家族の距離は、近いほどいいわけでも、遠いほどいいわけでもない。
その人、その時、その場面で変わる「ちょうどよさ」があります。

5月9日のオンライン講座では、この「ちょうどよい距離」を

少し視点を変えてみます。

 

最近、家族の形は、以前とは変わっています。
同じ家にいても、別々の時間を過ごしている。

夕食の時間。
一人はリビングで動画を見ている。
一人は自室でオンラインゲーム。
一人はスマートフォンでやり取りを続けている。

会話がないわけではない。
ただ、「同じ場にいる」という感覚が薄れている。

これは問題でしょうか。
ある意味では、とても自然な変化です。

 

ニュースでも、「家族の個別化」はよく取り上げられています。
共働き世帯の増加、在宅ワークの普及、SNSの浸透。
それぞれが自分のリズムを持つようになりました。

一方で、こんな話も増えています。

「一日中一緒にいるのに、なんとなく疲れる」
「会話しているのに、かみ合わない」
「距離が近いはずなのに、孤独を感じる」

ここに、家族の難しさがあります。

 

ある家庭の話です。

休日。
久しぶりに家族全員がそろいました。
せっかくだからと、会話を増やそうとする。

話題を出す。
質問をする。
場を盛り上げようとする。

ところが、なぜか続かない。
沈黙が増える。
空気が少し重くなる。

「もっと話さなければ」と思うほど、うまくいかない。

 

別の家庭では、逆のことが起きています。

特に何もしていない。
それぞれが好きなことをしている。

同じ空間にいるだけ。
会話は少ない。

それでも、なぜか落ち着いている。

この違いは何でしょうか。

 

距離は、物理的な近さでは決まりません。
関わり方でも決まりきりません。

その手前にある「状態」で決まります。

疲れたまま近づくと、距離は近くても遠くなる。
整った状態では離れていても、つながりが感じられる。

ここが見落とされやすいところです。

 

最近のニュースで印象的だったのは、
「家族であってもひとりの時間を持つことが関係を安定させる」という研究です。

無理に一緒にいようとするよりも、
適度に離れる時間を持ったほうが、結果として関係が良くなる。

これは、肌感覚として納得できる話でもあります。

 

家族の距離は、「調整するもの」です。

近づく。
離れる。
少し止まる。

その変化中で、整っていく。

最初から正解の距離があるわけではありません。

 

講座では、こんな視点を扱います。

・なぜ関わろうとするほど、うまくいかないのか
・同じ場にいてもかみ合わないとき、何が起きているのか
・距離を変える前に整えるべきものは何か

特別な技術は使いません。
日常の中で、そのまま使える形で見ていきます。

 

家族は、一番近い関係です。
だからこそ、感情のズレが大きく感じられる。
距離の「感じ方」が変わると、関係の見え方も変わります。

 

 

 

5月9日。「近づきすぎて疲れる」でもなく、

新年度が始まりました。
この時期は、いわゆる「5月病」とも言われるように、変化が出やすい時期です。

気持ちの重さや動き出しにくさが見られる場面では、意欲や能力の問題としてではなく、

身体の緊張や日常の過ごし方とのかみ合いに目を向けることが大切になります。

回復は、先に身体の力が抜けるなどの変化が現れ、そのあとに行動が戻ってくる流れで進みます。

 

 

1増加は「例外」から、日常的に見られる現象へと変わった。

近年、日本において不登校、引きこもり、休職といったかたちは確実に増えている。小中学校の不登校は約35万人に達し、過去最多を更新している。重要なのは数の多さだけではない。この増加が一時的な変動ではなく、この10年で倍増している点にある。

すでにこの現象は「特別なケース」ではなく、日常の中に入り込んでいる。教室に来ていない生徒がいることは珍しくなくなり、登校しているかどうかという単純な区分では実態を捉えきれない。

教室には入らないが学校には来ている。授業には参加しないが別室で過ごしている。あるいは外出そのものが難しくなる。こうした違いが途切れずにつながっている。

 

2.原因を一つに絞れない

不登校の背景には、はっきりと一つに特定できる理由が見つからないことが多い。意欲の低下、生活リズムの乱れ、不安や抑うつ、人間関係の緊張、学習の遅れ。それぞれは単独で決め手になるとは限らないが、同じ時期に重なると、通うことが途切れるきっかけになる。

どれか一つに絞って対応しようとすると、全体が見えにくくなる。日常の中でいくつかの要素が同時に存在し、それぞれが影響し合いながら負担を強めている。

はじまりは、「少し疲れている」「今日は行きづらい」といった感覚として現れる。その感覚が抜けきらないまま日が過ぎ、休んでも元に戻りにくい時間が続いていく。

 

3.長期化を生む「戻らなさ」の構造。

現在の特徴は、長期化にある。年間90日以上の欠席や、1年以上続くケースが増えている背景には、「休んでも戻れない」という経過がある。横になっていても気が抜けず、頭の中では考えが止まらない。身体は休めているはずなのに、緊張が抜けきらない時間が続いている。

 

4.引きこもり・休職に共通する変化。

この傾向は、引きこもりや休職にも共通している。これまで回復は、元の生活に戻ること、仕事に復帰することとして捉えられてきた。しかし、休んでも戻れない時間が続く場面が増えている。

先に戻るのは行動ではない。身体の力が抜ける、安心していられるといった変化が現れ、そのあとに日常の動きが戻ってくる。この順番が入れ替わると、無理がかかりやすくなる。本人のペースで選べる余地が生まれることが、立て直しの土台になる。この見方は、支え方の違いというより、人がどのように回復していくかの理解そのものを変えていく。

休職においても同じことが起きている。業務量や責任、人間関係が重なり、休んでいても気が抜けないまま時間が過ぎていく。横になっていても考えが止まらず、戻るきっかけをつかみにくくなる。

 

5.「能力」ではなく「状態のズレ」を見る。

能力や意欲の問題としては捉えきれない場面がある。身体のはたらきと日常の過ごし方のあいだに、かみ合わない部分が生じている。横になっていても気が抜けず、身体の緊張がほどけないまま時間が過ぎていく。こうしたとき、休んでいても回復に結びつかず、戻るきっかけをつかみにくくなる。

そこで変えようとする工夫を増やすほど、気持ちは先に進もうとし、落ち着かなさが強まる。結果として足踏みの時間が長くなる。

立て直していく過程では、先に安心していられる感覚や身体の力が抜ける感覚が現れ、そのあとに日常の行動が変わっていく。この順序が崩れないことが重要になる。

 

6.教育モデルの支援が必要

不登校や引きこもり、休職の増加は、個人の問題にとどまらず、現代の生活の中で、人がどのように疲れ、立て直しにくくなっているかを示している。外からの働きかけや新たな対処を重ねるだけでは届かない場面が増えている。

いま求められているのは、現れている行動だけでなく、その背後で身体の緊張がどのように残り、考えがどのように続いているのかを見る視点である。無理に変えようとするのではなく、いま起きていることを見極め、その場に合った関わりを重ねることが、立て直しの入口になる。

援助の手立てを増やすことよりも、人がどのような経過で変わり、どのような条件が整ったときに無理なく日常に戻っていくのかを理解することが重要になる。心身と社会のつながりを一体として捉えるバランスセラピー学の心理学的な学びは、その基盤となるものであり、その積み重ねがこれからの教育や支援を支えていく。

 

大学生に対するストレスケア教育の効果の可視化について協議を行います。

今回のテーマは、カリキュラムの構成や導入設計にとどまらず、

研究としてどのように位置づけ、どのように社会に伝えていくかを含むものです。

 

これまで、学生や教職員に対するストレスケア教育は、

リラクセーション体験や自己受容を中心に、

講演やセミナーの形で繰り返し実施してきました。

受講者からは「大変ためになった」という評価をいただいています。

ただ、その変化の多くは体感や実感として共有されてきたものであり、

外から見たときに捉えにくい側面もありました。

今回の取り組みは、その変化を可視化し、教育としての価値を明確にしていく試みです。

 

検証は、心理学的・生理学的・生化学的な側面から行います。

中でも中心となるのは心理学的な変化であり、精神的煩悶がどのように変化するのか、

そして日常の中での安定感や充実感、いわゆるウェルビーイングが

どのように高まるのかを、一定の枠組みの中で捉えていきます。

大学生という段階で、自分の状態を整えながら学び続ける力を身につけることは、

その後の人生に長く影響します。知識を増やすだけでなく、

学びを止めない力を育てる教育、その基盤を研究として確かめていく位置づけです。

 

本日、専門課程62期生がスタートしました。

新しい期の始まりには、毎回、独特の空気があります。
期待と不安が入り混じりながら、

それぞれが自分の歩みを持ってこの場に集まってきます。

同じ教室にいても、これまでの経験も、

抱えているものも、一人ひとり異なります。


その中で共通しているのは、

「これからを変えたい」「整えながら進みたい」という思いです。

専門課程は、知識を積み重ねる場であると同時に、

自分の状態と向き合い続ける時間でもあります。

 


理解が進むほどに、自分の内側の動きが見えてきます。

うまくいくときだけでなく、

思うように進まないときの状態も含めて、学びの中に入っていきます。

この学びは教室の中にとどまるものではありません。
日常の過ごし方、人との関わり方、

そして自分の状態の整え方として、生活の中に広がっていきます。

62期生のこれからの歩みは、

それぞれに違った形をとりながらも、確実に積み重なっていきます。

その一つひとつの変化を大切にしながら、

これからの時間をともに進めていきます。

休んでいるのに、力が戻ってこない。
何もしていないのに、どこか落ち着かない。

そういう時間があります。

そこで多くは、やり方を探します。
何が足りないのかと考え、様々な方法を試そうとします。

しかし、回復させようとする方法は、あまり役に立たないようです。

 

休んでいるときも、身体の中は止まっていません。
外の動きが減った分、内側では調整が続いています。

その流れと過ごし方が合わないと、整いにくさが残ります。

横になっていても、次のことを考え続けていると、身体は休みに入りきれません。
変えようとする意識が前に出ると、体の動きが後退します。

時間もかけて取り組んでいるのに、体の重さだけが残る状態になります。

ここで、さらに何かを足したくなります。

しかし、何かを加えるほど体の回復力を奪ってしまいます。

 

必要になるのは、引くほうの動きです。

何もしない時間を作ります。
整えようとせず、そのままで過ごすのです。

その時間を重ねていくと、変化は静かに、ゆっくり、深く現れてきます。

たとえば、椅子から立ち上がるときです。

少し前までは、よいしょと力を入れて立ち上がっていたのが、
気づくと力を入れずに、すっと立ち上がれます。

朝、起きるときも同じです。

目が覚めても、しばらく間が必要だったのが、
起きようと思ったときに、そのまま体がついてきます。

無理に動かしている感じがありません。

 

回復は、何かをして起こすものとして扱われがちです。

実際には、余分な働きかけが抜けたときに、活力がもとに戻ります。

身体の動きも考えも止めることで、次の動きが整います。

身体の側に、戻ろうとする力があります。

その力が動ける位置に戻る。
そこから、回復は進み始めます。

 

このことを詳しく書いた本を書いています。

5月ごろに上梓する予定です。


ちょうど桜が見ごろを迎える頃でもあり、この季節にふさわしい節目の日となりそうです。
教室で積み重ねてきた時間が一つの形となり、61期の皆さんが新しい一歩を踏み出します。

学びは一区切りを迎えますが、本当のスタートはここからです。
身につけてきたことは特別な場面だけでなく、日常の中で少しずつ形を変えながら広がっていきます。
気づかないうちに人との関わりに影響し、その積み重ねが次の流れを生み出していきます。

これまでの卒業生も、特別な場を探したのではなく、身近な変化から歩みが始まっていました。
家族との会話や職場でのやり取りが変わり、そこから信頼や新たな役割へとつながっていきます。
活動の場は、生活の延長の中に自然と現れてくるものです。

一方で、「ストレス」という言葉は広がっていますが、日常でどう整えるかはまだ十分に行き届いていません。
近年の研究でも、ストレスそのものより「どう受け止めるか」が回復に影響することが示されています。
知識と実践の間には、まだ距離があります。

だからこそ、最初から形を決めすぎる必要はありません。
日常の中で起きている変化に気づき、それを丁寧に受け止めていく。
その積み重ねが、自分に合った関わり方をつくっていきます。

桜は毎年同じように咲きますが、同じ春は一つもありません。
61期の皆さん一人ひとりの歩みが、新しい広がりとなっていくことを感じています。

 

医学や心理学は、専門資格を持つ人が扱う学問として発展してきました。

公衆衛生もまた、社会全体の健康を守る重要な分野として大きな役割を果たしています。

これらはいずれも、現代社会を支える大切な知の体系です。

しかし、私たちの日常生活で起きている問題の多くは、

これらの分野だけで十分に理解できるものではありません。

 

家族問題、職場の人間関係、慢性的な緊張や疲労、将来への不安。

こうした問題は、身体・心理・人間関係・社会環境が

互いに影響し合う中で生まれています。

つまり、現代社会の多くの問題は、

心身と社会の関係の中で起きている問題だと言えます。

高度に発達した現代社会では、情報があふれ、

生活の仕組みは大きく変化しました。

その一方で、人の生活は忙しくなり、人間関係は複雑化し、

心身への負荷は見えにくい形で蓄積されるようになっています。

身体の疲れや心の緊張は、日々の生活の中で蓄積し、

生活全体のバランスを乱す要因となります。

こうした時代だからこそ、自分の心身の状態に気づき、

生活を整えていく視点がこれまで以上に重要になっています。

 

バランスセラピー学は、この現実に向き合い、

心身の調和と社会との関係を生活の現場から体系化してきた学問です。

医学、公衆衛生、心理学の知見を踏まえながら、

それぞれの領域に分かれてきた理解を生活の視点から再構成し、

日常の中で生じる心身の状態を読み解き整えるための視点を整理してきました。
その意味で、バランスセラピー学は、これらの学問に続く

心身と社会の関係を扱う第4の学問とも言えるでしょう。

もう一つの特徴は、理論だけで終わらないことです。
バランスセラピー学は、生活の中で再現できる実践の体系を持っています。

 

身体の緊張を整えるリラクセーション。
ホメオストレッチによる生理的調整。
対人関係の理解。
自己受容の形成。
生活の整え方。

 

これらはすべて、日常生活の中で実践できる形として整理されています。

バランスセラピー学は生活の中で心身を整えていくための実践学です。

 

また、日常生活の問題は専門家だけで支えられるものではありません。

家庭や職場、地域社会の中で、

人が人を理解し合い、支え合う関係が必要になります。

そのためには専門的知識だけではなく、

生活の中で活用できる知恵が求められます。

バランスセラピー学は、専門的知見と生活の知恵を結びつける学問でもあります。

BTUでは、この学びを長年にわたり積み重ねてきました。

社会が変化するほど、この学びの意味はむしろはっきりと見えてきます。

 

教室で行われている学びや実践は、単に技術を伝える場ではありません。

それは、心身の調和という視点から人の生活を見つめ直し、

その知を社会の中に育てていく営みでもあります。

これからの時代において、バランスセラピー学の役割はさらに重要になってきます。

人が人として生きていくための知を、生活の中で育てていくこと。
それが、バランスセラピー学の目指すところです。

 

 

 

明日のふれあい広場は、最初にご質問の中からあるテーマを取り上げます。
それは、「現代の結婚」です。

結婚は、長い間「人生の当然の流れ」のように考えられてきました。
しかし、いま社会は大きく変わり、結婚の意味や考え方も変わってきています。

結婚することが幸せなのか。
誰かと生きることの意味とは何なのか。

 

こうした問いは、若い人だけの問題ではありません。
改めて考える人も多くいます。
社会の変化の中で、結婚というものがどのように変わってきたのか、
そしてこれからの時代において、私たちはどのように考えたらよいのかを

少しお話ししたいと思います。


人と共に生きることの意味を見つめてみたいと思います。

お時間のある方は、ぜひ気軽にご参加ください。
 

青空に、モクレンの花がよく映えています。
白い花びらが空の青さを受けて、いっそう明るく、凛とした姿に見えます。
まだ空気は少し冷たいものの、季節が確かに春へと進んでいることを感じさせてくれる光景です。

 

今週14日(土)15:00~16:00はオンラインで「ふれあい広場」があります。

気軽に参加してください。

 

 

 

「今日は、頑張るだけではうまくいかない」。

3月のふれあい広場では、

そんな感覚を抱えている人に向けて、「変わらなくていい、動かなくていい」という話をします。

動けないとき、多くの人の中に真っ先に浮かぶ言葉があります。

 

「何かしなきゃ」「このままじゃダメだ」。

しかし、止まることへの不安は怠けではありません。多くの場合、

それは長い時間をかけて身についた「不安への条件反射」です。

何もしないことを危険だと感じてしまうのは、性格の問題ではなく、

これまでの経験によって学習された反応なのです。

 

「動けない=気力がない」「意欲が落ちた」という捉え方は、

非常によくある誤解です。実際に起きているのは、

心身が先にブレーキをかけている状態です。

車で言えば、アクセルが足りないのではなく、

ブレーキが踏まれたままになっている。

考えれば考えるほど動けなくなるのは、

判断や選択そのものが刺激となり、

神経系をさらに緊張させてしまうからです。壊れたのではありません。

むしろ、壊れないように止まっている。それが「動けない状態」の正体です。

 

 

前向きに考える、気持ちを切り替える、改善しようとする。

これらは一見正しそうに見えますが、

回復の段階によっては逆効果になることがあります。

気分転換、考え方を変える、行動を増やす。

これらはすべて、神経系に新たな刺激を足す行為です。

「休ませよう」とされるほど、神経系は処理すべき情報が増え、

かえって忙しくなってしまう。

回復を妨げているのは不調そのものではなく、

「何とかし続ける姿勢」なのかもしれません。

 

この話の対象は、頑張っていない人ではありません。

むしろ、長い間やり続けてきた人です。

責任感が強く、人を支える立場にいることが多く、

休んでいても緊張が抜けない。

何もしないと罪悪感が出てくる。

そんな人ほど、「何もしない」という選択が難しくなっています。

「休んでいるはずなのに、なぜか落ち着かない」。

その感覚があるとしたら、すでに十分やってきた証でもあります。

科学的に見ても、回復は努力によって起こるものではありません。

回復は「条件」が整ったときに自然に起こります

。日本でも海外でも共通して示されているのは、

症状そのものよりも、対処のしかたが状態を長引かせてしまうという点です。

変えようとしない、評価しない、何かを追加しない。

良くなろうとしないとき、人は最も回復しやすい状態に入ります。

リラクセーションとは、当然、気持ちよくすることではありません。

刺激処理が完結し、ストレス反応が「消える」のではなく「終わる状態」です。

外からの操作や介入が消えたとき、身体は自ら元に戻り始めます。

リラクセーションとは、究極の「何もしない状態」と言えます。

 

 

 

何もしない時間の先で、神経系は自然な状態へと戻っていきます。

判断が、考えなくてもできるようになる。

無理な動き方を繰り返さなくなる。

何もしないことで、人は少しずつ元の自分に戻っていきます

。動く日は、こちらが決めるものではありません。

判断ではなく、反応としてやってきます。

止まれる人は、戻れる人です。動ける日は、何もしなくても、向こうからやってきます。

 

何もしないことは、逃げではありません。

それは、自分に備わっている回復力を信頼する態度です。

3月のふれあい広場は、「動かなくても大丈夫」という条件を、

安心して確かめられる場として開きます。

カウンセラーとして、自己を信頼する、否定により変えようとしない、

安全に止まれる場所を、あらためて共有していきたいと考えています。