道後で、癒しの灯りに浸る
昨日、道後で「癒しの灯り」を見学してきました。最近、地元松山の人間であるにもかかわらず、観光客気分で道後に行くことが多くなりました。考えてみれば、一番安上がりに温泉観光の気分に浸れるのですから、当然と言えば当然かも知れません。
さて、道後温泉本館上の駐車場に車を止めて、下を見下ろすと、日頃は見慣れない本館の姿が目に飛び込んできます。

駐車場から下りて、道後温泉駅に向かうと、時計台の辺りには観光客の姿がちらほらと。ちょっぴり寂しいですかね。

駅前の時計台を横目にみながら商店街のアーケードをくぐり、少し商店街を歩くと、お目当ての町家カフェがありました。

このおしゃれなカフェの店内に、IRCニューリーダーセミナーOBの平田さんが手がけておられる「癒しの灯り」が展示させれていました。そのいくつかをご覧下さい。



日頃から感じていることですが、そもそも日本は明る過ぎます。電力不足如何に関わらず、もう少し灯りそのものを大事にした方がいいのではないでしょうか。そんなことを改めて感じさせてくれた良質の灯りの数々でした。1月末まで展示されているそうです。
さて、道後温泉本館上の駐車場に車を止めて、下を見下ろすと、日頃は見慣れない本館の姿が目に飛び込んできます。

駐車場から下りて、道後温泉駅に向かうと、時計台の辺りには観光客の姿がちらほらと。ちょっぴり寂しいですかね。

駅前の時計台を横目にみながら商店街のアーケードをくぐり、少し商店街を歩くと、お目当ての町家カフェがありました。

このおしゃれなカフェの店内に、IRCニューリーダーセミナーOBの平田さんが手がけておられる「癒しの灯り」が展示させれていました。そのいくつかをご覧下さい。



日頃から感じていることですが、そもそも日本は明る過ぎます。電力不足如何に関わらず、もう少し灯りそのものを大事にした方がいいのではないでしょうか。そんなことを改めて感じさせてくれた良質の灯りの数々でした。1月末まで展示されているそうです。
一橋大学での講義を終えて
去る1月6日(金)、母校一橋大学で講義をさせていただきました。対象は、岡本ゼミの3、4年生で、正月明けにもかかわらず五十人以上の出席がありました。ジャスト70年安保の時に入学し、荒れた大学生活を送った私には、この勤勉さは到底考えられません。当日は、まず大学に行く前に、一橋生定番、国立駅前のロージナ茶房で心を落ち着かせました。

午後1時に大学正門前で、岡本先生と初対面の待ち合わせ。懐かしの兼松講堂を眺めながらとりあえず先生の部屋に通されました。そして、最近の学生気質などについてしばし歓談していると、講義の時間が迫ってきました。はやる心を落ち着かせながら教室に向かいます。


今回の講義は、伊予銀行が女子野球やソフトボール、あるいは男子テニス部などスポーツを通した地域活性化に非常に熱心に取り組んでいることから、その活動について講義してもらいたいというご要請でした。下の写真の教室で、何とかかんとか講義をさせていただきました。

銀行経営についてであれば、多少なりとも学生の皆さんの参考になるような話もできるのですが、経営の一環とはいえ弊行のスポーツに直接タッチはしていませんでしたので、冷や汗が背中を垂れる瞬間もありました。
でもまあ、終わってしまえばいい経験でした。学生の皆さん、先輩のこととてお許しください。
ところで、その翌日、かねてより行きたかった代官山の蔦屋書店に行ってきました。あのTsutayaが「大人のための文化の牙城」と称して、新たな展開を始めていました。
何枚かシャッターを切りましたが、こうしたスタイルは代官山だからこそ成立するのかも知れませんね。ただ、紙の書籍の衰退が見込まれる中で、書店が従来通りのことをやっていたのでは立ち行かなくなることは間違いありません。そういう意味で、今後の展開を注目したいと思いました。



午後1時に大学正門前で、岡本先生と初対面の待ち合わせ。懐かしの兼松講堂を眺めながらとりあえず先生の部屋に通されました。そして、最近の学生気質などについてしばし歓談していると、講義の時間が迫ってきました。はやる心を落ち着かせながら教室に向かいます。


今回の講義は、伊予銀行が女子野球やソフトボール、あるいは男子テニス部などスポーツを通した地域活性化に非常に熱心に取り組んでいることから、その活動について講義してもらいたいというご要請でした。下の写真の教室で、何とかかんとか講義をさせていただきました。

銀行経営についてであれば、多少なりとも学生の皆さんの参考になるような話もできるのですが、経営の一環とはいえ弊行のスポーツに直接タッチはしていませんでしたので、冷や汗が背中を垂れる瞬間もありました。
でもまあ、終わってしまえばいい経験でした。学生の皆さん、先輩のこととてお許しください。
ところで、その翌日、かねてより行きたかった代官山の蔦屋書店に行ってきました。あのTsutayaが「大人のための文化の牙城」と称して、新たな展開を始めていました。
何枚かシャッターを切りましたが、こうしたスタイルは代官山だからこそ成立するのかも知れませんね。ただ、紙の書籍の衰退が見込まれる中で、書店が従来通りのことをやっていたのでは立ち行かなくなることは間違いありません。そういう意味で、今後の展開を注目したいと思いました。


住友グループの源流「四阪島」の産業遺産を見学
先週木曜日(12/22)、待望の四阪島見学が実現しました。この島は、全島住友金属鉱山株式会社の所有で、現在も株式会社四阪製錬所として本格操業中です(日本の電炉業を当製錬所が支えていると言っても過言ではありません)。
また離島で、水が出ないといった環境にあり、万一の場合が心配されますので、原則関係者以外立ち入り禁止になっています。
今回は、産業遺産調査の一環として会社に特別にお願いし、上陸させていただきました。さて、当日は昼前に新居浜の住友金属鉱山さんに到着、事業の概要等をお聞きした後、すぐ近くの埠頭から出航です。ところが、・・・

正直言って、死ぬかと思いました。上の写真を見ればまさかと思われるかも知れませんが、沖合に出ると船はジェットコースター状態。船に乗って真剣に救命胴衣を探したのは生まれて初めてでした。とは言え、約30分の悪夢の船旅を終え無事島に到着、「上陸禁止」の看板が出迎えてくれました。

まずは、現在使われている四阪製錬所の事務所に通されました。何年の建築か聞き漏らしましたが、ご覧のとおり昔の小学校そのものです。

当時の小学校で使用されていた黒板や懐かしい写真などが掲示されていました。

事務所からは、車でご案内いただきました。まずは、現在の製錬所が見下ろせる高台に。

高台にそびえ立つのが、昔使われていたこの煙突。付近を航行する船からご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。他にも、かつての銅製錬所の「つわものどもが夢のあと」といった光景を目の当たりにしました。

次に案内されたのが、「日暮別邸」。住友家当主の別荘、接待館として使われたものです。窓からは、製錬所を見渡すことができます。別邸につながる進入路の煉瓦は、製錬所で生成されたカラミ煉瓦と言われるもので、何とも言えない風格がありました。

これが、日暮別邸です。

使われなくなって久しいためか、内部はかなり老朽化していますが、それでも往事の豪華さが偲ばれます。内部の写真をいくつかご覧下さい。




最後に案内されたのが、往事に「四阪銀座」と呼ばれていた島の中心商店街跡です。老朽化した家屋の対面のコンクリート跡には生協があったそうです。こういう光景を目にすると、自分が住んでいたわけでもないのに、ひとしおの感慨に浸ってしまいます。分かりますよね、この気持ち。

四阪銀座から下りた桟橋の近くの広場ですが、昔はここに劇場がありました。1500人位収容できたそうです。

さて、四阪島ともお別れです。本当なら、昔の小学校や社宅跡にも連れて行ってもらうことになっていたのですが、遅くなると船が出せないかも知れないと船長から連絡があり、急遽帰途につきました。
住友金属鉱山ならびに四阪製錬所のみなさん、本当にお世話になりました。御礼申し上げます。幸い帰りは往路のような揺れもなく、無事新居浜に帰還しました。
前回の銅山越えから東平への旅でも感じましたが、こうした産業遺産を見学するにつけ、往事の活況は取り戻せないにしても、もう一度いや何度でも日本の製造業には頑張ってもらいたいと思わずにはいられませんでした。本当は、底力があるのですから。ガンバレ、ニッポン。

また離島で、水が出ないといった環境にあり、万一の場合が心配されますので、原則関係者以外立ち入り禁止になっています。
今回は、産業遺産調査の一環として会社に特別にお願いし、上陸させていただきました。さて、当日は昼前に新居浜の住友金属鉱山さんに到着、事業の概要等をお聞きした後、すぐ近くの埠頭から出航です。ところが、・・・

正直言って、死ぬかと思いました。上の写真を見ればまさかと思われるかも知れませんが、沖合に出ると船はジェットコースター状態。船に乗って真剣に救命胴衣を探したのは生まれて初めてでした。とは言え、約30分の悪夢の船旅を終え無事島に到着、「上陸禁止」の看板が出迎えてくれました。

まずは、現在使われている四阪製錬所の事務所に通されました。何年の建築か聞き漏らしましたが、ご覧のとおり昔の小学校そのものです。

当時の小学校で使用されていた黒板や懐かしい写真などが掲示されていました。

事務所からは、車でご案内いただきました。まずは、現在の製錬所が見下ろせる高台に。

高台にそびえ立つのが、昔使われていたこの煙突。付近を航行する船からご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。他にも、かつての銅製錬所の「つわものどもが夢のあと」といった光景を目の当たりにしました。

次に案内されたのが、「日暮別邸」。住友家当主の別荘、接待館として使われたものです。窓からは、製錬所を見渡すことができます。別邸につながる進入路の煉瓦は、製錬所で生成されたカラミ煉瓦と言われるもので、何とも言えない風格がありました。

これが、日暮別邸です。

使われなくなって久しいためか、内部はかなり老朽化していますが、それでも往事の豪華さが偲ばれます。内部の写真をいくつかご覧下さい。




最後に案内されたのが、往事に「四阪銀座」と呼ばれていた島の中心商店街跡です。老朽化した家屋の対面のコンクリート跡には生協があったそうです。こういう光景を目にすると、自分が住んでいたわけでもないのに、ひとしおの感慨に浸ってしまいます。分かりますよね、この気持ち。

四阪銀座から下りた桟橋の近くの広場ですが、昔はここに劇場がありました。1500人位収容できたそうです。

さて、四阪島ともお別れです。本当なら、昔の小学校や社宅跡にも連れて行ってもらうことになっていたのですが、遅くなると船が出せないかも知れないと船長から連絡があり、急遽帰途につきました。
住友金属鉱山ならびに四阪製錬所のみなさん、本当にお世話になりました。御礼申し上げます。幸い帰りは往路のような揺れもなく、無事新居浜に帰還しました。
前回の銅山越えから東平への旅でも感じましたが、こうした産業遺産を見学するにつけ、往事の活況は取り戻せないにしても、もう一度いや何度でも日本の製造業には頑張ってもらいたいと思わずにはいられませんでした。本当は、底力があるのですから。ガンバレ、ニッポン。

