2025年6月のこと、大学時代の友人たちと恒例の京都旅行の続き。
トロッコ嵯峨駅から嵯峨野トロッコ列車で終点のトロッコ亀岡駅まで行ったあとは、保津川下りが雨による増水のために運航中止となったので、そのまま引き返すことにする。
「この流れを見ると、運航中止は仕方がないね」と語り合う。
reinaさんも保津川下りがキャンセルとなったし、京都の友人によるとつい先日も東京から来た友人が乗れなかったらしい。
上を横切っているのは、山陰本線の新線。
トロッコ列車が走っているのは、山陰本線の旧線。
トロッコ保津峡駅には読書に耽る一人の外国人。
ここで降りて山歩きをするのも楽しそうだが、今日はこのあとに新しい訪問先を既に考えている。
ホームの横に並ぶのは、狸の焼き物。
保津川下りには、いつかまた挑戦したいものだ。
出発はトロッコ嵯峨駅だったが、帰りは一つ手前のトロッコ嵐山駅で下車。
目的の場所に行く前に、ちょっと寄り道。
竹林の小径には多くの観光客。
元来た道を戻ると、小倉池へ。
池には多くの蓮。
「ここにはアメリカザリガニは居ないようだね」などと話しながら先を急ぐ。
土佐四天王の像を見付けた。
右から、中岡慎太郎、坂本龍馬、武市瑞山、吉村寅太郎。
大きな寺院に至る。
ここは五台山清凉寺(嵯峨釈迦堂)。
浄土宗の寺で、本尊は釈迦如来。
目的の場所はまだ遠いので先を急ぐ。
次に立ち寄ったのは、生の六道延命地蔵。
ここは小野篁所縁の場所。
説明文を貼り付け。
「冥土通いの逸話で有名な小野篁(802~52)は,珍皇寺(東山区松原通東大路)門前の六道の辻から冥府に赴き,この地から現世に戻ったという伝説がある。篁は,地獄で苦しむ亡者のために罪を受けているという地蔵尊に出会い,感激して現世に戻り福生寺を建立して地蔵尊を祀ったという。寺は江戸時代頃に消滅したが,地蔵尊は薬師寺に伝えられた。この石標は,生の六道と呼ばれた福生寺の跡を示すものである」。
石柱に書かれた和歌を読みながら進む。
延命地蔵尊にお参り。
生の六道延命地蔵を出ると、旧嵯峨御所大本山大覚寺門跡の石柱に至る。
長い参道を上り、大覚寺に至る。
パンフレットの説明を貼り付け。
「ここは嵯峨天皇と弘法大師空海との歴史交流の舞台。平安初期、嵯峨天皇がこの地に離宮嵯峨院を建立され、嵯峨御所と呼ばれた。これが旧嵯峨御所大本山大覚寺の前身である」。
掘割を渡り、表門に進む。
この掘割は大沢池に繋がっている。
表門を通り、境内に歩を進める。
右側は式台玄関、左側は大覚寺参拝口。
参拝口から建物内に入り、宸殿、心経前殿(御影堂)、五大堂(本堂)と巡る。
建物内は撮影禁止なので、パンフレットの参拝マップを貼り付け。
全ての建物が回廊で結ばれているので楽に観て歩くことが出来る。
途中、三組の前撮りカップルに出会ったが、ここは前撮りの人気の場所のようだ。
パンフレットの写真を一枚だけアップ。
全ての建物間を結んでいるのは、こんな回廊。
宸殿と心経前殿を結ぶ回廊は、縦の柱を”雨”、直角に折れ曲がっている回廊を”稲光”に例えて「村雨の廊下」と呼ばれている。
高貴な人が通られる際の防犯の意味で、天井は刀や槍を振り上げられないように低く造られ、床は鴬張りとなっている。
唯一撮影できたのは、五大堂からの大沢池の眺め。
説明文を貼り付け。
「大覚寺の東に位置し、周囲約1kmの日本最古の人工の林泉(林や泉水などのある庭園)。嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたって、唐(中国)の洞庭湖を模して造られたところから、庭湖とも呼ばれる。当時は最先端の文化の発信地となった。池のほとりには、茶室望雲亭、心経宝塔、石仏、名古曽の滝跡があり、国指定の名勝地になっている」。
池舞台では色々な催しも開かれている。
友人達と過ごす、楽しい京都の旅は続きます。























