タイムアタック9位
予選 7位
決勝 13位
と言う、結果だけをみると、何とも情けない結果でした。
レースは結果が全ての世界なので、何かを言うと、言い訳がましくなりますが、3年ぶりのレースは、苦しみまくった戦いでしたが、最後の最後に随分と良くなり、特に決勝では自身の大きなミスで最下位に落ちたあと、追い上げているうちに、ようやく感覚が戻って来たので、次回に向けて良いスタートとなったかなと思います。

それでは以下にレポート的な物を書いていきます。
前日練習までの道のり
諸事情があり、4年間自転車以外の乗り物を、全く運転することが出来ませんでした。
ようやく運転できるようになり、半年前からCRFでモトクロスコースに通うようになりましたが、KTM250SX-Fのモタード車の方は、全く乗っていませんでした。
エントリーを決めてから、SX-Fでターマックの練習2回と、ダートの練習1回したものの、それ以上は出来ませんでした。
さらに、連日有難いことではあるのですが、仕事が忙しく、マシンの整備に当てる時間がなかなか取れませんでした。
そこで一週間前の週末は練習に行かず、マシン作りに専念しましたが、それでも間に合わず、毎日朝早く起きて、店を開けるまでの間に整備をしました。
遅くとも一週間前にはマシンを作り上げ、残りの日はトレーニングなどの身体の調整や、マシンのチェックに当てるのが当然なのですが、ようやくマシンが出来上がったのは、前日の夜でした。
ところで、さらに悪いことに、自分のハイエースのエンジンが壊れ、土師さんの懸命の修理にも関わらず、エンジンが息を吹き返さず、当日乗っていく足がなくなりました。
(最後の最後まで懸命に修理してくれた土師さんには、とても感謝しています。)
やむを得ず、仕事で使っているハイゼットで行くことに。
ハイゼットの仕事道具を全部降ろし、マシンとスペアパーツや工具などを積んだら、ギュウギュウで、
夜逃げかっっ!!
というくらいになりました(・Θ・;)



そんなこんなで、ようやく準備が終わったのは夜中でした。
少し仮眠をして、いざHSRへ。
前日練習
こうして、何とか前日練習の会場までやってこれました。
まずはパドックのテントの設営から。


久しぶりだと、何から準備して良いのかわかりませぬな(^o^;)
今回は一馬をはじめとした、DIABROSチームにお手伝い頂いたおかげで、何とか無事に設営完了。
DIABROSチームには、レース当日のメカニックや戦略の構築までしていただき、とても感謝しています。
走ることに専念出来る環境を作ってくれました。
チームメイトから6秒以上も遅い
さて、いざコースインの時間となり、走り出したものの、自分でもわかるくらい、誰よりも遅い。
とにかくフロントタイヤに不安を感じ、ブレーキレバーにも注力が出来ないくらい。
3年ぶりのモタードコース。
しかも、ハイスピードであるHSR本コース。
あのハイスピードで何かやらかしたら、身体もマシンも、大変な事になるかもしれない。
とにかく焦らないように心がけました。
が、一本目の走行が終わってみたら、チームメイトの笠くんより、6秒以上も遅いことが判明。
一馬の手によって、サスペンションのセッティングを変更してもらい、また、当日パドックで手伝いをしてくれたロードレーサーの徳永氏により、ライディングのアドバイスを受ける。
そして、いざ2本目の練習走行のためにコースイン。
恐怖心、そしてスリップダウン
今回の練習は4本しか枠がない。
一本目は不甲斐ない結果で終わってしまい、感覚も戻ってきていない。
どうしたものか。
と思いながら走行をする。
とにかく、フロントに不安を感じる。
フロントタイヤに剛性がなく、それゆえにフロントヘビーを感じる。
サスペンションのセッティングを変更してくれたおかげで、高速コーナーで、ぼよんぼよんとマシンが暴れることはなくなったが、依然としてフロントが怖い。
(これはマシンの問題なのか。
それとも人間の問題か。
たぶん、自分自身に問題がある。
残りわずかな練習時間内には何とかせねば)
と、多少焦りもあったのでしょう。
フロントの接地感がないまま、頑張ってペースを上げると、フロントタイヤが急激に滑り出した。
身体でリカバリーをしたが、それでも間に合わない速度で流れ始め、なすすべなくスリップダウン。
幸い身体もマシンも大丈夫だったので、すぐにマシンを起こして走り出せたから良かったものの、新品のグローブに穴を開けてしまった。
あぁ、5千円が・・・
破ったの今月2枚目(´_`。)
身体の問題?マシンの問題?
多少タイムは縮まったものの、依然として誰よりも遅い状況は変わらず。
「到底戦えるレベルではない」
と言われる始末。
苦しい。
気ばかり焦って、リスクだけが増している状態。
最下位決定なのは自分でもわかっている。
とりあえず、フロントにあまりにも不安があるので、タイヤを交換することに。
これまでの練習で履いていたのは、前後とも3年前の中古タイヤ。
交換しないと話にならないぞと言う事で交換。
とはいえ、後輪の方は以前笠くんから売ってもらった、状態の良い中古タイヤを、今回スペアとして持って来てたので良かったが、問題は前輪の方。
前輪は明日の決勝で使う新品タイヤしか持ってない。
このまま我慢して、中古タイヤで走ろうかと思ったのですが、そんなタイヤで走るなと言うチームの指示で、
フロントは新品タイヤに・・・
リアは先ほど言った、程度の良い中古タイヤに変更し、3本目に挑みました。
ここで新品のフロントタイヤを使ってしまったので、明日使うタイヤがなくなってしまったのですが、チームのみんなの尽力で、何とか一本新品タイヤを確保出来ました。
とは言え、フロントタイヤを購入したので、また急な出費が(:_;)
(全日本の舞台まで来て、情けない走りをするよりよっぽどええやろ)
と、自分に言い聞かせる。
2秒差までタイムアップ
そして午後から行われる残り二本の練習走行に挑みました。
結果はぐんぐんタイムが上がり、最終的には2秒落ちのところまで詰める事が出来ました。
コースインした瞬間から、違いがはっきりと分かりました。
あれだけ頑張ってもフロントブレーキが握れなかったのに、気がついたら、随分奥までブレーキを我慢して突っ込んで、ギュッと握って瞬時に車速を落としている。
減速時に発生する減速Gをフロントタイヤに貯めて、それを旋回Gへ無駄なく、そして素早く変換すると言うのが、過去の自分の得意技だったのですが、さっきのさっきまで、その得意技が全く出来ませんでした。
が、タイヤを替えた事で、完全ではないにしても、それがだいぶ出来るようになってきました。
それにしても、タイヤ一つでここまで変わるとは・・・
極限の速度で戦うレース用のタイヤは、鮮度が命だなと、改めて感じました。
(って、素人か!?)
こうしてようやく苦しみから解放され、良い感じになったところで、前日練習終了。
このレースにエントリーを決めてから一ヶ月間、あまりの不甲斐なさに、自分を罵り続けましたが、ようやく良いところまで仕上がりました。
満足して、翌日のレース当日に臨みました。
レース当日
そして迎えたレース当日。
実は情けない話ですが、前日の走行で、脚を上げる筋肉を使い果たし、当日は痛くて脚が上げにくい状態となっていました。
当日は、
公式練習10分
タイムアタック10分
公式予選(セミファイナル・レース形式)7周
決勝(ファイナル・レース形式)10周
を、走らねばならないのですが、決勝まで身体がもつのか心配でした。
迎えた公式練習では、やはり脚に痛みを感じ、不安になりました。
途中でマシントラブルにより、早々に切り上げたのですが、昨日良い走りが出来たので、脚の方はともかく、自身の走りについては不安がありませんでした。
タイムアタックと予選
タイムアタックは9位
タイムアタックの順番で並んでスタートする予選は、7位でした。
予選に関しては、レース型式のため、転倒などをしては、一巻の終わりなので、無難に走り切ることだけを専念しました。
真後ろに、一台ぴったりとついて来ている気配があったのですが、あくまで無難に、ブロックラインを使いながらも、決勝に向けて無理をしないように走りました。


スターティンググリッドにて、傘を持っているのはロードレーサーの徳永氏。
コースのライン取り、ブレーキングポイント、アクセルを開けるポイントなど多岐にわたってアドバイス頂きました。
決勝
そして、いよいよ迎えた決勝。
久しぶりのレースで、緊張もしていたのでしょう。
レース終了後にわかったのですが、レーシングスーツの下に、普段はインナーを着るのですが、Tシャツを着て走っていました。
予選後昼休憩があったのですが、その時にインナーを脱いで、シャツに着替えて、そのままだったようです。
どれだけ緊張しとんねんと自分につっこみました。
さて、レースの方ですが、予選7位だったので、7番目の位置からのスタートでした。
スタート時は、団子状態で、誰かが転倒したりしても巻き込まれないように、マージンを残して走りました。
結果順位を落としてはいたものの、無難にやり過ごしたので、気にせず走りました。
その後は、脚の痛みや、体力への不安もありましたので、無難に無難にペースを抑えて走りました。
そんな感じで無難に数週を消化した時、ダートの進入で転倒しているバイクを視認。
(あれ笠くんやん。
と言うことは、自分の前にいる二台は、転倒しているバイクを避けて、こう進路を変えてくるはず。
自分もラインを探さねば)
と、他車の動きに気を取られていると、ダートの進入で、クラッチを握るのが一瞬遅れたことと、砂埃でエアフィルターが詰まり気味となり、エンストしやすくなっていたことが重なって、エンジンをストールさせてしまいました。
なかなかエンジンが掛からず、再スタートに手間取っているうちに、どんどんと抜かれ、やっとエンジンが始動した時には、見渡す限り、誰もいない状態。
(うわ・・・
最下位かよ・・・
諦めるなよ。
絶対追いついてやろうぜ)
と自分に言い聞かせ、必死で追いかけました。
気がつくと、脚の痛みもすこんと消え、体力の不安もない。
リアタイヤをブルブル滑らせながら追いかけている。
高速コーナーでは、さっきまで擦らなかった、ステップをガリガリ擦りながら走っている。
速度が上がり、明らかにバンク角も増えている事に気づいた。
(やっとあの頃の自分が帰って来たか。
お帰り、俺)
と自分につぶやきながら走りました。
残り周回数を気にせず、必死で追いかけることに専念するために、あえてサインボードなどを見ないようにしました。

そうこうしているうちに、小さく前の集団が見え始めました。
が、コーナーの進入で、大きくリアタイヤを滑らせてしまったり、ダートでバランスを崩したりと、細かいミスが目立ってきました。
怒りの感情に駆られ、集中しているときは、その感情が良い方向に出ると、限界を突破したような、素晴らしい走りが出来ますが、悪い方向に出てしまうと、あっという間に大クラッシュして終わってしまいます。
これまでに自分は、そのどちらも経験をしているので、
(落ち着け。
大丈夫、今のお前なら十分追いつける)
と、自分に言い聞かせ、冷静さを失わないように自分をコントロールしながら走りました。

こうして、何とか二台を抜き、三台目を抜こうかどうか迷ったところでチェッカーフラッグが振られ、レース終了。
エンジンが停まったからこそ・・・
レースが終わり、ピットまで戻ってくる間、大事なレースでエンジンを停めてしまった事が悔しくて悔しくて仕方ありませんでした。
しかし、それがあったからこそ、前を必死で追いかけなければならない状況となり、往年の自分が帰って来たのではないかと思うようになりました。
ピットに戻ってくると、
「見ている方は、追い上げが見れて楽しかった」
と、何人かに声を掛けられたので、楽しんで頂けたなら、まぁ良かったのかなと思いました。
当日マーシャルをされていた土師さんからも
「結果以上の走りだった」
との言葉を頂き、励みになりました。
一方で嬉しかった事も・・・
悔しい思いでいっぱいだった時、優勝は森本圭さんだと聞いて、悔しい気持ちが一気に吹き飛び、嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
圭さんは、2009年中四国の地方選手権を共に戦ったということもあり、好きなライダーの一人でした。
森本圭さん、本当におめでとうございます!!


帰りは地獄でした・・・
さて、レース中痛みが消えて、良い走りが出来た反動が来て、帰りは地獄でした。
左足が痛くて、車のクラッチを踏むのが超苦痛(´□`。)
もう、運転したくない!!
と思いました。
でも、あんな感覚で走れたの、本当に久しぶりだったなぁーと、昔の自分に出会えた事が嬉しくて、帰り道はその余韻に浸っておりました。
せっかくあの頃の自分が帰って来たことだし、悔しさもあるので、次は広島県のTSタカタサーキットで行われる、第4戦中国大会に出ちゃおうかな!!

オフィシャルって付けたらなんかカッコいいかなと思って
だいたいオフィシャルってなんやねん
)







)


























