みなさん、ご無沙汰しています。
お元気に過ごされていますでしょうか。 まだまだ、暑いですよね。
相変わらず気まぐれなのでブログの更新はさぼっていますが、
ツイッターの方は仕事、家事の合間や通勤電車の中などでもつぶやいていますので、
よかったら@brunbunbyを覗いてみてくださいね。
さて今日は、先日気が向いて、某(良識ある女性の多い)掲示板に久しぶりに投稿してみて考えたことを書いてみます。
そこではまず、この記事を紹介しました。
ムカつく相手はネットで写真公開、校門前で威嚇 大津いじめ自殺事件とネット社会の病理 いじめたヤツをいじめる、この国よ(現代ビジネス 8月9日)
直接関係ない第三者が、いじめ容疑の中学生やその関係者の写真や個人情報をネットで公開し、あることないこと言って騒ぎ立てることは、そのこと自体も、まさに「いじめ」であると意識しなければならないのではないか? と問題提起したのです。
もちろん、ネットで騒がれたことで、苦情の電話が殺到し、被害届の受け取りを渋っていたこともあった警察も調査に乗り出した様子などから見て、
ネットには良い面もあると言えます。
つまり、「ネットには良い面と悪い面の両方がある。」
と、私が主張しているにもかかわらず。
「あなたは、ネットがお嫌いですね。」
「あなたは、ネットが悪だと言ってるようですが...」
「あなたは、ネットに悪い印象をもってますね。印象で批判するのはどうかと思います。」
と、反応される方がほどんどで、まいりました。
彼女たちは、加害者の写真や個人情報公開に賛成、容認派(おそらく多数派でしょう)で、私の主張が気に入らなかったのだと思いますが。
私が、いくら「私はネットがどちらかというと好きだけど、良い面と悪い面があると思っています。」
と、念を押しても 上記のような私に対する先入観(ネットが嫌いで悪だと思っているから、ネットの悪い面を批判する)がどうしても抜けないんですね。
誰でもある程度は先入観はあると思うのですが、
自分の好き/嫌いを、賛成/反対、正/否や善/悪に置き換えて考えてしまっていることを自覚するのって難しいことなのでしょうか...
また、私は、社会で起こる問題というのは、いろいろな原因が絡んで起こっていることが多く、何が原因か一つだけに決めることは難しいと考えています。(補償問題が絡むと、責任が誰にあったかが重要になってくるので、原因を絞りたくなるんでしょうけれど)
たとえ、最初の原因が一つ明らかになったとしても、それを排除しただけで良い社会ができるような単純なものではないでしょう。
最初の原因で問題が起き始めた時に、それをすぐに見つけて、問題が大きくならないうちに手だてを打てるようなシステムのある社会こそが良い社会です。
ところが、問題の原因を一つに決めたがる人も多い気がします。
悪人を社会から追放すれば、それだけで社会が良くなると単純に考えている人が主流なのですね。
物事を複雑に考えるのが面倒くさいのでしょうか。(まあ、私だってそういう時もあるけどね)
実は、私は彼女たちの意見のうち「加害者の写真や個人情報公開に賛成、容認すること」
以外の部分は、ほとんど賛同しています。(だから、全く違う意見というわけでもないんです)
なのに、同意している部分は無視し、反対の部分だけを気にして、自分の意見がすべて反対されたように感じてしまわれたらしいのですね。
さらに、「加害者の写真や個人情報公開に賛成、容認すること」にしても、私は、大津の事件の場合のような、
未成年で、逮捕されたわけでもない子供のことについて言っているのであって、すべての加害者のネット公開に反対しているわけではないのに、
(例えば、凶悪犯罪者のケースで注意を喚起する目的の場合はネット公開に反対なんてしないです) 私がすべてに反対だと思われたようです。
とにかく、こちらが言っていることを、ちっとも正確に解釈してくれていないので、
私が何度も同じことを繰り返し主張してしまったために
タイトルにあるように、
「違う意見に対し、自分の主張を繰り返し押し通そうとしている」
この人は怖いわ ということになってしまいました。(-_-;)
他人のことばかり批判してますが、(読み苦しかったらすみません)
もちろん私の方も、自分が質問されているのではないらしいのに質問されたと感じて、
主張を繰り返したところもあったりするので、
反省すべき点もあるのですけどね。
今回、私がここで書いたことの中で、
もし、みなさんが何か思い当たることや気づかれたことなどありましたら、
遠慮なく、容赦なく(^_^;)
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