ニーチェは、「退屈した人間は苦しみを欲する」と切れ味鋭く分析しています。

 

退屈ほど人間を苦しめるものはないのですが、

その退屈よりも人間は、負荷がかかる状態、

緊張、逃走、闘争、否定、怒り、不満・・・

なんと言ってもよいのですが、

いわゆるストレス状態を選び、生きていることを実感したいのです。

 

衣食住が足りている現代人(一見幸福な人たち)は、

何もしなくとも、何かに取り組んでも、

なんだかわからない不幸に襲われてしまします。

 

ハイデッカーはこれを不自由のない生活に巣食う不幸だと説明しています。

確かに、ギャンブルなどは金銭が欲しいからではなく、

賭け事に興奮して不幸な状態から自分の思いをそらし、気を紛らわせることができます。

 

「幸福に生きる」ということは、

何かを成し遂げる、家族、健康、豊かさ、快楽を目指すのではなく、

こういったものが失われた時にこそ、その人の幸福論の真価が問われることになります。

何が人にとって幸福であるかという問題は、

最近になってようやく統計学的な研究が始まったばかりで、

模索段階であり、私たちが耳にする幸福度とはその初期仮説に過ぎません。

 

さらに、既婚者が独身者よりも幸せだ、仕事で成功すれば幸せだ、

といったような心理学的、社会学的知見には相関関係は認められますが、

結婚、成功すれば幸せになれるという因果関係はありません。

 

真の幸福とは、このような統計的尺度によって比較された幸福度ではなく、

そのようなものでは測れない人間の幸福、すなわち、 達成感や成功ではなく、懸

命に努力しても、願いつつも叶わなかったときにこそ、

私たちの幸福感が試されることになります。

意識とは焦点をあてたところ、自分の都合の良いところしか見なくなります。

しかも、その焦点は常に変化して移り変わっています。

そうすると、そこから離れたところにある事実がみえなくなります。

 

勿論、フォーカスすることは、人間が認識することとしてあたりまえですが、

そこに執着や思い込みが入ってピンとがずれてしまいます。

 

自分はこうだと思う自分はすでに妄想。

自分が幸福だと思っているものが、

じつは幸福ではなかったということになります。

 

よきふれ方とは何でしょうか。触覚の最大のポイントは、

それが親密さ、信頼関係にも、不安や不快感にも通じていることです。

人が人のからだにふれるとき、

そこにはどのような緊張があり、

信頼があるのかを考える必要があります。

私たちは、日常でも相手になにげなくふれていますが、

ふれられていることを許せるとすれば、

それはその人が相手を信頼しているからです。

逆に言えば、ふれる人は、

まずはその人に信頼してもらわなくてはならないのです。

「ふれる」と「ふれられる」が、

不安や恐怖を感じさせない仕方で同時に成立するのは、

信頼関係が不可欠になります。

「ふれるとふれられている」という確かさの中で、

緊張は安心に変わっていきます。

そして、ふれる側はふれるという出来事の主導権を行使し、

ふれられる側は逆に主導権を相手に手渡すことが大切になります。

 

人間関係は、相互関係で互いに依存関係にあります。

しかし、相手に依存すれば(相手を否定、相手に変化を求める)、

それは、即ちコントロール不能になります。

自分や相手が存在しなければ、そもそも悩みは発生しません。

そこで、心(欲求不満や葛藤)を心でコントロールすることではなく、

心を体からコントロールすることが必要です。

エリスは、苦悩に論理的解釈(知性)で乗り越えることを説きましたが、

感情が暴れ馬のように興奮(大脳辺縁系の情動)しているときに、

現実的な効果があるとはいえません。

では、どうすればよいでしょうか。

人間関係の不満や葛藤を生理学的に見ていくと

案外かんたんな解決法が見つかります。

 

例えば、脳幹に存在するドーパミン駆動の神経核(A10神経)は、

適応に必要な活力を再生します。

脳幹部により、前帯状回(ぜんたいじょうかい)が活性化して、

「快適」さ「やる気」「意欲」が高まっていきます。

また、「感情」や「心の働き」に深くかかわっている側坐核(そくざかく)、

扁桃体系(へんとうたい)「幸福感」と関係する楔前部(けつぜんぶ)の

回路網のニューロン活動を調整して、精神的安定を作りだすことができます。

(2017.ニューロサイエンス.BTU)

 

また、触れ合うことで脳内にオキシトシンが分泌されますが、

最近になって、オキシトシンは、下視床下部で合成され

下垂体後葉に運ばれるだけではなく、

分泌されたオキシトシンは扁桃体や大脳皮質など、

脳の中において作用しているのではないかと考えられています。

オキシトシンは、精神的な安らぎを与えるといわれる神経伝達物質の

セロトニン作動性ニューロンの働きを促進することでストレス反応を抑え、

人と交わったりする社会的行動への不安を減少させます。

このような、たくましく生きるために、客観的に自分を捉え、

あるいは感じて(メタ認知・「自己」を「自己以外」から客観する能力)、

適応させていこうとする態度は、本来、人間が持っている

「うまく、よく生きる」ための強い能力なのです。

 

脳幹部の働きは、「自分の中にある正しさ」と

「外の世界の不合理や矛盾」を統合して受容する力の根源でもあるのです。

人間関係の悩みとは、ある意味では、自分にとって異質、不都合なものを

取り入れることでもあります。

しかし、人間関係の悩みは不合理で非論理的です。

そこには、経験、知性や理性では解決できない矛盾があります。

なぜなら、そこで起きていることが、自分自身の「負の感情」と

どう向き合えばよいのかという問題だからです。

だからこそ、身体からアプローチするバランスセラピー学が必要になるのです。

 

あなたが属するコミュニティの人びとは、

あなたの能力を引き出してくれる人びとなのか、

自分たちのレベルにあなたを引きずり降ろそうとする人びとなのか。

あなたの周りにいる人は、あなたに限界を意識させる人だろうか、

限界を超えるよう刺激してくれる人だろうか。

あなたの思考を変化させ、もっと大きく考え、

いまと違う考え方をするよう迫ってくれる人たちを訪ね、

その人たちと接する時間を増やしていきましょう。

 

 

避けたい人間関係

1・支配しようとする人

2・愚痴や言い訳が多い人

3・自分と他人との境界線がない人

4・正論で攻めてくる人

5・感情的な人

 

対人関係は、協同か競争か、友好か対立か、上下関係か平等かの3つになります。

つまり、これらは相互作用になりますので、

一方的に支配、コントロールされるわけではありません。

例えば、出会う人は選ぶこともできます。

すでに出会っている場合は、自分の感情コントロールすることで変化が起きます。

さらに、印象形成を変化させることも可能です。

印象形成とは、「他者に関した限られた情報を手がかりとして、

その人物の全体的なパーソナリティを推論すること」です。

人は,意識的,無意識的に関わらず、

人物に対して何等かの印象を形成していいます。

容姿や表情、服装などの外見についての印象や性格や

態度などの内面についての印象です。

この印象は、周りからの評価や相手の態度だけで掲載されていません。

むしろ印象を持つ方のストレス度が重要なカギとなっています。

無理なストレスがあれば、錯覚や勘違い、偏見、誤解が起きてしまうのです。

例えば、相手を見ようとせず、噂や周りの評判を重視、

自分の都合の良い物語を作るこじつけ印象形成をします。

もう少し、詳しく見ていきましょう。自分を引き上げてくれる人、

自分を応援してくれる人に出会うためには、

自分自身の脳のコンデションが鍵を握っています。

 

素晴らしい人との出会いは、脳の前頭葉の中でも、

眼窩の上にある部分の眼窩前頭野が関係しています。

この部分の血流が低下していると前述したストレス反応として錯覚や勘違い、

偏見、誤解が起き、相手の欠点だけが目立ってしまい、

なかなか素晴らしい人との出会いに気づけなくなります。

人を見る目が曇ってしまい、感性が鈍ってしまうのです。

孤独になる

一般に孤独というとあまり良いイメージがありませんが、

それは、孤立と混同して使われているからです。

孤独を愛さない人間は、自分を愛さない人間にほかなりません。

なぜなら、孤独でいるときにのみ人間は自由でいられるからです。

そして、孤独は人間の成長に不可欠なものです。

他者の評価を恐れず、嫌われることや承認されないかもしれない

不安や心配を克服しなければ、自己決定を貫くことはできません。

 

「犀の角のようにただ独り歩め」とブッタは教えています。

サイの頭部に太い一本角のように、

独りで自らの歩みを進めなさいという意味です。

犀の角という比喩表現は「孤独」を意味します。

このようにブッタが孤独を勧める背景には、

私たちの悩みは人間関係から起こるとの分析があります。

つまり、悩みを生み出す原因が人のつながりにあるのなら、

そこから一時的に離れてみることが心の成長に必要ということです。

 

ブッタは悩みの原因となる対人関係から距離をとるという意味での

孤独を勧めると共に優れた友との交流を勧めます。

一見して矛盾するように思われますが、

そのねらいは真に独立した人格を形成するためには

どちらも必要ということです。

そして、ここでの「友」は対人関係における友人に限定されません。

例えば、学生であれば自身がひたむきに学ぶ学問が「友」になり、

社会人であれば自身が責任をもって勤しむ仕事が「友」になります。

つまり、自身を成熟へと導くものが総じて「友」と呼ばれるのです。
様々なつながりを自覚した上で、孤独と向き合う時間は貴重です。

なぜ孤独が必要なのか。それは自分が本当は何を求めているのかを知るためです。

そのとき、学びや仕事は孤独を支えてくれます。

そして、その歩みの中で、真の「友」と出会うことができるのです。

 

人間関係で悩まない「リスクヘッジ」

 

いつかお互いに理解し合えるのではないか

という期待を抱くこと自体が、

さらに事態を悪化させる場合が少なくありません。

人間関係を考える上で自覚しておかなければならないことがあります。

それは、より良い人間関係には「コスト」がかかるということです。

人からのベネフット(利益)を得るには、

それなりのコストをかけなければなりません。

そのコストとは、労力と時間とお金の3つです。

それぞれを具体的に見ていきましょう。

まず、労力とは自分がしたくないことも相手のために行動することです。

時間は相手のために時間を割くこと、

お金はプレゼントや一緒に歓談するだけではなく、自分自身を磨き、

教養を高めるための費用です。

人間関係は、起こりうるリスクの程度を予測して、

リスクに対応できる体制を取って備えるリスクヘッジを取り入れる必要があります。

カウンセリングは、信頼性と専門性が非常に重要です。

自己研鑽を続け、専門知識をアップデートしましょう。

 

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