10月のある休日、友人たちと鎌倉駅で待ち合わせ。
10月も終わりに近いというのに、強い日差しが照り付ける。
今日はmayuさんが企画してくれた散策の会。
メンバーはmayuさんのほかに、しづちゃん、naonaoさん、そして私。
まず向かったのは、日蓮宗妙厳山本覚寺。
身延山の久遠寺にあった日蓮の遺骨を分骨したため、”東身延”とも呼ばれる。
寺の創建は、永享8年(1436年)で、開基は足利持氏。 今の本堂は大正12年(1923年)の建立。 |
この大きな銅鑼を鳴らし、お参りをする。
この銅鑼は大きな金盥のような形状をしている。
不信心な話だが、ドリフの天井から落ちてくる金盥を連想してしまった。
鬼瓦が立派だ。
この夷堂は昭和56年(1981年)に再建されたもの。
本覚寺の前を流れる滑川に架かる橋は、夷堂橋と呼ばれている。
山門(仁王門)は江戸時代の創建。
元は三浦半島の寺院にあった山門を、明治時代に移築したもの。
ここの石柱の台座には東身延と書かれている。
山門の中には仁王像。
こちらは阿形像。
吽形像。
何故か手に虫コナーズが貼られている。
平成24年(2012年)から平成28年(2016年)まで修理され、再安置されている。
本覚寺が面する小町大路(辻説法通り)の辻向いには日蓮宗霊跡本山の長興山妙本寺。
参道を進み、総門に至る。
妙本寺がある場所は比企谷(ひきがやつ)と呼ばれ、源頼朝の有力御家人であった比企能員(ひきよしかず)一族の屋敷があった場所。
北条氏と対立し攻め滅ぼされるが、その屋敷跡に生き残った比企能本が文応元年(1260年)に創建したのが妙本寺。
境内は緑が深い。
二天門では、前撮りの撮影。
ここは前撮りの人気スポットなのだそうだ。
この日も四組のカップルが撮影中。
mayuさんが案内してくれたのは、ペットの慰霊碑。
ぷーちゃんがここに眠っているとのことで、合掌。
近くに、黄色の八重の花が咲いていたので、「ユキさん、この花は何ですか」とmayuさん。
「これは八重咲の山吹です。八重咲は実が生らないので、”七重八重 花は咲けども山吹の 實のひとつだになきぞ悲しき”という歌が後拾遺和歌集にあります」と私。
ここは市指定有形文化財の祖師堂。
天保年間(1830~1844年)の建立。
鎌倉市内観光の人力車も来ている。
本覚寺、妙本寺の位置はこちら。
鎌倉駅のすぐ近くだ。
鎌倉駅に戻ると、江ノ電で次の目的地に移動。
電車は満員だが、乗り切れないほどではない。
降りたのは、4駅先の極楽寺駅。
向かったのは、真言律宗の極楽寺。
正式名称は、霊鷲山感応院極楽律寺。
創建は正元元年(1259年)で、開基は北条重時。
極楽という名とは裏腹に、鎌倉時代のこの場所は、死骸が遺棄されたり行き場を失った者たちが集まったりする”地獄”ともいうべき場所だったのだそうだ。
本堂の彫り物が立派。
山門を出入りするのはこの小さな木戸。
腰をかがめて通るのは結構きつい。
江ノ電の上を渡る橋から極楽寺駅を撮影。
極楽寺は右側にある。
駅と反対側、長谷(鎌倉)方面にはトンネル。
左の崖には、朝顔のような青い花がいっぱい咲いている。
「あの花は南青山で見た花と同じですよね」とnaonaoさん。
「あの時の花は紫のノアサガオでした。これはノアサガオの園芸品種と言える、花が青いオーシャン・ブルーです」と私。
このトンネルがある山の切通を歩いて長谷方面に向かう。
道の横には多くの紫陽花の株。
mayuさんによると、ここは紫陽花の隠れた名所なのだそうだ。
途中立ち寄ったのは、真言宗大覚寺派の寺院、普明山法立寺成就院。
創建は承久元年(1219年)、開基は北条泰時。
以前は参道に般若心経の文字数と同じ262株の紫陽花が植えられていたが、今は紫陽花を減らし、代わりに萩が植えられている。
これが、参道を半分覆うほどに茂った萩。
盛りは過ぎているが、紫と白の花がいっぱい咲いている。
参道からは由比ヶ浜が見渡せる。
海を背景に、記念撮影。
次は私も入って撮影。
成就院には西結界から入り、東結界から出た。
坂を下り、長谷に向かう。
友人たちとの楽しい鎌倉散策は続きます。