潜在能力を開花し、健康に豊かに天命を感じながら生きる!
心と身体の氣功整体師 ジョーです。
【熊野本宮大社】癒手道講師の玉置山~熊野三山ツアー
玉置神社の次は、熊野本宮大社です。
熊野本宮大社の鳥居
移動中はかなり降っていましたが、到着するとピタッと雨が止むというミラクルが連続します。
大体、私は雨男ですが、陽あたり先生は晴男で、陰陽調和されているのでしょう(笑)
まずは鳥居で一礼してくぐりますが、この時の礼の仕方があります。
セミナーでいつもお伝えしている、一瞬で目の前に道が開く祓いの礼です。
本来、参道の真ん中は神様が通る道で、右端又は左端を歩きましょう。
神社によっては右側通行、左側通行としきたりが違いますが、熊野本宮大社は右側通行でした。
主際神は、家津美御子神(けつみみこのかみ)スサノオノミコトです。
熊野の神々は自然信仰に根ざしていましたが、奈良~平安時代にかけて熊野は仏教・密教・修験道の聖地ともなり、神=仏であるという考え方が広まりました。
その影響を受けた三山は結びつきを深め、同じ12柱の神々(=仏たち)をおまつりするようになります。
熊野三山の神秘性はますます高まり、平安時代の末には「浄土への入り口」として多くの皇族や貴族がお参りするようになりました。
浄土へお参りし、帰ってくるということは、死と再生を意味します。
そのため熊野三山は「よみがえりの聖地」として、今なお多くの人々の信仰を集めています。
神秘的なもやがかかり、熊野の神々を感じます。
歴史を遡ると、古代本宮の地に神が降臨したと伝えられていて、
三本の川の中州にあたる聖地、大斎原に社殿が建てられていました。
奈良時代には、仏教伝来と共に神仏習合となっていったようですね。
大斎原(おおゆのはら)は、熊野本宮大社が明治22年の大水害で流される前の旧社地です。
大斎原は、熊野川・音無川・岩田川の3つの川が合流する中洲にありましたが(現在は川の形が変わり、明確に中州の形はみてとれない)、 明治22年(1889年)8月に大水害がおこり、大斎原の熊野本宮大社は多くの社殿が流されました。
移動中に見つけた清流を動画にしました。
瀬織津比賣が私達の穢れを祓っているようで、
力強さと繊細さを兼ね備えた、心落ち着く水の流れです。
どうぞ、再生してみて下さい↓ ↓
大祓詞を唱えてみましょう♪
最高の祓いの言霊が発生しますよ↓ ↓ ↓
すっごく良い音がしたので買ってみました。
六甲山の瀬織津姫の磐座から降りてくるエネルギーを感じてください