2025年6月のこと、大学時代の友人たちと恒例の京都旅行。
旅の二日目の午前、修学院離宮の上離宮参観の続き。
浴龍池の楓橋を渡り、中島へ。
中島の頂上にあるのが宝形造りの茶屋、窮邃亭。
創建当時のまま現存する唯一の建物。
”窮邃”の扁額は後水野尾上皇の宸筆。
18畳の一間には、隅に畳一段高い上段が設けられ、西側には一枚板を渡した御肘寄がしつらえられている。
こんな簡素な木造建築が17世紀中葉から今も維持されていることが驚き。
再び浴龍池に下る。
千歳橋の屋根の上の鳳凰が良く見える。
土橋を渡り、中島を出る。
橋の欄干の外にはびっしりと苔が生えている。
浴龍池をぐるりと回りこみ、西浜から窮邃亭を望む。
上離宮から松並木を下り、中離宮へ。
ここの通用口は隠し扉のようになっている。
ガイドさんが塀の一部に近づく。
なんとそこが入り口になっていた。
中離宮の中も実に美しく維持管理されている。
この建物は楽只軒(らくしけん)。
後水尾上皇の第八皇女光子(てるこ)内親王(朱宮)のための建物。
後水尾上皇崩御の後、光子内親王は落飾得度してここを林丘寺としたが、明治18年(1885年)に林丘寺から宮内庁に楽只軒と客殿一帯が返還され、離宮に編入されている。
客殿で有名なのは、この霞棚。
互い違いに配置された大小五枚の棚板が霞がたなびいているように見えることからの命名。
桂離宮の桂棚、三宝院の醍醐棚とともに天下の三棚と称されている。
暗くてよく見えないが、襖絵も煌びやか。
この石段を上った先の門の向こう側は、林丘寺。
吉野山の桜や龍田川の紅葉が描かれ、作者は狩野探信(探幽の子)とのこと。
鯉の絵の上に、網目が描かれている。
この鯉が夜な夜な絵を抜け出してしまうので、網を描いて防いだのだそうだ。
鯉が苦しくないように、二ヶ所ほど網目に破れを描いているのは洒落ている。
紐を結び付けた石は、ここから先進入禁止を意味しているのだそうだ。
中離宮を出てビジターセンターに戻ると、解散。
とても充実した修学院離宮参観だった。
ただ雨の中、飛び石や石段を、しかもかなりの上り下りがある道を80分間歩くのは、二日酔いの身体にはかなりハードだった。
修学院離宮に行かれる方には、前夜飲み過ぎないことをお勧めする。
参観を終えると、もうお昼の時間。
京都の友人が近くのお蕎麦屋さんに案内してくれた。
友人達と過ごす京都の旅は続きます。



















