彼女と一緒に出るパーティに持っていくワインを選ぼうと、セラーをごそごそと探していたら、一番下の棚からヴーヴ・クリコ、ラ・グランダム、1998年が出てきました。
えっ、こんな素敵なシャンパーニュ、何時買ったかな?
丸みを帯びたボトルを手に持って、しばらく考えました。
そうだ、これは米国系航空会社のファースト・クラスに乗った時にもらったワインだ。
その途端、甘く切ない思い出が蘇ってきました。
当時はアメリカの仕事が忙しく、シカゴに頻繁に飛んでいました。
シカゴに行くには米国系の航空会社が便利なため、良く利用していました。
何時もはビジネス・クラスですが、フリークエント・トラヴェラーになっていたのでアップ・グレードしてもらい、その日はファースト・クラスに乗っていたのです。
何時も同じ便で飛んでいたので、フライト・アテンダントのAkiとは何度か同乗し、顔見知りになっていました。
Akiとは何となく気が合い、機内でも気軽に話をしていました。
Akiがファースト・キャビン担当の時には、ビジネス・キャビンに居る私に、ファーストのシャンパーニュをクリスタル・グラスに入れて、そっと持ってきてくれました。
その日は、Akiはファースト・キャビンを担当していたので、何時ものようにちょっと手が空くと、私のところで立ち止まっては気軽な話をしていました。
日系米国人のAkiはもちろんバイリンガルで、英語も日本語も流暢に話します。
出張疲れのためか、知らぬ間に寝てしまっていたようです。
「着陸のため、成田空港に向け高度を下げてまいります。ご使用になった・・・」
機内アナウンスで目を覚ますと、空席の隣の座席に、綺麗にラッピングした包みが置いてありました。
おや、と思ってAkiを目で探すと、着陸準備で忙しく立ち働きながら、Akiはこちらを見て一瞬小さくうなづきました。
私はこの航空会社のフライトに良く乗っていたので、今までも何度かワインをプレゼントされたことがあります。
でも今までは、「今日のフライトのベスト・ゲストに選ばれました」と言って、複数のフライト・アテンダントが揃ってワインを持ってきてくれていました。
私が寝ていたので、席に置いていったのかな、と深く考えることもせず、ワインのボトルを鞄に詰め、空港を後にしました。
帰りの電車の中で、今日のワインの形が何時ものボルドーの瓶と異なることを思い出し、念のためラッピングを解いてみました。
すると、中身はヴーヴ・クリコ・ポンサルタンのプレステージ・キュヴェ、ラ・グランダム、1998年だったのです。
マダム・クリコは、マダム・ポメリーと並び称される偉大なシャンパーニュの造り手。
ボトルを毎日少しずつ回転させる”ルミュアージュ”を考えだし、澱を抜いて透明なシャンパーニュを造りだしたマダム・クリコ。
1972年にヴーヴ・クリコ創設200周年を記念して造られたラ・グランダムは、マダム・クリコに捧げられたプレステージ・シャンパーニュ。
添えられていた手紙には、
「このシャンパーニュは、本当はお客様に差し上げてはいけないものです。秘密にして下さいね。今夜はこのホテルに泊まります。お会いしたいです。よろしければお電話を下さい。 Aki」
と、書かれていました。
でも、私には愛する彼女が居ます。
「ごめん、電話できないんだ」、と心の中でつぶやきました。
Akiが宿泊するホテルに電話をかけ、「素敵なシャンパーニュをありがとう。秘密は守ります。お休みなさい」とメッセージを残し、手紙は駅の屑かごに捨てました。
あれ以来、シカゴ行きのフライトでもAkiには会っていません。
この素晴らしく、悲しいシャンパーニュ。
再びセラーの一番下に、そっとしまいました。