BRONZE FIST RECORDS・社長の訓辞

BRONZE FIST RECORDS・社長の訓辞

BRONZE FIST RECORDS for real skinheads and punks all over the world since 1995. Say no! to commercial punk.


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80年代の英国と日本の有名ハードコア・2バンドの名前を大胆にミックスし、自らのバンド名に冠した事で日本でも一部で話題となった、マレーシアのD-beatハードコアバンド・DISMが2017年の秋にアルバム発売記念ツアーの一環でタイ王国第二の都市・私が住むチェンマイに来た時の話を書きます。

2017年6月に大阪のPiPiがチェンマイに来た後くらいから、チェンマイPUNK代表・ヌイから「マレーシアのDISM、てバンドがチェンマイへライブしに来たい、と言われて日時も指定して来たんだけど、早くフライヤを送ってくれ送ってくれ、て催促の電話が毎日来るんだ。フライヤ作れない?」と会う度に言われていた。

会場や対バンが決まってもいない段階でフライヤを急かすとは、東南アジアのバンドにしては珍しいなー、と思いつつ何でこんな畏れ多いバンド名を付けたのか、と言う事も含め、来た時に訊こうと思った。

 

 

今回の会場はチェンマイ国際空港にやや近い、昼間は企業の倉庫代わりになっていて、夜だけアートスペースに変わる、チェンマイ在住の欧米人が運営する「BOB SPACE」という場所になった。

 

 

普段、チェンマイPUNKのライブに来る連中も馴染みのない場所なので、配布用の簡単な地図付きフライヤを作り、出演者達に託した。

 

 

ライブ前日の夜、急にヌイから「明日の朝八時にチェンマイ国際空港に迎えに行くから来てくれないか」との申し入れがあり、当日の朝八時少し前に空港に迎えに行ったらバンコクのTHE DIE HARDSが到着しており、既に飲酒している者も。


 

こんな、変な頭がチェンマイ国際空港にたくさん居るのを初めて見た。



 

バナーと共に記念撮影した後、宿泊先へ向かった。

 

 

宿泊先は私の家から徒歩圏内のMojito Guest Houseだった。ヌイの友人が経営しているらしい。

 



宿にはフライヤが貼ってあった。

 



六人一部屋なので、ツアーバンドが宿泊するのにちょうど良い場所であった(が、残念ながらこの宿は既に閉店済み)。

 

 

続いてクアラルンプールからのエアアジア便でDISMが到着するので再度、空港へ。

 

 

さっきと同じ場所にいたら、空港のセキュリティーにすぐ退去するように言われたが、ちょうどDISMの御一行が到着したので急いで私の車に乗せて、彼らの宿へ向かった。

 

 

信号待ちで車内を撮影。DISMは五人編成、うち二名は今回は奥さん連れだった。

 

 

宿はチェンマイ旧市街から南の方へ行った場所に位置していた。

 

 

バナーと共に記念撮影。

 

 

私とドラムのZamだけでも撮らされた。

 

 

一度、部屋に荷物を置きに行く彼らを外で待つことに。

 

 

DISMの音源「WARMAGEDDON」のカセット+CDRの両方のバージョンを頂いた。有難うございます。

 

 

彼らはモスリムなので、ハラル対応のレストランが多いチャンクラン通りへ出て、AM10:30でも既に開いている店に入った。

 

 

軽い食事を済ませた後、しばし観光がてらお堀沿いをドライブして、チャンプアック門近くのポンチな楽器店に入ってみた。

 

 

旅行気分で、お土産ついでに変な打楽器を購入していた者がいた。

 

 

その後、お堀沿いから見える大仏のあるワット・ラジャモンティアンへ。

 

 

上の画像・真ん中のKhalis(ギター)は幼少の頃、親の仕事の関係でタイに住んでいたそう。

 

 

仏さんの前でチョケたポーズの者(ベースのChex)がおり、罰が当たったら困るので「客人なんで許してください」とタンブン(合掌・礼拝し寄進する事)しておいた。

 

 

そして、お堀を挟んで向かいのワット・ロークモーリーへ。

 

 

暑いので、エアコンがよく効いたリンピンスーパーへ寄って皆さんの買い出しをしてから宿へ送った後、自宅へ戻りTHE DIE HARDSを迎えに行くPM6:00に間に合うよう数時間、寝てから時間通りにTHE DIE HARDSを迎えに行くと「髪を立ててるからあと30分、待って」との事。

 

えぇー、そういう事なら先に連絡して来いやー。

 

なのでスコールの中、そのままDISMを迎えに行って会場まで送り届けた。

 

 

開演予定時間のPM7:00を過ぎてもまだサウンドチェック中だったが、雨の影響で客足も遅いと思われるので問題ないだろう。

 

 

その後、THE DIE HARDSを迎えに行った。

 

 

この時は会場まで確か9人、乗せたはず。

 

 

今回の会場・BOB SPACEは広いので、物販スペースも広く取る事が出来た。

 

 

PM8:30にライブはスタート、一番手は2016年2月にアメリカのThe Elected Officialsがチェンマイに来た時も出演していた、タイ北部独自の文化・伝統が色濃く残る、チェンマイから車で3時間の街・チェンライのSAEM。
 


 

いわゆるパンクではないが、ノリの良いタイ・ハードロックで観る者を沸かせた。
 

続いてチェンマイのニュースクール系ハードコア・MEANING IN ME。

 

 

そしてバンコクのSTREETPUNKバンド・THE DIE HARDS。

 

 

彼らのライブを観るのは五年振りだったが、圧倒的な成長を見せてくれた。

 

 

この日の一等賞は彼ら、THE DIE HARDSでした。

 

 

THE DIE HARDSは、2011年春にBRONZE FIST RECORDSからリリースしたオムニバスCD「JAPAN-THAILAND CONNECTION 2011」に参加しております。

 

 

THE DIE HARDSの動画をお楽しみ下さい。

 

 

会場の外で売っている豚串・鳥串が美味い。

 

 

さて、2016年夏からここチェンマイで、私がドラムを担当しOi!/SKINHEADバンド・LANNA GLORYをやっていたが、ボーカルのマイが真面目に練習に来ないので2017年7月のライブを最後に辞めさせ、この日は出演しないことになり、LANNA GLORYの名前が記載された最初のフライヤはFacebook上から削除してもらった。

 

 

…のだが、チェンマイPUNK代表・ヌイから「マイが、どうしてもライブ歌いたがっている。出演出来ないか」と申し入れがあった(ヌイは実家が同じ町内で、兄貴分でもある)。

 

だが日本だろうがタイだろうが一度、見切りを付けた人間をすぐに許す事は周囲に示しがつかないので「今回は、やらへん」と固辞した。
 

当日、なぜかLANNA GLORYのベースが自分の楽器を持って来ていたの(ギターはこの日、出演のTHE SUFFERERと掛け持ち)を見て「あー、オレ抜きでヌイがドラムでストンパー191(ヌイとマイが以前、やっていたUK Oi!のカバーバンド)名義で出演するのか」と気付いた。

 

結果的にはイベントの時間が大幅に押したので、ストンパー191も、ヌイのバンド・CHAOS DAYもこの日は出演しなかった。

 

アラフィフのおっさんが疎外感でヘソを曲げると大変な事になるので、彼らは実に幸運だったかも知れない。

 

…いや、冗談ですよ。

 

さて、四番手がマレーシア首都・クアラルンプールから来たD-beatハードコアバンド・DISM。

 

 

彼らも、東南アジア地域に何バンドか存在する、日本のCrust/D-beatバンドの影響を大きく感じさせるバンドの一つ。

 

 

各々のメンバーは過去そして現在もいくつかのバンド(後述)でプレイしており、安定した演奏力・ステージングでした。

 

 

THE DIE HARDSに比べて写真が少ないですが、動画をお楽しみ下さい。

 

 

AM0:00で音出しを止めなければいけないが時間が押したので5バンド目、チェンマイのニューススクール系ハードコアの中心バンド・THE SUFFERERがトリになった。

 

 

着実にコンスタントにライブを重ねているだけあり、観る度に演奏もタイトになっている。

 

 

ライブ終了後、しばし物販席でまったりした後、DISMのメンバーを宿へ送り届け、大人しく帰宅。

 

翌朝、AM8:30に起床し、この日のライブの地・バンコクへ向かうDISMをチェンマイ国際空港へ送った。

 

 

空港までの道中、わざわざ頭文字・GのCDを車内BGMにしたが反応がないので「おい、〇〇〇やぞー」と言うとようやく「お、おぉー!」とメンバー全員、反応した。

 

何故、このような大胆なバンド名にしたのか訊ねたら、単に「好きだから」との事でした。

 

 

彼らの街・クアラルンプールへは時々、行く事もあるので再会を誓い、この日のライブの地・バンコクへ向かう彼らを見送った。

 

今もメンバー・5人全員、たまにFacebookで連絡をくれたり、義理堅い連中です。

 

さて今回、彼らから何枚か音源を受け取りました。

 

その内、下記はDISMのボーカル・Helmieがバンコク在住のタイ人と一緒にやっているPSYCHO SICKNESSの、英国の80'Sパンク復活組・DOGSFLESHとのカップリング音源です。



収録曲は、Helmieが観光で大阪へ来た際に街を歩いていて見つけたスタジオでミックスを行ったらしいが、スタジオ名や場所はもう憶えていないそう…音源のミックスなのに、ノリがまるで角打ちのようで面白い。

 

REVENGE RECORDSとPUNK AND DESTROYに入荷していましたが、現在、日本国内で入手出来るかどうかは分かりません。

 

そしてギターのKhalisがやっているOi!/STREETPUNKバンドのCDR・THE DICKSONS「Riot In The City」。

 

 

おそらく今もTIME BOMBで入手可能だと思います。

 

先日、マレーシアの老舗ハードコアレーベル・Basement Recordsのオーナーがいきなり「ヒデキ、THE DICKSONSてバンドはカッコいいよー。知ってる?」と連絡して来たほどなので一度、ライブを観てみたいです。


さてこの一週間後、イベントの主催者・ヌイより、DISMとTHE DIE HARDSを空港や会場へ送迎したりサポートした事に対し(今回に始まった事ではないが)イベントTシャツを御礼に渡したい、との事でサンデーマーケット近くの、いつも集まる酒屋前の路上飲みスペースへ行った。

 


ヌイは今回のイベントで、日本円に換算して二万円以上の赤字を一人で負担したそう。
 

前にも書いたが、やはり彼は今までに私が出会って来たタイ人たちとは一味違う。

 

そう言えばバンコクから来た若い衆が、会場前に駐車していた近隣の会社のトラックに赤スプレーで派手に落書きしたため、それを消すための費用を会場経由で請求された数千バーツもヌイが立て替えたそう。

 

後日、落書きの張本人にちゃんと支払わせる事が出来たそうだが、こういう事があると活動の場が制限されてしまうんだな…バンコクに比べて、民度が低い者が音楽シーンに極めて少ない事もこの街・チェンマイの特徴である。



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Japnese real skinheads compilation

「sons of skinhead Vol.3」 CD

sons of skinhead Vol.3
これまでBRONZE FIST RECORDSより、気鋭のジャパニーズ・スキンヘッドバンドを紹介してきたオムニバスCD「sons of skinhead」(2002年)、「sons of skinhead Vol.2」(2006年)に続き、「sons of skinhead Vol.3」がついに登場! 真のワーキングクラスロッカーの熱い叫びを聴け!

参加バンド:嵬峨(福井)、QUESTIONS AND ANSWERS(東京)、 THE JOiNTED(東京)、SHOWDOWN(愛知)、郷士(岐阜)、ブルヘッド(仙 台)が各2-3曲ずつ参加、合計13曲収録。

完全限定500枚プレスです。

1. 嵬峨 - 成る
2. 嵬峨 - 揺るぎなき
3. QUESTIONS AND ANSWERS - Boys In Blue
4. QUESTIONS AND ANSWERS - What Am I Gonna Do?
5. QUESTIONS AND ANSWERS - Nobody Cares
6. THE JOiNTED - 男道
7. THE JOiNTED - 打鐘
8. SHOWDOWN - Hope
9. SHOWDOWN - The Power
10. 郷士 - 花
11. 郷士 - 力ある限り
12. ブルヘッド - 混沌とした世
13. ブルヘッド - 男泣き



上記CD他、BRONZE FIST RECORDSの作品は、アンダーグラウンド 音楽シーンを支える下記の良心的なお店で入手可能です。

TIME BOMB(大阪)
MISERY(広島)
BASE(東京)
RECORD SHOP DIG DIG(岡山)
GARAGELAND 70'S RECORD(福岡)
RECORD SHOP ANSWER(名古屋)

 


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BRONZE FIST RECORDSが流通を担当する作品がこの6月末にリリースされます。

 

以下、日本国内の店舗向けインフォです。

 

PUBLIC TOYS
「MANIAC」CD



姫路の最古株パンクス・コウメイ率いるPUBLIC TOYSが、ついに初音源をリリース!

'84年に結成、'89年に一度解散、長い活動停止期間を経て数年前より活動を再開後、地元・姫路のみならず岡山・神戸・大阪でも精力的に活動している彼ら、和製Vibratorsとも言うべき、センスの良い楽曲を聴かせます。その他、Under Tones、頭脳警察などの影響も感じさせ(ライブでは時々、上記バンドのカバーも披露)、派手さよりもいぶし銀の存在感を発揮している。'84年当時からのレパートリーである2曲、ジャックス「いい娘だね」カバーを含む全4曲を収録。

 

1. Maniac boy    
2. Let's Fallout Generation    
3. いい娘だね (by Jacks)
4. ニワトリ

 

税込み価格:1000円

 

取り扱い店…

BASE(東京)

他、取り扱い店が決まり次第、追記します。

 

 

以下、PUBLIC TOYSの略歴です。



1983年にコウメイを中心にハードコアバンド・Battle Chargeが結成される。姫路パンクシーンを代表するメリーゴーランド、神戸のドラキュラ(後にFreedomと改名)との共演の後、Descrossに改名(Descrossは1983年に2本のデモテープのリリース歴あり)。
 




曲作りの上ではがコウメイ当時、ハマっていたという仙台のハードコアバンド・REBELの影響が強かったそう。



1984年にメンバーを一新しPUBLIC TOYSを結成。サウンドも70'sスタイルのPUNKに生まれ変わった。



バンド名は姫路パンクシーンの中心人物であった、メリーゴーランドのジギー氏が命名。



ライブ活動は姫路がほとんどであったが、大阪・花園町にあった伝説のライブハウス・EGG PLANTにも何度か出演。

EGG PLANTの1987年10月のスケジュールでPUBLIC TOYSの名前が確認出来る。




20曲ほどあったオリジナル曲に加え、The Clash、Ramones、Sham69はじめ、Stiff Little Fingers、Slaughter & The Dogs、The Boys、Special Duties、The Lurkers、Blitzなど当時としては稀有であったカバー曲も披露していた。

1989年に第1期・PUBLIC TOYS解散。

 

以降、数年のブランクの後、コウメイはフレッシュなどのバンドで活動していたが数年前より、改めてPUBLIC TOYSとして活動を再開。



PUBLIC TOYSの、現時点での最新のライブ映像です!

 



PUBLIC TOYSの次回のライブは、10月に名古屋で予定されています。


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最近、年に何度かはマレーシアの首都・クアラルンプールへ行く機会がある。

 

ちょうど滞在中の2017年2月26日に「The Joy Of Oi! Ska & Reggae」と言うイベントが行われると知り、行く事にした。

 

 

マレーシアのOi!/SKINHEADシーンは、今もカリスマ的な人気を誇るA.C.A.B.の登場をきっかけに90年代後半から盛り上がり始めた。

 

地元の人間によると、2000年にはクアラルンプールだけでもSKINHEADバンドが100バンドは存在し、どこのショッピングモールへ行ってもSKINHEADSだらけだったそう。

 

しかしその後シーンは盛り下がり、ライブの動員も凋落傾向にあったが若手SKINHEADSの台頭でここ数年、再び盛り上がりを見せ始めている。

 

この日のイベントも複数の若手バンドが協力し、カリスマ的な人気を誇るTHE MISTERとTHE SUSPECT A.K.A.の2バンドをメインに企画したそう。

 

当日、ちょいと遅刻し、PM4:00に会場のBlack Boxに到着。

 

ここは、やや郊外の住宅街の中にあるPublikaと言う、マレーシアでは比較的ハイソな人たち向けのショッピングモールの一角にある。

 

 

2015年1月にクアラルンプールで行ったBRONZE FIST RECORDS 20周年イベント・2デイズも、Rumah Apiではなく当初はここで行う予定であったのだが当時、近隣からの苦情や警察の圧力などでSKINSだけではなく、ハードコアやメタル系のイベントも直前にキャンセルに追い込まれる事が頻発し、使用できなかった事情があった。

 

到着したら既に会場の中から演奏の音が聴こえるが、外にたむろしているSKINHEADSも多数。

 

 

BRONZE FIST RECORDS 20周年イベント・2デイズに出演してくれたW.A.R.とSTREET SOLDIERが観られず残念、遅刻して失礼しやした。

 

旧知の何人かが目ざとく私を見つけてくれて、笑顔で歓迎してくれたが、ライブが気になるので挨拶もそこそこに、取りあえず入場。

 

JIMS & ABC KIDSというバンドが演奏中だった。

 

 

演奏が終わった後、表へ出た。

 

ここまで多くのSKINHEADSが集まったのを見たのは、2010年1月に東京のCROPPED MENと大阪のBOOTed COCKSと共にインドネシアツアーを行った際のジャカルタとバンドン以来だった。

 

 

続いてはTHE BARROOM HEROES。

 

 

おそらくお父さんに連れられて来たであろう息子が、担ぎあげられていた。

 

 

続いてROUGH AND CAUSE。

 

 

SKA&REGGAEなROSE WOOD。

 

 

THE REBELLIONS。

 

 

THE REBELLIONSによるThe Oppressed「Riot」カバー。

 

 

マレーシアのSKINHEADシーンが盛り上がっていた90年代後半から活動し、今もカリスマ的な人気を誇るTHE MISTERとTHE SUSPECT A.K.A.の2バンドがこの日のイベントの目玉であったのだが、私が階下のコンビニへ水を買いに行ったらちょうど、この2バンドのメンバー一行が到着しコンビニ横のカフェに着席したタイミング、息子さんを抱っこしたTHE SUSPECTS A.K.A.のMohdが私をみんなに紹介してくれて、ミルクティー片手に少し話した。

 

一行の、ほとんどのメンバーがモスリムの黒い服を着た奥さん(と何人かの子供)連れだったのだが「彼女ら全員、マレーシア最初のSKINHEAD GIRLSだったんだよ」との事。

 

なるほど、奥さん同士でも「きゃー!久しぶり」などとおしゃべりが弾んでいる。

 

Mohdは、奥さんがおしゃべりに興じている傍らで、汗だくで息子さんを抱きかかえたりあやしたりし続けていた。

 

あるバンドマンの奥さんが、夫以外のバンドマンを指して「彼は当時、私に告白してくれたのよねー。でも結局、付き合わなかったけどね(笑)」などと当時の甘酸っぱい思い出を聞かされた。

 

しばし歓談の後「今、もうライブの途中だから観に行ってくるね」と告げると、一行もぼちぼち腰を上げて一緒に会場へ戻った。

 

会場前、さっきよりさらに人が増えていた。

 

 

会場内には大きなバナーが張られており、みんなでそれぞれ記念撮影。

 

 

続いて、これまたSKA&REGGAEなTHE UNPLANN。

 

 

良いバンドだったのですが、パンクよりのバンドが多く出演するイベントに、こういうノリのバンドが2つ以上、出演すると正直、私にはキツいです。

 

 

そして、いよいよ二大バンドの出番。

 

THE MISTERは初っ端から同郷のカリスマ的SKINHEADバンド・A.C.A.B.のカバー「A.C.A.B.」を、イントロから速弾き全開で披露。

 

その他の曲の随所に速弾きが入るのだが曲調はあくまでOi!/STREETPUNK。

 

メタル/ハードロックのこういう消化の仕方もあるんやなー。

 

 

会場内の9割以上を占めるSKINHEADS達の盛り上がりも最高潮。

 

 

イスラム教徒が多いお国柄、飲酒している者がほとんど居らず、素面での熱狂に圧倒された。

 

 

THE MISTERのVocalから、何だか衣類のプレゼント?があった。

 

 

そしてトリのTHE SUSPECTS A.K.A.で本日、最大の盛り上がり。

 

ハードではなく、優しくもどこかしら哀愁を漂わせる旋律が特徴。

 

 

私が撮った動画では、前身バンド・THE SUSPECTSの時のVocalも参加して歌っていた。

 



そして他の人が撮影した動画ですが、郷土愛を歌った代表曲「KUALA LUMPUR」の客の熱狂を御覧下さい。
 

 

彼らは過去に「Kami Yang Disyaki」(2000)「Gegarkan Duniamu」(2006)の二枚のアルバムをリリースしております。

 

今、日本国内ではTIME BOMB RECORDSで入手可能なので、興味のある方は是非、入手して下さい。

随分、終演時間が押してしまったようで、THE SUSPECTS A.K.A.のラスト曲の演奏前に主催者から「アンコールはなし、警察が来る可能性があるから終演後、外で騒いだりしないように速やかに会場前から去るように」と言う旨のアナウンスがあった。

この半年前にも会った、ここ2-3年『アンチファシスト』のスローガンを強固に打ち出し、スキンヘッドバンドのイベントを行っているTommyが物販で参加していた。

 

ライブ終了後、片付けの前にTommyとバナーの前で記念撮影。



 

イベント中、ずっとステージ周辺ではしゃいでいた、お調子者っぽい、小柄で浅黒い青年が居た。

 

前述のようにアンコールはなし、のアナウンスがあった際にそのマイクを奪い、おそらく「警察なんか関係ねー!」と威勢の良い何事かを喚いていたのだが、この行為に怒ったのか?主催バンド関係者の何人かがライブ終了後の会場前で彼に殴りかかっていた。

 

「お、始まる!」と急いでコンビニへ走り、タイガーの500ml缶を三本、買って来て見物しようと思ったらすぐに収束していた。

 

「ちぇ、つまんない」と植え込みの端に腰掛けて佇んでいたら初対面のSKINS何人かが「すみませんね…他所から来た人にこんなトラブルを見せてしまって、恥ずかしいですよ」と代わる代わる話しかけて来てくれた。

 

自分の行為に赤面した。



翌日、BRONZE FIST RECORDSのCDその他流通作品を置いてもらっている、そごうデパート近くの若者向けショッピングモール・Campbell ComplexにあるPERFECT MUSIC CENTREとCAMPBELL MUSICへ。

 


BRONZE FIST RECORDSのリリース以外に2016年夏に訪問した際に置いてもらった、THE JOiNTED「STAY ALIVE」、NO ESCAPE「Back On The Street」、NORTH MAN NOSE「North Man Nose」が売れていた。

 



さて、話は前後するが、この時のクアラルンプール訪問の二週間前に北朝鮮の金正恩・朝鮮 労働党委員長の異母兄・金正男がクアラルンプール国際空港で殺害された。


しかしこの時に殺害現場を訪れたが、特に警備が厳重になっているなどの印象は全くなし。


さすが『シンドラーのリスト』を国内上映禁止にした国だ。



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「sons of skinhead Vol.3」 CD

sons of skinhead Vol.3
これまでBRONZE FIST RECORDSより、気鋭のジャパニーズ・スキンヘッドバンドを紹介してきたオムニバスCD「sons of skinhead」(2002年)、「sons of skinhead Vol.2」(2006年)に続き、「sons of skinhead Vol.3」がついに登場! 真のワーキングクラスロッカーの熱い叫びを聴け!

参加バンド:嵬峨(福井)、QUESTIONS AND ANSWERS(東京)、 THE JOiNTED(東京)、SHOWDOWN(愛知)、郷士(岐阜)、ブルヘッド(仙 台)が各2-3曲ずつ参加、合計13曲収録。

完全限定500枚プレスです。

1. 嵬峨 - 成る
2. 嵬峨 - 揺るぎなき
3. QUESTIONS AND ANSWERS - Boys In Blue
4. QUESTIONS AND ANSWERS - What Am I Gonna Do?
5. QUESTIONS AND ANSWERS - Nobody Cares
6. THE JOiNTED - 男道
7. THE JOiNTED - 打鐘
8. SHOWDOWN - Hope
9. SHOWDOWN - The Power
10. 郷士 - 花
11. 郷士 - 力ある限り
12. ブルヘッド - 混沌とした世
13. ブルヘッド - 男泣き



上記CD他、BRONZE FIST RECORDSの作品は、アンダーグラウンド 音楽シーンを支える下記の良心的なお店で入手可能です。

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1月29日(日)、前日のMDC・チェンマイ公演では8時間に及ぶ長丁場にも関わらず、アルコールを缶ビール三本に留めておいたので、すっきり起きられた(イベント中、ビールの代わりに無味の炭酸ソーダをたくさん飲みました)。

 

改めてなんだが、タイ、アメリカ、インド、シンガポールのバンドが出演、他いくつかのバンドは複数国出身メンバーの混成、さらに世界各国色んな場所から観に来た客が集う今回のようなDIYパンクイベントがここ、タイ王国チェンマイで行われた事は特筆すべきであろう。

 

 

バンコクに居た頃は毎週末、頻繁に遊んでいたSteeltoe ArmyのAが昨夜くれた、バンコクスキンヘッズのTシャツのまま寝ていた。

 

グラヲさんの重みで、目を覚ました直後に撮りました。

 

 

前夜のライブの帰りしなに、THE ELECTED OFFICIALSのSophieがくれたCD・三枚。Thank you !

 

 

二枚のTシャツは、自分で買いました。

 

 

この日の夜、インドへ帰るTRIPWIREと共にワルロット市場へ買い物に出かけたり一緒に観光に行く事になっていたので、昼過ぎに彼らを迎えに行った。

 


 

BassのSagarが前日に物販で購入した、MDCのDave Dictorの自伝本をパラパラ読みつつ彼らの身支度を待ってから出発。

 

取りあえず腹ごしらえ、と私がいつもチェンマイに来た客人を連れて行く、小さな湖のほとりにある山岳民族経営のレストランが並ぶエリアへ連れて行った。

 

 

座敷に渡るための貧相な木製の橋を渡る際に、巨漢であるドラムのJackの重みに耐えきれなかった木の板が折れ、Jackが転倒しビックリ。

 

 

幸い、左手の小指と薬指を傷めただけで(多分)済んだようでひと安心。

 

これが欧米の一部なら訴訟沙汰になる可能性もあるし、関西なら有らん限りの罵声が飛び交うところだがここはアメイジング・タイランド、お店の人には「もーう、たのむでー」と、引きつり笑いで対応した。

 

 

Jackはビーガンとの事で、メニューを選ぶのに少し時間がかかった。

 

 

余談ですが、このレストラン「ラ・ピヤング・ナーム」をGoogle mapに登録しようとしてもなぜかいつも拒否られる。

 

政府の庇護下にある山岳民族のエリアだからかタイでは法律で禁じられているはずの時間にも平然とアルコールを出してくれるし、色んな意味でグレーゾーンを垣間見ている気がする。

 

食後にチェンマイの観光名所の一つ・ワルロット市場へ。

 

 

BassのSagarが、まだ小さいお子さんのための靴とかの衣類を爆買いするのを横目に、みんなで待機。

 

 

買い物の後、Sagarはみんなに気を遣ってアイスクリームを御馳走してくれた。

 

ちなみに彼は、世界中に名を馳せる某金融関連企業に勤めている。

 

フライトまでまだまだ時間があったので、彼らに行きたい場所のリクエストを尋ねたら、取りあえずSagarはマッサージに行きたいとの事でチャンプアック屋台街そばのマッサージ屋へ連れて行き、その間にAmeyがクルマで通りがかった際に気になっていたと言うバイクのヘルメット屋さんへ行った。

 

 

特に買い物はしなくても、こうして短時間にいつもの自分たちの街・ムンバイとは違う、チェンマイの街を楽しんでもらえたら私も嬉しい。

 

 

悪趣味な軍手があった。

 

 

しかも「スベリ止」ではなく「スバリ止」にしか見えない。

 

 

時間はまだあるので、私の家へ行ってくつろぐ事にした。

 

いつもの如く、車庫入れし降車したらグラヲが「にゃにゃー」と寄って来たので、Jackと共に記念撮影。

 

 

ビビっているのか?グラヲ。

 

 

しかしすぐに懐きました。

 

 

Jackも自宅で猫を飼っているそうで、扱いには慣れていました。

 

 

Ameyもグラヲを撮影。笑

 

 

Sagarを待つ間、私が過去に撮影した他国のパンク/ハードコアバンドの動画を視ながら過ごした。

 

 

一時間後にマッサージ屋へSagarを迎えに行き、みんなで記念撮影した後、彼らを無事にチェンマイ空港へ送り届けた。

 

 

今回の、私の出演オファーに応えてくれて有難う!

 

 

同じく、私が「WE ARE PUNK Vol.10」に出演オファーしたシンガポールのUNKNOWN SOLDIERも、ご家族ぐるみでチェンマイ観光を堪能してこの日の夕方、帰国した。

 

身体が一つしかないので、彼らを最後までケア出来なくて恐縮。

 

さて、アメリカから来たMDCとTHE ELECTED OFFICIALSはこの後、日本へ渡る前に数日の間、チェンマイに滞在するとの事、昨日のイベント「WE ARE PUNK Vol.10」の主催者であるチェンマイPUNK代表・Nuyから「サンデーマーケットの、いつものミニショップの前に集まってライブのアフターパーティーするからHidekiもおいでよー」と連絡があったので、空港からの帰宅後すぐに向かった。

 

 

いつもの場所に、こんなに大勢いるのを見るのは初めて。

 

 

アメリカ勢、チェンマイとバンコクの若手勢その他、ライブを観に来ていた各国のパンクス入り乱れてのこの時の飲みは、実に楽しかった。

 

 

Natsukoさんが撮影・編集しFacebookにアップしてくれた画像をお借りします。

 

 

その後いつものセブンイレブン前に移動し、さらに飲んだ。

 

今回のイベントから随分と時間が経ってから聞いた話だが、Nuyは前日のライブでの機材の破損による弁償金・数千バーツを一人で負担したと言う。

私が2010年-2011年に首都・バンコクのPUNK連中と共同で何度かイベントを行った時に、ライブ企画の中心人物から、隙あらばお金をちょろかまされたり、一人で赤字を被せられそうになっていたのと雲泥の差である。

Nuyはまだ20代半ばながらも、私が過去に出会って来たタイ人達とは一味異なる。

 

今回、Nuyを慕ってバンコクから遊びに来ていた若手PUNK勢のように信頼のおけるまともな人材も育っているので今後、若い彼らが末永くバンド活動を行う事に期待したい。

 

 

タイ王国のパンク/ハードコアシーンのターニングポイントとなったこのチェンマイでの二日間のイベントは無事に終わり、自分としても新たなスタートを切る事が出来た。

 

なお、私はこの翌日の朝から所用で数日間、バンコクへ行っていたので見られなかったが、チェンマイでもMDCのDave Dictorのアコースティックのライブが行われたそう。

 

…さて今回のブログの冒頭に書いた、THE ELECTED OFFICIALSのSophieからもらったCDの内、MDC/THE ELECTED OFFICIALS/THE RESTARTSのアジアツアー用のオムニバスCDが意外に聴き応えがあったので、この項の最後に紹介しておきます。

 

 

MalaysiaとIndonesiaのみ同行したTHE RESTARTSも合わせて3バンドが収録されたツアー用のオムニバス、代表曲のオンパレードであるMDC含め、なかなか聴き応えのある仕上がりになっています。

 



ジャケット中にはチェンマイ他、アジア各地のフライヤが載っていて、BRONZE FIST RECORDSのマークが小さいけど写ってるので、ちょっと嬉しい。

 


<Tracks>
1. MDC - SELFISH SHIT
2. THE ELECTED OFFICIALS - THE LOBBY
3. RESTARTS - INDEPENTZIA
4. MDC - QUENTIN
5. THE ELECTED OFFICIALS - HOOKED
6. MDC - JOHN WAYNE WAS A NAZI
7. RESTARTS - BACKWARDS
8. THE ELECTED OFFICIALS - NEWS SHOW 
9. MDC - MULTI DEATH CORPORATIONS
10. THE ELECTED OFFICIALS - NEWS SHOW 
11. RESTARTS - NO ESCAPE
12. THE ELECTED OFFICIALS - 99% 
13. MDC - CHICKEN SQUAWK


 

 

(この項、おわり)

 


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「sons of skinhead Vol.3」 CD

sons of skinhead Vol.3
これまでBRONZE FIST RECORDSより、気鋭のジャパニーズ・スキンヘッドバンドを紹介してきたオムニバスCD「sons of skinhead」(2002年)、「sons of skinhead Vol.2」(2006年)に続き、「sons of skinhead Vol.3」がついに登場! 真のワーキングクラスロッカーの熱い叫びを聴け!

参加バンド:嵬峨(福井)、QUESTIONS AND ANSWERS(東京)、 THE JOiNTED(東京)、SHOWDOWN(愛知)、郷士(岐阜)、ブルヘッド(仙 台)が各2-3曲ずつ参加、合計13曲収録。

完全限定500枚プレスです。

1. 嵬峨 - 成る
2. 嵬峨 - 揺るぎなき
3. QUESTIONS AND ANSWERS - Boys In Blue
4. QUESTIONS AND ANSWERS - What Am I Gonna Do?
5. QUESTIONS AND ANSWERS - Nobody Cares
6. THE JOiNTED - 男道
7. THE JOiNTED - 打鐘
8. SHOWDOWN - Hope
9. SHOWDOWN - The Power
10. 郷士 - 花
11. 郷士 - 力ある限り
12. ブルヘッド - 混沌とした世
13. ブルヘッド - 男泣き



上記CD他、BRONZE FIST RECORDSの作品は、アンダーグラウンド 音楽シーンを支える下記の良心的なお店で入手可能です。

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BASE(東京)
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テーマ:

タイ王国へ移住し四年半、そして第二の都市・北部のチェンマイへ移って一年半経った2017年1月28日(土)、光栄にもチェンマイだけではなくタイ国のパンク/ハードコアシーンのターニングポイントとなるイベントに深く関わる事となった。

 

そのイベント「WE ARE PUNK Vol.10」には、70年代から活動する生きるUSハードコアレジェンド・MDCが出演。

 

チェンマイ旧市街の北東角から車で5分ほど北上した場所にあるRachata Barで行われたこのライブ、多くの客が待ち望んでいたMDCはPM10:00過ぎ、6番目に登場した。

 




特にオリジナルメンバーのVocalとDrumは60歳を超えているにも関わらず、連日のツアーの疲れも全く見せず、テンションの高いステージを披露してくれた。
 


 

終盤の、前身バンド・The Stains時代からの彼らの代表曲である「John Wayne Was a Nazi」を動画に収めました。

 

 

続いて、私のオファーに応えてシンガポールから来てくれたOi!/STREETPUNK・UNKNOWN SOLDIER!

 




 

MDCの出番は終わっても、客の盛り上がりはさらに加速し続ける。

 

 

この前年の秋にシンガポールでの彼らのアルバムの発売記念ライブを観て、一目で気に入ったので今回、私から出演オファーしたのですが、お世辞抜きでこの日のイベントの出演者の中でも、個人的な一等賞はUNKNOWN SOLDIERでした。

 


 

下記の動画は、出来るだけ会場全体の雰囲気が分かるように撮影しました。

 

 

ギターのフレーズが印象的で、男の哀愁を感じさせる彼らのサウンドは、シンガポールの隣国で同じイスラム圏でもあるインドネシアのMarjinalとサウンドに共通点が多い、との声も聞かれる。

 

 

ここで、物販用にCDや過去にバンコクで仕入れたワッペンなどを持って来た事を思い出し、店の机を借りて入り口横で物販を始めることにし、そこに座って残りのライブをじっくり楽しむ事にした。

 

次の出番はバンコクOi!・FOOLISH THE BASTARDS。

 

 

彼らに会うのはこの時で5年ぶりくらい?最近、また活発に活動しているようで2018年春のAgnostic Frontのバンコク公演のサポートも務めるそうです。

 

 

物販ブースに座っていたので上記、Natsukoさんの画像を二枚、お借りしました。

 

 

この時、時間は既に零時前にも関わらず、盛り上がりは続いている。

 

後ろで聴くと、改めてこの日の音の良さが分かった。この動画でその良さは伝わるか分かりませんが…。

 


 

先ほど出番を終えたMDCのギタリストが物販を見に来て「今日、出たバンドのCDはあるかな?」との事だったので、FOOLISH THE BASTARDSが参加してくれた『JAPAN-THAILAND CONNECTION 2011』をお買い上げいただき、記念撮影。

 

 

有難うございました。

 

そのFOOLISH THE BASTARDSが参加してくれた『JAPAN-THAILAND CONNECTION 2011』の収録曲「Working Class」がYouTubeに上がっていたのでリンクしておきます。

 

 

そしてトリのTHE ELECTED OFFICIALSの出番になったが、客があまり減っていない。

 

ベースが昨年来た時の、若くてゴツいモヒカン女性から、少し年配の普通っぽい見た目だがタトゥーが腕にたくさん入っている女性にチェンジしていた。

 

THE ELECTED OFFICIALSの画像がないので動画のみアップしておきます。

 

 

途中、バイクに乗った中年警察官が単独でライブの様子を見に来ていたが、気付いていたのは何故か私のみだった。

 

THE ELECTED OFFICIALSは昨年よりもタイトな演奏で、後ろでじっくり観られたので楽曲の良さも堪能出来たので良かった!

 

アメリカのローカル都市のバンドらしく?Dead KennedysやMisfitsそしてGBHなどの影響を感じさせながらもアナーコPUNKの要素も感じられるそのサウンド、また観てみたいと思わされた。

 

既に日時が29日に変わったAM1:00過ぎに「WE ARE PUNK Vol.10」は無事に終了、THE ELECTED OFFICIALSのSophieとJayのお二人と記念撮影。

 

 

GuitarのJayが私を気遣ってか、レーベル旗と一緒に撮ってくれた。

 

 

そしてみなさんで記念撮影!お疲れ様でしたー。

 

 

しばし会場内で和んだ後、インドのTRIPWIREを宿まで送り届けてから、翌日の彼らのチェンマイ観光の段取りも考えて彼らの楽器を私の家へ保管するために一度、チェンマイ旧市街北門近くの家へ戻ってからまたRachata Barへ戻った。

 

THE ELECTED OFFICIALSのSophieと少しの間、熱い話をしたのだが数分で会場から去らねばならず、残念。

 

SophieはTRIPWIREとは旧知の仲で、私が今回のイベントに彼らを呼んだ意義を深く理解してくれていた。

 

せっかくクルマを持っているので皆さんのお役に立とう、と何人かを滞在先に送り届けた後、帰宅したらAM3:00前、グラヲさんが隣の部屋の物干しの傍らで寂しそうに待っていてくれました。

 

 

遅くなってごめんねん。

 


 

 

(その3に続く)


 


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タイ王国第二の都市・北部のチェンマイへ移って一年半経った2017年1月27日(金)と28日(土)、光栄にもチェンマイだけではなくタイ国のパンク/ハードコアシーンのターニングポイントとなる二日間のイベント双方に、大きく関わる事となった。

 

 

その二日目が、アメリカから生きるハードコアレジェンド・MDCと、過去にチェンマイで伝説のPUNKバー「CHAOS CITY」を運営していた女性ボーカル・Sophie率いるThe Elected Officialsがアジアツアーの一環でチェンマイにやってくる日。

 

 

この日は大きなイベントにしたかったので、私の盟友であるインド最初のPUNKバンド・TRIPWIRE、そしてこの数か月前にシンガポールで初めてライブを観て気に入ったOi!/STREETPUNKバンド・UNKNOWN SOLDIERにダメ元で出演依頼をしたら、両バンドとも快諾してくれた。


 

ライブの数日前、チェンマイPUNK代表・CHAOS DAYのドラムのJeeの勤務先のプリント工房でイベントTシャツも完成、Facebook上でこの画像を見て俄然、ライブへ向けてのモチベーションが上がった。

 

 

ライブ当日の1月28日の午前、インドはムンバイからやってくるTRIPWIREを空港に迎えに行く予定だったが、早々と自分たちで宿まで移動した、との連絡があったので、PM2:00過ぎに宿まで迎えに行った。

 

TRIPWIREの三人が泊まった宿は、地図上では距離的に昨日のライブ会場だったRachata Barから近いのだが、スーパーハイウェイを挟んで遠回りせねばならず、しかもGoogle mapが頼りなかったので到着に30分以上かかった。

 

彼らとは、東京のEIEFITSと一緒に行ったインドネシアはジャカルタでのライブ以来の再会であった。

 

チェンマイ旧市街から車で5分ほどの場所にある、今回の会場のRachata Barに着くと、既に立派なバナーが張られていた。

 

 

TRIPWIREのメンバーがバナー前で記念撮影。

 

 

既に物販の用意が出来ていた。

 

 

レーベルの旗も張りました。

 

 

バンコクの、フランス人・アメリカ人・タイ人らによるハードコアバンド・GOD HATESが最初にサウンドチェックを行った。

 

 

まだ開場前だったが、欧米から来たであろうパンク連中が昼日中から飲酒を始めており、リハーサルから歓声が上がる。

 

次にTRIPWIREがリハを行うはずが、バンコクから来ているSON OF STORMが、メンバーがやっている別のバンドでこの日、チェンマイ旧市街の音楽バー地帯のPentatonic Rock Barで行われるメタル系のイベントにも出演するので、早い時間だが本番の演奏をさせて欲しいとの事で急遽、SON OF STORMの出番になった。

 

 

スラッシュよりの迫力あるサウンドで、80'Sハードコア好きにもアピールするサウンドだった。

 

 

SON OF STORMの演奏終了後、私のクルマで彼らをPentatonic Rock Barへ送って行く事になり、7人乗りのクルマに10人乗せてそろそろ運転、渋滞もあったので15分ほどで到着。

 

移動中、シンガポールのUNKNOWN SOLDIERから「会場の近くまで来ているはずだが、場所が分からない。今、Bataの店の前に居る」というSMSが来ていたが、だいぶ後から気付いた。

 

家族連れでしかも土地勘もない場所にいるのに、悪い事したなー、すんません(しばらくしてから自力で来てくれてました)。

 

Rachata Barへ戻るとTRIPWIREのサウンドチェックは終了していたが、GOD HATESのサウンドチェック・SON OF STORMの本番を観ながらビールを片手に盛り上がっていたファラン(欧米人)連中がTRIPWIREで一気にクールダウン(笑)したとの事、せっかくムンバイから飛行機を乗り継いで来てもらったので本番では盛り上がる事を願った。

 

しばらくした後、ライブは主催者であるチェンマイPUNK代表・CHAOS DAYからスタート!
 

 

この日はチェンマイでのいつものローカルショウとは違い、ちゃんとしたPAも入っていたからか、失礼ながら初めてCHAOS DAYを観て「カッコいい!」と思いました。

 

 

彼らのオリジナルソングで、この日のイベント名にもなっている「WE ARE PUNK」を動画に撮りました。

 

 

続いて私がドラムを担当するチェンマイSKINHEADS・LANNA GLORY。

 

 

この日のライブは、LANNA GLORYのベストアクトだったと思います。

 

 

画像は二枚とも、東京から来られたNatsukoさんにお借りしました。

 

続いて、インド最初のPUNKバンドとして、自国のシーンをけん引するTRIPWIRE。

 



 

決して、耳の肥えたPUNKリスナー向けのサウンドではないが、Ramonesカバーも交えたステージ運びの上手さ、そしてお祭りの雰囲気もありライブは盛り上がったので、出演オファーした私もひと安心。

 

 

ところで2015年春のマレーシア・インドネシアに続いて彼らにタイ王国・チェンマイで演奏してもらう事に成功した事は、旧FMWでボクシングの元ヘビー級王者・レオンスピンクスを巡業に帯同させた感じの評価を得ても良いのではないだろうか(たとえが分からんやつはエエ)。
 

 

TRIPWIREその他インドのPUNKシーンに興味のある方は、TRIPWIREのVocal/GuitarのAmeyがプロデュースし2013年にリリースされた「DISENFRANCHISED IN INDIA」というオムニバスCDが、当ブログでいつも下の方に挙げているお店の内のいくつかで入手可能なので、問い合わせてみて下さい(同内容でアナログLPでも出ておりますが、LPは東京のBASEでのみ取り扱い中です)。

 

「DISENFRANCHISED IN INDIA」LP

 

ちょうどTRIPWIREの演奏中にMDC/The Elected Officials一行が到着したようだった。

 

続いて、ラオス共和国に面した国境の街・ピサヌロークから来たcrust/d-beatハードコア・SMELL CORPSE。

 


この時間になると、会場のお祭り騒ぎもピークに達しつつあった。

 

 

以前はScum Berzerkという名前で活動していた彼ら・SMELL CORPSE、私がこれまで観たタイ人によるパンク/ハードコアのバンドでも三本の指に入るバンドです。

 

 

上記、最初の動画はステージ脇から撮影していたが、もみくちゃの客の中に入って撮ってみた。

 

 

ラストでDisclose「Conquest」のカバーを演奏していた。

 

さらにアンコールがかかったのだが、何とまた「Conquest」を演奏していた。

 

欧米・アジア圏その他を問わず、Dischargeを知る前にDiscloseを知ってd-beatサウンドの虜になる若者は後を絶たないと言う。

 

続いてバンコクから来た、フランス人・アメリカ人・タイ人らによるハードコアバンド・GOD HATES。

 

 

TRIPWIREのメンバーは、翌日も「あの、エディ・マーフィーが歌うバンドが良かった」とやたら言っていた。
 

 

GOD HATESは、80'S USハードコアを消化したセンスの良い迫力サウンドであった。

 

後日、CDをリリースしたそうだが、未聴(私の名前をクレジットしてくれているらしい)。

 

そして多くの客が待望していた、USハードコアを代表するバンド・MDCの出番!

 

ステージ周辺にPAの人がいなかったので、取りあえずドラムセットの周りを一人でうろうろしながらセッティングを手伝ってみた。

 

 

一曲目、音を出した瞬間から会場内の人間が一気にステージ前へドッと押し寄せた。

 

 

その知名度にも関わらず、経済的なメリットがほぼ皆無なアジアツアーを自力で行う彼らの姿勢に私は敬服する。

 


 

MDCの、今回のツアーのラインナップは、何とドラムもオリジナルメンバー。

 

 

ドラムの人、セッティングの時に手袋をはめていたが本番ではどうだったっけ。画像では確認出来ず。

 

 

そして今回のツアーのギタリストはFangに在籍していた、との事。
 

 

そう言えば昔、Fangの『Land Shark』てLP、持ってたっけなー。
 

 

チェンマイの夜は更ける。

 

 

(その2に続く)


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「sons of skinhead Vol.3」 CD

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2. 嵬峨 - 揺るぎなき
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4. QUESTIONS AND ANSWERS - What Am I Gonna Do?
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7. THE JOiNTED - 打鐘
8. SHOWDOWN - Hope
9. SHOWDOWN - The Power
10. 郷士 - 花
11. 郷士 - 力ある限り
12. ブルヘッド - 混沌とした世
13. ブルヘッド - 男泣き



上記CD他、BRONZE FIST RECORDSの作品は、アンダーグラウンド 音楽シーンを支える下記の良心的なお店で入手可能です。

TIME BOMB(大阪)
MISERY(広島)
BASE(東京)
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テーマ:

タイ北部の街・チェンマイへ移って来て一年半経った2017年1月27日(金)と28日(土)、光栄にもチェンマイだけではなくタイ国のパンク/ハードコアシーンのターニングポイントとなる二日間のイベント双方に、大きく関わる事となった。

 

2017年1月27日(金)・一日目は、タイ王国の首都・バンコクや、中世に栄えた都市で遺跡でも有名なアユタヤからもバンドがやってくる、ニュースクール系ハードコア企画「LANNA BLOOD COLDER #4」。

 


 

この二日間のために、私がドラムを叩くSKINHEADバンド・LANNA GLORYの、これまであまり練習熱心とは言えなかったメンバーもちゃんと遅れずにスタジオに来るようになっていた。

 

ライブ前日の26日夕方、いつもの30バーツの散髪屋へ行って坊主頭になった。

 

 

バンコクの若手PUNK勢がチェンマイ入りしているとの事で合流した。

 

彼らの多くが私も顔なじみの連中、屈託のない笑顔で旧交を温め、恒例のセブンイレブン前での地べた飲み。

 

 

この時期ちょうどバンコクで、28日にチェンマイに来るアメリカの著名なハードコアバンド・MDCがライブだったにも関わらず、わざわざバンコクの若手PUNK勢がチェンマイに来ている事から、チェンマイPUNK代表・Nuyが慕われていることが改めてよく分かる。

 



Nuyはこの前の週末、ライブの宣伝のためだけにファラン(欧米人)旅行者たちが多く集まるタイ北部の秘境・パーイ(チェンマイから車で2.5時間)へ行き、フライヤをたくさん撒いて来たそう。

この日もセブンイレブン前に通りがかったファランのおっさんに「WE ARE PUNK Vol.10」(MDC/The Elected Officials・チェンマイ公演)のフライヤを渡したり、宣伝を怠らない。

 


明けて27日の昼過ぎ、翌28日の「WE ARE PUNK Vol.10」に私が出演依頼し快諾してくれたシンガポールのOi!/STREETPUNKバンド・UNKNOWN SOLDIERが到着するにあたり、チェンマイ空港へ迎えに行った。

 

何人かのメンバーは今回、家族連れでの観光も兼ねていた。

 

奥さま方、すみませんねぇ。

 

私の車に一行全員は乗り切れなかったので二人だけ、手ぶらでソンテオに乗って宿へ行ってもらった。

 

彼らはモスリムなので、チェンマイ中心部でもモスリムフードが充実しているナイトバザールに近いエリアに宿を取ってもらった。

 

この二日間のためにわざわざ東京から来られたカメラマンのNさんも少し後に到着、私がお願いしていたお徳用カツオだしパックと共に持って来てもらった、この5ヶ月後にチェンマイに来てもらう事になる大阪のガールズVocalパンク三人組・PiPiのCD「PENTAGON」を受け取った。

 



もちろん、PiPiのチェンマイでのライブが後に実現する事になろうとは、この時は知る由もない。

 

 

PM5:00過ぎ、PiPi「PENTAGON」を爆音で聴きながら、チェンマイ旧市街の自宅を出発、車で7分もかからず会場のRasta Cafeに到着。

 

 

チェンマイ動物園にはパンダがおり、街のアイコンになっているのです。

 


 

LANNA GLORYは出番が一番目なので、到着後すぐに腹ごしらえに行った。

 

 

ドラムを叩く前に、生エビは相応しいのかどうかは知らない。

 

 

会場へ戻ったら、珍しくスタート予定時刻には多くの人が集まっていた。

 


 

一番手・チェンマイSKINHEADS・LANNA GLORY!オリジナル三曲を含め、全体的にタイトに演奏出来ました。

 

 

この一か月前も同じRasta Cafeでライブを行った事に気付きました。

 

二番手は以前、YouTubeでライブ動画を視て気に入っていたバンコクの80's USハードコア系バンド・NUCLEAR THREAT。

 

 

昼間、空港へ迎えに行ったシンガポールのUNKNOWN SOLDIERの宿がこの会場の近くだったので見に来てくれた。
 


 

同じく翌日の「WE ARE PUNK Vol.10」に出演するバンコクOi!・FOOLISH THE BASTARDSも合流し、記念撮影。

 

続いてはチェンマイのPOWER THUNDER。

 

 

ライブに来ている連中が、会場の向かいの平屋建ての元・店舗?をやたら覗いている。

 

 

最初は「サッカーか、ムエタイの中継でも観ているんやろ」と思っていたが、私も通りがかりに何となく覗いてみると、住んでいると思しき人が椅子から崩れ落ちた形で倒れていた。Rasta Cafeのオーナー氏によると日本人だそう。

 

 

救急車が来たが既に亡くなられていたとの事。

 

 

亡骸に合掌しつつ、自分も故郷を離れた同じ街で独り暮らしなんで複雑な気持ちになった。

 

 

 

四番手がバンコクから来たGROUND ZERO。


 

そして地元・アユタヤでハードコアのイベントも行っているFUTURE BREATH。
 

 

続いて「チェンマイの220」こと、MEANING IN ME。

 

 

若いメンバーたちながら、ストイックさが伝わるサウンドである。
 

 

Brighten Up Recordsというレーベルを運営し、バンコクのニュースクール系ハードコアの中心的であるMONUMENT X(ベトナムやマレーシアへも遠征したことのあるバンド)はこの日、出演予定だったがキャンセルだった模様。

 

バンコクのINSIDE YOUR MIND。

 

 

この日の客は、翌日のMDC・チェンマイ公演と2デイズで楽しみに来た欧米人なども多かった。

 



 

バンコクのFED THE RIPPER(写真なし、動画のみ)。

 

 

トリがこのイベントの主催者・チェンマイ・ニュースクールハードコア代表・THE SUFFERER。

 

 

翌日は昼前にインド最初のPUNKバンド・TRIPWIREが到着するので迎えに行かねばならず、午前からバタバタするので大人しく帰宅。

 


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私がタイに移住したのが2012年春。

その後、縁あって2015年6月からタイ国内・第二の都市と言われる、北部のチェンマイに住み始めた頃は、ニュースクール系ハードコアのシーンがあるらしい、と言う情報はうっすらと知っていたのだが、住んでいるチェンマイ旧市街からクルマで30分の場所にあるランプーン工業団地内のブラック日系企業での長時間労働+当時の私生活のストレスなどで、住んでいる街のシーンにすら興味を抱く精神的な余裕がなかった。

このインターネット全盛の時代にも関わらず、自分が住んでいる街のローカルPUNKシーンの情報は何故か入って来なかったので気に留めていなかった。

チェンマイのPUNKシーンの存在を知ったのが偶然、フェイスブックで見かけた2015年10月末のハロウィーンのイベント。
 



「それなりにシーンがあるのかー」と当日、足を運んでみることにしたが、フェイスブックに掲載されていた会場の場所の住所が不適切で、別の場所を行ったり来たりしたあげく、ようやく到着したらその日の最後から2番目の出演バンド・Meaning In Meの演奏が終盤に差し掛かるところだった。
 



続いて、トリはStomper 191…Vocalのみスキンズ、Bassはアメリカ人?そしてドラムはモヒカンの彼ら、レパートリーはCock Sparrer、The Oppressed、A.C.A.B.など全てOi!のカバー。
 




ライブ中「えぇー、Hideki!?」と驚いた様子で私に声を掛けて来る者…2011年1月に私が初めてチェンマイへ(ライブを行うバンコク勢に同行して)来た際に一日目のライブ終了後、宿までバイクの後ろに乗せてくれたTaoであった。


ハロウィーンのライブ終了後、その場でTaoに色んな人を紹介してもらい、イベント後にロイクロ通り近くの彼らの溜まり場へ連れて行ってもらった。

現在、活動中のほとんどのバンドの連中は、前述の5年前に今は無き(現在、チェンマイ有数のショッピングモール・Mayaが建っている場所にあった)GREEN HOUSEで行われたイベントを観に来ていた。
 

2011年、今はなきGREEN HOUSE
2011年、チェンマイ一日目1

 

その前後の時期にモヒカン/スパイキーのSTREETPUNKのバンドがいくつか誕生し2-3年間、シーンは派手な感じで盛り上がっていたそう。




これらの情報は、私ですら知らなかった。
 




今、ニュースクールのバンドをやっている連中のほとんどはその当時、鋲ジャンを着てそれらSTREETPUNKのバンドをやっていたらしい。
 


 

下記は、チェンマイPUNKが特集された「HIP」と言うチェンマイのタウン誌(フリーペーパー)の2014年9月号。


 

一時期、MOHAWK BARと言う、PUNKSが集まる飲み屋も存在していたらしい。



前述の2015年のハロウィーンのライブ以来、チェンマイPUNK/ハードコアの全てのライブに足を運ぶようになり、チェンマイPUNK代表・Nuyの誘いで週末そして平日も夜、音楽バー集合地帯やその近くのセブンイレブン前での集まりに参加するようになった。

飲み2
飲み1

さらに2016年夏から、自分がドラムを叩くSKINHEADバンド・LANNA GLORYの活動を始め、Nuy率いるCHAOS DAYと共に頻繁にライブも出来るようになった。





LANNA GLORYのGuitarのFeemが、ニュースクール系バンド・THE SUFFERERのベースでもあるので、ニュースクール勢とも交流が深まっていた。

そして2017年1月28日に、70年代から活動するアメリカの著名なハードコアバンド・MDCがチェンマイにライブに来る事になった。
 

 

これは、MDCと共にアジアツアーを行う、同郷のハードコアバンド・THE ELECTED OFFICIALSの女性VocalのSophieがかつてチェンマイに住んでおり、2001年から2004年の間に伝説のパンクバー・Chaos Cityを運営したりバンド活動も行うなど、この地に密接に関わっていた事から実現した。

 

 

我がLANNA GLORYもMDC・チェンマイ公演にサポート出演が決まり、さらにそのライブの前日・1月27日もニュースクールハードコア勢のイベントに出演する事になった。

 

この2日間は、チェンマイはもとよりタイ王国のパンク/ハードコアのターニングポイントとなるであろうと強く確信した。

 

MDCがチェンマイへ来る日は大きなイベントにしたかったので、盟友であるインド最初のPUNKバンド・TRIPWIRE、そしてこの数か月前にシンガポールで初めてライブを観て気に入ったOi!/STREETPUNKバンド・UNKNOWN SOLDIERにダメ元で出演依頼をしたら、何と両バンドとも快諾してくれた。
 

 

この両日のライブは、私にとってもタイ移住の結果の一つになるので、力を入れて街中の飲食店やスタジオなどにフライヤを貼って回った。

 

日本人とタイ人のご夫婦による焼きたてパン屋さん・BAAN BAKERY。

 

 

後に私のせいで出禁になるチェンマイ旧市街のお堀・東沿いのスタジオ。

 

 

音楽バー集合地帯のPENTATONIC ROCK BAR。
 

 

同じく音楽バー地帯にあるRoyal India Restaurant。

 



 

英国人経営の洋食屋・RIDER'S CORNER。

 


 

パンク/ハードコア勢・御用達のスタジオ兼楽器店・GREEN MUSIC。

 

 

街中。

 

 

チェンマイPUNK(に限った事ではないが)ライブの度にフライヤを貼って回ると云う文化があまり定着していないので、こういう行為を継続する重要性を分かってもらえたら、と宣伝して回った後はいちいちFacebookに掲載した。
 

 

(つづく)

 


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絶賛発売中!
Japnese real skinheads compilation

「sons of skinhead Vol.3」 CD

sons of skinhead Vol.3
これまでBRONZE FIST RECORDSより、気鋭のジャパニーズ・スキンヘッドバンドを紹介してきたオムニバスCD「sons of skinhead」(2002年)、「sons of skinhead Vol.2」(2006年)に続き、「sons of skinhead Vol.3」がついに登場! 真のワーキングクラスロッカーの熱い叫びを聴け!

参加バンド:嵬峨(福井)、QUESTIONS AND ANSWERS(東京)、 THE JOiNTED(東京)、SHOWDOWN(愛知)、郷士(岐阜)、ブルヘッド(仙 台)が各2-3曲ずつ参加、合計13曲収録。

完全限定500枚プレスです。

1. 嵬峨 - 成る
2. 嵬峨 - 揺るぎなき
3. QUESTIONS AND ANSWERS - Boys In Blue
4. QUESTIONS AND ANSWERS - What Am I Gonna Do?
5. QUESTIONS AND ANSWERS - Nobody Cares
6. THE JOiNTED - 男道
7. THE JOiNTED - 打鐘
8. SHOWDOWN - Hope
9. SHOWDOWN - The Power
10. 郷士 - 花
11. 郷士 - 力ある限り
12. ブルヘッド - 混沌とした世
13. ブルヘッド - 男泣き



上記CD他、BRONZE FIST RECORDSの作品は、アンダーグラウンド 音楽シーンを支える下記の良心的なお店で入手可能です。

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テーマ:

2014年末にBRONZE FIST RECORDSより、80年代初頭からフランスで活動していたOi!/SKINHEADバンド・R.A.S.(アール・エー・エス)の、未CD化だった当時の音源集「LES ANNEES FOMBS 1982-1984(レス・アンニーズ・フォムス・1982-1984)」をリリースしました。

リリースから時間が経っているので、そのCDに付帯している日本語版ライナーをここに転載します。(多少、加筆/修正はしております)


 

CDリリースのいきさつ

私の元には、海外の見知らぬスキンヘッズからいきなり「今度、日本に旅行に行くので、ライブの情報とかあったら教えて欲しい。出来れば一緒に飲みたい」と言うコンタクトが何年かに一度、ある。


2002年にフランスから来たスキンヘッズ二人組のデヴィッドとジュリアンもそんな感じで連絡をくれたのがきっかけで、彼らの滞在期間中、奈良観光をしたり飲みに行ったり、神戸へライブを観に行ったりした。
 

フレンチSKINSとゆるキャラ。

デヴィッドは当時、P38と言うOi!バンドでベースを弾いており、90年代のOi!を代表するレーベル・Helen Of Oi!からLPをリリースしていた。

P38のアルバム
 

そんなデヴィッドから12年振りにフェイスブックを通じてコンタクトがあった。
 

今は80年代初期のフレンチOi!/SKINHEADシーン・第一世代の中心バンドであったR.A.S.の再結成メンバーとして活動していると言う。
 

現在のRAS
現在のRAS 2

80'sフレンチOi!/SKINHEADのバンドは独特で面白かったので一時期、色々と掘り下げていたのだが、このR.A.S.は再発CDが出ていないなかったので、YouTubeでチェックするにとどまっていた。

 

デヴィッドの伝手で、R.A.S.のマネージャー・P氏よりコンタクトがあった。
 

何とR.A.S.の80年代の主要な音源をBRONZE FIST RECORDSからCD化再発しないか、というオファー。
 

私はレーベル運営の姿勢として昔から、リリースで関わるバンドとは会って話をしてライブを観てから、と言う一貫したポリシーでやってきた事もあり「うーん、まぁいつかフランスへ行く機会があれば、ね」と最初は軽く流した。

 

しかし毎日熱心に連絡してくるP氏の熱意、ちょうど気になっていたバンドの音源をリリースする機会の到来、そして2015年当時、レーベル発足・20周年を迎えるにあたって、あまり今までのやり方に固執し過ぎるのもどうか、と言う思いもあった。
 

先方が提示する条件に対して一切、譲らずに当方の希望条件を主張していたので何度か決裂しかけたが、数週間に渡る交渉の末、リリースに至った。

 

さて当時のフランスのシーンの概略を書いておきます…フランスでの最初のSKINHEADムーヴメントはスカ・リヴァイバルと共に1978-79年に起こった。


フランスのスキンヘッズ最初の世代は皆、オールドパンクス出身者であった。
 

その頃のスキンヘッズ達はコロンブ駅に近いサンシュルピス教会周辺にたむろっていたと言う。
 

そして2年後、フレンチOi!/SKINHEAD第一世代が出現し始めた。
 

R.A.S.を始めSnix、Trotskids、Kommintern Sect、Tolbiac Toads(パリ最初の自称・ナショナリストスキンズ)、Wunderbach…少し後の世代がL'Infanterie Sauvage、Warrior Kids、Camera Silensなど。
 

これらのバンドは独特のメロディー/曲構成が英国のバンドと一線を画しており、なぜか多かれ少なかれ郷愁を感じさせるのが特徴。(余談ですが私、シルビーバルタンやフランスギャルなど古のフレンチ・ポップスも好きです)

以降、マネージャー・P氏によるR.A.S.のバンドヒストリーを訳したものをお読みください。

 


 

マネージャー・P氏によるバンドヒストリー、その1

 

70年代末にフランスの北西部のカーンにフランス最初のスキンヘッズが現れる少し前、私はパリの郊外のコロンブに住んでいた。


1982年末に、ボワ・コロンブとアニエールに近い街で、夏の終わりに結成された新しいバンドが出てきたというニュースが伝わってきた。
 

イギリスのスキンヘッズやハーバーツのような格好のメンバーで構成され、アーミーのような雰囲気のパンクバンド・R.A.S.(“Rien A Signaler”「異状なし」)であった。


短い期間にセカンダリースクールや地方でのいくつかのギグを行った(Jean-LouisとTakiが在籍していたバンド)ヴァイラス77から新たに生まれ変わり、R.A.S.はそのテリトリーを急いで自分たちのものにすることを目指した。
 

単独でのライブを行う前にレコードをリリースするパンクバンドは私には初耳だった。
 

RAS ep

 

パリのインディーズショップ・New Roseで“Fomb”とタイトルがスタンプされた彼らのシングルがニューリリース紹介の壁にきれいにディスプレイされていた。R.A.S.はそのレコードをバッジ付き・10フランで売っていた。

 

 

折り込みカバーと何人かが並んだ写真が載ったそのレコードを飽きるほど聴いた。


サウンドは非常に印象的であった。

 

強調される二つの要素…Special Dutiesに影響された早急な曲、そしてOi!ミュージックに影響を受けた比較的落ち着いた曲…シンプルなサウンド、リズムの正確さ、分かりやすさ、ソロはないが時おり興奮をかき立てられるギターのメロディー、それらがすぐに好きになった。


シンガーであるNicolasは早急で絶え間ない、大きな声であるがクリアな声質で、このスタイルにしては珍しくクリーンな声であった。
 

私はレコードのA面の「デッド・フォー・フランス」と「カラー・オブ・ユア・デス」の両方の歌詞に特に衝撃を受けた。

 

戦争中に自分たちの国を守った名もなき人たちが忘れられていることを憂いている一曲目「デッド・フォー・フランス」は、パンクバンドとしては素晴らしいテーマに分類する事が出来る。

 

二曲目「カラー・オブ・ユア・デス」は、他の部分よりも聴きとりやすい『Blue White Red』のコーラスを繰り返す曲にも関わらず、明確に反ナショナリスト的である。
 

R.A.S.には、ギターのTakiとシンガーのNicolasがいる一方で、マネージャーのBibiがほとんどの歌詞を書いていた。
 

その頃、私はファンジン「Rock Alternative」(“Alternative rock”のずっと前にこの言葉を使っていた)を自分で始めていて、R.A.S.へのインタビューを行うつもりだった。
 

我々は友達やファンジンをやっていた人間と同じくお金がなかったので、唯一のシングルをシェアしたりお互いに貸し合ったりしていた。

 

友達はR.A.S.が1983年2月にジュヌヴィリエの公営住宅団地のど真ん中にあるアニエールのコミュニティーセンターでファーストギグを行う、と教えてくれた。


私はコロンブから会場へ歩き、同じくそのライブに向かっていたWunderbachのメンバー何人かに会った。


誰かが私に、ステージから遠くない場所に立っていたフレッドペリーのポロシャツを着た痩せたスキンヘッズ・Gazを紹介してくれた。

 

彼はパンクバンド・Curseのベースで、自分がR.A.S.のローディーだと名乗った。


彼に、ライブの最中にバンドの写真を撮って良いかどうか尋ねた。


彼は「確認してくるからここで待っていて」と言った。


数分後に彼は戻ってきて、あらゆる事を段取りするのにバンドと一緒に喜んで協力してくれた。


後にGazが打ち明けたところによると、彼は単にバックステージで大量のアルコールを飲んでいただけだった。


若くて素直だった私は、写真を撮るためにある程度の礼儀正しくせねばならないと思っていて、彼は自分自身がさも重要な人物であると見せる一方で、私に親切に微笑みかけた。


ギグにおけるシンガー・Nicolasの存在感は大きかった。まず完璧に見た目はスキンヘッド!フレッドペリーのポロシャツ、ブリーチジーンズ、濃いエンジ色のドクターマーチン!

 

RAS in 80&#39;s 1


その時、私にはパンクスの友達はいたが、スキンヘッズの友達はいなかった。


固定された彼のマイク、指に挟まった煙草の火、Nicolasは微動だにしなかったが私はあっけに取られ、トランス状態のようなラリった目に心を奪われた。

 


その目はアルコールとストレスによるものだったと思われるが、Nicolasはとても鋭い目をしていた。


RemiからメンバーチェンジしたベースのAbsentは、後にMaquisardsとなるLes Fleurs du Malの連中と関わりが深かった。



 

…とこの辺りまで訳して、当初は仏語・英語・日本語の三通りの言語を20ページのブックレットに収めねばならないのに字数が多すぎる、と判断し「個人的な事ばかり書き過ぎでは?もっと短くして下さい。20ページで収まりませんよ」と伝えたところ「もっとページ数を増やせないか」と言って来られたので「カルトの支援を受けている日本の商業オイパンクじゃないんだから簡単に製作費、回収出来る訳ないやろ!」とまた数日間、激しいやりとりをせねばならなかったが結局、短縮した英文ヒストリーを送ってくれた。


が、やはり仏語・英語・日本語を全て20ページに収めるのは難しいと判断し、16ページのブックレットに仏語・英語を、そして日本国内での販売分のみ、日本語インナーを付ける事にした。

 

バンド・ヒストリーの日本語訳は、短縮前の長いままのバージョンを訳して記載しております。



 

マネージャー・P氏によるバンドヒストリー、その2

 

次の日もR.A.Sは自治体の企画による、近隣の活発な若いバンドを集めたコンサートでコロンブの屋内競技場で演奏した。


一日中続いたそのコンサートは(当時、その地域で高く評価されていた)ロカビリー、アルジェリアンミュージック、地元のハードロック、そしてパンクの顔ぶれで楽しかった。

 

巨大な体育館の中だったので予想通り音がひどかったが。
 

バンド達は午後の早い時間に来るように言われていて、R.A.S.のメンバーはステージへ上がるまでに多かれ少なかれ酔っ払い、多かれ少なかれ根気よく待った。
 

前日、加入したばかりのベースのTrevorは初めてのステージだった。
 

大抵はヒッピーであった自治体青年部のメンバーは、Nicolasや他のスキンヘッズ達のルックスに驚いていた。
 

ある青年部の女性メンバーは他の者に「彼らは我々に問題をもたらすに違いない」と耳打ちしていた。
 

彼女は、毛皮にストライプのスパンデックスに身を包んだ地元のハードロックバンドのファンだった。
 

R.A.S.は夜のステージだったが、新体制を披露する時間は結局あまりなかった。
 

四人のメンバーに、三人の全く新しいコーラスシンガー…前夜、Remi、ローディーのGazとXavier、二人のスキンヘッズとパンクス。
 

RAS in 80&#39;s 2
 

二曲目で、長すぎる待ち時間とおびただしい酒の勢いに押された何人かのパンクスがステージと客席の間の柵を打ち破った。
 

音響システムを止めるように指示が飛び、R.A.S.の二回目のライブは3分で終わった。

 

その噂が彼らの評判を拡める事となった。

 

かつてのRAS
 

少し後、私は自分のファンジンのためメンバーにインタビューを行った。


私たちは彼らの地元の「本部」…変わった服を着た若者たちに対する憐れみでいっぱいの太った女性が経営する、ボワ・コロンブとアニエールの交差点の小さいバーで会う事になった。


私は徐々に彼らと仲良くなり、学校の後にそこに何度も通う事になった。


彼らの一番の楽しみは、ふざけたり大笑いする事だった。


彼らと会った時、グループの中で一番うるさい酔っ払いが、Remiがドイツで発見してパリへ持ち来んだ、質の悪い白ワインとコカ・コーラの「カクテル」で酔っぱらっていた。


最近のパンクシーンでも、勇気があり無知な者は、まだこのカクテルを飲んでいる。


それらの数えきれないエチルアルコールでの盛り上がりの内の1つがRemiとGazによる、残念なことにリリースされる事のなかった奇妙なファンジン「Au Joyeux Neuski」。


ある酔っぱらった夜、彼らはアコースティックギターを手にし、おんぼろテープレコーダーに何曲かのパロディーソングを録音した。


ロシアっぽく訳されたタイトルの「Nicolski Pignolov」では、シンガーのNicolasをユーモラスに標的にしていた。

 

Nicolasは、グルになった2人がロングドライブ中にこれを歌うのを聞くのを嫌がった。

 

R.A.S.のバンド内部では、スキンヘッズはユーモアセンスを持って陽気に楽しんでしたが、こんな雰囲気は数年後には消えて行った。 


私が行ったインタビューが公表された時、ファンジンの宣伝とR.A.S.のレコードをオンエアしてもらう目的で、自主ラジオ放送局を回った。


TakiとBibiは、Radio G (ジェヌヴィリエに拠を置くラジオ放送局)で彼らが主催する番組に私を招待した。

 

その番組ではパンク、Oi!、レゲエをかけていた。


R.A.S.はそれまで一度もパリでプレイしたり住んだりせず、メンバーはパリの中心部をぶらつくこともなかった。


地方だと、北の方のCoderkerqueへ行って地元のハードコアバンド・SS Kidsと共演したライブがあった。





R.A.S.はパリ郊外では主にパリの自治体が主催する様々なジャンルのロックバンドが出るコンテストでライブを行った。


コンテストで勝てる訳ないとちゃんと解っており、最も重要なことは演奏する事だった。

 

1983年3月のあるライブの時、後に一番の仲間になるL'Infanterie Sauvageと仲良くなった。


 

両バンドは同じサウンドの嗜好、ユーモアのセンス、安い酒が好きな事、郊外のカルチャーに属しているフィーリング…パリの人間がやっているクラブのそれから遠く離れたセンスを持ち合わせていた。
 

 

1983年9月にLes Cafardsというバンドの招待でLa CourneuveのFete de l'Humanite (フランス共産党の企画による人気のあるパーティー)でライブを行った。


シングルをリリースしたばかりのサイコビリー三人組・Wampasも出演していた。


 

バンドがちょうどステージに上がるくらいの時、RemiとNicolasが見つからなかった。
 

彼らは近くに屋台を見つけて、特別に重いカクテルを楽しむために去っていたのだった。
 

Nicolasはよりロックンロールなライフスタイルで、向精神性のものが大好きだった。
 

彼はリハーサルにも来ないことが時々あり、曲も書かず、気の向くままに振舞っていた。

 

ステージに遅刻することすらあった。


シンプルなタイトルのアルバム“84”がリリースされた時、シンガーはNicolasからRemiに変わった。

 

 

体型や声がよく似ていたので、ライブの会場ではRemiがアルバムでのシンガーではないと誰も気付かなかった。

 

私は「もしPUNKシンガーに変わったら、たくさんのゴシップの素になってしまう」とTakiが言っていたのを憶えている。


R.A.S.は曲の中で『Oi!』の掛け声を一つも使わずにスキンヘッドのイメージを人々に植え付けた。
 

当時フランスでは、スキンヘッズはメディアでは全く知られていなかった。

 

また、スキンヘッドシーンに関わっている人々以外には、スキンヘッズの中の多くが当時、英国で極右のサポートを行っていることを知らなかった。

 

1983年はまだスキンヘッズになる事にそれほど障害はなかった…後に事態が悪化し始めるまでは。

 

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かつてのRAS 2



 

マネージャー・P氏によるバンドヒストリー、その3


パワフルなサウンドのアルバムをリリースしてから、R.A.S.を取り巻く様相が変わり始めた。

 

労働者階級のキッズが共産主義のシンボルであるハンマーと鎌、そしてナチスの逆まんじの両方が描かれた壁の落書きの前で中指を立てているアルバムジャケットの意味をよく聞かれた。


 

パリでは、ギグが企画される場所はスクワットのシーン(※欧州では不法占拠した廃墟・空き家を利用して自分達で電力やガスなどをひいて自治し表現活動などが多く行われている)に限られ、自治しているグループの一員や共産党員に近い者たちがD.I.Y.で創り上げる場所だったのだが、当時としては斬新だったR.A.S.の方向性はそういった場所では賛否両論だった。

アルバム“84”では、派閥について(「セクト危険地帯」)、A級ドラッグ中毒について(「ラスト・チャンス」)そして世代間の対立について(「拒絶」)、さらに「フランスの小さな街」(私が後に発売したオムニバスLPの命名の元となった曲)は、独裁をサポートするように人々を急きたてる中流階級のエリートを糾弾する内容の曲である。
 

「ヨーロッパ症候群」はアメリカそして末期のソ連に対する考えと共に、ヨーロピアンの団結を提唱していた。

 

この曲は、Nicolasによって書かれた唯一の曲だった。

ポーランドの独立自主管理労働組合“連帯”がより人気を獲得していっていたポーランドへの、ソ連の介入を激しく非難した「1981年12月」。

「パンク・アンド・スキン」の歌詞はパンクスにとっては問題だった。

 

前者(パンク)が後者(スキンヘッド)によってパリの路上で頻繁に裸にされていた事についての曲だった。

スキンヘッズにとっては「ガキと落下傘兵」(レバノンの内戦で威張り散らすために戦場へ去った短気な連中…多くのパンクス・スキンヘッズにとっての戦争を想像させる、思いやりのない曲)もまた、問題作だった。

「フランス志願兵」は1941年にナチスの側でロシアの前線へ行くために入隊したフランスの義勇兵について言及している。

 

多くのスキンヘッズがボンバージャケットの袖にフランス三色旗を身に着けていた時、曲は彼らにその矛盾をつきつけた。

 

ライブの最中にナチス式敬礼を行なったり第三帝国へのノスタルジーを感じさせるのに、筋の通ったナショナリズムを主張できる訳がない。

R.A.S.がパリ郊外のFerme d'Emerainvilleでプレイした時、来場した150人の内、パリのスキンヘッズが50人集まり、多くを考えさせられるライブになった。

フランス国旗を掲げているのに何故かナチス式敬礼をするおかしな連中が、バンドの演奏を妨害しようとしても演奏を止めるには至らなかったが、連中の行動は終末の序曲(the beginning of the end)を表すこととなった。

TakiはBruno(フランスで初めて自らナショナリスト・スキンヘッドバンドであることを公言したTolbiac Toadsのシンガー)に「お前の仲間が何をやっているか見ろ」と耳打ちし、同時にRemiは勇敢にも立ち上がって連中に中指を突き立てた。

Brunoはナチス式敬礼する連中に関係してはいないのは明らかだったが、R.A.S.はBrunoを最も頭にくるファシストの達の仲間とみなした。

ステージに上がってきた最も暴力的な者に演奏を妨害された。

 

そのスキンヘッズ達は20分ほど威嚇したりぐずぐずした後、最終的に会場を後にした。

 

最悪の事態は避けられたが、このトラブルはシーンの分裂を表わした。

しかしこの先も、たとえ最終的に事態がより困難になると分かっていても、R.A.S.はスキンヘッドカルチャーの側を選ばなければいけなかった。

1979-1984年のフランスのスキンヘッドシーンのストーリーには「フーリガンスキンヘッズ」「扇動者(ナチス式敬礼で人々を威嚇する者)」「レイシスト」の三つの時代があるが、とうとう「レイシスト」の時代がやってきた。

しばらく後、音楽や喜び・悲しみを分かち合う親友同士であったL'Infanterie SauvageとR.A.S.のライブも、スキンヘッズによって邪魔をされた。

この時は2-3の攻撃が行われ、現場は催涙ガスで充満した。 

Massy-Palaiseauでプレイした1984年春の終わり頃のライブでは、セキュリティーが入り口での検査で爆弾を発見した。

バンド内で緊張が高まって行った。

その夏の間にTakiとJean-Louisの間で一人の少女を巡って口論があり、それがきっかけでバンドは解散した。

非常に危なっかしくなってきたアドベンチャーを終わらせるのに良い口実になった。

しばらく後、RemiとコーラスシンガーのXavierはDroogiesと言うバンドを結成しサイコビリーやガレージに傾倒していった(※著者注:Droogiesはエレキベースだったそう。短命でリリースは何も残さなかった)。

もう一人のコーラスシンガーのGazとTakiは、6月に解散したL'Infanterie SauvageのベースだったArnoと共に、解散前に既にサイドプロジェクトとして2-3ヶ月前から始めていた狂ったおかしなハードコアPUNKバンド・Kromozom 4に集中した。



R.A.S.としてのアドベンチャーは確かに長くはなかった。

ディスコグラフィーもシングルとアルバム、そして尊敬に値するオムニバス“1984 The First Sonic World War”と、私が誇りを持ってプロデュースした“France Profonde”に収録されている「ハレルヤ」と「スキンヘッズの思い出」も含めて多くはない。


R.A.S.は確かにフランスのスキンヘッドシーンが極右へ傾倒するのを止められなかったが、増え続けていた問題を簡潔に体現する事が出来ていた。


翌年、スキンヘッド・ハンター達が出現し始めるまでは「フランス志願兵」の歌詞で言うところの『ナショナリスト、ナチ、SSおよびレイシスト』はシーンの中で最も目立ったポジションを占めていた。


ほぼ同時期だったR.A.S.とL'Infanterie Sauvageの解散と共に、punk rockと並ぶこの当時のskinhead cultureのページはめくられた。


平和な、そしてユーモアと嘲り笑いと共に。

Philippe Roizes
founder of the “Rock Alternative” fanzine and of the “Reseau Alternatif” label, initiator of the “France Profonde” compilation
 

RAS in 80&#39;s 5


 

なお上記のバンドヒストリー・日本語訳は、歌詞の日本語訳と共に、CDにも付帯しております。

 

 

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R.A.S.(アール・エー・エス)

LES ANNEES FOMBS 1982-1984(レス・アンニーズ・フォムス・1982-1984)

 


英国とは異なる独自のシーンを形成していた80年代初頭のフランスOi!/SKINHEADシーンにおいて中心的な存在であったバンド・R.A.S.。未CD化だった彼らの主要な音源がこの度、極東の要・BRONZE FIST RECORDSより世界初CD化!1984年リリースの最初で最後のアルバム「84」(12曲入)と1983年リリースのEP「Rien A Signaler」(5曲入)を中心に1983年のデモ音源2曲、1984年4月のラスト・ステージを収録したライブ音源7曲、さらに前身バンド・VIRUS 77の4曲を収録した全32曲を収録!日本国内流通分のみBRONZE FIST RECORDS・高崎氏による歌詞対訳・解説文付き。


<Track list>
1.84 (1984年)
2.LVF (フランス志願兵)
3.Sectarisk (セクト危険地帯)
4.Decembre 80 (1981年12月)
5.Rejets (拒絶)
6.Le Keupon Et Le Neuski (パンク・アンド・スキン) 
7.Derniere Chance (ラスト・チャンス)
8.Syndrome Europeen (ヨーロッパ症候群)
9.France Profonde (フランスの小さな街)
10.Le Gosse Et Le Para (ガキと落下傘兵)
11.L'ecole Des Fombs (ロクでなしの学校)
12.Haaaaannna Et Les Rebbous (ハアーンナと酔っ払い)
13.Memoires D'Un Skin (スキンヘッズの思い出)
14.Alleluia (ハレルヤ)
15.Mort Pour La France (デッド・フォー・フランス)
16.Couleur De Ta Mort (カラー・オブ・ユア・デス)
17.Rien A Signaler (異状なし)
18.Chasse A L'Homme (人間狩り)
19.Votez Pour Moi (私に一票を)
20.Nelly (ネリー) Demo 1983
21.Cochennec (コチェネック) Demo 1983
22.Jeunesse De La Honte (恥さらしの若者) Live
23.84 (1984年) Live
24.Alleluia (ハレルヤ) Live
25.France Profonde (フランスの小さな街) Live
26.Paradisiak (天国のよう) Live
27.Derniere Chance (ラスト・チャンス) Live
28.Rien A Signaler (異状なし) Live
29.Virus 77-Quartier Nord (北地区)
30.Virus 77-Arc-en-ciel (虹)
31.Virus 77-Direction Neant (目指す場所なんてない) 
32.Virus 77-Symphonie En Boundin Majeur (大きなプリンのシンフォニー)

 

 

上記CD他、BRONZE FIST RECORDSの作品は、アンダーグラウンド 音楽シーンを支える下記の良心的なお店で入手可能です。

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テーマ:

2016年4月2日から3日にかけて行われる予定だった、インドネシアのパンク/ハードコアコミュニティーの女性たちのドキュメンタリー映画『Ini Scene Kami Juga!』(英訳:This is Our Scene Too!、監督:Hera Mary)の上映が予定されていた、インドネシア中のパンク/ハードコアコミュニティーにいる女性たちのための音楽・アートそしてディスカッションのフェスティバル・Lady Fast 2が警察とイスラム強硬派による弾圧で1日目で中止させられました。

 



この件から時間は経っておりますが日本にあまり伝わっていないと思われるので、インドネシアのパンク/ハードコアシーンと縁の深い人間として、関連サイトを和訳しここ掲載します。

まずアジア地域のパンク/ハードコア全般を取り扱うサイト・UNITE ASIA記事から。
https://uniteasia.org/shit-went-down-at-lady-fast-event-in-yogyakarta-indonesia-last-night/

――――――――――サイトの翻訳ここから――――――――――

Kolektif Betina(今回のイベントを企画したグループ)は彼女らのフェイスブック上で昨夜のインドネシアでのイベント・Lady Fastで何が起こったかを、時系列で報告した。

 

このイベントでは、インドネシアのパンク/ハードコアシーンの女性に関するドキュメンタリー映画の上映が行われる予定だった。 ビデオの予告編は下記の通り。



このドキュメンタリー映画『Ini Scene Kami Juga!』(英訳:This is Our Scene Too!)の大まかな概要:

「インドネシアのパンク/ハードコアシーンでの、女性の役割は今も極めて少ない。なぜならば、パンク/ハードコアシーンは男社会だと考えられているからだ。インドネシアのパンク/ハードコアシーンのムーブメントに関わる女性たちは稀であるとされている。パンク/ハードコアシーンにいる女性たちのネガティブな汚名と問題は、広く拡がっている。

このドキュメンタリー映画『Ini Scene Kami Juga!』では、パンク/ハードコアシーンにいる女性たちの異なった面が見られる。この映画に登場する女性たちは、ミュージシャン、ジン製作者、写真家である。シーンには他にも多くの女性がいるがこの女性たちはまだアクティブに関わっている数少ない者たちの内の幾人かである。

この映画もまた、コミュニティ内の女性への適切な評判と露出の大切さを力説している。彼女らが産み出した音楽・ジン・写真そして他の仕事のほかにも、継続される相互間のサポートは、女性たち同士のスピリットを持続する秘訣である。

この映画はインドネシアのDIYパンクシーンにいる女性たち、特にジャワ島に住む彼女らのストーリーを語っている。これまで我々はジャワ島全域から、今日でもDIYパンクシーンに関わりのある14人の女性たちにインタビューを行っている。ジェンダーの問題、性差別、性欲そしてアクティビズムなどが全てこの映画の中で話し合われた。これらの女性たちがDIYパンクコミュニティーに貢献していること、そして今日の彼女らの日々の生活にいかに影響しているかが描写されている」

しかしながら今朝、起きたらソーシャルメディアは、大勢のFacebook/twitter/instagramのフィードで、警察どものおかげで上手くいかなかった事に関する書き込みで炎上していた。腹立たしい出来事が起こった事が分かる。

インドネシア語から英語へ翻訳されたKolektif Betinaの投稿をもとに概要を記した:

1. オープニング、そしてワークショップとシェアリングセッションが13:00から19:00まで続いた。
2. 音楽イベントが19:30からスタート。
3. 最後のバンドの演奏がスケジュール通りの順番に10時から始まる。
4. 10時頃になり、何の集団かはっきりしない15人が到着し、このイベントを一度、中止することを要求した。
5. 会場のオーナーとオーガナイザーはLady Fastの企画を説明しようとしたが、この集団から侮辱を受け、脅迫された。
6. その時、警察は既にそこに居た。企画者たちとLady Fastの間での議論が紛糾した時、私服警官による一発の銃声が響き渡った。
7. Lady Fastの代表と会場のオーナーはその集団との対話を試みる事を続けたが受け入れられず、やはり侮辱の言葉を投げかけられた。「風紀を乱した」そしてここが「道徳に反する場所」であると言う罪状になった。その集団は、この出来事に反発する500人もの人たちを脅した。彼らは、実際に暴力をふるおうとするジェスチャーを見せた。
8. Lady Fast委員会はイベントを終わらせることに同意し、設備を片付け始めた。そしてイベントの全ての後援者に整然としたマナーの元、解散するように求めた。
9. この混乱から逃れようとした我々の友達の女性の一人は「はぁ?お前たちは酔っぱらいか?酔っているのか?」と叫ぶ内に、その集団のメンバー達から暴力行為を受けた。他の後援者の女性もまた「うす汚い!」「女に権利などない!」「だらしない汚れ女め!」などの暴言を吐かれた。そしてベールを被っている後援者たちへは「懺悔しろ!懺悔しやがれ!」と喚いた。
10. 私たちが機材をほとんどきれいにし終え家の中にしまい込んだ時、その集団は扉を閉じて施錠した家に無理やり入って来て、許可なく家に入って来て動画を撮影し、写真を撮り、ゴミ箱を引っ掻き回した。
11. 彼らは建物に侵入すると同時に「アッラーフは偉大なり!アッラーフは偉大なり!」と叫んだ。
12. 建物の中には外から閉じ込められた男性3人、女性5人、子供2人の10人がいた。その鍵は、そこには居ず助けを求めに行っていた建物のオーナーが持っていた。
13. 集団は彼らのやり方を押し付けようとし続け、ドアのちょうつがいとノブを破壊した。私たちの友達は中に閉じ込められ、家のオーナーと連絡する手段がなかった。
14. 警察は私たちに、友達が怖がらず安心出来るよう、中から建物のドアをこじ開けさせるように言った。
15. 中にいる私たちの友達は、警察が捜査令状を持っているかどうかを尋ねた。警察は、もし我々がドアを開かなかったら、あの集団はドアを破壊して入ってしまうので、ドアを開けた方が良いと言った。最終的に、中にいる私たちの友達は鍵がなかったので無理やりドアをこじ開けた。集団は「燃やせ!燃やせ!」と叫んでいた。
16. ドアを開けるのに成功した後、警察とあの集団の内の15-20人くらいが家に入り、ビデオを撮影し、顔を撮った。ある友人の女性は、子供が怖がるから写真を撮らないように頼んだが、彼らは「ママ、討論や言い争いしたいの?何がしたい?君を殴る事は簡単だよ」と返した。
17. みんなはその時「安全確保のため」と言う理由を与えられ、警察によって警察署へ連れて行かれていた。そして何のイベントなのかについて質問され、そこで発見されたLGBTロゴが入った本について問われた。これらの本は我々の後援者の個人的な所有物で、イベントとは関係なかった。
18. AM1:33に、LBHジョグジャカルタの友達に付き添っていて、警察によって拘束されていた我々の友達の一部への尋問が終わった。

暴漢とチンピラ集団による言葉と身体両方での侮辱行為に対して無力であるという、そのような恐ろしい状況にいる企画者と、彼ら自身が見つけた後援者が気になった。

警察からかなりの支援を受けている暴漢とチンピラ集団の存在が、より馬鹿げていて恐ろしい環境を作っている。

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さらに下記、、事件の概要が客観的に分かりやすくまとめられた記事です。
https://www.iq-mag.net/2016/04/islamists-disrupt-indonesia-punk-gig-kolektif-betina-yogyakarta/

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イスラム原理主義者たちがインドネシアのフェミニストPUNKギグを妨害した

Kolektif Betinaは、一人の女性が攻撃された後、2度目のLady Fastイベントをキャンセルすることを余儀なくされた。主催者は、相応しくない服を着た共産主義者である、と誹謗中傷された。


インドネシアのフェミニストグループ「Kolektif Betina」(Female Collective)は、2016年4月2日土曜日に行った、ジョグジャカルタ市街での「Lady Fast」コンサートの第二弾をイスラム教のスローガンを叫ぶ『身元不明の集団』の妨害によって強引に中止させられた。

「Lady Fast」企画は、Survive! Garageという場所でライブ、ワークショップ、アートエキシビジョン、マーケット、そしてインドネシアの『パンク/ハードコアシーンは男社会なので、まだ全くの少数派である』女性の関わりについての映画『Ini Scene Kami Juga!』の上映などが行われる予定だった。

しかしながらPM10:00頃、最後のパフォーマーがステージに上がると同時に、男性の集団が「アッラーフは偉大なり!」と叫びながら会場を急襲し「相応しくない服装を着て道徳を堕落させる共産主義者だ」とオーガナイザーを糾弾した、とKolektif Betinaは彼女らのFacebookに書いた。

「私たちの女性の友人達もまた『汚らわしい!』『傷もの女どもめ!』『お前たちは不道徳だ!』というような暴言を吐かれた」

「この混乱から逃れようとした我々の友達の女性の一人はその集団のメンバー達から暴力行為を受けた」Kolektif Betinaは続ける。「彼女は掴まれて大声で『お前は酔っぱらいか?』と言われた。我々の他の友人たちもまた『汚らわしい!』『傷もの女どもめ!』『お前たちは不道徳だ!』というような言葉の暴力で侮辱された」

伝えられるところによると、Kolektif Betinaのメンバーが撤退させられたのと同じ頃に警察官によって威嚇射撃が空に放たれた。

世界で最もイスラム人口の多いインドネシアのパンク・サブカルチャーは世界で最も大きい一つで最も活気がある。しかし特にイスラム信仰が深く、イスラム法の影響力が強いアチェのような地域では、保守的な宗教の強制力を伴った反発は頻繁に見受けられる。

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そして下記は、実際にイベントに参加していたインドネシアの女性小説家・Eliza Vitri Handayani氏による記事です。
http://magdalene.co/news-751-before-we-were-attacked-my-experience-at-ladyfast.html

何のためにこのイベントが行われたのか、主旨も丁寧に書かれています。不審な人物が入ってきて騒動が起き、イベントが解散させられたことについても述べられています。

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私たちが攻撃される前:Lady Fastでの私の経験。

(2016年)4月2日土曜日、PM1:00頃、イベントの会場となる、ジョグジャカルタ市街地の郊外にあるBugisan Roadの簡素な建物・Survive!に私は到着した。

Survive!は4月2日と3日、インドネシア中のパンク/ハードコアコミュニティーにいる女性たちのための音楽・アートそしてディスカッションのフェスティバル・Lady Fastのホストだった。

Lady Fastは、そのマニフェストが言う「差別を乗り越える最初のステップとして」自分の意見を自由に話すために女性にとって安全な場所を提供するため、様々なバックグラウンドから女性が集まったKolektif Betinaによって企画された。その夜の10時ごろ、ある集団がフェスティバルを攻撃した。Lady Fastの企画者が発表した記録によれば、その集団はSurvive!のプライベートスペースに押し入り、所有物を破壊した。警察は傍観していた。

私が午後の早い時間に到着した時、黒いTシャツと半ズボンを着て、変わったタトゥーで、ドレッドまたは非対称に剃った頭…パンク/ハードコアコミュニティーでは珍しくもない、数えるほどの人たちだけが集まっていた。麺のような髪の骸骨と壁を埋め尽くす紙のアカエイの群れの壁画が、テラスの壁を覆っていた。ドアの上に「In Survive We Trust」の文字が見られた。

テラスの周囲では幾人かがテーブルを設置していて、ジョグジャカルタやジャカルタその他からの様々なグループによってジンや不用品、ワッペン、バッジ、お菓子やアーティストによる絵画が販売されていた。

それらのジンは、ルール通りでないが責任を伴う子育て、女性のような見た目のために逮捕された経験のある男性、自分のナプキンの作り方、性的虐待・家庭内暴力を経験した女性たちに書かれたストーリーをまとめたものなど、様々な話題にあふれていた。私はそれらのジンを読んで、いくつもの新しい事を学んだ。

会場のガレージは、ピンクの水の中に覆い隠したオルガスムの表情(“Pleasure Seeking”)を展示したDinda Advenaによる写真や、Lidya Aventaによる、女性がかつて男性によって強制的に奪われた力を取り戻すタトゥースケッチ(“Soft Power”)を含むフェミニストのアートワーク展示スペースに一変していた。

会場の所有者は、Survive!はギャラリーで発表するに支障のあるアーティストのための新しい展示スペースとして設立された、と私に語った。Survive!は2009年にJalan Bugisanに設立され、最近ではクラフトマーケットそして77人の関連アーティストの展示会が開かれた。

所有者の彼女は、例えば午後11時には音楽の演奏を止めるコミュニティーの決まりを厳守する、など近隣との良好な関係を継続するために必死に動いていた、と私に語った。オーガナイザー達はたくさんの飲料水、バナナの葉に包まれた食事やクラッカーを提供した。あなたが支払うものを支払って下さい とのことだった。

アジェンダ上の最初のイベントは、コラージュメイキングのワークショップだった。これは建物のリビングで行われた。参加者はフロアに座り、二つの扇風機がブンブンとうなりながら苦労して涼しい風を送っていた。そのワークショップの指導をしたIka Vantianiはアーティストでもあり館長で、我々に古い雑誌・はさみ・糊を与え、私たちの「女性」という言葉の解釈を象徴するコラージュを作るように指示した。私たちはその授業で作品を提出した。



ジャワ、パレンバン、カリマンタンその他海外から参加者が来ていた。あるマレーシアから来た作家は、彼女のコラージュを「血」と呼んだ。なぜなら彼女は女性の人生の全ての段階が血にまつわっている…産まれた事、性的にアクティブになる事、生を与える事そして老齢に入る事…と考えたからである。

他の者は、多くの若い女性が結婚前は自分の父親に、結婚後は自分の夫に自分の全ての人生を捧げるように言われていた事から、自分の作品を「服従」と題した。他の女性は自分の作品を、世界がしばしば女性の発言を軽視し、ささいな単なるゴシップとしてまとめてしまう事を言うために「ゴシップ」と命名した。

その後、Kartika Jahja(ニックネーム・Tika)とShera Rindra Pringgodigdo…レイプサバイバーであり性的暴行の犠牲者に付き添う自主的なソーシャルワーカーである両名によるリードで、性別がベースになった暴力について語る授業が行われた。

彼らは「セックス」と「ジェンダー」の違い…前者は我々の性的な器官を含む生物学上の事実であり、後者は社会における我々の役割と見なされる構造である…と言う事について話し始めた。我々は産まれて以降、男性たちはリーダーとなり一家の稼ぎ手となりタフで強くなる事を、女性たちは従うかもしくはサポートする者となり家事のエキスパートとなり美しく女性らしくなる事を期待される制約をされてきた。女性たちはしばしば自身の身体と見た目を基に評価されている。

Tikaは「ミュージシャンとして、もし私が成功したければ曲を書いて出来る限り最高の楽器演奏をせねばならないと私は知っている。でも女性として自分の顔を可愛いくできるか、痩せられるかの心配もしなければ、作った音源は売れない」と言った。
 
これらの人々はパンク/ハードコアコミュニティーの一部であるという自分のアイデンティティーに誇りを持っている。彼らは自分の子供をこのイベントに連れてくる。
 
SheraとTikaは、大勢を巻き込んだギャング集団のレイプ、人身売買、近親相姦など過去に取り扱ったいくつかの事案を話した。彼らはまた、警察がしばしば、被害者がどんな服を着ていたか、なぜ夜に出歩いていたかを尋問してから非難したり、事件を捜査し立件する代わりに加害者と被害者の間で和解させようと試みたりする事に携わっている、と語った。

Tikaは、かつてある女性は耳を引っかかれ苦しめられたと語った。それをやった男性は「自分の耳を触っている女は、そうされる事を求めていた」と言った。被害は彼女の意に反する事であった。

「それが、私たちが女性達がレイプ被害を受け続ける負担を止めなければならない理由です。私たち全員、性的な目的に利用される肉の袋以上のものとして女性を見る事を共に学ぶべきです。これは、女性が自分の身体を隠す事や家の外での女性の活動を制限する事についてではなく、女性が性的な対象以上であるとすべての人に認識させる事についてなのです」

ほとんどの授業の参加者たちは女性だったが、幾人かの男性もちゃんと参加し多くの質問をしていた。

「プサントレン(※インドネシアにおける寄宿制のイスラム学校)における聖職者による性的虐待のドキュメンタリーを作ろう」一人の男性が提案した。

他の参加者は「もし平等を望むなら、何故『女性』というレッテルを捨てないのか?例えば何故、Komnas Perempuan(※女性に対する暴力国家委員会/National Commission Violence Against Women)があってKomnas Laki-laki(男性に対する暴力国家委員会)がないのか」と言う者もいた。

Sheraは、そのKomnas Perempuanが設立された歴史的な背景…’98年の暴動の際の大量のレイプ事件があった事を話した。そしてTikaは言った「何故、私たちがMan FastでなくLady Fastを開催するのか?理由は毎日がMan Fastだから」。彼女は、女性たちがそれらの事を発表するどころかステージ上で演奏する機会すらめったに与えられない事について話した。

イベント二日目の4月3日のLady Fastで上映されるはずだったドキュメンタリー映画『Ini Scene Kami Juga!』(英訳:This is Our Scene Too!、監督:Hera Mary)の中で、インドネシアのパンク/ハードコアコミュニティーの女性たちは表現の場を確保するために、男性たちに胸やおしりを揉まれて楽しまれる単なるシーンのファンとしてではなく、シーンの中で男性たちとの平等を認めさせるためにどうやって戦っていかねばならないかを話している。

夜が更けるにつれて、海外から来たブロンドヘアー・白い肌で典型的なパンク/ハードコアを象徴する格好の訪問客数名などを含め、どんどん人が来ていた。顔と首から汗が落ちた。その一団は、新鮮な空気を求めて会場から出た。

私たちが外部の人に見せている事を不思議に感じながら私は写真を撮った。私たちのタトゥーだらけで、Needle n' Bitch collectiveなどと言う名前の書かれた黒い服装で厳つく見える集団が、こういう外見を見慣れていない人達には恐いかも知れない事に私は気付いた。麻薬や売春?

マニフェストによれば、Needle n' Bitchは全ての性と性的志向の人たちに開かれた、性的な健全性を意識することをサポートする共同体である。「Needle」は縫ったり編んだりする事を表し、「bitch」はメンバーがしばしば、道徳的でなく罪であり恥ずべき事だというレッテル貼られて他の場所では話せなかった自分たちの経験を編んだり縫ったりしてみんなにどのように話すかを表している。

Needle n' Bitchは攻撃者から自分たちを守る事が出来る基本的な自己防衛テクニックのワークショップを指導していた。

「目を突け、これは効くぞ」彼らは言う。「でもしばしば自己防衛は賢明である事を意味する」。彼女らはメダンからジャカルタへヒッチハイクしていた時の事を話した。運転手は明らかに彼女らを人目のつかない場所へ引き込みたいという様子だったので、彼女らは彼から逃げるために本当に早くおしっこしたい、というふりをした。

これらの人たちはパンク/ハードコアコミュニティーの一部である、という彼らのアイデンティティーに誇りを持っていて、
自分たちの子供をイベントに連れて来ていた。そして私たちがすべき事は笑顔で握手を求める事であり、それはほとんどの人たちと会話をし始めるのを容易にする。

攻撃 (The Attack)

PM8:00頃、音楽パフォーマンスが始まった。女性がフロントのバンド・Agonyがその夜の口火を切った。私がその場にいた間、誰もヘッドバンギングやポゴダンスはしていなかった事に驚いた。全ての人が冷静に聞き入って拍手していた。

その時、攻撃が始まった。フェスティバルの企画者たちによれば、その攻撃者たちはアルコールと、参加者たちが着ている服を自分たちの不服の根拠として引き合いに出した。彼らはフェスティバルの参加者たちに対して、自らを名乗らない事を厭わず、そのきわどい名前の後ろにある意味を見い出そうとしなかったと思われる。もし彼らが、私のようにフェスティバルの本当の意味を見出そうとしていたら、そこにいたほとんどの人たちが良心的で、フェスティバルの名前に良い解釈が出来たはずである。

私のLady Fastでの経験は、とてもポジティブであった。私が記事を書いた理由は、多くの人たちが万が一、パンク/ハードコアのイベントを破壊的な活動に関連付けてしまう場合のためであった。

幾人かは飲酒していたがワークショップの間、的外れな質問をし迷惑をかけたり、うろうろしているだけだった。イベントの司会は後者の問題に気付き、全員に呼びかけた。「ゴミを一つ拾って、ゴミ箱に入れましょう」私が見た限り、大きな危険は、小さい子供たちの周りで喫煙している者たちによって起こった。

今もなお最近何度も起こったように偏狭・閉鎖的でディスカッションに反対するグループがイベントを攻撃した。暴力を振るい、迷惑をかけ、私的な所有物を損壊したのが攻撃者であるにも関わらず、そして1999年人権法が「国民」の表現の自由を守るためであるにも関わらず、警察は攻撃者たちの代わりに被害に遭った者たちを拘留したのであった。

スタンバイし、これを起こすのはいつになるのか。

――――――――――――サイトの翻訳ここまで――――――――――――

2010年1月にBRONZE FIST RECORDS企画にて、日本のスキンヘッド2バンド・東京CROPPED MENと大阪のBOOTed COCKSがインドネシアツアーを行った際に、最終日のバンドンでサポート出演してくれた女性Oi!バンド・D'PONIS(ディポニス)が、このイベントで上映予定だった『Ini Scene Kami Juga!』に出演しています。



今回、この事件を日本語訳したかったのはD'PONIS以外にも何人か、友人・知人が映画に登場していて、その上映が理不尽に妨害されたことに憤慨したのがきっかけでした。

 

なおこの後「Lady Fast 2」は、改めて2017年4月に場所をバンドンに変えて問題なく開催されました。

 


 


 

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