こんな大変な時に、日本を離れて良いものか。
悩んだけれど、結局米国に向けて飛び立つことに。
もともと決まっていたことだと、そして敵前逃亡ではないと自分を正当化しても、なんとなく気が咎める。
東京駅や羽田空港は、東京から関西や九州に避難する人々で混雑している。
大部分が、女性と子供たちだ。
成田空港は、「危険な国=日本」を脱出する外国人で一杯だ。
想像を上回る地震と津波、自然の脅威は人知を簡単に上回ってしまった。
しかし、その後の原発事故、被災者への救援の遅れ、どれをみても人災としか言えない状況が続いている。
危機管理が出来ない、指導力と当事者意識の欠如。
先進国との誇りが、単なる虚構の産物であったことを知る喪失感。
心温まるのは、個人の献身と努力。
寄付以外に、被災者のために自分に何が出来るか考え、実行しなければならない。
しかし、液状化現象のために断水し、炊事洗濯も出来ず、風呂もトイレも使えない生活。
歩いて行ける範囲のコンビニやスーパーは泥に埋まり、休業。
遠くの店まで泥道を歩いて行っても、水やおにぎりやパンは売り切れ。
自分の生活を何とか成り立たせることに汲々とし、疲れが先に立つ。
喜ぶべきか悲しむべきか、この数日間で5Kg痩せてしまった。
毎日三食を食べることができ、毎日風呂に入ることができ、なかなか来ない満員電車や滅多に来ないタクシーを待つことも無く、停電の恐怖に怯えることも無く、余震の度にドアを開放しに走ることも無い束の間の生活。
便利な都心近くに住みながら、当たり前と思っていたこれらのことが最高の贅沢であることを初めて知った。
成田空港では、多くのラウンジが今も閉鎖したまま。
本当に久しぶりに、ゆっくりと湯を浴びた。
このシャワー・セットもLAで使わせてもらおう。
被災者の方々には本当に申し訳ないと思いながら、今から飛び立ちます。
疲れた精神と身体を立て直してきます。
一番の不安は、先週11日の16時にインドから帰国した際の恐怖を再び味わうのではないかというもの。
一週間後の日本が、復旧が急速に進み、原発の危機的状況が収まっていることを、そして被災者の方々の避難生活が大幅に改善されていることを祈っています。