写真を整理していたら5年前の夏、安芸灘とびしま海道へ行った時のが出てきた。また行きたいなあ。


 

[走行ルート]

安芸灘とびしま海道 岡村島→大崎下島→豊島→上蒲刈島→下蒲刈島

距離 29.5km
最大標高差 63m
平均斜度 全体:0% 上り:3.5% 下り:3.2%
獲得標高 上り:197m 下り:179m

(全体)

(ブロンプトン走行部分)

 

このルートの良いところは、基本的にバスが通っている道なのでパンクしたりくたびれたりした場合、いつでも輪行に切り替えることが可能な点である。もちろん、田舎なのでバス(瀬戸内産交、さんようバス)の本数は少ない。事前に調べてから行くことをお勧めする。

 

大下島(おおげしま)と小大下島(こおげしま)の間をフェリーで抜けていく。

 

岡村島に着いた。ちなみに小大下島、大下島、岡村島を総称して「関前」(せきぜん)という。中世において瀬戸内の主要な航路上にあり、潮待ちの関(御手洗)の手前に位置したことから「関前」と呼ばれた。

 

岡村島から、小さな二つの島を橋で越えて御手洗のある大崎下島へ急ぐ。

 

御手洗の街をあとに、大崎下島の海沿いを走っていくと、次の橋が見えてきた。

 

豊浜大橋。大崎下島から豊島へ。

 

 

豊島から上蒲刈島へ豊島大橋を通過。上蒲刈島と豊島を繋ぐ橋長約903mの3号橋である。海面からの高さは50メートルある。従って上ってくるのが大変です。上蒲刈島側はトンネルがあるので気をつけて。

 

豊島大橋の上から瀬戸内海、芸予諸島を望む。美しい景色だ。

 

上蒲刈島から下蒲刈島へ。

 

三之瀬に着いた。三之瀬は下蒲刈島の東岸に位置し、三之瀬瀬戸に面している。俗に島町(しままち)と称している。ここも御手洗同様に瀬戸内海航路の要所であった。

 

灯台の役割を果たした大きな常夜燈が復元されており、昔ながらの湊の街並みも再現されている。

 

三之瀬御本陣の前。江戸時代には対馬藩が「朝鮮通信使」を案内する旅の途中で宿泊する本陣として使用されていたという。


 

足元に見えているのは船が接岸できるように作られた「長雁木」。

 

当時、芸備藩主であった福島正則が幕命により本陣を設ける際、潮流のあるこの場所で石組みが崩れないように真中で折れた構造の長雁木(福島雁木ともいう)を築いたそうだ。


さあ、バスに乗って呉線の仁方駅へ急ごう。

 

関連記事:

しまなみの夏 ≪ポタリング編≫

しまなみの夏 ≪温泉編≫