遠い昔、ユーゴスラヴィアを旅した時のこと。
ベオグラードから60Kmほど離れた田舎町の、一軒だけあるホテルでの出来事です。
夕食をとるために、レストランに席をとりました。 周りには地元の人たちが、数テーブルを占めていました。
まず、その地方名産の、スメデレヴォ・ワイン、スメデレフスカを注文しました。
何だろう。
ここでは、お水の代わりにソーダを飲むのかな?
などと訝しがりながら、ワインをグラスに注ぎ、乾いた喉に流し込みました。
その時です。
周りで息をつめ、異邦人の振舞いを見ていた地元の人達が、一斉に何やら言いながら私の周りに集まってきました。
な、何ですか?
私はセルヴォ・クロアチアート(セルヴィア語)もロシア語も出来ません。
彼らは、英語も日本語もわかりません。
一人の老人が試しにドイツ語で話しかけてくれたので、たどたどしいながら、何とか意思疎通を図ることができました。
彼らの言い分では、ワインは生(き)で飲むものではない。
ソーダ水か水で割って飲むものだとのこと。
これには驚きましたが、よく考えてみると、ギリシャ・ローマ時代にはワインを海水や水で割って飲んでいたという話を思い出しました。
私の博識の友人の話では、ギリシャの叙事詩、ホメロスのイーリアスの第一歌に、ワインと水を混ぜる混酒器(クラテル、混合すべき量がわかるように目盛が付いたもの)についての記述があるそうです。
ギリシャ・ワインは今でこそ辛口のものが増えましたが、以前は甘口のものが多く、確かに水で割って飲むのが理にかなっていたのでしょう。
糖分が貴重品だった古(いにしえ)の時代、まさに、ネクターと呼ぶに相応しいワインだったのですね。
バルカン半島のこの地域には、ローマ時代の遺跡が数多くありますが、遺跡だけではなく、ローマ時代の習慣が残っているとは、驚きでした。
この地方では食事は一日二食で、会社も早朝7時から午後3時までお茶の時間を取るくらいで、昼休み無しで働いていましたが、これも昔の習慣を踏襲しているものです。
ワインのエチケットに描かれている城塞は、キリスト教諸国とオスマン・トルコとの戦いの時のもので、イスラム世界との戦いに敗れたバルカンは、500年間の長きにわたり、イスラムの支配下の置かれました。
ワインの飲み方にも、歴史と地域性があるものですね。