晩餐・5
食事をしながらアルコールも進み。夜も深まる頃・・・。
ターシルはこれまでにない感覚に包まれた。
耳ではなく、意識に直に声が響く。聴いたことのある声だった。
「リューゲン、なんか・・・言ったか?」
「いいや」
「そうか、聴こえないか? この声、いまも・・・」
「・・・大丈夫か?」
(俺は誰だ? 知ってるんだろ、あんたなら)
消えたはずの男。その声はサムソンというあの男の声だ。
その声だけがターシルの五感を支配した。たとえ一時でも、それはターシルを恐怖させるのには十分すぎた。
晩餐・4
普通に生きることも消えることもできないわたしたち。
いつか魔神を倒しても肉体はこのままなら。
それならリューゲンたちと永久に生きるのか。
わたしが厭なのはそこ。
それなら世界に、真っ暗な夜にひとりで生きるほうがいい。
たくさん人を死なせて生きてきた。
振り返って泣いても、もう遅い。
最悪な奴と生きるのが罰か。
晩餐・3
似たもの同士で長いこと共に旅をしてきたから、寝所に入ってこられても悲鳴なんてあげやしない。
野宿も辞さなかったあの頃は仲間の男たちと地面に雑魚寝していたし、そのときは命をつなぐことが何よりですべてを利用してやろうとさえ思っていた。目的は皆同じだったから、リューゲンやターシルらはマリアに妙な気を起こすことはなかった。
男がみんな変な気起こすってわけでもないんだよ。彼らだって紳士的なところはあるのかもね。
ハ・ティムはかつてマリアにそういった。
マリアはハ・ティムの気配で目を開けた。
甘い焼き菓子の香りがした。
ハ・ティムの手にパイがあった。
「下ごしらえだけしてさ、ここで焼かせてもらったんだよ。マリア好きでしょう?」
「・・・紅茶? コーヒー? 冷たいのがいいんだよね」
部屋には菓子をストックしておく蓋付きの大きなバスケットと、アネットが贈ってくれたという熱いもの冷たいものが同時に作り出せる飲み物のサーバーがある。
”光る石”と同じくマジックアイテムである。
マリアは通信用の”光る石”より、コーヒーや紅茶をたっぷり煎れることのできるアイテムのほうを重宝していた。
「ハ・ティムはいいなあ頭よくてさ・・・」
眠りかけた頭で、鼻先だけパイの甘い香りをおいかけながらそんなことを呟く。これは本音なのだ。
書き物をする丸テーブルにパイを置き、やや危ない手つきのマリアにかわってコーヒーの準備をしながらハ・ティムは首を横に振った。
「違うんだよね。頭いいわけではないよ。ただ君とおんなじ、努力した」
「そうしたらわたしも思いが伝わるアイテムとかおいしいパイとか・・・絨毯に魔法かけて空飛んだりできるのかしら」
「君はほんと、美しいだけではないよね」
ハ・ティムは笑みをこぼす。下心はなく、素直にマリアを褒めた。
そしてパイの塊を千切って一口にはすいぶん大きすぎる量を口に放り込んだ。
「あ! ちょっと?」
マリアは悲鳴のような声をあげてしまう。
彼は基本的に行儀がよく、本来フォークやナイフを使って食べるものを手づかみで、というのはマリアも初めてみる姿だった。
パイで口の中がいっぱいのハ・ティムは目を大きく開けて驚きの表情をつくってみせた。
顔全体で「うまい」と表現している。
「わたしも!」
一緒になってパイを手づかみで食べ始める。
「あいつらもパイ食べてるよ」
最初の一口はあっという間に平らげてもうひとつのパイの塊を手にしたハ・ティムが言った。
「お肉食べてお酒飲んでパンやらなんやら・・・。で、あなたの作ったパイもでしょう? あいつらよく食べるんだね」
マリアも負けじとパイを齧る。
「でもさ、食べないとよね。これからまた旅なんだもの。ねえ、明日、絨毯に乗せて」
「いいよ。海も見る?」
「ううん、この辺りだけでいい。コーヒーは・・・」
「ミルク抜きだったね」
「パイもっと食べていい?」
「もちろん。マリアのために焼いたんだよ」
これが平和にお茶が飲める最後かもね。
自分で呆れちゃったわ。パイ丸一個、ふたりで食べてしまったもの!
テーブルに熱いものと冷たいもの。ハ・ティムが二人分のコーヒーを置いた。
晩餐・2
新調した魔法の絨毯をお披露目にきたハ・ティムも一緒にご飯を食べて。
そのあとターシルが何を食べたいかきいてくれたから、久しぶりにアボカドのサラダ! と答えてそれを食べて・・・。
「久しぶりって何十年ぶりだよ」
ターシルがそういったら思い切り笑ったわ。そのあとみんなして黙りこんじゃったけど。
何十年生きてるの。このあといつまで生きるの?
それはね、考えたらきりがないの。だからもうここで悩むのはおしまいよ。
これはアネットがわたしによく言ったこと。
わたしいま眠ってる。
ほんと、久しぶりにご飯を食べてたくさん笑って、それでまた部屋に戻って寝たんだわ。遠くで男三人が喋ってるのが聞こえる。
リューゲンが狂気としか言えないこの人生を語ってる。そうだ、それがいやでわたしは部屋に戻ったんだっけ。
ハ・ティムとももう少し話したかったのに。明日までいてくれるかしら。
何十年もこのままで生きるわたしたち。時折変わるあいつの魔法の絨毯。あれが消耗すると時間はやっぱり過ぎていくって感じるわ。
胸を何かがゆっくり締め上げるように切なくなって鼻の奥がじん、と痺れるような気がして涙を堪えないといけなくなる。
切なくて悲しくて、こんな人生捨てたくなるけど、わたしはフェルナンドにまた会わないといけない。
わたしの術はあいつの力を借りないと使えないことはわかってるから。仲間を利用するの? わたし。答えは”はい(何かいけない? というニュアンスでね)”だわ。
リヒターだってわたしと同じ。リューゲンの首をかき斬ってやることを毎日、ほんの一瞬でも考えてる。
ここには来ない。いまはね。
わたしリューゲンみたいな男嫌いじゃない。でも罪だらけの男だわ。
いまのうちにおいしいものをいっぱい食べて夢でも語ってるといい。そしたら明日の朝、わたしは笑っておはようなんて言う。
朝はパンケーキ焼こう。ターシルより上手に焼けるんだから。それでハ・ティムの絨毯でメレフの空を飛んで気持ちを切り替えるの。
今日は先に眠る。リューゲンの話を聞いていたらわたしはこの場であいつを殺してしまうだろうから。
三人が同時に笑う声が響く。
ここからまた狂気は続く。
晩餐
肉の焼きあがる香りが食欲をそそる。
そんなのはここではリューゲンで、肝心のマリアは食事の前だというのに林檎を齧っていた。視線は壁に向けられたまま。
何かを見ているわけではない。林檎が食べたかったわけでもない。
それでも何かを食べろといわれたら、そんなものしか喉を通らないというだけの。
台所で腕を振るうのはターシル。体ばかり鍛えてきたこの男は、自身のための食事作りというのを怠らない。その結果として料理上手となっていた。
まだ仲間たちに出会ったばかりの頃は、オムレツを作っただけで驚愕されたものだ。
「なんでだよ? おかしいか?」
訊ねれば返事は「うまいからいいよ」。
そういうリューゲンはまず料理なんてしない。聞けば母親の手料理なんて食べたことがないそうだ。
「俺はばあさんに育てられたからその味だな。お前の母親は料理嫌いなのか?」
「みんな召使いがやってたぜ。そうか、母親って飯作ってくれるもんなのか」
「どんな家なんだよ・・・・」
話はそこで途切れた。
リューゲンは家族のことを話したがらない。何かあるのだろうが、ターシルも他の仲間たちもお互いの生い立ちについて探ることはしなかった。
「いい匂い!」
リューゲンが台所に入ってきた。
「テーブルに運べよ。マリアの好きな鶏の胸肉をスパイスかけて焼いてみたんだが、よくできてるな我ながらさ」
台所を汚すことなく料理をするターシルに感心しながらも、トーストされた付け合せのパンを千切って口に放り込む。
香ばしい風味が口の中に広がる。あらかじめ塗られていた塩気のあるバターが心地よく胃を刺激し、食欲に火がつく思いに駆られた。
「お前天才だよ」
「いいから運べって。マリア呼んで来いよ」
「林檎食ってる」
「何を食っててもいいが飯になるもの食えって」
そのとき、窓が開く音がした。
「ハ・ティムじゃない!」
マリアの驚く声が聞こえた。
自らテーブルを整えながらターシルが言った。
「また空飛んできたのか? まあ久しぶりだな」
「みんなで飯食いながら語り合おうぜ。これからの狂気をさ」
リューゲンはすでににパンを二枚平らげていた。