3月中旬のこと、乃木坂駅に降り立つ。
今日は友人達と国立新美術館で待ち合わせ。
目的は、”ルーブル美術館展 愛を描く”。
ルーブル美術館には何度か行ったことがあるが、収蔵作品があまりに多すぎて、集中力が持たない。
そのため、今回のようなテーマを絞って作品を選抜した企画展はとても嬉しい。
(国立新美術館での展覧会は終了し、現在は京都市京セラ美術館で9月24日まで開催されています。)
このポスター、よく見ると”LOUVRE”の”U”と”R”が薄くなっていて、濃い文字だけを読めば”LOVE”になっている。
この企画展のみどころは、公式ホームページによると以下の四点。
1.ルーブルが世界に誇る珠玉の絵画コレクションから厳選された、「愛」の名画、73点が一堂に集結。
2.古代の神々の愛、キリスト教の愛、恋人たちの愛、家族の愛、官能の愛、悲劇の愛・・・16世紀から19世紀半ばまで、ヨーロッパ各国の主要画家の名画により、多様な愛の表現に迫る!
3.「愛」というテーマを通して、誰もが知る傑作から隠れた名画まで、日本初公開作品を含め、新たな発見や出会いのある展覧会。
4.なかでも、18世紀フランス絵画の至宝、フラゴナールの「かんぬき」が26年ぶりに来日。
展示はプロローグと四つのセクションに分かれている。
プロローグ-愛の発明
ヨーロッパ世界の文化の源流には、古代ギリシャ・ローマとキリスト教の二つがある。
プロローグではこれら二つの文化における愛の起源の表現が紹介されている。
プロローグ1 愛の神アモル
ここは、古代ギリシャ・ローマの世界の愛の起源。
フランソワ・ブーシェ、「アモルの標的」(1758年)
まず目に飛び込んでくるのは、圧倒的な存在感のこの絵。
ロココ様式の優美な絵だ。
美の女神、アフロディーテの息子はギリシャ神話ではエロス、ローマ神話ではクピドまたはアモル、そして英語ではキューピッド。
この絵では矢が命中したハートをアモルが捧げ持ち、愛の誕生を告げている。
地上のアモルは残った矢を焼き、真実の愛は一つだけであることを示している。
プロローグ2 アダムとエバ
ここは、キリスト教の世界の愛の起源。
ピーテル・ファン・デル・ウェルフ、「善悪の知識の木のそばのアダムとエバ」(1712年以降)
バロック期のオランダの画家の作品。
旧約聖書の創世期のアダムとエバが描かれている。
同じ題材の絵を多くの画家が描いており、その多くが秘部を葉っぱで覆っているが、この絵は裸体がそのまま描かれている。
Ⅰ.愛の神のもとに-古代神話における欲望を描く
ギリシア・ローマ神話の愛は、相手のすべてを自分のものにしたいという強烈な欲望と一体となっている。
このセクションではその欲望を原動力とする神々や人間の愛の展開が絵画でどう表現されたのかが紹介されている。
Ⅰ-1 欲情-愛の眼差し
相手を観ることによって、愛=欲望がかき立てられる。
神や人間が愛する者の無防備な寝姿をそっと眺める画題は、ルネッサンスから19世紀まで数多く描かれている。
アントワーヌ・ヴァトー、「ニンフとサテュロス」(1715-1726年頃)
二人はギリシャ神話の登場人物で、山や泉などの自然物の精であるニンフと、人間の身体とヤギの脚を持つサテュロスを組み合わせた画題は、多くの画家たちによって描かれている。
白い肌の美しいニンフと、浅黒く醜いサテュロスの対比が、強烈なエロティシズムを生み出している。
Ⅰ-2 暴力と魔力-欲望の行為
神でも人間でもひとたび恋に落ちると、その相手を手に入れるために行動する。
男性の場合は力に訴え、女性の場合は魔力や妖術を使う、そんな画題が好んで描かれてきた。
セバスティアーノ・コンカ、「オレイテュイアを掠奪するボレアス」(1715-1730年頃)
ルネサンス以降の神話画において定番の主題となった、ギリシア・ローマ神話の男性の神々が気に入った女性を誘拐するエピソードを描いた作品。
北風のボレアスが、川辺でニンフたちと遊んでいた王女オレイテュイアを力づくで連れ去る場面が描かれている。
王女がとても重そうだ。
ドメニキーノ(本名 ドメニコ・ザンピエーリ)、「リナルドとアルミーダ」(1617-1621年頃)
イタリアの詩人トルクアート・タッソの叙事詩「エルサレム解放」の中から騎士リナルドとイスラム教徒の魔女アルミーダの恋物語の場面を描いた作品。
敵のリナルドを殺すはずが恋をしてしまったアルミーダは、魔力でリナルドを誘惑し、自分の宮殿に連れていってしまう。
周りにはアモルが描かれ、二人が恋に落ちていることが表現されている。
左の茂みに潜んでいるのはリナルドを連れ戻しに来た二人の兵士。
しかしこの二人の兵士も女性たちに誘惑されてしまう。
ジュゼッペ・パッセリ、「アルミーダの庭のカルロとウバルド」(1685ー1690年頃)。
二人の兵士が誘惑されている場面を描いた絵も展示されている。
Ⅰ-3 死が二人を分かつまで-恋人たちの結末
神話の世界の恋人たちの愛の結末は、プシュケとアモルのように結婚でハッピーエンドになる例も少しはあるが、その多くが悲しい結末を迎えている。
16世紀後半にヴェネツィアで活動した画家、「アドニスの死」(1550-1555年頃)
アドニスの死は、ルネサンス以降の西洋絵画で最も好まれたテーマ。
愛の女神ヴィーナスと絶世の美青年アドニスの恋は、狩猟の最中に猪にアドニスが突き殺されるという悲劇で幕を閉じる。
中央には死せるアドニス、左には気を失ったヴィーナス、二人を支え、アドニスに布を掛けようとする三美神。
遠い背景では、アモルたちが猪に矢を射っている。
フランソワ・ブーシェ、「プシュケとアモルの結婚」(1744年)
こちらは数少ないハッピーエンドの絵画。
美貌のプシュケに美の女神ヴィーナスは嫉妬するが、息子のアモルは誤って愛の矢を自分に刺してしまい、プシュケに恋をする。
さまざまな試練の後、二人が結婚する場面で神々が祝福しようと集まっているが、ヴィーナスだけは腹を立てて反対側を向いている。
Ⅰ-4 愛の勝利
テーマはアモル。
可愛いアモルは王侯貴族に好まれた画題。
ウスターシュ・ル・シュウール、「母に叱られ、ケレスの腕のなかへ逃げるアモル」(1645年頃)
母親のヴィーナスに叱られ、今にも泣き出しそうなアモル。
神々ではあるが、とても人間らしい情景が描かれている。
ケレスはローマ神話の豊穣神、地母神。
Ⅱ.キリスト教の神のもとに
キリスト教の愛の中で重要な位置を占めるのは、親子愛。
古代神話の愛する者を奪ってでも所有するという愛とは異なり、愛する者のために自分を犠牲にする愛が描かれている。
Ⅱ-1 「ローマの慈愛」からキリスト教の慈愛へ
ここには「ローマの慈愛」と「放蕩息子の帰宅」の二点が展示されている。
シャルル・メラン、「《ローマの慈愛》または《キモンとペロ》」(1628-1630年)
初めてこの絵を観た時は、老人が若い女性の乳房を吸う、何という不道徳な情景かと驚いた。
ところがこの絵は古代ローマのウァレリウス・マクシムスの「著名言行録」に描かれている父キモンと娘ペロの教訓的な逸話をテーマにしたものだった。
キモンは牢獄で処刑を待つ身で食べ物を与えられていなかったため、ペロは牢獄の父を訪れ、密かに授乳して栄養を与えていたのだそうだ。
Ⅱ-2 孝心・親子愛-聖家族にみる模範
聖母マリアと幼子イエスをモチーフとする「聖母子」や、彼らを中心として父のヨセフや親戚たちが集う様子を描いた「聖家族」の絵画にも、人間が手本とすべき愛の表現をみることができる。
サッソフェラート(本名 ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ)、「眠る幼子イエス」(1640-1685年頃)
これぞ「聖母子」と言える作品。
幼子イエスを優しく抱く聖母マリアは慈愛に満ちながらも、表情には憂いが感じられる。
ルネサンス以降、眠る幼子を抱く聖母像は、キリストの受難の暗示として盛んに描かれるようになった。
Ⅱ-3 犠牲に至る愛-キリストの犠牲と聖人の殉教
キリスト教におけるもう一つの愛の姿は、キリストの磔刑、すなわち受難。
神は人類を救うために我が子イエスが十字架にかけられるという究極の犠牲を受け入れた。
その意味で磔刑の主題は人間に対する神の愛と言える。
また、聖人たちの殉教は、神への愛のためなら死をも厭わないという犠牲の念と言える。
ウスターシュ・ル・シュウール、「キリストの十字架降下」(1651年頃)
キリストの遺骸を十字架から下ろす場面が描かれている。
聖書の記述に従い、アリマタヤのヨセフ(右)、聖ヨハネ(中)、ニコデモ(左)がキリストの遺骸を運び、キリストの足にマグダラのマリアが口づけをしている。
画面の右側では、聖母マリアが片腕をキリストに向かって開いている。
Ⅱ-4 法悦に至る神への愛-マグダラのマリアの官能的・精神的な愛
愛する神と一体となる神秘体験をした聖人たちは、概して恍惚とした表情で描かれ、官能性を帯びている。
ここにはマグダラのマリアを描いた作品が二点展示されている。
さて、まだセクションⅢ.とⅣ.が残っているが、書き疲れたので続きはまた明日。