これまでの文明は、よりよき未来、、、夢、希望、理想、正義、、、というものを背景として拡大発展してきた。言葉の聞こえはいいものばかりだが、どれもリアルなものではない。いつかきっと、、、も美しいが、すでに美しいものにはかなわない。大衆には手ごたえのない夢や希望など現実でないものを与えて、本当のリアルの部分は極一部に奪われてきたのが、今の文明だ。人をだますときに、もっとも都合がいいものが、夢、希望、前進、理想など。愛情などもそれらと同じに使われてきた。テレビ番組などでも、人生訓といえば、いつまでも夢を捨てない、、、という内容が多い。夢を追うことはそんなに素晴らしいことか。子供などは現実を楽しんでいる。大人だけが夢を追うなどの幻想につかり、現実をリアルに生きようとしない。見つめようとしない。だからどうしても弱くなる。もろくなる。リアルに根ざしていないから仕方ない。経済が見事にこうした価値観を利用し、人類に夢と希望を与えるふりをしながら、現実は金の奴隷として縛ってきた。金利の発明、悪知恵。未来に向けた新たなお金の創出。人間がリアルに即して生きると、そんなにはお金や物を必要としない。だからそれだと上の人は困る。リアルに持っているお金は少ないので、未来を質にとることで、金を貸出し、いろいろなものを買ってもらう。そうすると経済は発展するので、上が儲かる。春分点がうお座時代はまさに理想を人に追いかけさせることで人を現実には縛ってしまう時代だった。ほぼ全員が見事にやられた。経済学を本当に理解している人は実は少ないと思う。もちろん私も門外漢だし詳しいことはわからないけど、その危険やインチキ性は何となくわかる。資源を掘り起こし、いろいろな物を作り、産業をこしらえることは、本当に経済だろうか。私は嘘だと思う。確かに鉄一トンから高級車が作られれば、単なる資源に付加価値がついて、すばらしいことではあるが、それを購入するには、未来から金をもってくることになる。現金で買える人も多いとは思うが、まだ経済が復興してないときから人類はスタートしたわけで、最初から高級品や高価なものを買える人など、王様以外にはいなかったはずだ。だから一般はお金がなくても実は生きていられた。基本的に、お金とは、未来のどこからか、持ってくることで手に入るという性質がある。だから、その担保は未来であり、時間を売ることとなる。人がどんなにすごいものを作っても、それが経済の中に取り込まれると、負債とイコールの構造となってしまう。となると、経済は無から有を生み出すものとは違うわけで、決して富を生み出さない。お金を貸し出す人以外には。経済や今の文明は、だからお金を貸し出す人のために存在することがわかる。ではそれ以前の経済とお金の関係はどうだったかというと、まだかなりの部分、リアルと金がつながっていた。稼いだ分だけ使う、、、という形。こうなると経済も文明も大きくなりにくい。上記の説明によってそれはわかると思う。では一部の金持ちはどのようにして経済を作ってきたのだろう。実はこれも簡単なことなのだ。人間を売ったのだ。男はとっつかまえて死ぬまで働かせる、、、満足な食事も与えない。しかしだんだんと学んでいき、どの程度まで食事を与え、生かしておいたほうがより利益を生むか、、、ようするに管理である。女性はもっと悲惨だったろう。法の及ばないところに行って、若い女性を片っ端から奪い去りて、どこかに売り飛ばす、、、こうしていけば、無から一応富が作れる。経済はまずはリアルの強奪から始まり、さらに効率の良い、未来の強奪をして、ついに行き詰ったのだ。現代の仕事の内容、企業の内容、地に落ちた倫理感などは、今始ったことではなく、文明と経済の遺伝子の中に、その中枢にもともと入っていたものだから、なぜか似ている。大消費のために戦争を起こすことも、強制収容所をつくることも、もちろんなんということはなく、できる。なにせ、出発からしてそういうものだったのだから。なぜ私がこのような面白くない話しをするのかというと、要するに、地球は悪魔的なものが支配してきた構造があるからだ。とんでも話しとは違い、情のない人間が最大利益を考え、似たようなもの同士が協力しあい、時には殺しあいもしただろうが、だんだんとそうしたタイプの勝利者が多くなっていったということだ。そして強欲過ぎたばかりにすべての人類を巻き込んでジエンドとなりつつある。本当に馬鹿にした話しである。なぜ、学校の授業がつまらないのか、、、それは勉強自体がつまらないのではなく、勉強する目的とそれに携わる一連の内容が、非人間的で、単に一部の勝者とつくり、こうした無慈悲な文明や経済を担う人材づくりと関係しているからなのだ。学校ですらそうなら、まして仕事が面白いはずもない。しかし今、こうしたひとつの文明が終え、新しいこれまでのものと異なる文明が始まろうとしている。それにはまだまだ100年はかかると思うが、すでにこの流れを止めることも変えることもできない。大きな時代のプレートから滑り落ちそうな人は必死である。これまでだって、利益のために戦争だって疫病だってまき散らし、枯れ葉剤で緑を毒に変え、何だってやる。無から富を生み出すことが金儲け至上主義者の考えだから、本当に恐ろしいものがある。一番もうかるのは、人体だということに悪魔的な一部は気づいたので、うかうかしていられない時代でもある。秀吉は日本から大勢の若い女性が大陸に連れ去られるのを見て、それに宣教師などがかかわっていると直感して激怒したという。今も昔も強欲な者が考えることはおなじかもしれない。なぜ地球に平和が訪れないのか、、、麻薬、人身売買、臓器商売、戦争、不安、不幸、羨望、嫉妬、などが、金儲けに大きくかかわるからに他ならない。せめて現代人はもうだまされてはいけないと思う。戦争は本当にしかたないものなのだろうか。私は50年以上生きてきて、知り合いが殴りあう姿も、まして殺しあう姿も見たことなどない。個人でさえそうなのだ。本当に簡単に人を殺すような人は極極一部であり、それも薬関係などが圧倒的に多いのではないだろうか。一個人よりも、ずっと法的に整備され、理性もあるであろう、国家間でなぜ戦争が起こるのか。不自然極まりない。これまでの悲惨な歴史は仕方なく起きたものなどではなく、利益のために起こされたわけだ。民主主義という人気とりで、それが維持されている。そして民主主義などという高度なだましなど必要ないと思われた地域では、いまだって法など建前で、邪魔な人間などは棍棒で殺される。歴史の神様、時代の神様は、もう見ていられなくなり、金輪際の悪の世を立て直す、、、という宗教も出てくる。いま起きている中国の暴動なども、暴動といえば鎮圧、という絵が正当化されるが、本当に暴動なのか。単なる人殺しなのではないかの疑問がある。しかし、中には子供や赤ちゃんもいるはずで、やはりおかしいよね。もう決してそういうことは許されない。どんな事情があるにせよだ。ユングは人間の心の中を見抜くことで、この世が間違いなく悪魔的なものが動かしていることを見抜いたが、それから70年がたち、ユングの認識はもう多くの人の目にわかるようになってきた。嘘と方便の世はそろそろ終わりにし、安心して生きられる時代にしていこうではないか。変な人たちは、そろそろお引き取り願いたい、そういうときにきました。