バブル期・・・不景気の中、あちこちで懐かしがられ、再来を望まれる時代。
私はその時代を生きていなかったので、実感としては何も言えない。
ただ、その恩恵を受けた人々の意見と、恩恵を受けられなかった人々の意見や、心ある人によって書き留められた著作を総括して考えると
いわゆる普通の日本人、社会的ハンデの無い人々にとっては、非常に良い時代で、御大臣の様な生活ができたそうだ。
そしてもう一つ、彼らが「良い時代だった」と思える理由は、日陰の人々に蓋をする事が、今以上に容易だった。という事があると思う。
当時はパソコンもガラケーすらもほとんど流通しておらず、よってSNSが今程普及していなかった。
なので、マイノリティーな差別・偏見・貧困についてほとんど知られる事も無かったのだろうと思う。
正に、美しい国
伊藤詩織さんと山口敬之の件だって、SNSが無ければここまで注目される事は無かったかもしれない。
そう考えると、SNSの流通した今がありがたい。
バブル期を生きた経験は無いけれども
「セクハラも酷かったやろうなあ・・・」
その時代、勤めていた女性についてしみじみと深刻に、小声で呟いているのを子供の頃聞いた事がある。
性犯罪が今以上に、酷かったんだなあと、しばらくしてから悟った。
LDの可能性濃厚な自殺した漫画家、山田花子も生きていたのはバブルの最中だった。
彼女が本当にLDであったかどうかが問題なわけではない。
普通ではない、変わった人が統合失調症にまで追い詰められ、どこにも理解者を得られず、疎まれ続け、孤独の中自殺せざるを得なかった、という事なのだ。
累犯障害者 (新潮文庫)
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「生きていて良かったと思う事は一度も無かった」
刑務所で山本譲司さんが、累犯障害者そしてその家族から聞いた台詞。
冷静な文章ながら、全編を通して、行政による福祉の至らなさへの強い憤り、そして悲しみが伝わり、精神障害者の一人としては、寄り添って貰えたようにも思えてとても嬉しかった。
誰もが光の中、どんちゃん騒ぎしていた頃、人並み以上に産まれたにも関わらず、日陰の存在に身を削ってスポットを当て、共に嘆き、憤り、寄り添ってくれた。
そして接した事が無かったが故に、聾者の置かれる不条理な状況は衝撃的だった。
聾学校に置ける教育というのは、教育ではなく健常者社会に適合するための訓練施設だった。
障害者の「障害」とは、社会に在る、ハンディキャップを有する者と社会との障害を意味する。つまり、障害は社会が有するものなのだ。
障害増やしてどうすんの
盲の人とは何度か接した事があるが、現在もそしてバブル期も
盲導犬の不足に悩んでいる。
ガイドヘルパーという存在も居るけれど、想像してみて欲しい。やはり人間一人で動く事ができるという事への願望を。
バブル期、普通の日本人が御大臣の様に暮らせた時期、きっと犬を飼う人も少なくなかっただろう。
一体、盲導犬を持つ事のできた盲者がどれだけ居たのだろうか
そしてバブル期は本当の意味で豊かだったのだろうか?
生産能力の無い変人の、基本的人権が守られていたのだろうか?