ける限り、そのような方々は、
「この世界」に、取り残されてゆきます。

それは、つまり、「ヨハネの黙示録」をそのままに、
その予言の通りに、体現して生きてしまう
ということになります。

それは例えば、占い情報をチェックしていて、
占いの通りに当たった!と思い込んでいるようなものです。

このようなことは、
自分自身の意思を他のものに委ねてしまい、
本当の自分自身を生きていない状態です。

運命は、時には、他者からの介入によって、
揺り動かされ、予想だにしない方向へと
辿り着くことがありますが、基本的には、
自分自身の意思で運んでゆくものであり、
それをすべて放棄してしまい、
他のものに依存しているのです。

そのようにならないためにも、
心と魂の浄化を、絶対に、
疎かにしてはいけないのです。

ですから、私たちは、少しでも高く、
意識と周波数を高めて上昇させていく
必要があるということをお伝えしております。

いま、この時期に、“36”や、“369”、“567”、
“666”、“999”などの「弥勒の世」を表す数字を、
意図的にではなく、さり気なく、そして、
頻繁に見せられるということがあるのであれば、それは、
5次元領域以上の高次元世界と「この世界」との、
両方の住人となっていることを告げるものです。

それは、いつでも、「この世界」を
離れる準備が出来たということであり、いつでも、
アセンション可能であるというサインです。

これは、私たちのこの時期においての、
最重要なサインであり、アセンションの移行過程です。

しかし、だからもう安心、という意味ではありません。

私たちは、この移行過程の最中においても、
更なる高みを目指して、霊性向上の道を学び、
励んでゆくことを必要とされています。

そして、「内なる神を見出す」という教えについて、
三位一体の教えについて、説かれていないものは、
すべて、ニセモノです。

もちろん、「内なる神を見出す」ために、
不安や恐怖を掻きたてられて、
多額のお金を要求されたり、
おかしなマインド・コントロールを
掛けられたりするようなものは、
ハッキリと申し上げますが、ニセモノです。

ここが、正念場です。

私たちは、最善なる思考のもとに、
直観と閃きとをよく見逃さずに、
全力を尽くし続けましょう。
これまでの文明は、よりよき未来、、、夢、希望、理想、正義、、、というものを背景として拡大発展してきた。言葉の聞こえはいいものばかりだが、どれもリアルなものではない。いつかきっと、、、も美しいが、すでに美しいものにはかなわない。大衆には手ごたえのない夢や希望など現実でないものを与えて、本当のリアルの部分は極一部に奪われてきたのが、今の文明だ。人をだますときに、もっとも都合がいいものが、夢、希望、前進、理想など。愛情などもそれらと同じに使われてきた。テレビ番組などでも、人生訓といえば、いつまでも夢を捨てない、、、という内容が多い。夢を追うことはそんなに素晴らしいことか。子供などは現実を楽しんでいる。大人だけが夢を追うなどの幻想につかり、現実をリアルに生きようとしない。見つめようとしない。だからどうしても弱くなる。もろくなる。リアルに根ざしていないから仕方ない。経済が見事にこうした価値観を利用し、人類に夢と希望を与えるふりをしながら、現実は金の奴隷として縛ってきた。金利の発明、悪知恵。未来に向けた新たなお金の創出。人間がリアルに即して生きると、そんなにはお金や物を必要としない。だからそれだと上の人は困る。リアルに持っているお金は少ないので、未来を質にとることで、金を貸出し、いろいろなものを買ってもらう。そうすると経済は発展するので、上が儲かる。春分点がうお座時代はまさに理想を人に追いかけさせることで人を現実には縛ってしまう時代だった。ほぼ全員が見事にやられた。経済学を本当に理解している人は実は少ないと思う。もちろん私も門外漢だし詳しいことはわからないけど、その危険やインチキ性は何となくわかる。資源を掘り起こし、いろいろな物を作り、産業をこしらえることは、本当に経済だろうか。私は嘘だと思う。確かに鉄一トンから高級車が作られれば、単なる資源に付加価値がついて、すばらしいことではあるが、それを購入するには、未来から金をもってくることになる。現金で買える人も多いとは思うが、まだ経済が復興してないときから人類はスタートしたわけで、最初から高級品や高価なものを買える人など、王様以外にはいなかったはずだ。だから一般はお金がなくても実は生きていられた。基本的に、お金とは、未来のどこからか、持ってくることで手に入るという性質がある。だから、その担保は未来であり、時間を売ることとなる。人がどんなにすごいものを作っても、それが経済の中に取り込まれると、負債とイコールの構造となってしまう。となると、経済は無から有を生み出すものとは違うわけで、決して富を生み出さない。お金を貸し出す人以外には。経済や今の文明は、だからお金を貸し出す人のために存在することがわかる。ではそれ以前の経済とお金の関係はどうだったかというと、まだかなりの部分、リアルと金がつながっていた。稼いだ分だけ使う、、、という形。こうなると経済も文明も大きくなりにくい。上記の説明によってそれはわかると思う。では一部の金持ちはどのようにして経済を作ってきたのだろう。実はこれも簡単なことなのだ。人間を売ったのだ。男はとっつかまえて死ぬまで働かせる、、、満足な食事も与えない。しかしだんだんと学んでいき、どの程度まで食事を与え、生かしておいたほうがより利益を生むか、、、ようするに管理である。女性はもっと悲惨だったろう。法の及ばないところに行って、若い女性を片っ端から奪い去りて、どこかに売り飛ばす、、、こうしていけば、無から一応富が作れる。経済はまずはリアルの強奪から始まり、さらに効率の良い、未来の強奪をして、ついに行き詰ったのだ。現代の仕事の内容、企業の内容、地に落ちた倫理感などは、今始ったことではなく、文明と経済の遺伝子の中に、その中枢にもともと入っていたものだから、なぜか似ている。大消費のために戦争を起こすことも、強制収容所をつくることも、もちろんなんということはなく、できる。なにせ、出発からしてそういうものだったのだから。なぜ私がこのような面白くない話しをするのかというと、要するに、地球は悪魔的なものが支配してきた構造があるからだ。とんでも話しとは違い、情のない人間が最大利益を考え、似たようなもの同士が協力しあい、時には殺しあいもしただろうが、だんだんとそうしたタイプの勝利者が多くなっていったということだ。そして強欲過ぎたばかりにすべての人類を巻き込んでジエンドとなりつつある。本当に馬鹿にした話しである。なぜ、学校の授業がつまらないのか、、、それは勉強自体がつまらないのではなく、勉強する目的とそれに携わる一連の内容が、非人間的で、単に一部の勝者とつくり、こうした無慈悲な文明や経済を担う人材づくりと関係しているからなのだ。学校ですらそうなら、まして仕事が面白いはずもない。しかし今、こうしたひとつの文明が終え、新しいこれまでのものと異なる文明が始まろうとしている。それにはまだまだ100年はかかると思うが、すでにこの流れを止めることも変えることもできない。大きな時代のプレートから滑り落ちそうな人は必死である。これまでだって、利益のために戦争だって疫病だってまき散らし、枯れ葉剤で緑を毒に変え、何だってやる。無から富を生み出すことが金儲け至上主義者の考えだから、本当に恐ろしいものがある。一番もうかるのは、人体だということに悪魔的な一部は気づいたので、うかうかしていられない時代でもある。秀吉は日本から大勢の若い女性が大陸に連れ去られるのを見て、それに宣教師などがかかわっていると直感して激怒したという。今も昔も強欲な者が考えることはおなじかもしれない。なぜ地球に平和が訪れないのか、、、麻薬、人身売買、臓器商売、戦争、不安、不幸、羨望、嫉妬、などが、金儲けに大きくかかわるからに他ならない。せめて現代人はもうだまされてはいけないと思う。戦争は本当にしかたないものなのだろうか。私は50年以上生きてきて、知り合いが殴りあう姿も、まして殺しあう姿も見たことなどない。個人でさえそうなのだ。本当に簡単に人を殺すような人は極極一部であり、それも薬関係などが圧倒的に多いのではないだろうか。一個人よりも、ずっと法的に整備され、理性もあるであろう、国家間でなぜ戦争が起こるのか。不自然極まりない。これまでの悲惨な歴史は仕方なく起きたものなどではなく、利益のために起こされたわけだ。民主主義という人気とりで、それが維持されている。そして民主主義などという高度なだましなど必要ないと思われた地域では、いまだって法など建前で、邪魔な人間などは棍棒で殺される。歴史の神様、時代の神様は、もう見ていられなくなり、金輪際の悪の世を立て直す、、、という宗教も出てくる。いま起きている中国の暴動なども、暴動といえば鎮圧、という絵が正当化されるが、本当に暴動なのか。単なる人殺しなのではないかの疑問がある。しかし、中には子供や赤ちゃんもいるはずで、やはりおかしいよね。もう決してそういうことは許されない。どんな事情があるにせよだ。ユングは人間の心の中を見抜くことで、この世が間違いなく悪魔的なものが動かしていることを見抜いたが、それから70年がたち、ユングの認識はもう多くの人の目にわかるようになってきた。嘘と方便の世はそろそろ終わりにし、安心して生きられる時代にしていこうではないか。変な人たちは、そろそろお引き取り願いたい、そういうときにきました。
先日の記事、
「過去は、ひとつも失われていない」と同様に、
私たちの物質界という「この世界」の中では、
未来はいまだ、起こってはいませんが、
数々の選択肢とともに、異なる
時間空間軸の中で存在しています。

このようなことをお話しするのは、
このブログ上で、なぜ、たびたび、
「ウイングメーカー」のことを
取り上げるのかにも関連しています。

「ウイングメーカー」とは、未来の地球人です。

彼ら彼女らは、遠い未来の時間空間軸からやって来て、
いま・ここにも存在しています。

それでいて、遥か昔の遠い
宇宙原初の時代のことも知っています。

「ウイングメーカー」とは、時間と空間を
過去-現在-未来のどの領域にも縛られずに、
自由自在に行き来する旅人であり、
多次元領域宇宙におけるセキュリティ集団です。

このようなことが、多次元領域宇宙という
霊的な世界の中においては、
過去-現在-未来が、いま・この瞬間に、
同時に存在することの所以です。

今回の地球のアセンションにより、
3次元領域、また、4次元領域が消失する、
無くなる、取り除かれるということは、
一般的な人々が、物質界という「この世界」の中にいて、
時間は直線状だと思い込まされていた概念が、
取り払われることであり、過去-現在-未来が、
いま・この瞬間に、一極集中するための、
異次元の扉が大きく開かれるということです。

未来の出来事には、幾つもの可能性があります。

しかしながら、大筋の宇宙のイベントは決められています。

古代アトランティス文明の大司祭であります
トート著で、M・ドーリル博士編『エメラルド・タブレット』
の中にも、次のように書かれてあります。


人間の未来は、宿命的には決まっていないが、
神我一体となるための大略のコース(周期)は決まっている。



その、大筋の宇宙のイベントを通過点として、
通り過ぎてゆく、それぞれの過程には、
幾つもの可能性があるのであり、どの道程を
通ってゆくのも自由であるということです。

いま現在進行中の、地球のアセンションは、
もはや、決して、避けられるイベントではありませんが、
この大きなイベントを通過しますと、
過去-現在-未来が、いま・この瞬間にあることが、
実体験としてリアルに活きてきます。

それまでの移行過程である、この時期においても、
「未来が、いま・ここにある」ということを知る鍵も、
小宇宙である、私たちの内なる意識の中に
入ってゆくことです。

それは、左回りに渦を巻くように回転しながら、
螺旋状に上昇する中にあります。

未来には、幾つもの選択肢がありながら、
各自が本当に望むべき未来を、
意識の中で強くイメージすることです。

そのようにして、複数の選択肢のある
いま・ここにある未来の中から、各自にとって、
最良な瞬間を取り出します。

そうすることで、大筋の宇宙のイベントの間と間を、
大難を小難に抑えるが如く、過ごしてゆけるはずです。