12月のこと、ちぃさんと「アーティゾン美術館」で過ごす楽しい午後の続き。
鑑賞しているのは、”マリー・ローランサン-時代をうつす眼”。
第2章は、マリー・ローランサンと文学。
ローランサンはキュビスムの時代に、絵画制作の傍ら多くの詩人と交流し、自らも詩を書き雑誌に発表している。
スペイン亡命中もマドリードで文学者たちと交流し、堀口大學にもこの時に出会っている。
1921年にパリに戻った後は画家よりも文学者との交流を好み、詩集「動物小詩集」を刊行。
ローランサンは挿絵画家としても活動し、生涯に80冊以上の本に挿絵を提供している。
ルイ・マルクーシ、「ギョーム・アポリネールの肖像」(1912-20年) エッチング・アクアチント・ドライポイント 愛知県美術館
1907年、ローランサンはパブロ・ピカソを介して詩人のギョーム・アポリネールと知り合い、1912年まで親密な関係を続けた。
この間に詩を書き始め、雑誌にも掲載されている。
関連書籍の展示も多い。
右から順に記す。
マリー・ローランサン、「小動物物語集」(1926年) 書籍 石橋財団アーティゾン美術館蔵
マリー・ローランサン、「小動物物語集」(1944年) 書籍 姫路市立美術館蔵
マリー・ローランサン、堀口大學訳、「月下の一群」(1925年) 書籍 石橋財団アーティゾン美術館蔵
マリー・ローランサン詩・画、堀口大學訳・編、ジャン・モレアス、ギョーム・アポリネール序詩、「マリー・ローランサン詩画集」(1936年) 書籍 石橋財団アーティゾン美術館蔵
マリー・ローランサン、「扇」(1922年) 書籍 石橋財団アーティゾン美術館蔵
マリー・ローランサン、「マリー・ローランサンの扇」(1922年) エッチング 姫路市立美術館蔵
マリー・ローランサン、堀口大學訳、「月下の一群」(1925年) 書籍 石橋財団アーティゾン美術館蔵
マリー・ローランサン詩・画、堀口大學訳・編、ジャン・モレアス、ギョーム・アポリネール序詩、「マリー・ローランサン詩画集」(1936年) 書籍 石橋財団アーティゾン美術館蔵
ジャック・ド・ラクルテル著、マリー・ローランサン挿絵、「スペイン便り」(1926年) 書籍(オリジナル版画・エッチング33点) 石橋財団アーティゾン美術館蔵
ローランサンに関する書籍まで数多く収集されていることが素晴らしい。
「スペイン便り」の11枚の挿絵がずらりと並ぶ。
他にも、水彩で描かれた、「椿姫」の12枚の美しい挿絵を見ることができる。
第3章は、マリー・ローランサンと人物像。
ローランサンは人物画を得意とし、生涯描き続けた。
第一次世界大戦後に亡命先のスペインからパリに戻ったローランサンは、戦争終結の安堵感と勝利の高揚感に包まれる中、明るい色彩で夢見るような女性の絵は人々に受け入れられ、人気を博した。
そして1929年の世界恐慌の困難な時期においてもローランサンの絵は一層華やかさを増し、色彩にも赤や黄が使われるようになった。
ここでは第一次世界大戦が終結し、第二次世界大戦勃発までの間のローランサンの絵を、同時代の人気の画家、ケース・ヴァン・ドンゲンや藤田嗣治などの絵と比較しながら鑑賞することができる。
マリー・ローランサン、「マンドリンのレッスン」(1923年) 油彩・カンヴァス 鹿児島市立美術館
ここではローランサンと日本の関係についても紹介されている。
ローランサンの作品が日本に初めて紹介されたのは、1914年(大正3年)で、その時は木版画だった。
1920年代になると油彩画が紹介されるようになり、1925年に日本橋の三越呉服店で開催された中央美術社主催の「佛國現代大家新作畫展覧會」に出品されている。
中央美術 1925年5月号 石橋財団アーティゾン美術館蔵
73番に、ローランサン婦人 「友」の記載がある(中段左端)。
この時に「友」として紹介されたのは、アーティゾン美術館に収蔵されている「二人の少女」(1923年)のこと。
マリー・ローランサン、「二人の少女」(1923年) 油彩・カンヴァス 石橋財団アーティゾン美術館蔵
これが三越呉服店で展示された「友」。
マリー・ローランサン、「女と犬」(1923年頃) 油彩・カンヴァス 石橋財団アーティゾン美術館蔵
マリー・ローランサン、「女優たち」(1927年頃) 油彩・カンヴァス ポーラ美術館蔵
マリー・ローランサン、「鳩のいる女の肖像」(1932年) 油彩・カンヴァス オランジュリー美術館蔵
(撮影不可。)
マリー・ローランサン、「手鏡を持つ女」(1937年頃) 油彩・カンヴァス 石橋財団アーティゾン美術館蔵
20年代に較べると、30年代は色彩が少し強くなっている。
マリー・ローランサン、「シェシア帽を被った女」(1938年) 油彩・カンヴァス ヤマザキマザック美術館蔵
ラウル・デュフィ、「ポワレの服を着たモデルたち、1923年の競馬場」(1943年) 油彩・カンヴァス 石橋財団アーティゾン美術館蔵
ケース・ヴァン・ドンゲン、「シャンゼリゼ大通り」(1924-25年) 油彩・カンヴァス 石橋財団アーティゾン美術館蔵
ドンゲンのこの絵は私のお気に入り。
アメデオ・モディリアーニ、「若い農夫」(1918年頃) 油彩・カンヴァス 石橋財団アーティゾン美術館蔵
モディリアーニの絵は遠くから見てもすぐにそれとわかる。
東郷青児、「巴里の女」(1921年) 油彩・カンヴァス 鹿児島市立美術館蔵
1921年に渡仏し、24歳から7年にわたるフランス滞在で、ピカソから独自のスタイルを貫く姿勢を学んだ。
西洋絵画の伝統技法を研究するほか、仕事を通じて装飾やデザインも習得した。
東郷青児、「巴里の女」(1922年) 油彩・カンヴァス SOMPO美術館蔵
(撮影不可。)
東郷青児、「スペインの女優」(1922年) 油彩・カンヴァス SOMPO美術館蔵
(撮影不可。)
藤田嗣治、「人形を抱く少女」(1923年) 油彩・カンヴァス 群馬県立近代美術館蔵
1913年に渡仏すると、集合アトリエ「シテ・ファルギエール」で暮らし、パブロ・ピカソ、ケース・ヴァン・ドンゲン、アメデオ・モディリアーニらと交流。
1919年のサロン・ドートンヌで油彩画6点が初入選、1921年のサロン・ドートンヌで発表した「裸婦」が絶賛され、同年にサロン・ドートンヌの審査員となる。
1925年にフランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを、ベルギー政府からレオポルド1世勲章シュヴァリエを授与される。
藤田嗣治、「夫人像」(1927年) 鉛筆・紙 石橋財団アーティゾン美術館蔵
藤田嗣治、「少女像」(1927年) 鉛筆・紙 石橋財団アーティゾン美術館蔵
これで第3章は終了。
ちぃさんと過ごす、「アーティゾン美術館」での楽しい午後は続きます。